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第十二話 まわされた女騎士とおとされた騎士団長


 北方辺境騎士団に属する騎士であるサラは、大いに憤っていた。

 ついでに息も踊っていた。


 怒っていたのは、無能団長の無責任ぶりにである。

 そして呼吸が弾んでいた理由は――サラは周囲に佇む男たちへ視線を移した。


 人族よりも頭ひとつ大きい身長。

 がっちりとついた筋肉を、脂肪が覆う固太りな体つき。

 粗末な腰布しかつけてないので、その屈強な肉体が余すことなくあらわになっている。

 サラの視線に気づいたのか、豚鼻族オークの若者の一人が心配そうな声を掛けてきた。


「ぶひぃ、私たちもお手伝いいたしましょうか? サラ様」

「大丈夫、ふぅ、お気持ちだけで……十分です。あ……なたたちは、ゆっくり……ハァハァ……休んでて下さい」


 呼吸を整えながら、サラは手元の棒へ急いで視線を戻した。

 水風車の基底部から突き出た横棒。

 風車の羽を非常時に手動で動かすためのものだが、サラはさっきからこれを一人で押していた。


 懸命に足を踏ん張って、全体重を棒に預けているのだがピクリとも動かない。 

 オークのたくましい若者たちは、これを軽々と回していたのだが……。


「ぶひぶひ、でも大変そうですし」

「いいえ、これは私の仕事です。それに貴方たちは、昨日からずっと働きづめではありませんか」

「ぶひぃ、なんとお優しい御言葉だ」

「ごっつぁんです。サラ様」


 現在、この水風車三号基は歯車に不調が起きたようで、機能を停止している。

 機関部を調べた技師によると歯車にネズミの死骸が挟まっており、飛び散った体の一部や血が結合部に入り込んで固まってしまったらしい。


 少しづつ動かしながら取り除く必要が有るため、水車との連結を外し人力で動かす手筈となっていたのだが……。


 サラは禿げ上司との会話を思い出して、心の内で舌打ちをした。


「あん? 風車が止まっている? 豚どもにさっさと回させろ。いちいち俺まで上げてくるな」

「いえ、機関部に不備があるようで修理の許可を頂きにきました」

「おい。修理が必要かどうかを判断するのは俺だ。お前が決めることじゃない」

「技師の検査では、歯車に異物が挟まっているようです」

「そうだとしても、修理するかどうかは俺が決めることだ。もう一度言うぞ。いつ俺が、お前に意見を求めた?」

「ここに判子をお願いします」

「もし問題が起きても、全てお前の責任にするからな。で、ここに押せば良いんだな?」


 再び込み上げて来た怒りに、サラは奥歯をギリリと噛み締めた。

 あの馬鹿は、筋肉には適度な休息が必要なことさえ知らないのだ。


 彼らは昨日は一日中、この回し車を押していた。

 最低でも今日一日は休ませないと、疲労が抜けず成長の阻害になってしまう。


 もう一度、壁際に並んでこちらを見つめてくるオークの若者たちを、サラはさり気なく見つめた。

 むっちりとした脂肪の鎧の下に蓄えられた伸びやかな筋肉に、ゴクリと生唾を呑み込む。


 彼らは亜人だが、外見や考え方に人族と大差はない。むしろ身体能力はオークの方が、遥かに優れている場合さえある。

 だが王国の民の中には、亜人は創世の神が人の種を創る際の失敗作であるという迷信が今だに根強く残っていた。


 もちろんサラも、一足飛びに偏見や差別をなくせるとは考えていない。

 それでも互いにいつかは理解し合い、歩み寄れると日が来ると信じていた。


 

「それなのに、あの無能禿げは!」



 湧き上がる苛立ちを口に出しながら、サラは力一杯、横棒を押し上げる。

 素晴らしい肉体を持つオークたちを、ただの便利な道具としか考えていないのだ。


 そんな愚かな人間に、彼らの未来を任して良いはずがない。

 怒りが最期の一押しとなったのか、ついに回し車がギシギシと軋む音を立てながら動き始めた。


 ホッと息を撫で下ろしたサラだが、そこで異変に気付く。

 音が大きくなっていた。


 水風車全体が小刻みに震え、ゴリゴリと不穏な音を発っする。

 不審に思ったサラが、様子を見ようと身動きしたその時。



 だしぬけに落雷のような音が鳴り響いた。



 同時に横棒が凄まじい速さで回り始める。


 その動きに、サラは思いっきり巻き添えになった。

 鎧のおかげで肋骨がへし折られるような事態にならずには済んだが、横棒に乗っかった姿勢のまま凄まじい回転に巻き込まれる。



「きゃぁぁあああぁぁぁ」 



 恐ろしい速さで動き続ける回し車の横棒に跨ったまま、女騎士は悲鳴を上げた。

 だが回転が止まる気配はない。


 同時に水風車の外からも、禍々しい叫びが聞こえて来た。

 それは地の底から響くような、苦悶に満ち溢れた声であった。


 

 豚鼻族オークの若者たちは恐怖のあまり立ちすくんだまま、回され続ける女騎士を呆然と眺めるしかなかった。



   △▼△▼△



 事が起こった時、北方辺境騎士団の団長であるゴーマンは自室で呑気にくつろいでいた。

 ついでに靴も脱いでいた。

 彼は重度の水虫を患っていたので仕方がない。


「う~ん、茶が美味い」


 わざわざ王都の大通りにある有名店から取り寄せた茶葉だ。

 不味いわけがない。

 プライベートな空間で、心ゆくまで茶を楽しむ。

 この午後のティータイムこそが、ゴーマンにとってかけがいのない時間だった。


「それなのに彼奴等ときたら。全くどいつもこいつも、使えん奴ばかりだな」


 さきほど下らない報告に駆け込んで来た副団長の顔を思い出しながら、ゴーマンはひとりごちた。

 なんでも奴隷村で、ちょっとした騒ぎがあったらしい。


 その前には部下のサラが、風車がどうこうと面倒な話を持ち込んできた。

 オークどもを適当に使い潰せば、簡単に済むというのに。これだから小生意気な女は。


 己の部下が瑣末なことで煩わせてくる馬鹿ばっかりなことに、ゴーマンは不満気に顔をしかめた。


「おい、おかわりだ」


 苛ついた声のまま、メイドにカップをつきだす。

 ふくよかな身体つきのメイドは、ホワイトブリムを載せた頭を無言で下げて優雅にティーポットを傾けてみせた。


 適正な蒸らし時間と温度で淹れられた茶は、最大限の美味さが引き出されており、その完璧な出来栄えにゴーマンは何もいえず頷いた。

 これでこいつらの容姿も完璧だったら最高なんだがと、心の中で呟く。


 家事の腕は一流、寡黙ながらも対応は素早くかつ丁寧で文句のつけようもない。

 だが決定的にメイド服が似合わない。それがオークの奴隷女たちだった。

 オークたちもそれが分かっているのか、自主的に豚鼻を覆うマスクをつけるほどの酷さだ。


 今にもはち切れそうなエプロンドレスを横目に、ゴーマンはわざとらしく溜息をついた。


 ゴーマンの好みはもっと、痩せて若い女であった。あと美人。

 王都の行きつけの娼館を思い出したゴーマンは、たぎってきた気分を打ち消すために首を左右に振った。

 

 あと半年。

 半年我慢すれば、こんな辺鄙な場所の団長職の任期も終わり、大手を振って王都に帰ることができる。

 その後は上手く行けば、王都騎士団への加入も見えてくる。念願の都会暮らしの始まりだ。


 そのためにも、残りの任期を無難に終えたいのがゴーマンの願いであった。

 だが無能な部下たちが、何かをやらかす気がしてならない。

 

「そもそも俺がいないとここの馬鹿どもは、まともに尻を拭くことさえ出来んからな」


 カップに向かって愚痴を垂れていると、またも勢い良く扉が開かれた。

 副団長のキグローが、泡を食った顔で飛び込んでくる。


「大変です! 団長」

「……俺の茶の邪魔をする以上の大変はないぞ」

「そんなこと言ってる場合じゃありません。大変なんです!」

「もう一度言うぞ。俺の茶の時間より大事なものは、この世の中に――」



 カン!カン!カン!



 ゴーマンの言葉を遮ったのは、大きく打ち鳴らされた鐘の音であった。

 


「何事だ?!」

「だから大変なんですって!」


 急いでカーテンを引いて窓を開け放ったゴーマンは、眼前の風景に言葉を失った。


 駐屯所のあちこちから、白い煙が上がっていた。

 通りには慌てふためく騎士たちが走り回り、そこかしこから悲鳴や叫び声が聞こえてくる。


 ふと目の前が陰った気がして、ゴーマンは空を見上げた。

 その両の眼が最大限に開かれる。

 あり得ない光景が、そこに広がっていた。 


 

 頭上の太陽を覆い隠していたのは、大量の飛竜ワイバーンの群れであった。



 不意にその内の一匹が舞い降りてくる。

 懸命に鐘の音を響かせていた物見台に急接近した飛竜は、銀色の翼を容赦なく櫓にぶち当てた。

 吹き飛ばされた物見台の上半分が厩の屋根に突き刺さり、馬たちが一斉に逃げ出す光景をゴーマンは呆然と眺める。



「…………なん……だ。あれ……は?」 


 

 だが問いかけに応えるはずの声は返ってこない。

 振り返ったゴーマンの目に飛び込んできたのは、開け放たれたままの団長室の扉と、その傍らで落ち着き払って背筋を伸ばすオークのメイドだけであった。



「ゴーマン様、キグロー副団長様はさきほど退室なされました」

「なんだと、糞! おい、誰かいないのか? 早く俺を守れ!」

「皆様、すでにお逃げになられたようです」



 その言葉に頭に血を昇ったゴーマンは、手に持ったままだった自慢のカップを床に叩きつけた。



「畜生! なんでこんなこヒィィィ!」

 


 言葉の途中で派手に建物が崩れ落ちる音が響き、ゴーマンは悲鳴を上げて頭を抱えた。



「誰かっ誰か、早く俺を助けろ!」

「助けて欲しいのですか? ゴーマン様」

「当たり前だ!」

「では安全な場所へ、ご案内いたします」

「……………………へ?」



 混乱に渦巻く館の中を、オークのメイドは平然と歩みを進める。

 その後を真っ青な顔のゴーマンが、へっぴり腰で続く。


 いくつかの扉を抜けて二人が辿り着いたのは、中庭の井戸であった。


「この中なら飛竜も、襲ってきません」

「井戸の中だと……大丈夫なのか?」


 蓋を取り外し開け放たれた井戸を、ゴーマンは恐る恐る覗き込んだ。

 水底までは、大人の背丈三倍ほどの高さがある。

 確かに飛竜の首の長さでは、ぎりぎり届かないようにも思える。


「急いで下さい、ゴーマン様」

「その、ちょっと高くな」


 ゴーマンが最後まで言い終わる前に、その身体は宙に浮いた。

 自由落下の法則に従い、井戸の底へ吸い込まれるように落ちていく。


「いかぁぁぁあああ!!」


 派手な水音が、井戸の中に反響した。

 元主人の背中を容赦なく蹴り飛ばして井戸へ叩き込んだオークの女性は、蓋を戻すとその上に適当な大きさの石を素早く載せていく。

 重しを十分に置けたことに満足した村長夫人は、そこで初めてマスクを外し大きく息を吸い込んだ。


「ぶひぃぃぃ。やっとまともに鼻で息が出来るわ」


 そしてわめき声がかすかに響いてくる井戸へ、ちらりと視線を寄越してから言い聞かせるように呟いた。



「ぶひ。その臭い足を、せいぜい綺麗にしてて下さいませ」



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