第九話 ギガースワームのフランベ ~心地良い目覚めと共に~
峠を下るころには、霧は優しい雨に変わっていました。
しとしとと我が身を濡らす水滴の心地良さに、つい頬を緩めていたのですが……。
道がまたも登り坂に変わる頃には、雨足がとてもきつくなって参りました。
目を上げると真っ白な峰々が、雲を纏いながら連なる風景が遥か彼方に見えます。
あれは雪化粧でしょうか。
そう思うと、少しばかり肌寒く感じますね。
どこかで一度、雨を避けて体を乾かしたいところです。
と、思っていましたら、おあつらえの洞窟があるじゃないですか。
これは天の采配だと、ありがたく雨宿りさせて頂きます。
いつの間にか土砂降りになっていたせいで、すっかり濡れネズミな私です。
頭がつかえそうな狭い穴蔵ですが、雨に濡れないだけでも御の字ですね。
かなり奥の方まで続いているようです。
これは少し興味が湧いてきました。ちょっと覗いてみましょう。
この洞窟、行けども行けども続いてますね。
一度ここらで、休憩しますか。
座り心地の良さそうな青い岩もありますし。
……。
…………。
………………。
……………………。
…………………………おや、いつのまにか眠っていたようです。
くつろぐあまり、ついゴロンと横になってしまったのが原因ですか。
しかし、ここは……?
真っ暗な上に、随分と暖かい。
なるほど、分かりましたよ。
どなたかが、気を利かしてくれたのでしょうね。
寝てる間に、寝袋に入れて頂けるとは。
これは早急に感謝の言葉を伝える必要があります。
中から袋を開けたいのですが、とじ紐が見当たりませんね。
ちょっと寝返りを打ってみますか。
あら、どこかにぶつかってしまったようです。
何か割れるような音がしてきます。これはマズイな。
おや足の方から、何か水のようなものが。
随分と良い匂いがしますね。
これは…………酒精ですか。寝酒用の瓶でも割ってしまったのかな。
それにしては少々、量が多い気もします。
ところでこの寝袋、足の方から出るタイプのようですね。
先程から体の向きを変えようとしてるのですが、滑ってしまうので上手く行きません。
どうも寝袋ごと、転がってしまう感じです。困りましたね。
む、今度は足の裏に何か当たりました。
よく見えませんが、先が尖った棒のようですね。
ふむ。ここは緊急事態ですし、寝袋に穴をあけて光を少し入れますか。
えいっと!
おやおや、意外と硬い。火花が出るとは思いませんでした。
しかし、穴は空きませんでしたが、明るくなりましたね。
どうやら今の火花で、寝袋の中にこぼれていたお酒に火がついてしまったようです。
大変、よく燃えてますね。寝袋が火袋状態です。
今気づいたのですがこの寝袋、焼けて凄い良い匂いがしますよ!
ちょっと齧っても良いでしょうか。
う、うまぁぁああい。
ねっとりとした歯ごたえながら、肉厚で噛むたびにピリリとした肉汁が溢れてきます。
じゅるぐちゃもぐもしゃガリゴじゅるじゅる。
この舌のしびれるソースが、素晴らしいアクセントになってますね。
酒精で臭みを飛ばしたせいで、肉の旨みとソースの甘さのハーモニーが堪りません。
それに風味も抜群です。食欲がぐんぐん湧いてきますよ。
しかしこの、食べられる寝袋!
なんと画期的な工夫でしょうか。これは色々と研究の余地ありです。
もぐりぐちゅベチョガツガツずるずるごくり。
しかも温まりながら食べられるという、悪魔的な発想。恐ろし過ぎます。
もう食べる手が止まりません。
寝起きに格別な味わいをもたらす珠玉の寝袋――これは目覚ましい逸品です。あ。
食べ過ぎて、寝袋が破けてしまいました…………。
ここはどこでしょう。ずいぶんと広い――穴の底?
穴の上の方に、黒い肌の子どもがたくさん居て、こっちを見てますね。
寝袋に入れてくれたのは、あの子たちでしょうか。
そんな心遣いの詰まった寝袋を破った上に、さらに所望するのは大変厚かましいことですが私もかなり限界です。
ここは素直にお願いしてみましょう。
「すみませーん、お水を一杯頂けませんか?」
実はこの寝袋、いくぶん味付けが辛かったのです。
美味しかったので文句はないのですが、喉がすっかりカラカラです。
と、水が降ってきましたよ。
あら、あらあら。
こんなには要らなかったのですが。
ああ、なるほど。
一杯をいっぱいと勘違いされたのですね。
いやはや、なんとも微笑ましい。
△▼△▼△
縦坑の水が完全に引いたのは、騒動から半日経ってのことだった。
黒小人たちは数名の班に分かれ急いで探索を始めたが、大親方ゴリドや焔の悪鬼の姿はどこにも見つけることは出来なかった。
岩喰い大長虫の残骸のほうは、下層の廃坑近くに引っ掛かっていたのが発見された。
「姉御、これ見て下さい」
「ああ、凄いな……」
長虫の死体は頭から裂かれたせいか酸性の体液が綺麗に洗い流され、残った体内には消化されなかった希少な鉱石類が山と詰まっていた。
群青石や黄光柱、碧玉や紅玉に白銀鉱と、鉱山一つと引き換えにしても、お釣りが出そうな一財産である。
さらにその外皮も製錬すれば、黒鋼が大量に取り出せるときた。
水浸しにしてしまい、山仕事は当分お預けとなるはずだったが、これだけあれば向こう数年、黒小人族は食うに困らない。
黒小人たちは腕のいい鍛冶屋であるが、その見た目から嫌う者も多い。
丹精込めて作った武具や農具も、呪いがかかってるのではといわれ、あまり売れ行きはよくない有り様だ。
その上、金勘定が大雑把なせいで商売にも向いておらず、小鬼の行商人に投げ売りしている始末。
日々の糧をなんとか食いつなぐのが、精一杯の貧乏暮らしであった。
「親父殿、あんたの生き様をしかと見せて貰ったよ。今度はアタイが一族を、立派に盛り上げてみせるさ」
キーリは長虫の尻尾に喰い込んだままだったゴリドの形見となる大金槌に、割れずに残っていた最後の蜂蜜酒の大瓶を傾けた。
「手向けの酒だ。たっぷり飲んでくれ」
「姉御、大変だ! こっち来てくだせえ!」
「何だってんだい。まだ、なにかあるのかい?」
穴方衆の一人がランタンを持ち上げながら、廃坑の奥を指差す。
そこに見えたのは、長虫が掘り進んできた大きな横穴であった。
ここも水が押し寄せたのか、土砂が綺麗に流されて奥まで見通すことができる。
「こっ、これは……」
キーリは、それ以上の言葉を放つことが出来ず絶句する。
横穴の壁には、鈍く輝く岩がところどころに顔を出していた。
それらは奥に行くにつれて数を増し、やがては壁一面を覆うほどの埋蔵量が確認された。
北嶺鉱山の名高いゴリド大鉱脈の発見は、この事件が発端であると今も伝承に残る。
その功労者である大親方ゴリドと娘キーリを謳った英雄譚が作られるはずであったが、五日後にひょっこり帰ってきたゴリドに勘弁してくれと言われ取り止めになった。
「英雄なんて柄じゃねえよ、まったく」
闇夜のつるはし亭の奥テーブルで酒樽を抱えながら、髭の長はそう嘯いたと聞き及ぶ。
そのあと娘に、餞別の蜂蜜酒が無駄になったと怒られたらしい。
黒小人族
かくれんぼ最強種族。年に一度、坑道をすべて使った大かくれんぼ大会が開催される。
数百人に一人の割合で白い肌の子が生まれるが、まめご扱いされ大事に育てられる。
山方衆
鍛冶を専門とした火方衆と、鉱物の採掘を専門とする穴方衆に別れる。
大親方はそのどちらも統べる役職であり、部族の長を指す。