第七話 大海老のカルパッチョ ~白霧のソース添え~
気がついたら山の天辺でした。
正直、途中でちょっとおかしいな?とは、思ったんです。
この道、微妙に坂になってますねって。
でも進んでるうちに、どこかに着くだろうって安易に考えてしまったのが失敗でした。
そろそろ町が見えるかなって思ってるうちに、霧まで出てきてしまって……。
それに私、昔から高いところ好きなんですよ。
高いところかの景観って、なんだかドキドキしませんか?
こう魂が、より高みに無意識に吸い寄せられるような。
それと少し話が変わりますが、自分が泳げないほど太ってるのも、正直かなりのショックでした。
暢気が取り柄の私でも、気持ちが少々沈んでしまいましたよ。
ええ、浮けない話だけに。
……。
…………。
………………。
……………………。
…………………………失敬、これじゃ受けない話ですね。
まあ、太った分だけ運動してみようかと思ったのは事実です。
そんな気持ちが溢れて、つい小走りになったのも迷子の要因でした。
まさか、いつの間にか山を登り切っていたなんて。
ホント、びっくりです。
それに人がいなくて、実は良かったかもしれないですね。
拝借した青い布ですが、あまり数を頂くのもどうかと思いまして、最小限度に留めたんですよ。
具体的には心臓部分と生殖器を隠せるくらいです。
ちょっと衣類としては布面積が少なすぎて、礼儀を守れているか心配でして。
まあ結構汗もかけましたし、お腹も適度に空いて良い感じですね。
では気を取り直して、町をめざしますか!
山頂から見渡せば、すぐに見つかるはずですし。
あれ、霧が濃すぎて何も見えませんね?
これは困りました。
そうだ。確か霧を晴らす、良い掛け声がありましたね。
「ヤッホォォォオオオォォオ!!!!」
ホーホーホーホー。
霧は晴れませんでしたが、大声を出すと心がスッキリしますね。
おや、何か動いたような。
視界が悪くて、よく見えません。
おやおや、これは随分と立派な海老ですね。
大海老という奴でしょうか。
なぜ山の上にいるのかは分かりませんが、ここはご相伴にあずかりますか。
「頂きます!」
これはまた活きが良い。ぴちぴちと良く跳ねます。
食べごたえがありますね。
鮮度が抜群なんでしょうか。
もしかしてこの霧のせいだとか?
興味深い関連ですね。研究の余地ありです。
はいはい、まずは殻を剥き剥きしましょうね。
ハサミは身が締まってますから、あとのお楽しみに置いておきましょう。
ブチブチっとね。
あ、私、海老の尻尾は食べない派なんですよ。
これは引っこ抜いて、ポイしましょう。
むむ、ちょっと殻が硬いですね。
ちょうど良い場所に岩がありますので、これで割りますか。
ビターンビターンっと。
はい身が出て来ました。
もぐむしゃもりミュルルずるずるごきぐちゃ。
しかし、海老の叩き食いって初めて食べましたけど、大変美味しいですね。
思わず殻を舐めてしまうほどの味わい深さです。
そうそう〆に、この身がギュッと詰まったハサミを頂きますか。
うん、美味い!!
これは思わず小躍りですよ。
この引き締まった身の歯応えがたまりません。噛みしめると、コクが口の中いっぱいに広がって。
海老だから白身の淡泊な味わいかと思ったんですが、意外と渋みがありますね。
うん、この複雑な味わい。何とも言えません。
幻想的な霧の風景を楽しみながら、大海老を丸ごと一匹頂く――これは文句なしの逸品です。
あっという間に全部食べてしまいましたよ。
大きいから食べがいがあって、大満足です。もう満腹ですよ。
ごちそうさまでした。
ふー。あら、こんな所に動物が居ますね。
デザート……そんなものまであるのか。
しかし、残念です。
今はこの海老の余韻を、長く味わっていたいところなんです。
遠慮させていただきますか。
ほら、下に降ろしてあげますよ。
食べない食事は下げないといけませんしね。
さて私は山を降りるといたしますか。
たしか、こっちから来たはずですね。
△▼△▼△
凱旋気分で宿営地に戻ったオーガの少女リヤンを待っていたのは、息を切らして自分を探し回ってくれていた大人たちの姿だった。
少女に気付いた母親が、悲鳴に近い声を上げ大急ぎで駆け寄ってくる。
叱咤を恐れ思わず目蓋を閉じたリヤンを包み込んだのは、母の柔らかな腕の抱擁であった。
よく判らず首を傾げる少女の角の付け根を、はぐれたヤギの持ち主であり父の兄でもある伯父のニモラノがそっと撫でてくれた。
「よくぞ、無事に戻った」
普段とはまるで違う伯父の優しい言葉と暖かい指の感触に、少女の目に涙がひとりでに盛り上がる。
「今まですまなかったな。俺が厳し過ぎたせいで――」
ニモラノにとって、弟の子であるリヤンは自らの子同然の大事な愛娘であった。
弟のガヤンが弟嫁のキリイの心の臓の病を治す薬を求めて旅立ったのは、もう半年も前の話だ。
それから全く音沙汰がないということは、それなりの心積もりで受け止めねばならない。
さらに義妹の顔色も、日を過ぎる毎に悪くなっていた。
もう先はあまり残されていないのだろう。
まだ幼子の身で両親と別れねばならぬリヤンを、ニモラノはとても不憫に感じていた。
だが哀れむばかりでは、何の助けにもなりはしない。
彼女は遠くない先、祖父母や弟妹たちを背負っていかねばならぬのだ。
そのためにも早く一人前に仕事をこなせるように仕込んでやるのが、保護者の務めであるとニモラノは頑なに信じてきた。
それが、あの子を追い詰める結果となってしまうまでは。
気づいた時すでに仔ヤギと娘と犬の姿はなく、足跡は北外れの峠へと消えていた。
追いかけようした矢先、峠は霧に覆われ――そしてあの凄まじき遠吠え。
天の怒りが声と化して溢れでたのかと、思えるほどの響きだった。
そして畏れ跪く皆を懸命に奮い立たせ、リヤンの捜索へ向かおうとしていたところ、ひょっこりと娘が帰ってきた次第であった。
「怪我はないか? リヤン。いや、ヤギではなくお前がだ。そうか、それなら良い。うん、それは何だ?」
リヤンが息災だったことに安堵したニモラノだったが、ヤギの背に縛られた見慣れない物に気付く。
「ふむ、大蠍の尾先か。ふむふむ、ヤギを探して峠の天辺にいったら大蠍がいたと。そこに伝説の勇士が現れて大蠍を退治してくれたと……………………なんだってぇぇええ!!」
宿営地は大騒ぎとなった。
早速、大人どもが峠へ向かい、大蠍の残骸を見つけ出す。
あの声の正体がご先祖様であったこと、そして峠の怪物を退治してくれたことが判明し、鬼人族は大きな喜びに包まれた。
巫のオババの一声で、仔ヤギは聖なる供物と認定され、後に多くの子孫を残すことさえなった。
そしてその年の祖霊祭は一層の盛り上がりを見せ、少女は角鶏のスープのおかわりと引き換えに、何度も勇敢な戦士の目撃談を繰り返す羽目となる。
また祭りから程なくして少女の父が吉報を携えて宿営地へ戻るのだが、それはもうしばらく後のお話である。
今も北外れの峠には、旅人が安全に通過するために大声で叫ぶ風習が言い伝えられている。
霧が濃い日はよく、その元気な掛け声がこだましているそうだ。
ギャッホーホーホーと。
鬼人族
少女はかつて父に、なぜこんな酷い土地に暮らしているのかを尋ねたことがあった。
父は何も言わず 娘を肩車して夕日が沈む北嶺の山々を見せてくれた。
山間部で牧畜を営む頑強な種族。
閉鎖的な社会を構成しており、多種族との交流はあまりない。
男性はこめかみに二本の雄角、女性は額の中央に一本の雌角を持つ