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『伝説の剣』Dragon Sword Saga 外伝1  作者: かがみ透
第七章 伝説の剣 Ⅴ 最後の戦い
17/21

現れたヤミ魔道士

「間もなくやってくる。私の魔の力が、最も高まる時が……!」


 得体の知れない二つの影が、真夜中の、ある山の頂きから、チュイルの村を見下ろす。


「ザンドロス様、あの村に、本当に伝説の剣が――?」


 影の一つが、声をひそめて問いかける。


「無論だ。しかも、伝説の剣とは、あのマスター・ソードだ」


「マスター・ソード! あれを手に入れることのできた人間がいるとは……! ここ数百年の間、誰も手にした者はいないと聞いておりましたが、まさか……!」


「我が大魔道士様の占いですら、予知出来なかったことであった」


「それでは、……いよいよですか?」


 尋ねた影から、ごくっと唾を飲み込む音が鳴る。


「間もなく、大魔道士様のお導きによって、私の魔力が最も高まる。その時までは、この村には、手を出してはいかん」


 二つの影は、闇の中へと吸い込まれていった。




 ケインがマスター・ソードを手にしてから、一年が経過していた。


 無事成長したミニドラゴンが、ケインの記録をくわえ、巣立っていくのを見送った後、ケインはレオンと、魔物を倒して回るようになっていた。

 ごくたまに、魔物の噂のあるところへ遠出するようなこともあったが、村を空けることは、せいぜい十日ほどだ。


「まったく、ケインも落ち着かないねえ。伝説の剣を手に入れて、やっと戻ってきたと思ったら、ドラゴンなんか育ててるし、それが終わったら、魔物退治だって? そんなおかしなことばかりやってたんじゃあ、いつまで経っても、あんたを幸せになんて、出来やしないじゃないか」


 施設の調理場では、大柄な中年女性が、呆れ顔になっていた。

 リディアは、背まで伸びた黒髪をリボンで一つに結い、一年前よりも、更に大人びて、女性らしさも増していた。

 リディアがくすくすと笑った。


「彼は、正義感の強い人だから。私は大丈夫よ。彼がマスター・ソードを取りに行ってた時の方が、よっぽど心配だったわ。だって、あの時は、無事戻って来られるっていう保証もなかったんだもの。


 それに比べれば、魔物退治の方が、ずっと気が楽だわ。レオンもついてることだし、『ドラゴン使い』となったケインは、最大限にマスター・ソードの力を引き出せるそうよ。そう簡単に、魔物なんかにはやられたりしないわ」


 リディアはそう言って、中年女性に、にっこり笑ってみせると、子供たちの食事の支度に取りかかっていた。


「ちょっと、レオン、あんたからも、少しケインに言ってやったらどうだい?」


「何をだい? オバちゃん」


 肉屋では、いつものように、レオンが肉を選んでいると、小太りのおかみが、両手を腰に当てて、呆れたような顔をしていた。


「リディアのことだよ。聞いたよ、可哀想に。あんたたちが、しょっちゅう魔物退治だかなんだかに出かけちゃうもんだから、あの娘は待たされてるばっかりだそうじゃないか。あたしにゃあ、わかんないよ。あんな綺麗な子よりも、魔物に興味があるなんてね!」


 レオンが困ったように笑う。


「おいおい、オバちゃん、俺たちゃあ、別に魔物が好きで行ってるわけじゃないんだぜ。魔物に苦しめられている人々を救うために――」


「そんなことは、わかってるよっ! あたしが言ってるのはね、魔物退治に、そうしょっちゅうケインを連れていくことはないんじゃないか、ってことなんだよ! だいたい、ケインなんて、まだ子供じゃないか。役に立ってるのかい? あんただけでも、充分なんじゃないのかい?」


「そうでもねえよ。とにかく、あのドラゴン・マスター・ソードは、すげえんだって! あれは、使えば使うほど、あいつに馴染んでいくらしい。最近は、俺よりも、あいつの方が、よく働いてくれるんだよ。俺も年かね? ははは」


「そんなことは知ったこっちゃないよ! あたしゃ、リディアが可哀想だって言ってるんだよ。あんたたち男の事情に振り回されてる女の気持ちってもんをさ、考えてみたことはあるのかい?」


 おかみは、真面目な顔で、レオンを覗き込む。

 レオンは、首を捻った。


「そうは言ってもさあ、俺は、あの二人のことには、口出ししねえことにしてんだよ。あいつも、俺には、あんまり彼女のことは言わねえしさ。剣の腕も、急激に上がってきてるし、今一番波に乗ってる時なんだよ。そんな時に、女にうつつを抜かしていると――」


「なんだい、その言い草は!? ああ、もうわかったよ! そんなこと言って、あの娘を放っておいてるうちに、他の男に取られても、知らないからね!」


 おかみは、頬を膨らませた。


「気立てが良くて、器量良しで、子供から年寄りにまで好かれてる、あんないい娘は滅多にいないよ。ぼーっとしてると、すぐに他の男に目を付けられちゃうんだからね。そうなってから後悔しても、遅いんだよ!」


(そうは言ってもなあ……。いい人たちなんだが、話がすぐに伝わっちまうところが、厄介なんだよな)


 施設の厨房の中年女性と肉屋のおかみとの間では、話は筒抜けであった。

 それどころか、村全体にも、伝わるのは時間の問題だった。

 レオンは、なんとかうまくおかみを(なだ)めて、その場を立ち去った。


「なあ、ケイン」


 その晩のことであった。彼らの家では、レオンの作った肉団子入りのスープを、二人で啜っていた。


「お前、……リディアと……その、何か、約束とか、していないのか?」


 遠慮がちに、レオンが切り出す。


「今日は、別に、会う約束はしてないけど?」


 たいして気にも留めていない様子で、ケインは、スープを啜る。


「そうじゃなくて。その……例えば、将来のこととか……だよ」


「話してるよ」


 ケインは、スプーンを置いて、レオンを見た。

 さっと緊張した、レオンは、改めてケインを見据えた。


「リディアは、将来、ちゃんとした魔道士になりたいんだって。いずれ『魔道士の塔』で、魔道士認定試験を受けるんだって言ってた。すごいよなあ!」


「……」


 レオンは、目を丸くした。


「俺なんか、正義を貫くとか、いつか世界一の遊び場ゴールドランドに行ってみたいとか、いつか、本物のドラゴンにも会ってみたいとか、そんなもんしか思いつかないもんなー。それに比べて、リディアは偉いよ。ちゃんと将来のこと、考えてるんだもんな」


 彼は、心から彼女に敬意を表していた。


(……肉屋のオバちゃんに言われて初めて気が付いた。こいつ、このままだと、本当にリディアを逃しちゃうかも知れない……)


 幸せそうに肉団子を頬張るケインを眺めて、さすがにレオンも不安になってきた。


(確かに、俺は、男として、戦士として、こいつを育て、こいつも、もう既に一人前の戦士にはなった。だが、女の扱いだけは教えてやれなかった。時が経てば経つほど、こいつは俺に似てくるような……。だとしたら、このままでは、彼女を――リディアを、ユリアの二の舞にしてしまうんじゃ……!)


 かつての恋人と離れ離れになってしまってから、既に一七年が経ち、未だに、彼女の消息は不明であった。


 だが、彼は、もしかしたら、ケインが、彼女の忘れ形見ではないかと、この一年間思い続けていたのだった。


「ケイン、真面目に答えろ」

「なんだよ、改まって」


 レオンがいきなり真面目な表情になり、ケインは、その彼を、少し驚いて見た。


「お前、リディアをどう思っている? 将来、一緒に暮らしたいと、思っているのか?」


「えっ!?」


 唐突な質問に、ケインはうろたえていた。


「なななななんで、そ、そんなここことを……!」


(はあ、なんて情けない! まるで、昔の俺を見ているようだ!)


 レオンは微かに首を横に振ると、もとの真面目な顔に戻り、にらむようにケインを見た。


「ちゃんと答えろ。どうなんだ? 一緒にやっていく気はあるのか?」


「い、一緒になんて、そ、そんな……! まだそんなこと、……考えたこともないよ」


 ぼそぼそとうつむきながら答えるケインを、レオンは余計に情けなく思った。


(なんてこった! ますます俺じゃないか! ……こうして見てみると、よくわかる。これじゃあ、みんないろいろと口を挟みたくもなるか。俺の時も、きっと、周りの奴らは、見ちゃいられなかっただろう……)


 はあと、レオンは、重い溜め息をついた。



 

「――なんてさ、レオンのヤツ、急にそんなこと言い出しちゃってさ、どうしたんだろうな」


 施設の庭の柵に腰掛け、いつものように、ケインはリディアと話していた。


「だいたいさ、俺、まだ一六だぜ? リディアだって一七だろ? どう考えたって、将来を話し合うには、ちょっと早過ぎじゃないか?」


(そんなことないわよ。私の友達なんて、一五で嫁いじゃった子もいたわ。王族だって、この位の年で結婚話が出ているものよ。年齢なんて、関係ないわ)


 そうは思いつつも、リディアは、にっこりと、物わかりのいい笑顔を作ってみせた。

 それを見て、彼女も同感であると解釈したケインは、ペラペラと話を続ける。


「まだまだ世の中には倒さなくちゃいけない悪い奴や、魔物もいっぱいいるし、俺は、ドラゴン・マスター・ソードの正義の使命を背負ってるんだし、……所帯を持つなんてことは、今は、正直言って、考えられないんだ」


 悪気のない彼の言葉に、リディアの眉がひそめられた。


(あっ、そう。じゃあ、私は、一体、あなたのなんなの?)


「私だって、今はそんなこと考えられないわ。あなたが、もうちょっとしっかりしてくれれば、別なんだけどね」


 心の中とは裏腹に、彼女は、からかうような目をして、ちくっとイヤミを言ってみたが、彼には、あまり通用していなかった。


「そうなんだよなあ。俺って、いざって時は、頼れると思うんだけど、こういうことは、ちょっとニガテでさー。もうちょっと、しっかりしないとなー。あはははは」


 お愛想で、彼女も力なく笑った。


「あっ、今日は、俺がメシ当番だったんだ! 早くしないと、肉屋が閉まっちゃう! 悪いな、リディア、また明日な」


 彼は、素早くリディアの頬に口付けると、柵から飛び降り、手を振って、走っていった。


 その後ろ姿を見つめ、彼女は、ふうと溜め息をついた。


(……別に、今すぐ一緒になりたいわけじゃないけどね……)


「……だから、コドモだっつうの」


 彼女の口からは、いつもの言葉がもれていた。 




「レオン、大変じゃ!」


 診療所の別室から顔をのぞかせた太った老魔道士が、帰り支度中のレオンを、慌てて引き止めた。


「どうしたんだよ、せんせい」


 老人に手を引っ張られ、レオンは、奥の部屋へと連れていかれる。


「見てみよ。水晶球が真っ黒じゃ!」


 例の水晶球の中は、黒い(もや)の他は、何も映ってはいない。

 レオンも首を傾げて、それを覗いていた。


「部屋が暗いからじゃないか?」


 レオンの言葉には、耳を傾けようとはせずに、老魔道士は両手を揉み合わせた。


「……不気味じゃ……! 何かが起ころうとしておる!」


「何かって?」


 怪訝そうな顔で、レオンが尋ねる。


「そんなことはわからん! これは、何かの邪悪な力が働いているのじゃ。それも、ちょっとやそっとの魔力ではない」


「せんせい、大変だ!」


 入り口から、村人たちが転がり込んできて、口々にそう言っていた。

 言われるままに、レオンと老魔道士は、外に出ていった。


「なんだ、あれは……!」


 空には、黒いフードを被った半透明の巨大な人影が二つ。

 ゆらゆらと湯気のように、揺らめいている二つの影のうちのひとつ、背の高い方の男が、レオンの姿を認めると、ゆっくりと、口を開いた。


「その肉体に眼光――かなりの実力を持つ戦士のようだな。貴様の名は?」


 重々しい声が、暗くなりかけた空に響き渡る。

 それを見上げた村人たちは、恐ろしさに悲鳴を上げ、逃げ出す者もいた。


「レオン・ランドール」


 レオンは、キッと天を見据えた。


「伝説のドラゴン・マスター・ソードを手に入れたというのは、お前か?」


「なんだと? 貴様ら、何者だ!」


 半透明の陰気な影は二つとも、レオンを見下ろしていた。

 悲鳴を上げながら逃げ惑う村人に構うことなく、再び、同じ影が口を開く。


「我が名は、ザンドロス。上級の魔道士だ。マスター・ソードの(あるじ)よ、これより一月(ひとつき)の後、マスター・ソードとともに、ローダンの山頂へ来られよ」


「何のために!?」


 レオンは、天の影をにらみつける。


「来なければ、この村を攻撃する」

「なんだと!?」


 村人たちの悲鳴が、高まった。


「魔神『バール・ダハ』の名のもとに」


 それだけを言い残すと、二つの影は透けていき、跡形もなく消えていった。

 ほんのわずかな時間の出来事であった。


「なんだ、あいつら? 何わけのわかんねえこと言ってやがる。なあ、せんせい?」


 レオンは、ふと隣に突っ立っている老魔道士を見るが、彼は、まだザンドロスのいたあたりを見上げたままであった。

 それだけでなく、彼の太った巨体は、ぶるぶると震え出したのだった。


「せんせい? どうしたんだよ?」


 怪訝そうな顔で、レオンが問いかけると、白い口髭に覆われた唇からは、呻くように、声が絞り出されたのだった。


「魔神『バール・ダハ』……! な、なんてことを……!」


 老魔道士の顔は、卒倒し兼ねないほどに、青ざめていた。




「……間違いない……! ワシの考えが当たっていれば――」


 診療所の奥の暗室では、薄暗い明かりの中、老魔道士が、古い魔道書を片手に、震えの止まらない手で、ページをめくっている。


「せんせい、二人を呼んできたぜ」


 レオンが、ケインとリディアを連れて入る。

 老人は、魔道書のあるページを開いたまま、テーブルに置き、深刻な表情で、重々しく口を開いた。


「先程の魔道士ザンドロスという奴、あの男は、正規の魔道士ではなく、どうやら、ヤミ魔道士のようじゃ。しかも、上級と自称するだけあって、なかなかの魔道の使い手であるようじゃ」


「なんで、そんなことわかったんだ?」


 レオンが尋ねると、老魔道士は、水晶球を指した。水晶球は、元通りきれいな、透明の球に戻っていた。


「奴等の影が消えたら、またもとのように見えるようになったから、さっそく占ってみたんじゃ」


 老人は、水晶球を軽く撫でながら言った。


「おじいちゃん、レオンから聞いたけど、魔神バール・ダハって?」


 リディアが、真剣な表情で尋ねた。

 途端に、老人の顔つきが、険しくなった。


「それなんじゃが……この魔道書によると、魔神バール・ダハとは、魔神の中でも、もっとも気性が荒く、攻撃的な性質であり、厄介なことに黒魔道の専門でもあるのじゃ。ワシの記憶が正しければ、ある魔道士がそれを召喚して、精神を乗っ取られ、暴走させてしまい、ひとつの大国を滅ぼし、地中の奥深くに埋没させてしまったのだという言い伝えがあったのじゃ。


 殆ど、邪神のようなもので、上級の魔道士でも、そやつをコントロールするのは非常に困難じゃ。その上、そのような惨事が起きてしまって以来、バール・ダハの召喚は、固く禁じられているそうなのじゃが、……おそらく――」


「おそらく――なんだよ? ヤツがその邪神を呼び出してるのか?」


 レオンが、魔道士を覗き込む。

 彼は首を横に振り、口にするのさえも恐れるかのように、また身体を震わせた。


「呼び出していないんだったら、奴ら、なんで、そいつの名前なんか出したりしたんだ? まるで、自分たちの守護神でもあるかのような口振りだったじゃないか」


 腕を組んで、レオンが首を捻る。


「おそらく、奴らは、ドラゴン・マスター・ソードを――ケインを使って、バール・ダハを、……召喚しようと考えたのかも知れん……!」


「何だって!」


 皆、老魔道士に注目すると、彼は震えながら口を引き結び、拳を握りしめて(うつむ)いた。


「おい、いい加減なこと言うなよ! なんだって、あいつらヤミ魔道士なんかが、マスター・ソードに……ケインに目を付けるんだよ!」


 レオンが掴みかかりそうな勢いで、老魔道士の肩を揺すった。


「マスター・ソードは、手に入れた者にしか操ることは出来ぬことは、奴らも知っていたようじゃ。そこで、おそらく……マスターソードを、持ち主ごと手に入れようと、思いついたのじゃろう」


「持ち主ごと……ですって!」


 リディアが不安な顔を、ケインに向けた。

 ケインも驚きを隠せないでいたが、静かに口を開いた。


「奴らがどこまでマスター・ソードのことを知っているのかはわからないけど、ダーク・ドラゴン、ホワイト・ドラゴンの力を吸収したドラゴン・マスター・ソードになら、魔神の召喚にも耐えられるだろう、そして、それを可能にするには、多分……俺を、洗脳して、思い通りに操り、魔神をも操る――ってことか」


 意外にも、冷静にそう言った彼を、誰もが驚いて見つめた。


「ケインを洗脳ですって……!」


 リディアが両手を顔に当て、その声は、ほとんど悲鳴のようだった。


「で、せんせい、ローダンの山ってのは、どこにあるんだ?」


 冷静な口調のまま、ケインは老魔道士に尋ねていた。


「奴らの手の内に、あえて飛び込もうというのか!?」


 魔道士は、驚いてケインを見つめていたが、彼の落ち着いた表情を見ると、迷うような動作で、地図を取り出した。


「ここじゃ。奴らめ、よりによって、魔物の巣と呼ばれるこんなところを指定するとは……!」


 老人の指したところには、チュイルの村から、ウマで一〇日以上はかかりそうな場所であると、ケインは見た。


「いずれ、そこには行かなくちゃって思ってたんだ。ちょうどいいや」


 ケインが、軽い口調で言った。


「俺も行こう。一人より、二人の方が早く片付くだろう」


 レオンが、ケインの肩に手を置く。


「ちょっと、待ってよ、二人とも。まさか、本気で、そんなところに行くつもりなの?」


 怒ったように二人を見つめるリディアに、ケインは静かな目を向けた。


「俺が行かなかったら、この村が攻撃されるんだよ」

「だけど……!」


 言いかけたリディアの肩に、ぽんと老魔道士が手を乗せた。


「彼らに頼るしかあるまい。わしらの魔力では、どうすることも出来んのじゃよ」


 老人は、悲し気な瞳で、孫娘を見つめていた。




「レオン、これを、ケインに渡してくれないかね」


 ケインとレオンの旅立ちの日が、間近に迫って来た時であった。

 黒い宝石のついた指輪を、老魔道士はレオンに託した。


「これは?」


「それは、もし、奴等に捕まり、もうだめだと思った時に、……使うものじゃ」


 レオンの目が鋭く光った。


「……毒……か……!」


 それには、老魔道士は無言であった。


「人として、このようなことは考えたくはなかったんじゃが……仮にも、魔道士として、あの魔神の恐ろしさを知る限りは、何としても、召喚させるわけにはいかんのじゃ。


 じゃが、これを、ワシからあの子に渡すことは、どうしてもできん。おぬしに預けておく。渡すも渡さぬも、おぬしの自由じゃ。無力なこのワシに出来ることは、これくらいしかないのじゃ」


 老人の目からは、熱い涙が溢れていた。

 レオンは、しばらく黒い宝石を見つめていたが、無言で指輪を受け取った。




 家で荷造りしているケインを手伝いに、リディアが訪れていた。


「レオンの荷物は?」


 リディアが、いつもの元気な声で尋ねた。


「今日は、せんせいのところに行くっていって、さっきもう持っていったよ。会わなかった?」


「おじいちゃんの診療所には、顔出さずに来ちゃったから、気付かなかったわ」


 二人は、しばらく、他愛もない話をしながら、荷造りを終えた。


「……明日、行っちゃうのね」


 ぽつんと、リディアが呟いた。


「大丈夫だよ。マスター・ソードを取りに行った時みたいに、今度も無事に帰って来るよ」


 かわいらしい少年の面影を、まだ残したその顔には、大人になりかけた、やさし気な微笑みが浮かんでいる。


「そうよね。あのマスター・ソードを手に入れられたんですもの。ドラゴンを育てて、マスターにも認めてもらって、普通の人間には出来ないことをやってのけたんだもの。ケインは、簡単にヤミ魔道士なんかに、負けたりはしないわよね」


 明るく微笑むリディアの目の端から、涙が零れ落ちた。


「リディア、……泣いてるの?」


 ケインが少し驚いて、リディアを見つめた。

 リディア自身も、自分が涙を流していることに、初めて気が付いた。


「……ごめんなさい、ケイン。私、もう耐えられそうにない」


 リディアが、顔を覆い、啜り泣き始めた。


「……本当は、あなたに行って欲しくないの。今までも、そうだったの。ずっと、あなたに、側にいて欲しかったの。でも、あなたの重荷になるんじゃないかって……。私、本当は、あなたが思ってるほど、強くなんかないの」


 ケインは、そっとリディアを抱きしめた。


「ごめん……。俺、ずっと、リディアに我慢させちゃってたんだね……」


 リディアが、顔を上げた。

 涙に濡れた緑色の瞳は、深刻になっていた。


「……行かないで……行かないで、ケイン! 相手は、上級の魔道士よ。わざわざ相手の手の内に入っていくようなことは、やめて! 洗脳なんかされたりしたら、二度ともとには戻れなくなってしまうわ!」


「リディア……」


 彼女は続けた。


「レオンはともかく、あなたは、まだ魔道士と戦ったことはないわ。だったら、その恐ろしさも知らないはず。上級の魔道の使い手ともなれば、私たちなんかには想像もつかないほどの、恐ろしい力を操るのよ。私の父さんや母さんだって――」


 リディアは、一瞬、口を噤む。


「……私が、まだ幼かった頃、魔道士だった父さんと母さんは、あるヤミ魔道士と戦って、自分たちの命をかけて、やっとのことで、その魔道士を討つことが出来たの」


 ケインは、リディアをじっと見つめ、黙って話を聞く。


「その時の光景は、今でもはっきり覚えているわ。……村中が炎に包まれているのを、私は、お爺ちゃんの結界に守られて、少し離れたところから見ていた……。


 黒ずくめのヤミ魔道士の放った炎が、父さんと母さんの全身を包んだわ! それと同時に、二人はシー・ドラゴンを召喚し、村の炎を消し、ドラゴンに魔道士を襲わせた。


 ……魔力を使い果たした二人は、ヤミ魔道士の最期を見届けると、安心したように倒れ込み、そのまま息を引き取ったわ……。


 ヤミ魔道士は、もとは、父さん、母さんの友達だったそうよ。何かのきっかけでヤミ魔道士となった友人を救おうとしたところ、とうとう救うことは出来ずに、村まで巻き込むことに……。父さんも母さんも、無念でならなかったと思うわ」


「そんなことが……」


 譫言(うわごと)のように語る彼女をいたわるように、ケインは、彼女を抱える腕に力を込めた。


「だから、私、ケインには、そうなって欲しくないの! お願い、今からでも、遅くはないわ。行かないで!」


 リディアは、必死にケインにしがみついた。


「村はどうなる。俺が行かなかったら、それこそ恐ろしい魔力で、この村は全滅され兼ねないじゃないか。そんなことは、絶対にさせるわけには行かないんだ」


 ケインが静かに諭すが、リディアは、にらむようにして、彼を見ていた。


「それじゃあ、私はどうなるの? 村が残っても、あなたがいなくなってしまったら……! ケインは、いつも、私のことなんか、どうでもいいみたい。もう、待つのは嫌よ。


 私は、ケインが伝説の剣を持つような、すごい戦士じゃなくてもよかった。ただ一緒にいたかっただけ……。マスター・ソードなんか手に入れなければ、ケインだって、こんな目に逢わずに――!」


 一気に(まく)し立てていたリディアの唇は、ケインに塞がれていた。

 それでも言い募ろうとする彼女の唇は、言葉を発することは、かなわなかった。

 今までにない、少々荒々しい口づけに戸惑いながらも、ケインの瞳の奥までも射るように見つめていた彼女の瞳は、徐々に和らいでいった。


「好きだ、リディア。俺は、リディアが好きだから、あんな奴らなんかには負けない!」


 その想いが真実であることを証明するように、ケインは、もう一度、リディアに、口づけた。

 リディアは目を閉じると、次第に身を任せていった。


 彼女の瞼が開かれた時、今まで見せたことのない頼りなげな瞳で彼を見上げ、弱々しく尋ねた。


「……本当に? 本当に、戻って来てくれるの?」


「ああ、必ず、戻って来る……!」


 力強くリディアを抱くケインを受け入れるように、彼女の腕は、次第に彼の背に回っていった。

 二人は、いつまでも固く抱き合っていた。


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