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第四話 襲われた昼下がりの主婦たち



 西の森から湧き出す清流は茂みや下生えを潤しながら集い、やがて一つの流れとなって王国を横切る大河へと流れこむ。

 その支流を少し森へ遡ると中程にやや開けた場所があり、水量豊かな滝の光景を楽しむことが出来る。


 滝壺そばの川瀬は日当たりもよく清涼とした空気に包まれ、のんびりとくつろぎお喋りするにはこれ以上の場所はないほどであった。

 そして今日も四人の犬人コボルトたちは思い思いのやり方で、色染めの布を濯ぎながら談笑に勤しんでいた。


「聞いたかい? 木こりのゴルザの話」

「あの酔いどれが、また飼い葉桶にはまって一晩過ごしたって話しかい?」

「それは毎度の事さね。それよりも出たんだとさ」

「何がさ?」

「…………あのトロールさ」

「ありゃ、お伽話だべさ」

「それが本当らしくてさ」


 村長夫人であり女衆の纏め役でもあるキヌは、村一番の情報通と名高いロッチの噂話に尻尾を持ち上げた。

 

「あいにく与太話で怖がるような歳は、とうに過ぎちまったよ」

「一昨日、あの飲んだくれが見たんだとさ。森ん中を馬よりでっかい化物がおっそろしい勢いで走っていくのをさ」

「仕事中は飲むなと、あれほど言ってあったのに。全くあの酔っぱらいは」

「ホントらしいですよ、その話」


 横から口を挟んできたのは、姉夫婦が村で酒場をやってるエニだ。


「姉ちゃんに聞いたんですが、ゴルザさんもう二日も酒場に来てないそうですよ」

「親が死んでも酒瓶手放さなかった、あのロクデナシがかい?」

「あと、なんでも炭置き小屋がバラバラになってたそうで、酒場でもその話で持ち切りでした」


 なんとも穏やかでない話になってきたので、キヌは村での良き相談役であるサチに話題を振ってみた。


「サチ、アンタはなにか聞いてるかい?」

「わたしが聞いたのは、長耳エルフたちの話さ」

「聞かせてくれるかね」

「昨日、取り次ぎのサルリから黒狼の皮を大量に剥いだので、近々持ってくるって言われたのさ」

「そりゃまた豪勢な話だね」


 黒狼の毛皮は滅多に手に入らず、王都でも高値がつく代物だ。

 長耳族エルフたちは、人嫌いで有名だがそれでも日々の糧は必要となってくる。

 コボルトの村は、そんな長耳族エルフ小鬼ゴブリンの行商人たちとの仲介をしているので、今回の黒狼の皮はそれなりの手数料が転がり込んでくる美味しい儲け話であった。


「ただね。それを獲ってきた姉妹の様子がどうもおかしくて、サルリらが事情を訊いたらさ…………」


 サチはそこでゆっくりと息を溜める。この辺りは語り部の娘らしさがよく出ている。




「なんでも黒狼に襲われていたとこを、丸呑み山のトロールに助けてもらったって言うんだよ」




 濯ぎの手を休めて話に聴き入ってた三人は、大きな笑い声をあげた。


「トロールが人助けだって?! 何でも食べるって言い伝えじゃなかったかい?」

「馬鹿げた話過ぎるさ、サチ」

「おおかた蜂蜜酒ミードでも飲み過ぎたんじゃないんですか?」


 予想通りの反応に、満足気に頷いたサチは話を続けた。


「私も最初は笑ったんだけどさ、どうもサルリの話しっぷりが嘘をついてるとは思えなくてね」


 村に毛皮を運んでくるサルリは年若いせいかエルフにしては人懐っこく、自分たちコボルトにも気さくに話しかけてくる。


「それにトロールが出たって、紛れもない証拠があるらしいのさ」

「ほう、聞かせておくれさ」

「二人が大量に持ち帰ってきたっていう、黒狼なんだけどさ…………」

「勿体ぶらずにはよ言いなさ」

「どれも体が半分以上、喰われてなくなってたって話なんだよ」


 束の間、滝の音と川のせせらぎだけが四人の間を流れた。

 その重苦しい沈黙を、ロッチが空元気な声を張り上げて無理やり破る。


「大方、黒狼どもが同士討ちとかしたんじゃねーべさ、餌の取り合いとかで」

「ところがどっこい、目の前でトロールが黒狼を平らげるのをしかと見てたんだとか。しかもその化け物と目が合ったって言うのさ、その猟師どもは」

「それで、なんで生きてんだい?」

「そう、そこからが不思議な話なんだとさ。トロールが気を失った二人をわざわざ枝の上に置いて立ち去ったって聞いて、わたしゃこの耳を疑ったよ」

「ちょいと信じ難い話だね」

「……でもゴルザが見たって言う化け物の話もあるし、本当に何か居るんじゃないかい?」

 

 コボルトの女たちは、黙りこんで辺りを見渡した。

 いつも変わらないはずの川原の景色が、急に怪しく思えてくる。


「さあさ、手が止まってるよ。急がないとトロールじゃなくてもアイツが出てくるよ」


 キヌは慌てて大声を上げて皆を促した。

 仕事はそれでなくとも山積みなのだ。

 まだ夕刻には時間があるが、急いでも罰が当たることはない。


「エニは濯ぎ終わったの干していっておくれ。ロッチは新しい桶を頼むわさ。サチはこっちを手伝っておくれ」


 振り返って指示を出しながら、キヌは青染の布をギュッと絞り上げる。

 そしてそれでも動こうとしない三人を、呆れたようにみつめた。


「どうしたさ? さっさと動かないと日が暮れちまうよ」


 問いかけながらもキヌは、固まっている三人の顔つきがおかしいことに気づく。

 三人とも目が真ん丸になって、口が半開きになっている。

 もしかしたら自分を担ぐための一芝居かと思い、キヌはやれやれと溜息をついた。


「与太話はもう結構さ。仕事は待っちゃくれないよ」


 



 振り返ったキヌが見たものは、滝壺から大きく鎌首をもたげる巨大な蛇の姿であった。




 

 逃げようと思う間もなく、大蛇はその大首を走らせる。

 川っぷちにしゃがみこんでいたキヌの下半身は、あっさりとその大顎に咥え込まれた。


 そこで初めて悲鳴が上がる。


 キヌの必死の形相に金縛りがとけたのか、三人が駆け寄ってきて、その腕や肩を懸命に掴みとる。

 命を賭けた引っ張り合いとなるが、あきらかにコボルトたちの分が悪かった。

 踏ん張りが効かぬ砂利を跳ね上げながら、四人はまとめて滝壺へと引き摺られていく。



「逃げな! さっさと逃げな!」

 


 死に物狂いで自分を引っ張ってくれる仲間に、キヌは最後の指示を出す。

 ここで共倒れになるよりかは、ずっとマシだった。

 それに滝壺の主がこんな時間に出てきたことを、村に知らせることの方が村長の妻としては遥かに大事である。


 だが誰一人、その指図を聞くものはいない。


 皆はキヌにしがみついたまま、その力を緩める素振りは全く見せようとしなかった。

 その頑張りに、キヌは涙を堪えることが出来ず嗚咽を漏らす。

 しかし現実は無情であった。

 大蛇が強くその身をクネらせたのか、激しい揺れが伝わって三人はキヌと一緒に横倒しになる。



「わたしはもう無理だよ。夫と息子たちによろしく伝えておくれさ」


 

 キヌは涙を流しながら、最後の言葉を伝える。

 そして諦めとともに、友たちとつないでいた手を放す。




「…………みな、後は頼んだよ」




 しかしいつまで待っても、冷たい水の感触や、息が詰まるような狭苦しさは訪れない。

 キヌは薄っすらと、きつく閉じていた眼を開いてみた。


 目の前にあったのは、口を開けたまま魂が抜けたような表情で、自分の背後を凝視する仲間の姿であった。

 こんな時にさらに一芝居するような訳もないので、キヌは恐る恐る背後を窺った。


 自分を呑み込み中の大蛇と目が合い、慌てて逸らす。

 そしてそんな大蛇を呑み込み中の何かが見えた気がして、もう一度急いで背後に視線を移す。




 黒い水草のようなものを纏った何かが、滝壺の主の下半身を食べていた。




 その有り得ない光景に、キヌは瞬きを繰り返す。

 もぐりもぐりゴキュリと、異様な音が川面の上を響き渡る。

 大蛇を咥え込む黒い藻に覆われた隙間を、滝の落水に撥ね返る陽の光が照らし出した。

 二つの大きく丸い何かが、奥に光って見える。


 キヌは直感的に、それが化け物の眼であると理解した。

 そして、それがグルんと動いてこちらを睨め付けたことも。


 ブチンと嫌な音がして蛇の下半分が食い千切られ、残った部分が川面に落ちて派手な水音を立てた。

 その間、女たちは誰一人動くことは出来なかった。


 腰から下を締め付けていた感触が消えたことに、キヌはそこで初めて気が付く。

 滝壺の主が息絶えたのだと理解するよりも先に、川底から現れた化け物が半分になった蛇を軽々と持ち上げた。

 大蛇の顎から開放されたサチは、息も絶え絶えにその様子を見上げる。




 化け物は咆哮を上げた。




 それはおぞましく、魂を汚されるような響きを伴っていた。

 そのまま化け物は蛇の顎に両手をかけると、左右に軽々と引き裂いた。

 


 それがコボルトたちの限界であった。

 みな一斉に四つん這いのまま走りだす。 

 村にたどり着くまで、四人からは一言も声が発せられることはなかった。



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