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第十三話 悩める副団長と発情の乙女たち


 時刻は、騒動の少し前に遡る。



「……………………はぁ」



 オークの村へ馬をゆっくり走らせながら、副団長のキグローは部下に見えぬ位置でこっそりと溜息を吐いた。

 副団長という大層な肩書はあるものの、キグローの実際の仕事といえば面倒事の後始末や苦情処理といった尻拭いが主であった。


 北方辺境騎士団は"騎士団"とは付いているが、その内実は食い詰め貴族の次男や三男の寄せ集めだ。

 一応、団長はそれなりに名がある家から選出はされるが、赴任はニ年間と決まっており王都騎士団へ入るための体のいい箔付けでしかない。

 貧乏男爵の家の出であるキグローには、決して回ってこないポストであった。


 酷いのになると今期の団長のように、駐屯所の自室にこもり切って仕事を全て放棄する輩さえ居る。

 そのくせ些細なことまで報告しないと、理不尽に怒りだすのだ。

 ようするに手は汚さずに、現場を仕切っている気持ちにだけ浸りたいのだろう。


 部下は部下で、名ばかり貴族の出自が多く特権階級的な意識を持ち合わせていないのは助かるが、まともに剣も買い与えて貰えなかった者が大半だ。

 きちんと訓練を施し、生き残るすべを教えてやらねばならない。

 たまに飛竜ワイバーンと戦えると意気込む若者も入団してくるが、一度現場に連れて行けばたいていは大人しくなってくれる。


 だが稀にそうはならないのもいて、キグローが頭を抱えるパターンも存在した。

 今年の新卒入団者の一人を思い出して、副団長はまたも人知れず溜息を吐いた。

 

「そういえば、うちの若い者が水風車の修理に向かったと報告がありましたが」

「ぶひぃ、サラ様でしたら只今、作業中です。少しばかり手こずっておられるようで」

「ご迷惑をおかけしてませんか?」

「とんでもない。サラ様はいつもお優しくて、天使のようなお方です。ぶひぃ」


 先を歩くゾルバッシュ村長の言葉に、キグローは胸を撫で下ろした。

 団長には何かと突っかかるサラ様だが、豚鼻族オークに対してはきちんと騎士の礼節を守っているようだ。

 むしろあの方の場合、少々オークの方々に肩入れし過ぎているとも思えるが。

 

「それで、先ほどの仰っていた新たな問題とは?」

「ぶひ。実は見慣れない怪物が、村へ近寄って来てるのです」

「飛竜ではないのですね?」

「ぶひぃぃ、もっと恐ろしい何かです!」


 村長の言葉に、キグローは手綱を強く握りしめた。

 付き添いの若い騎士たちも、怯えた顔を見合わせる。

 彼らは十分に承知しているのだ。

 


 オークが敵わない相手なら、自分たちはもっと敵わない事実を。



 オークも元は、森に棲む心優しい種族だったと聞く。

 だが三十年に渡る飛竜との熾烈な争いは、彼らを大きく変えてしまった。


 鍛え上げた肉体は竜の爪を受け止め、武器を持たぬその手は竜の牙をへし折る技を身に付けた。

 正直なところオークが本気を出して刃向かって来たら、北方辺境騎士団は当の昔に壊滅していたかもしれない。


 その事実を深く知るキグロー副団長の苦労は、並大抵のものではなかった。


 まず騎士団員には、オークたちとの必要以上な接触を禁じた。

 何かの折に腕っぷしの差が明らかになれば、奴隷と監視という力関係はあっさりと逆転するからだ。


 そして同時にオークたちを蔑ろにしたり、笑いの対象にすることも禁じた。

 王都の民が無事に過ごせるのは、彼らのお蔭であることもまた事実であるからだ。


 さらに王都へは何度も上申書を送り、現状の理解を求めた。

 オークを奴隷から解放し騎士団へ編入、もしくはオークによる防衛部隊の新設等を切に訴えた。


 だが中央のお偉方の答えは、ゴーマンを新たな騎士団長へ据えるという通達のみであった。


 キグローは、それならせめてとオークたちの待遇の改善を要望する。

 彼らはその体付きに見合って、とても大食漢であった。


 しかし奴隷収容村への食糧の配分増加の嘆願書は、ゴーマン団長の手で握り潰され逆に減らされる結果と終わった。

 さらに団長は経費削減と称し、オークの女性たちを勝手に使用人にしてしまう始末。


 オークたちとの関係は一気に悪化した。


 もはやキグローに出来ることは、せいぜい自費で小鬼ゴブリンの行商人から不足分の食料を買い足すことや、村で風邪が流行った時にこっそり薬師を手配するくらいしかなかった。


 ようやくここでキグローは悟る。

 王都の官僚たちがいかに無理解で、かつ亜人の活躍を恐れているかを。


 この状況を変えるのは、もっと政治的な力が必要であった。

 キグローは他の辺境騎士団に手紙を出し、亜人の実情を調査しつつ横のつながりを強めていく方向へ転じた。

 

 確かにサラ様のように、亜人たちに寄り添い親身になる存在も大事かもしれない。

 しかし彼らとよき隣人でありたいのなら、亜人への理解を広めつつ適度な距離感を確立することが必要だとキグローは考えていた。



「ふ……副……団長……」 



 馬上で物思いに耽っていたキグローは、部下のたじろいだ声に急いで視線を上げた。

 オークの収容村は、澄んだせせらぎの周囲に立派な水風車が立ち並ぶ美しい景観を誇る。

 そんな美麗な眺めに混じる異物に、キグローの目が大きく見開かれる。



 水風車の傍らに、ソレ・・は立っていた。



 背丈も幅もオークの倍はあろうか。

 巨大な眼に突き出た耳。さらに顔の下半分は口という異貌。

 

 その怪物は水風車の羽を、なぜかぐるぐると回していた。 

 同時に地鳴りのような声を発している。


 その光景はあまりにも不気味であった。


 不意に怪物は顔を上げて、激しく回り続ける水風車の羽越しにこちらを視線を向けてきた。

 真っ黒な目がぎょろりと動くさまに、背後の部下が息を呑む気配が伝わってくる。

 キグローは静かに鞍から盾を外し、怪物へ向けて身構えた。


 わずかな沈黙の後――。



 おぞましい咆哮が、大地を激しく揺らした。



 思わず首をすくめながらもキグローは、咄嗟に手綱を引いて馬のいななきを押さえつける。

 だが後ろに控えていた部下たちは、激しく足を跳ね上げて暴れだした馬から振り落とされてしまう。

 背中の重みを振り払い身軽になった馬たちは、身を翻し元来た道を一目散に逃げ出す。


 怪物が水風車の影から身を乗り出し、こちらへ動き出したのを見たキグローは緊急用の角笛を唇に当てた。

 

 高らかに角笛を吹き鳴らしながら、鐙を強く蹴って愛馬に全力を出すよう命じる。

 怪物が馬から落ちて動けない部下には目もくれず、真っ直ぐにこちらを追いかけて来る様子にキグローは胸を撫で下ろした。


 しかし安心するのはまだ早い。

 とりあえず駐屯所へ戻ってはいるが、あの怪物に対し何らかの策があるわけでもない。


 この状況をどうすべきか考えあぐねたまま馬を走らせていたキグローだが、前方でも異変が起こっていることに気付く。

 遠目に見える騎士団の駐屯所からは、白い煙が何本も上がっていた。

 その上さらに空を飛び交う飛竜の群れまでも目にしたキグローは、やれやれと言葉を漏らした。 



「全く今日はなんて日ですか」



 団長に報告を済ませたら、急いで皆の避難を指揮しなければならない。

 あの荒らされ様だと、どう見積もっても駐屯所の再建は難しいだろう。

 最悪、騎士団の解散もあり得る。まあ今まで貯め込んできた無茶を、精算するときが来たのかもしれない。 



 厄介な上司と扱いの難しい新人に挟まれた立場から開放される可能性に、キグローは少しだけ笑みを浮かべた。



   △▼△▼△



 最初にそれに気づいたのは、群れの雌たちだった。



 風に混じる異質な匂い。

 腹を満たす獲物の匂いではない。

 もっと血が沸き立つような匂い。


 騒ぎ始めた雌たちは、一斉に銀の翼を羽ばたかせ山を下る風に飛び乗った。

 山々の谷間に生まれる風を次々と乗り換えながら、匂いのもとへと急ぐ。


 そこは山裾にある奇妙な木が生えた川の傍だった。

 枝が回る奇妙な木のせいで風が乱れ、どうにも飛びにくく何度か壊しにいったものだ。


 白い煙が風に乗って、渦巻きながら空に漂う。

 牝たちが一層、騒ぎ始めた。


 煙に巻かれながら、血走った目で甲高い鳴き声を上げる。


 次に現れたのは雄たちであった。

 狂ったように鳴き叫ぶ雌たち惹かれたのか、翼を広げてその周囲を飛び回る。


 そのうちの一匹が低く飛んだ。

 つられて数匹が追いすがる。

 地上すれすれに飛び交い、障害物をなぎ倒しながら興奮の叫びを上げる雌と雄。


 雪崩を切って飛竜ワイバーンたちは、奇妙な匂いを放つ白煙へ殺到した。

 邪魔なものは全て翼で打ち砕き、尻尾で追い払い、牙で噛み砕いた。

 


 飛竜どもの狂乱の宴が始まろうとして――――あっさり終わった。



 突如、翼をむしりとられた一匹が悲痛な叫びを上げる。

 そして驚いて振り向いた二匹目の翼が、間を置かずに根本から引き千切られる。


 いくら煙に酔っていたとはいえ、飛竜からすれば驚きの事態であった。

 唸り声を上げ、突然の乱入者へ牙を剥く。


 竜とは捕食者であって、その逆は決してあり得ない。

 二本足の奇妙な相手に食らいつこうとするまで、頭に血を上らせた若き飛竜はそう思い込んでいた。


 振り下ろされた拳が竜の頭蓋骨をかち割り、凄まじい勢いで頭部が地面へ叩きつけられた。

 脳漿を撒き散らし一瞬で絶命した飛竜の翼が、容赦なく引き抜かれ二本足の化け物の口へ運ばれる。



 血を垂れ流す翼を咥えたまま、化け物は大きく口の端を持ち上げた。



 その姿が飛竜の本能に、激しく警鐘を鳴らす。

 関わってはいけない。

 この化け物には敵わない。本能はそう告げていた。



 ――力の限り逃げろと。



 翼をばたつかせ、飛竜どもは必死に走り始めた。

 風がない地上では、竜たちはかなりの助走がなければ飛び上がれない。


 一匹、また一匹と、追いつかれた飛竜の翼がもがれていく。  


 そして二本足の化け物は一際大きな竜、群れを率いる雄の背中へ飛びついた。

 焦った鳴き声を上げて、群れでもっとも強かった竜は必死で翼を振り回す。

 勢いがついたせいか、竜の体はふわりと浮き上がる。



 化け物を乗せたまま、飛竜は大空高く飛び立った。

 




素猛スモウ

 武器を持つことを許されない収容村のオークたちが、素手で戦うために編み出した戦技。

 硬い鱗に包まれた飛竜と殺り合うために、掌底を使った浸透勁や投技がメインとなる。

 足枷をつけたまま回し車を動かしていたため、すり足による円の動きが基本。


北方辺境騎士団御法度

 鞭を使う時は、地面に向けて三分に一回だけ使うべし。

 足枷を付ける時は布を挟んで、擦れないように気をつけるべし。

 配給の食糧を地面に投げ落とす時は、緩衝材があるほうをちゃんと下にするべし。

 それと卵は割れないように、一番上に置くべし。

 


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