~ACT.3:エンディング~
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.8.10)
数日後――
「おお、ケイン、今日も自主トレか。精が出るなあ!」
「おう!」
テントの外では、ハッカイが干した肉をかじりながら、酒のツボを傾けていた。
ケインは傷だらけの顔で、彼に無邪気に笑ってみせ、隣に、どかっと腰を下ろした。
「そう言やあ、さっき伝令が来て、今回の遠征は中止になったそうだぞ」
「え、そうなの?」
ケインも酒のツボを手に取った。
「いくさは、中止だってさ。敵国との間に、平和条約を結んじまったんだと」
「……てことは、俺たち、……撤退するのか?」
「ああ。伝令を聞いた途端、さっさと引き上げちまったやつらもいたぜ。あ~あ、今回は、稼ぎゼロかよ。今度やるときゃあ、前金払ってくれるところにしてえもんだぜ! なあ?」
呑気な声でそう言い、ハッカイは面白くもなさそうに笑った。
ケインも、仕方のなさそうに笑い、酒のツボを傾けた。
そこへ、テントから出て来たリョウとミリーが、仲むつまじく通り過ぎていく。
今までとは違う雰囲気の二人を、ケインは驚いたように見つめた。
「なあ、ハッカイ、……ミリーって、レオンのことが好きだったんじゃなかったっけ?」
ケインが、ハッカイの耳に口を寄せて、囁くように尋ねると、ハッカイも、小声で答える。
「それがさ、ここを引き上げたら、二人で、どこかの町へ行って結婚式を挙げるんだと」
「へー! リョウとミリーが!?」
驚き、見開かれたケインの瞳を確認すると、ハッカイは小声のまま続けた。
「……まあ、あれだな。なかなか振り向いてくれそうにないレオンに、痺れを切らしたミリーが、前から言い寄ってきていたリョウにキメたんだろう」
「そうなのか!? リョウって、ミリーが好きだったんだ?」
またしても、ケインは驚いていた。
「でも、……諦めてリョウにした割には、さっきのミリー、とっても幸せそうに見えたけどなあ」
「ああ見えても、リョウのヤツは、結構気が回るからな。不器用なレオンに比べて、察しのいいリョウの方が、だんだん良く思えていったんだろう。それに、あいつ、ひねくれてはいるけど、案外やさしいところもあるからな。ミリーは、それに、コロッといっちまったのかも知れねえなあ」
ケインは、ある尊敬の意を込めて、ハッカイを見つめる。
「すげえな、ハッカイって! よくそんなことわかるなあ!」
ハッカイは、豪快に笑った。
「だけど、自分の時は、うまく行かないんだよ。変なところ人が好いっていうか……。いざって時に、譲っちゃったりするんだよなあ」
はっとして、ケインがハッカイを見つめ直す。
「……まさか、ハッカイも、……ミリーのことを……?」
ハッカイは、照れたように笑う。
「ま、歴代のヒーローの逸話でもあるように、俺たちのような『デブ』と『チビ』は、ヒロインとは無縁なものなのよ」
ハッカイは、同意したケインの背中をぱんぱんと叩きながら笑った。
ケインも一頻り笑った後、ふいに真面目な顔になり、小声になった。
「あの二人のこと、レオンは知ってるの?」
少し離れたところに座り、遠くを見ながら酒を啜っているレオンの背を、心配そうにケインは見つめた。
「報告に来た二人に、祝いの言葉を述べてたぜ。それ以来、な~んか無口になっちまったような気がするんだが、それは、俺の気のせいかなあ」
そうは言うものの、明らかに確信した様子のハッカイである。
「な~んか、レオンて、前から女に対してだけは奥手なんだよなあ。不器用過ぎるのかなあ。ま、これも、もれなく歴代のヒーローの性ってやつなのかも知れねえけどな。『ヒーローは常に孤独』――ってねえ」
一瞬、レオンの後ろを風が通ったのか、彼は、ぶるっと身体を震わせた。
見てはいけないものを見てしまった、とでもいうように、それから慌てて目を反らしたケインであった。
「俺、明日ここを発つんだ。いくさがなくなったから、ここにいる理由は、もうないんだ」
いつもの特訓の森で、仰向けに寝転がり、両手を頭の下に敷いた姿で、ケインが言った。言葉は、すべて通じているものなのかどうか――その表情から読み取るのは、彼にとって至難の業であった東方の少女は、隣で足を伸ばして座り、何も語っていないような黒い瞳で、彼を見下ろしていた。
「きみは、いつまでここにいるの?」
ケインは、顔だけ少女の方を向いた。少女は、相変わらず表情のない瞳で、彼を見つめているままだった。
(……この子、俺といて楽しいのかな?)
首を傾げたくなるような気持ちを抑え、気を取り直して、彼はまた切り出した。
「俺は傭兵だから、どこかまたいくさのあるところへ向かう。きみも、公演が終わったら、またどこか別の場所へ行くんだろ? どこへ行くかは、もう決まってるの?」
少女は、頷きもしなかった。
彼は、溜め息をついて、身体を起こした。
「『武遊浮術』、教えてくれてありがとう。またどこかで会えるといいね……」
彼女の、への字口は、一向に開く気配はない。
「そう言えば、俺、きみの名前、まだ聞いてなかったよね。何て言うの?」
少女は、への字口を、余計に固く結んでしまっている。
「……ああ、わかったよ。いいよ、答えてくれなくても……」
疲れたようにケインは笑うと、立ち上がり、身体についた草を払い落とした。
「じゃあ、俺、もう行くね。……元気で……」
少女に手を振ってみせると、彼女の口が、やっと開く。
「お前、変!」
がくっと、ケインは脱力した。
(……まだ言うか……)
「お前、変! お前、変!」
彼女は、抑揚のない、片言の言葉を、彼にぶつけるばかりだった。
しょっちゅう言われてきた、この『変』という言葉は、何か他の言葉と彼女が取り違えているのではないかと、想い直してみたことも、ケインには何度かあった。
だが、何度考えようと、やはり、『変』は『変』でしかないのだろうと、彼は解釈してきたのだった。
「ああ、もうわかったよ。そんなに俺のこと嫌ってたのに、今まで付き合わせちゃって、悪かったな」
彼は、もう腹さえ立たなかった。疲れたように少女に微笑みかけると、じっと、彼女の目を見据えて言った。
「……じゃあね」
少女は、相変わらず、ぶすっとした顔で、彼を見ている。
「……あのさあ、どんなに俺のこと嫌っててもさ、もう最後なんだから、……ちょっとくらい笑った顔見せてくれてもいいんじゃないか?」
「……」
東方の少女は、どうしても無愛想だった。
「……じゃあ、俺、もう行くよ」
何度目かのセリフで、やっと決心がつき、彼は彼女に背を向け、歩き出した。
(……なんなんだよ、まったく。わけわかんねー)
ケインは、口の中で、ぶつぶつ言っていた。
「……シャオ・チエ……!」
後ろから、聞き慣れない発音が聞こえた。ケインは、思わず足を止める。
「……シャオ・チエ!」
振り返ると、少女がもう一度叫んだ。
「……シャオ・チエ……?」
ケインは、彼女の発音をまねてみた。
「……もしかして、それが、きみの名前か!?」
驚いているケインに、少女は、こくんと頷いた。
「シャオ・チエ……!」
ケインの面が輝いていき、少女に走っていった。彼女は、その場に立ち尽くしている。
「シャオ・チエかあ……」
彼は、ほっとしたように彼女を見下ろして、にっこり笑うと、すぐに、じろっと睨んだ。
「はやく言えよ!」こつんと少女の頭を小突く。
「何する……! ケイン、変! ケイン、変!」
少女は、またしても細い目をつり上げて、への字口をぱくぱくさせた。
「なんだよー! 変なのは、シャオ・チエの方じゃないかー!」
彼らは、しばらく、あまり実りのない言い合いをしていた。
「おーい、ケイン、こっちかあ?」
ハッカイの声が、二人の言い争いを遮った。
「ああ、いたいた。ん? 何だ? その子、友達か?」
ハッカイが、彼らの前に姿を現した。
「レオンがもう行くってさ。あいつ、お前を捜しに、また反対方向に行こうとしてたから、俺が急いで止めておいたんだ。早く行ってやれよ。その辺で待たせてあるんだ」
面倒見のいいハッカイは、ふーっと安心して息を吐きながら、腕で額の汗を拭った。
「しょうがないなー、レオンのヤツ。やっぱり、俺がいないとだめなんだから」
ケインはぶつぶつ言うと、シャオ・チエを振り返って、手を上げた。
「じゃあな、シャオ・チエ! ……元気で!」
少女の固く結んだへの字口を見届けると、ハッカイが連れてきたウマに、ひらりと飛び乗り、後はもう振り返らずに、ウマを走らせた。
(……さよなら、シャオ・チエ……!)
不思議な気持ちにかられながら、ケインはウマを駆り出していく。
彼女の仏頂面を思い出すと、なぜだか少しだけ微笑ましいような気持ちになれた。
それが、淡い恋心であったことに彼が気付くには、まだまだ数年の歳月が必要だった。
ケインとレオンの旅は、続いていく――。