戦士の炎(2)
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.8.7)
数日経っても、ケインは、まだレオンと一緒であった。
その晩も、宿屋で、二人は寝る支度をしていた。
「里親って、案外見付からねえもんだな。お前の村の人は、よっぽど親切だったんだな。みんな、お前や、お前の母さんによくしてくれたんだろ?」
「うん。ぼくがまだ小さかった頃だから覚えてないけど、母さんが旅の途中で具合が悪くなって、たまたま通りかかったあの村で、しばらくお世話になっていたんだって。
その時、看病してくれたターミアと、ずっと仲良くしてて、母さんが病気で亡くなった時に、ぼくの母親代わりになってくれたんだ。ターミアは、まだ若くて、結婚もしていなかったから、どちらかというと、年の離れた姉さんのようだったけど、ぼくのことを本当の息子みたいにかわいがってくれたし、怒る時は、本気で怒ってくれた。
近所に住むダニエルおじさんには、ぼくと同じくらいの男の子がいて、よく一緒に遊んでくれた。そんな暮らしが、またできるとは思ってないけど……引き取ってくれるところを探すのが、こんなに大変だとは思わなかったよ」
ベッドのシーツを整えながら、ケインは言った。
その姿をじっと見詰めているうちに、レオンは、居たたまれないような、何とも言えない気持ちになっていった。
「お前、里親が見つからなかったら、……小姓でもいいのか?」
ケインは、何気なく振り返って、彼を見た。
「いいよ。働かなくちゃいけないんだったら、働くよ」
レオンは、自分の中に沸き起こってきた、何か遣る瀬ない思いにまかせて、ケインを鋭い目付きで睨んだ。
「働かされて、いいようにこき使われてでも、生きていこうってのは立派だけどな、世の中、綺麗なことばかりじゃないんだぞ? 遠慮して居心地悪かったり、苛められるかも知れねえ。だが、その方がまだマシだと思えるくらい辛いこともある。
年端も行かない、お前くらいの子供が、表向きは小姓として、実は、汚ねえじじいの色子だってことだってあるんだ! それなら、お前みたいなかわいいカオしてりゃあ、すぐにでも食いついてくるんだからな!」
ケインが、子供らしくない醒めた瞳で、レオンを見た。
「先を急ぐんだったら、もう一緒に探してくれなくてもいいよ。ぼくひとりで平気だから」
その態度に触発されたレオンは、ケインの胸元に掴みかかった。
「生意気言うな! だいたい、お前はひとりでいい子ぶってて、ガキのくせして、可愛気ないんだよ! 本当にそれでいいのか? もらわれて、その家で、一生、そいつらの顔色伺って、暮らしていって、……それでいいってのか? お前は、それで、本当に満足なのか!? 俺には、そうは思えない!」
「はなしてよ、レオン、いきなり、何を……!」
彼は、乱暴にケインを突き放した。
床に転がったケインは、苦しそうに咳き込みながら、片方の目だけ開いて彼を睨んだ。
「本当のことを言えよ! お前は、まだガキだ! ガキなんだから、大人に遠慮せず、俺にも遠慮せず、言ってみろ! 思ってることを言ってみろよ! 本当に、一生小姓でもいいと思ってるのか!?」
炎のような眼だった。
高い所から注がれるその鋭い瞳は、幼いケインには、そう思えた。
やさしかったはずのこの男が、なぜいきなり自分に、こんなにも辛く当たるのだろうか。
「立て! 野盗に向かっていった時のお前は、そんなんじゃなかったはずだ! お前は逃げなかった! あの時、お前は、本当に、隣の村に、助けを呼びに行くつもりだったんだろう? なぜ、自分だけで逃げなかったんだ!? 俺を連れて、なぜあの村へ戻った!?」
少年の瞳が、今までの愛くるしさを無くしていき、まるで、その時の野盗を見ているかのような、恐怖と憎悪を、交えていった。
「ぼくは……、ぼくは……!」
ケインは、食い入るように、レオンの眼を見返した。
「……ぼくは、かあさんーーターミアの仇を取るんだ! ……親切だった村の人たちを殺したあいつらを、いつかきっと……いつかきっと、ぼくが倒してやる! それまでは、どんなことをしてでも……たとえ、小姓でだって、生きてかなくちゃならないんだ!」
キッと見据えるその青い瞳に魅きつけられらかのように、レオンは、すぐには口を開けなかった。
それこそが、ケインに求めていた応えだったのだ。
「やつらが憎いか!? やつらを、自分の手でやっつけたいか!?」
なおも挑発するように、ケインを見る。
「あたりまえだ!」
ケインは立ち上がって、レオンに負けずに見返す。
しばらくにらみ合いが続いた後、ケインの意志の強さを認めたレオンは、ふっと、満足そうに微笑んだ。
「よく言った! それでこそ『男』だ!」
ケインの方は、まだ睨むように、彼を見ている。
「だが、どうやって、奴等を倒すつもりだ? お前よりも大きく、力だってある奴等だぞ。あてはあるのか?」
ケインの瞳には、困惑の色が浮かび、一気に揺らぎ出した。
「そ、それは……」
口の中で、もごもごいいながら、レオンから目を反らす。
レオンは、ふっと笑った。
「俺が戦い方を教えてやろう。やつらを倒せるほどの力がついたら、その時は、みんなの仇を討ちに行け!」
ケインの瞳が大きく見開き、レオンを穴の開くほど見つめた。
「なんだあ? 俺じゃ、イヤか?」
もう、既に、いつもの彼のおどけた口調に戻っていた。
「う、ううん! ありがとう、レオン! ぼく、がんばるよ! レオンみたいに強くなって、絶対やつらをやっつけてやるんだ!」
キラキラと瞳を輝かせている彼は、今までの少年のようでいて、少し違って、レオンには映った。
(いい眼だ……! 既に、戦士の眼をしている!)
レオンは、もう一度、満足そうに彼を見た。
「よーし、お前のことは弟だと思って、これからビシビシ鍛えてやるからな! 覚悟しとけよ!」
「アニキっていうより、父さんくらいのトシじゃないか」
ケインの方も、もとの少年のような、からかうような瞳を、レオンに向ける。
「またお前は生意気な口を利く!」
レオンの腕がケインの首に巻き付き、二人は、じゃれ合った。
翌日から、村の外れの森の中で、ケインの特訓は始まった。
「まず、始めに、受け身を身に付けろ。ダメージの少ない転び方を教えてやる。攻撃することは、今はまだ考えなくていい。上手く転がることを覚えるんだ」
レオンは、弧を描くように左右に横転する練習をさせた。
慣れて来ると、どんな体勢からでも、そのように転べるような訓練に変わった。
身体の筋肉を鍛え、基本的な体力作りはもちろんのこと、川へ行けば流れに逆らって歩き、山の間にある岩場では、大きな岩々を飛び越えたりと、自然の地形、性質を生かした訓練も多い。
少年は、常に彼の言うことに忠実だった。
中には、時々、ケインには何の意味があるのかわからないこともさせられるが、黙って従っていた。
そして、かなり早い時点で、レオンは、武道の基本的な組み手も、ケインに教え始めていた。
疲労が頂点に達し、レオンとの組み手の最中に思うように足が動かず、倒れた時も、彼の厳しい声に従い、歯を食いしばって立ち上がる。
子供を育てたことのないレオンの体当たりのような接し方は、母親だけに育てられたケインには経験のないことだったが、それでも、口答えや、弱音を吐くことはなかった。
(強くなれ、ケイン! お前なら、出来るはずだ!)
そんな期待をかけながら、レオンはひたすらケインを鍛えることに専念していた。
まだ未発達な少年の身体には、少々厳しい試練であったかも知れなかったが、そうした訓練の後には、レオンは砕けた口調で語りかけ、おいしく、栄養のあるものを食べさせ、充分な休養を取らせた。
ケインは、もし、兄や父親がいたら、こんな感じなのだろうか、と密かに想像しては嬉しく思い、レオンの方も、ケインのことを、単なる弟子とは違った思いで見ていた。
数ヶ月に及ぶ特訓の後、この日、初めてケインは、剣を持つことを許された。
「これを、お前にやるよ」
レオンがケインに渡したのは、短めの長剣――ロング・ソードだった。
「鍛冶屋に頼んどいたんだよ。子供用に、少し小さめに作ってくれって。だけど、見た目ほど軽くはないから、この剣振ってるだけで、かなり鍛えられるはずだぜ」
ケインは、鞘から剣を引き抜く。
日の光を受けて、剣は、白く輝いて返すーーその光を、眩しそうに見ていた。
「あの……、これ、本当に、ぼくがもらっちゃってもいいの?」
レオンは笑いながら、ケインの背を叩いた。
「当ったり前じゃないか! お前、野盗をぶちのめすんだろ? せめて、剣くらいは持ってないと、やつらの武器には対抗出来ないだろうが。だからってな、あいつらとやり合うには、まだ早いんだからな」
「ありがとう、レオン……!」
剣を鞘に収め、しっかりと握り締めて、ケインはレオンを見上げた。
彼は、少し照れたように、大きな手で、少年の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
その後、レオンは、夜寝る前にも、剣を振っているケインの姿を頻繁に目にした。
「よし、大分よくなってきたぞ!」
ケインが剣の稽古にも慣れてきた頃、レオンのケインにかける声も、厳しく叱りつけているものとは徐々に変化し、時々感心するようなものも混じってきていた。
「ガキにしちゃあ、よくやるじゃないか、って程度にはなってきたぞ。まだまだ大人には及ばねえけどな」
はあはあ息を切らして天を仰いでいる少年の横に、腰を下ろし、レオンは木の筒の中の水を飲み、それをケインに放った。
ケインも水をがぶがぶ飲むと、また仰向けに寝転んだ。
二人が出会った頃に比べると、ケインの仕草は荒っぽく、年相応の少年のようになってきている。それまでの、父親不在の生活とは、一変していた。
空は青く、ほとんど雲がない。
さわやかな空気と、強過ぎない風が心地よい。
ふと、レオンが隣を見ると、ケインはいつの間にか寝息を立てていた。
その様子に、ふっと微笑んだレオンも仰向けになり、空を眺めていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
目を覚ましたレオンが、起き上がる。
青かった空の彼方は紫色に変わっており、辺りは、もう夕方になりかけていた。
「いっけね。眠っちまったみてえだな。おい、ケイン、いつまで寝てる……」
言いながら隣を見ると、眠りこけていたはずの少年の姿はどこにもなかった。
「なんだ、あいつ。宿にでも帰ったかな」
レオンは、ゆっくりと身を起こすと、ぶらぶらと山を下っていった。
「おーい、ケイン、帰るなら帰るで、一言くらい――」
宿の部屋の扉を開けてみたが、誰も見当たらない。
「……? どこ行ったんだ?」
首を傾げながら、レオン部屋を後にした。
(まさか、特訓が嫌になって逃げ出した……? だが、一番辛い時は、もう乗り切っている。逃げ出すんなら、もっと前に逃げてるだろうし、……それに、ヤツは、そんな根性のないヤツではなかったはず……)
そんなことを考えながら町を何気なく歩いていると、町民たちの様子がいつもと違い、皆、何かを口々に、慌ただしく通りを行き来していることに気が付いた。
「『赤いオオカミ族』が、隣の村を襲っているらしいぞ!」
「何!?」
彼は、町民のひとりを捕まえた。
「おい、今『赤いオオカミ族』と言ったな? どこだ! やつらは、今どこにいる!?」
「隣の村だよ! こっちにまで被害が及ばないように、今のうちにみんな避難した方がいい! あんたも早く帰って戸締まりするんだな!」
町民は、レオンの手を振り解くと、急いで走って行った。
「ケイン、まさか……!」
彼は、村の外に駆け出しかけ、はっとしたように立ち止まった。
そして、またもや、右往左往している町民のひとりを、捕まえた。
「おい、隣の町へは、どう行くんだ!?」
「あんた、何言ってんだ! 今、隣町は、賊の放った火矢で、辺り一面火の海だって言うぜ。やめとけよ、死にに行くようなもんだ!」
町民も必死の表情で答えた。
「いいから、教えてくれ!」
行き方を聞いた彼は、一旦宿屋に戻り、ウマを隣町目がけて走らせた。
「早まるなよ、ケイン! お前じゃ、まだ奴等には……!」
馬上で、焦る気持ちを抑えながら、レオンは必死にウマを駆り立てた。
「お前、悪運強いな」
その後、火の海になっていた、既に野盗たちの去った村で、傷を負って倒れているケインを見つけ出し、レオンは、宿に連れ戻っていた。
「まったく、この程度で済んだからよかったぜ」
レオンは、宿屋の主人から借りた薬箱から、化膿止めの塗り薬を取り出し、ケインの身体に塗り付ける。
声を漏らすまいと、ケインが痛みを堪える。
「こんなの、魔道士に治療の呪文でも唱えてもらえりゃあ、一発で治っちまうんだが、俺は魔道士ってヤツが、どうも好かなくてな。それに、少しは痛い思いをしないと、懲りないからな。自分の実力もわからないで相手に挑むと、どんなことになるか、お前もわかっただろ?」
「だけど、……ちょっとは、斬り付けられたんだ。ひとりも倒せなかった、わけじゃない……!」
薬がしみて、うっと顔をしかめたケインは、喘ぐように言葉を吐き出した。
「なんて生意気なヤツだ!」
レオンは笑い声を上げると、少し真面目な顔になった。
「やるんだったら、絶対に勝つことだ。奴等に言葉は通じない。力が一番だと思ってる奴等に、敗北を味わわせるには、奴等が絶対だと思っている『力』で、打ち負かすしかないんだ。奴等が間違っていて、お前が正しいと思うのなら、『力』で勝て」
レオンは、応急処置を終えると、完全に真剣な表情で見下ろした。
それをケインは、痛みを堪えながら、薄く眼を開いて見つめている。
「感情に任せて向かっていっても、そんなのは勇気でも正義でもなんでもない。ただの感情のコントロールが出来ない人間であって、戦士とは言えない。戦いは、もっとシビアなもんだ」
「野盗は、自分たちより強い者には向かっていかない。ちょっと剣を交えれば、すぐにお互いの実力はわかる。それだけ奴等は実戦を重ねている。だが、根性が曲がってる故に、明らかに、自分たちより弱い者に対してだけ、殺戮を繰り返す。
弱者をいたぶっているに過ぎない、自分たちが強いと勘違いしている馬鹿な連中だが、それは、裏を返せば、奴等は、同じような眼に遭うことを、最も恐れているということだ。追いつめられ、恐怖のどん底に突き落とされ、嬲り殺されることを、最も恐れている証拠だ。
それが怖くて、自ら災いをもたらす側に立つ、実は、ただの小心者なのだ。
本当の強者とは、力があるだけではなれない。自分の力を人に見せしめることなく、無力なものを守り、時には、自分以上の敵とも戦い、勝つことの出来る者こそが、本物の強者だと、俺は思う!
時と場合と必要に応じて、決してやり過ぎることなく、力の加減ができるものなのだ!」
「時に、強者の中にも、情けこそ大敵だと思っている奴もいるが、実は、そうじゃない。あんな野盗のような奴等ですら、憐れんでやることは必要だ。いくら奴等のような悪人に対しても、最初から殺すことを目的に攻撃するのでは、やっていることは同じだ。自分の力を誇示しているだけだ。
自分より強い者が、この世にいた――奴等には、それをわからせ、少々痛い目を見せてやればいいだけだ。
ヒトがヒトの命を奪っていいなどとは、ヒトの決めることではないのだ。いいか、どんなヤツにも、情けだけは、かけることを覚えておくんだ! 剣が強いだけでは、だめなのだ。
真の勇者というものは、いくら正しいことをしていても、ヒトとして間違ったことはしてはならないのだ! 正義とは、ヒトとしての尊い誇りと、秩序からくるものなのだ!」
それまで積もり積もってきた想いを吹き出させたように、熱く、一気に捲し立ててしまってから、我に返ったレオンは、一呼吸おいて、ケインを見た。
苦しそうに喘いでいる少年に、彼の声が届いているものかどうか――。
「お前なら、俺の言っていることは、いずれわかるだろう」
実の息子に向けるような、レオンは父親のようなおおらかな瞳を、ケインに注いだ。
ケインは、その暖かい瞳に包まれながら、眠りの奥底へと、引き摺られていった。
ケインの怪我も癒え、元通りレオンとの剣を交えた特訓も再開して、数ヶ月ほど経った頃だった。
この日の特訓を終え、夕方になって山から町へと下っている途中、二人は、ただならぬざわめきが、町の方からしてくることに気付いた。
「食料を、どんどん持ってこい!」
「はやくしろ!」
見晴らしのいい丘の上から、二人が町を見下ろすと、見覚えのある大柄な男たちが、町民を突き飛ばし、ある一カ所へと追い込んでいた。
よく見ると、男たちは、腰の辺りに、赤い布の切れ端を、くくりつけている。
(『赤いオオカミ族』!)
レオンは、隣のケインに視線を移す。
ケインは、表情にこそ出さなかったが、その大きな群青色の瞳には、明らかに怒りの炎が燃えていた。
彼は今、この間の二の舞を踏むまいと、強く自分を制御しつつ、どうすることもできない悔しさを感じている――そんな風に、レオンには見えた。
「やつら、小さな村しか襲わないって、聞いてたのに……」
呻くように、その言葉は、ケインの唇から漏れた。
「おそらく、いくつもの村を制圧して、いい気になった奴等は、今度は、少し大きな町にも、目を付けたんだろう」
レオンの静かな声を聞いて、ますます怒りが込み上げてきたように、ケインの拳は、わなわなと震えていった。
子供ながらに、必死に自分を抑えようとしている彼を見ているうちに、レオンの心は決まった。
「行くぞ、ケイン!」
はっとして、ケインがレオンを振り向く。
「いいの? ぼくが行っても?」
レオンが、にやっと笑う。
「ついてこい! 今日は、実地訓練だ!」
言うと同時にレオンが、ひらりとウマに飛び乗った。
ケインを引き上げて、自分の前に跨がらせ、ウマを勢いよく駆り立てていった。