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第ニ話 狙われた美人姉妹


 

 王国の遥か西、無辺に広がる麦畑の向こうには、黒い森が広がっていた。

 殆ど人の手が入っていないその森は、鬱蒼と茂った巨樹が立ち並び、昼間でも薄暗く深閑とした空気が漂っている。

 そこは恐ろしい獣たちの棲家と噂されており、行き場を無くした咎人さえも近寄ろうとはしない。

 そんな森の深奥、樹齢百年を超える大樹の根元で、長耳族エルフの姉妹が無残な最後を迎えようとしていた。



「…………どうやら、これまでのようね」



 辺りを取り囲む黒狼どもを見渡しながら、姉のラキルは静かに諦めの言葉を口にした。


 物陰に姿を潜ませながらこちらを窺う獣の数は、少なくとも両手の指を超える数は残っている。 

 対して矢筒に残された矢の数は、片手の指にも足りていない。

 終わりを告げる物言いをしながらも、ラキルはヒョイと矢をつがえ、的を絞る素振りも見せず軽々と放った。

 


 無造作に放たれた矢は、先走った一頭の眼に深々と突き刺さり、その命を鮮やかに奪い去る。

 


 黒曜の光沢を放つ狼どもの毛皮には、石鏃の矢では殆ど効果がない。

 狙うなら目か、こちらを噛み砕こうと開いた顎の中へと撃ち込むしかないのだが、二の矢が許されない距離まで近づかれた今、それは非常に難しい注文となっていた。

 仕留めたばかりの黒狼の死体が仲間に引き摺られて視界の外へと消えていくのを見つめながら、ラキルはきつく下唇を噛み締める。


 黒狼には仲間の死体を隠す習性があり、その貴重な毛皮を手に入れるのは至難の業であった。

 あの一匹分の毛皮があれば、隠れ里の皆が冬を越すのにどれほどの助けになるであろうか。



「今の動きでやっと見つけたわ、姉さん。あいつが指示を出してるのは、左四つ先の樹の裏側よ」

「ここからだと、尻尾の先も見えやしないわね」

「そりゃ悪魔だもの。簡単には尻尾を出さないでしょ」


 

 先程から熱心に耳を澄ませていた妹の報告に、ラキルは途切れかけていた集中を少し取り戻す。

 西の森で黒狼の群れが最も恐れられる理由はその獰猛で残忍な性質もあるが、それ以上に彼らが統率された集団である点にあった。

 狼どもは獲物を取り囲みながら、対象の行動を学習しその弱みを探り当てる。

 その後は徐々に力を削いで無力化した獲物を、確実に仕留めるまでとことん追い詰める。


 そしてそれらを全て指揮しているのは、一匹の巨大な狼であった。

 黒狼たちを統べるその大狼は、時に味方をあっさり使い潰す冷酷さと、決して自らは前に出ない狡猾さから"黒い悪魔"と呼ばれていた。



「それにしても、ちょっと露骨すぎない? 姉さん」

「馬鹿にされてるのかもね。間抜けな耳長どもだって」



 先程から黒狼の包囲網に、一箇所だけわずかに隙があった。

 猟師歴が十年を越えた辺りから数えてない二人なら、なんとか突破できるであろう綻びだ。


 だがそれは敢えてしない。

 悪魔の狙いは十二分にわかっている。

 アイツは二人の逃げる先、エルフの隠れ里を狙っているのだ。

 いかに樹上を飛ぶように速く移動できるエルフとて、傷を追えばその臭いで簡単に行き先はバレてしまう。


 そしてこの森で獣どもに住み家を知られる行為は、ただの絶望ではすまされないほどの酷い有り様になることは容易に想像できた。

 そもそも手持ちの矢の数が十本を切った時点で、二人の命運は既に尽きていたと言い切れる。

 狼どもが一斉に、二人に跳びかかるだけでこの話は終わるのだ。


 敢えてそうしないのは、姉妹を駆り立てて怯えさせ、最悪の結果を引き出そうとしているに他ならない。

 今、悪魔はきっと矢の届かない場所から、味方の犠牲と手に入るエルフの肉の最大量を天秤に掛けじっくりと見定めているのだろう。



「せめてあの悪魔に、一矢報いてやりたいわ」


 

 さきほどから軽い口調だった妹のシラルは、ボソリと本音を口にした。

 腹の底が怒りで熱くたぎっているのは、実は妹の方であった。

 本来なら、如何に凶悪な黒狼の群れだとて、近づかなければさほどの脅威ではない。

 そしてそれは長くて良い耳を持った長耳族エルフからすれば、容易い筈だった。



 突如、聞こえてきた丸呑み山からの不気味な咆哮に、気を取られなければの話ではあったが。



 長くこの森で暮らしてきたシラルであるが、丸呑み山の主のあのような吠え声を聞くのは初めてであった。

 特にここ数十年は山頂から動く気配もなく、その存在はすっかり忘れ去られていたのも虚を突く追い打ちとなった。


 思わぬ出来事に意識が逸れ、気が付くと狼どもの足音がすぐ側まで押し寄せていたというわけだ。

 運が悪かったといえばそれまでであるが、単純に割り切れるほどシラルは年を重ねていなかった。



「そうね、悪魔の毛皮にハゲ跡をつけるのも悪くないわね。私が先に出て囮になるわ」

「残念だけど、それは既に先約済みよ。姉さん」

「姉より先に死ぬのは許さないわよ」

「ちょっとした誤差じゃない」

「それもそうね」

「そうよ」



 エルフの姉妹は小さく微笑みあう。

 この森は死が絶えず傍にいる。

 いつかそれに捕まることは、森に生きる者の宿命でもあった。


 獲物が覚悟を決めたことが判ったのか、狼どもの唸り声が大きく跳ね上がる。

 じりじりと詰め寄ってくる獣を前に、姉妹は静かに矢筒に一本だけ用意してあった黒鋼の矢をつがえた。

 もしもの時にために、薬師の修行をしている兄が二人に贈ってくれたものだ。


 長弓の弦と、姉妹を囲む空気が共に張り詰めていく。

 そしてその緊張が最大限まで高まった時――――――。






 何かが唐突に現れた。





 

 四つ先の樹の向こう側で、いきなり不気味な咆哮が湧き上がる。

 それと同じくして狼の慌てたような吠え声が重なり、大きな気配が動いたのが伝わってくる。

 威嚇の唸りは間をおかずに哀願の悲鳴へと変わり、それもすぐに治まった。

 同時にズリンズリンゴクムシャと、何かを咀嚼し呑み込む音が聞こえてくる。


 息を止めたまま弓を構える二人の前に、ぬおっと何かが木の陰から顔を出した。 


 黒く長いものが纏わり付いた巨大な頭部。

 頭の左右から飛び出た何か。

 肉を何重にもより合わせ重ねていったかのような太い躰は、灰色の毛にくまなく覆われている。

 見上げるほどの背丈を持つソレの口からは、狼だった物が半分覗いていた。

 

 言葉を失う二人の前で、狼の残りの部分がゆっくりと呑み込まれて消えていく。

 あっさりと悪魔を咥え込んだ化け物は、残った群れを見渡しておぞましい唸り声をあげた。

 そして恐怖のあまり地面に伏して動けない手近な狼を持ち上げて、またもその口いっぱいに頬張った。

 先ほど木陰から聞こえてきたのと同じ嚥下音が、深い森の奥に響き渡る。


 突如現れた異形が片手で軽々と狼どもを持ち上げては、次々と喉に落とし込んでいく信じ難い光景に、二人の張り詰めていた心の弦がブツリと音を立てて切れた。

 弓を落とした音に気づいたのだろうか、化け物の視線がこちらへ動く。


 頭部を覆う黒い紐状の隙間から、ギラつく光が二つ並んでいるのが見えた。

 そのまま化け物は、口角の端を持ち上げる。

 弧を描いて耳元まで開いた穴から、綺麗に並んだ太い牙が顔を覗かせた。


 化け物が半分になった狼を手にしたまま近寄ってくる光景を、声を失った二人は固まったまま眺めていた。

 そして間近に迫った化け物は、手に持った黒狼を突き出してくる。

 食べかけの狼の内蔵が口の端に引っかかっていたの気付いたのか、化け物はズルズルとその腸を啜り上げた。

 内臓を貪り喰われた狼が大きく痙攣し、飛び散った大量の血が二人を彩る。



 そこが姉妹の限界であった。

 声を上げることなく、二人はその場に崩れ落ちる。

 倒れたエルフたちの股間には、黒いシミが静かに広がっていった。

 



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