現実世界とさようなら
濡れた体を抱き寄せ、地面に座り込んで体育座りのまま校舎裏から空を見上げる。
いつからか自分の中で堪えることができなくなると、空高くまでそびえたつ大きな樹をボーっと眺める様になっていた。
世界樹と呼ばれるあの樹は、空いっぱいに広がった枝や葉が外国まで広がりそうだからそんな名前がつけられたとか。
世界樹が生えてから太陽の光があまり地上に差し込まなくなったらしい。
らしいというのも、世界樹は私が生まれる前から生えてるからだ。
私は世界樹の生えてない世界を知らない。大人の言う事や、本でしか陽の差し込む世界を知らない。
何故日本に生えたのか。何故あんなに大きく育ったのか。謎は多いが、大人たちは口を揃えてあの樹には近づくなと言う。噂だと世界樹の上には誰かいるからだとか。目撃証言が多々あることから、いつからか『あの樹にはこの世界に必要とされない者が住んでいる』と言われるようになっていた。
世界に色を感じなくなったのはいつからだろうか? 景色が風景が全部等しく同じ様なものに思える。そう思う様になってしまったのは決して太陽の光が届いてないからではない。
見るもの全てが灰色に色を失った様に見え始めたのは小学生、中学生。きっと生まれた時からだろう――。
★★★
学校に進む足取りは重い。アスファルトの上を歩いているだけなのに、泥の中を進んでいる様な……。
ゆっくり歩いて高校に到着。いつもホームルームの始まる10分ぐらい前には教室に着くようにしている。ホームルームギリギリだと何かあったときの対処が間に合わない。
自分の下駄箱から靴を取り出そうと戸を開く。中には私の上履きが入っている。いつもの様に手を伸ばし、上履きを取り出そうとしたところで、上履きが粘性のありそうな液体にまみれていることに気づいた。
下駄箱の戸を開けっ放しにしていると、悪臭が漂ってくるのですぐに閉める。
はぁ。と溜息を吐き出しつつ、スクールバッグの中から使い捨てのスリッパを取り出し、それに履き替える。今まで履いていたローファーはビニール袋にしまって校内へ。
正直上履きをダメにされるのは金銭的にきつい。
自分の教室に到着。落書きやゴミが詰まった机。その手前にある汚い椅子に腰かける。
あと数分でホームルームが始まる。そう安堵した瞬間、同じクラスの金髪の女生徒が大きな声で騒ぎ出した。
「あれぇ? かおるちゃん、なんで上履き以外の物履いてるのかなぁ?」
ニタニタとした人を馬鹿にしている笑顔で金髪の女生徒が近寄ってくる。
「なぁ? ダメだろ、こういうことしちゃよ!!」
私が意にも介さず黙ったままでいると、私の足を浮かすように、かかとの少し上あたりを蹴り上げられた。
私の足が浮いた隙に、スリッパを抜き取られる。それをそのままゴミ箱に捨てられた。
「ルールは守れよかおるちゃん」
反応する気力もない。
「はーい、それじゃあ席についてください。ホームルーム始めますよ」
金髪の女生徒が自分の席に座ると同時に、担任の先生が教室に入ってきた。
先生が入ってきてから何事もなかった様に物事が進んでいく。勿論先生も私のことを気にも留めない。
靴下であることを除けば4限目までは何の問題もなく過ごせた。が、問題は次の体育の授業だ。大体何かやらかされている。
クラスメイトが更衣室に向かった後に、自分のロッカーから体操着の入った袋を取り出して更衣室に向かう。
更衣室に入るとすぐに金髪の女生徒に絡まれた。
「かおるちゃん、中開けてみなよ」
金髪の女生徒とその取り巻き数人が私を見てクスクスと笑っている。
恐る恐る袋を開いて中身を確認してみる。開けると同時に悪臭が漂ってきたため、袋を落としてしまった。
「うわ」
中に入った体操着にまんべんなく白っぽい液体がかけられている。これは上履きにかかっていたものと同じ物だと、悪臭からも判断できた。
「うわだって」「キモ」「くっさー」
取り巻きが笑いながら手をたたく。袋を開けた瞬間の私の動きを真似したりして煽ってくる。が、そんなことよりこの液体の正体に気づいてしまったのがショックだ。
「かおるちゃん可愛いからさぁ、青田とかかおるちゃんが好きな男子にこの写真渡したら喜んで協力してくれたよ」
そういって女生徒はスマフォを操作して私に見せてきた。私が着替えている最中のものと、トイレの個室の中のものが画面に映っている。
青田といえばクラスでも内気でオタク気質の奴だ。そんな奴が私に好意を持っているとしってしまっては、嬉しさより恐怖感が沸き立つ。
「そうそう、トイレシーンのは動画もあるよ」
立っているのがやっとの私に追い打ちをかけにきた。またもや金髪の女生徒はスマフォを操作して動画を再生する。その動画には私がトイレの個室に入るところから終わるまでが映っていた。生々しい音もそのまま撮られてしまっている。
トイレに行く時や着替える時なんかはなるべく一人になる様に気を付けているのに、撮られていることに全く気づけなかった自分が情けない。
「うっわ恥ずかし」「こんなん撮られちゃ生きていけないよ」「キモ」
取り巻きに煽られ自分の中で我慢ができなくなった。煽り耐性が高い方だと思っていたが、案外そうでもなかったのかもしれない。
イメージとしては袋に入りきらなかった水が零れ出るような感じ。ダムが決壊するような感じ。
今まで暴力や私自身に直接関係してくる虐めはなかったが、今回のこれは耐えられなかった。
胃をひっくり返したかの様に、勢いよく私の口から吐しゃ物があふれ出て床を汚す。着ていた制服にも吐しゃ物がかかってしまった。
「うっわ」「きったね」「キモ」「キャー」
取り巻き連中以外も私の吐しゃ物を見て騒ぎ出した。
「かおるちゃん汚すのはダメだよ。掃除しなきゃいけなくなるじゃん」
金髪の女生徒は私から着ていたブレザーを脱がせながら、周りの連中に水を要求している。もしやと思った時にはもう遅い。膝立ちになっている状態の私の頭の上から水をかけられた。
あの場から走って逃げだした私は校舎裏に着ていた。体育の授業はサボってしまうことになるが仕方ない。
このまま帰ってしまってもいいのだが、家にいる母にグチグチ文句を言われる落ちが見えている。
シャツも水に濡れてしまっており、下着が薄っすらと見えてしまっている。物理的にも帰れない。
濡れた体を抱き寄せ、地面に座り込んで体育座りのまま校舎裏から樹を見上げ、服が乾くのを待った。
服が乾く頃には昼休みになっていた。
バッグを回収して帰ろう。そう考え立ち上がると、校舎裏に青田がやってきた。
「あ、あの、かおるちゃん、ご、ごめんね。ぼく」
オドオドしながら謝罪をいれてくるが、私の中での彼の印象は最悪だ。返事の代わりに彼の右の頬に拳を打ち込んで走り去る。
教室に戻ると真っ先に自分の席に向かい、バッグを手に取る。
バッグの中には紙や埃等のゴミが入っていたが、それらを机の上にぶちまけてビニール袋に入ったローファーを取り出す。良かった、ローファーは無事だ。
教室の中には金髪の女生徒は見当たらない。今のうちに帰ってしまおう。
「た、ただいま」
家に帰るとリビングでテレビを見ていた母が私に気づいた。
「あんた、学校は?」
口調が強いことから、これから何を言ってもヒステリックを起こすことは予想が出来た。
「今日は4限まで――」
「あんたさっき学校から電話――」
私の言葉を遮る様に母は騒ぎ出した。後半の言葉は金切り声の様なもので、聞き取ることができなかった。
顔をしかめていると、母はテレビのリモコンや近くにあった小物を投げてくる。私には当たらない様に投げているらしいが、壁や床に当たって大きな音を立てていく。逃げるように私は自分の部屋に籠った。
母は私が虐められていることを知っても私のせいだとしか言わず、最近はずっとあんな調子だ。父はそもそも家にいない。学校の先生も見て見ぬふり。
私の居場所はないんじゃないのか。既に気づいていたが、知らないフリをしていた。現実から目をそらしていた。でももう受け止めるしかない。このままじゃ私が持たない。
家出をしよう。そう思ってリュックに財布等を詰めていると、部屋の窓から世界樹が見えた。
『あの樹にはこの世界に必要とされない者が住んでいる』。そんな言葉を思い出した。世界の掃き溜め、屑の行き場。そんな風に言われているのもネットで見た覚えがある。
あそこに行けば楽になれるんじゃないか。なんとなくそんな気がした。
支度が終わるとすぐに玄関に向かう。服は制服のままなので、服装に合うようにローファーを履いていく。母が何か言っているが、無視してドアを開けて外に出る。
細々と続けられたらなぁ。タイトルは虚実世界の世界樹って読んでくだせぇ。