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第十話 哀れな豚どものご奉仕



 王国の北の地、溶けることのない純白の冠雪が輝く連山の名は北嶺山脈と言う。

 その中でも一際抜きん出る頂きが、山脈の真ん中に鎮座する。


 北大峨きたおおがと呼ばれるその最高峰は、晴れた日には王都からも眺めることができる名所である。


 そして山々の麓に作られた豚鼻族オークの奴隷収容村からだと、さらに良く見える景色がある。

 白き山頂を飛び交う銀翼の群れ。

 北大峨は別称、"飛竜ワイバーンのねぐら"としても有名であった。 

 

 

「ぶひぃ、何てこった!」



 連日の大雨がやっと止んだのは良いが、なぜか今度は村を流れる雪解け川の水量が極端に減ってしまったのを案じて、上流の様子を見に来ていた村長は言葉を失った。



 眼前に広がっていたのは見慣れた細い川筋たちが集う様ではなく、満水の天然湖であった。



 激しい雨水によって押し流されてきたのか、土砂や倒木が重なり流れを完全にせき止めてしまっている。

 いや、完全ではない。

 堰のあちこちから水が少しづつ漏れだしており、今にも崩壊しそうな気配が濃厚に漂っていた。



「これが決壊したら……下の村はひとたまりもないぞ」

 


 北嶺山脈から流れ出る豊富な湧き水が集い川となる位置に、オークたちの村は作られている。

 斜面を駆け下りてきた性急な水流を活かすために、村の川沿いには大きな水車が立ち並ぶ。


 そして水車の回転は、巨大な羽を回すのに利用されていた。


 北嶺山脈は複雑に立ち並ぶ群峰のせいで、強い気流が絶えず生まれている。

 山頂に生息する銀鱗飛竜シルバーワイバーンは、時にその気流を利用して王都付近まで舞い降りてくることさえあった。


 それを阻止するために作られたのが、オークの奴隷が住む水風車の村である。

 水車の力を利用して風を起こし、山の気流を絶えず乱すことで、飛竜たちの飛距離をかなり落とすことができる。

 その結果、飛竜の被害を辺境のみに止めることに成功していた。


 

「よりによって……なんでこんな時に…………ぶひぃ」



 水風車の収容村にいるオークたちは数十年前に、豚鼻オークの部族が王国への服従の証として差し出した者たちである。

 すでに代替わりはかなり進み、故郷を知る者もあまり残ってはいない。

 だがオークたちは、子や孫に語り継いでいた。


 故郷の森の豊かさや、穏やかな日々の暮らしのことを。


 王国中央に飛竜を寄せ付けないための防波堤であるオークの村は、これまでに数多くの代償を支払ってきた。

 遠くへ狩りに行けない竜どもの腹を満たすのは、近辺の村人や家畜たちだ。

 特に近くて目立つ水風車がある収容村は、飛竜の格好の餌場であった。


 大事な施設であるため、一応の守りとして辺境騎士団の駐屯所が村の近くにあるのだが、彼らは亜人であるオークの警護にはあまり熱心ではなかった。

 それどころかオークの女性を逃亡防止の人質という名目で、駐屯所の下働きにこき使う有り様である。


 危険な環境の中、ぼろぼろの衣服をまとい乏しい食料しか与えられない日々。

 オークたちと人族の関係は、悪化するばかりであった。

 もっとも最近赴任してきた若い女騎士のように、親身になってくれる人も少なからず居たが。


 そして、そんな酷い境遇から抜け出すために、村長たちは密かに逃亡計画を練っていた。


 すでに水風車の機関部に入る鍵は、複製が済んでいる。  

 近日中に機を見て風車が動かない細工をし、王都付近へ飛竜が飛来するように仕向け、それに対応するために辺境騎士団が呼び戻されるまでを見越していた。

 上手くことが進めば、そのあとは手薄になった駐屯所を襲撃し、捕らわれている妻や娘たちを救い出して山へ逃亡する算段である。

 

 残った問題は逃亡先であったが、これは村に滞在中の長耳族エルフの薬師のエルソール先生とその付添の鬼人族オーガのガヤン殿が解決してくれた。

 彼らは春先に村で質の悪い風邪が流行った際に、小鬼ゴブリンの行商人の伝手で治療に来てくれた人たちだ。

 なんでもエルソール先生は、エルフ特有の持病の治療法を探して旅をしているらしい。

 その護衛兼従者のガヤン殿は奥方の病を治す術を探してる時に若先生と出会い、特効薬と一緒に故郷へ帰る途中であった。


 オークたちもその旅に便乗しようという腹積もりだ。

 彼らの同族が住まう西の黒森や北西の山々は劣悪な環境だが、ここに比べれば遥かにマシだった。


 計画はほぼ完成しており、あとは実行の日取りを決めるだけであった――のだが。



「ぶひぶひぃ……一体どうすれば……」



 息を潜めながら村長は、懸命に思案を巡らせる。

 わずかな物音であっても、にわか仕立ての堰堤は簡単に崩れ去りそうな雰囲気であった。


 現在、川の水が減って勢いが緩やかになったため、風車はオークたちの人力で回されている。 

 村長の脳裏に、鞭を浴びながら基底部にある回し車を懸命に押している村人たちの姿が浮かんだ。


 土砂を慎重に取り除き、水の流れを元に戻せばそんな労役をしなくて済む。

 それにこのまま放置すれば、大事な水風車にも多大な被害が出ることは間違いない。


 しかし、事はそう簡単ではない。

 辺境騎士団団長の禿げ面を思い出した村長は、深い溜息をついた。


 収容村での全権を握るこの男は、一言で言えば無能であった。

 後先を深く考えず、場当たり的な判断しか下せない。

 理詰めで説明しようにも、感情で否定してくる。

 他人の意見を受け入れる器の広さが、毛ほどもないハゲっぷりであった。


 だがこの事態を放置すれば、村に被害が及ぶのは明らかだ。

 けれどもあの団長が、素直に手を貸してくれるとは到底思えない。

 


「ぶひぃ……こうなったら……」



 一斉に決起して見張りの騎士たちに立ち向かい、武器を奪い拘束する。

 彼らを人質にして囚われのオークの女性たちを取り戻し、村を飛び出して自由を目指す。


 そんな荒唐無稽な想像に身を委ねるしかないほど、村長は追い詰められていた。

 いや、もういっそのこと、堰を崩して何もかも水に流して――――。



「ぶひ! 何を考えてるんだ、私は」



 思わず掴んだ腰の縄の感触に、村長は正気を取り戻す。

 この腰に巻かれたロープは、奴隷としてこの村に連れて来られた頃の名残である。

 そして粘り強い交渉を重ねて、かりそめの自由を勝ち得た証でもあった。

 

 今では収容村のまとめ役であるオークの長にしか、この断ち切られた縄を巻く権利は認められていない。

 だからこそ縄を巻いたオークは、無様に負けを認めることは許されていなかった。

 村長は周囲を懸命に見渡し、この窮地を抜け出すとっかかりを探し始めた。

  


 不意に鳥たちが、鋭い啼き声を上げた。



 咄嗟に身を潜めた村長は、鳥の群れが大急ぎで逃げ出すさまを見送った。

 そっと首を伸ばして、鳥たちを追い払った原因を探す。


 恐怖を掻き立てる名状しがたい音が、こちらへ近づいていた。

 草むらを這いずり回る毒蛇のような……野晒しのしゃれこうべに風が吹き抜けたような……。


 奇妙な響きを発する主の姿が、唐突に村長の視界に現れる。

 危うく漏れそうになった鼻息を、村長は必死で押し留めた。


 湖面の向こう岸に立っていたのは、並外れた巨躯を持つ異形であった。


 身長も横幅も、軽くオークの倍はあろう。

 焦げたような頭髪に、ぎょろりと動く大きな目玉。

 長く尖った耳元に届きそうな、三日月形に裂けた口。

 ずんぐりとした巨体を覆う灰色の毛は、なぜかところどころ煤けている。


 それは噂に聞いたことのある丸呑み山のトロールにそっくりであった。


 おぞましい唸り声を発していた化け物は、躊躇なく湖に近付き水面を覗き込む。

 そのまましばらく動きがないと思ったら、唐突に顔を上げた化け物は狂ったように暴れ始めた。



「やめろっ、揺らすな!」



 だが村長の願いもむなしく化け物は両手を振り回し、激しく足を踏み鳴らす。

 水面が揺れ堤から水が吹き出す有り様に、村長の顔色はこれ以上ないほど青ざめる。



「頼む。もうこれ以上は勘弁してくれ」

 


 悲痛な祈りを呟く村長を他所に、化け物はまたも湖面へと近寄る。

 せめてこの身を犠牲にしてでもと、村長が飛び出しかけた瞬間、化け物は予想外の行動に出た。


 

 しゃがみ込み、水にいきなり顔を突っ込んだのだ。

 

 

 驚きのあまり身動ぎも忘れた村長の前で、湖面の水位が見る見る間に下がっていく。

 同時に化け物の喉が動き、その腹が急速に膨れ上がる。



「ぶひぃ! 水が…………減っていく…………?」 



 瞬く間に大量の水が化け物に飲み干され、今にもはち切れそうだった湖の水位は安心できる位置まで下がっていく。


 あれほどの危機は、あっさりと消え失せた。


 かなりの水を飲んで満足したのか、化け物はその場でごろりと横になる。

 そのまま周囲に響き渡る大いびきを立て始めた。



 緊張の糸が切れ虚脱したオークの村長はぽかんと口を開けたまま、満足げに眠るトロールを見つめるしかなかった。



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