黒の魔石
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.9.13)
ギガロスが降り立ったのは、ラビ族の村であった。
ラビとは、全身を茶色の長い毛に覆われた、小人の更に半分の背丈しかない中型の動物で、頭の上に生えた二本の長い耳が、ヒトの髪のように垂れ下がっている。
黒く濡れたように輝く、愛らしい大きな丸い瞳を見れば、この動物が、他の生き物たちにとって、無害であることは、一目瞭然だ。
小人族の世界同様、緑の多いところであった。小人族の村のような整った花畑はないにしろ、自然に生えた草花や大木が、ここに住む種族たちと調和している。
ギガロスから飛び降りたケインを見て、彼らは、瞬時に、岩や木の陰などに身を潜めてしまったが、おそるおそる顔を覗かせている。
持ち前の好奇心の強さが、『突然現れた大きな黒い翼竜に乗ったヒト族の少年』に、興味をそそられずにはいられなかったようだ。
「あのトリと同じ色をした、こういう石を知らないか?」
不思議そうな目をして集まってきたラビたちに、ケインは、既に手に入れた二つの魔石を見せ、身振り手振りで尋ねると、珍しさに集まって来るものの、それ以上の反応は見られなかった。
そのうち、ラビとは違う種族も集まり始めた。
ラビと仲が良いと言われている、同じく毛に覆われた小動物のネコ族、小鳥たちなど、ケインの知らない動物たち――皆、無害と一目でわかるようなものばかりである。
「かわいいのが集まってくれるのは、癒されていいんだけど、肝心な黒の魔石――ダーク・メテオのことは、誰も知らないみたいだ。……おかしいな。確かに、ここみたいだし、ギガロスの翼だって黒くなってるし……」
ケインが、考え込んでいる時だった。
「チーチー」
ふと見ると、茶色い小ネズミが鳴いている。ヒトの世界で見慣れたものと、よく似ている。
てのひらに乗るほどの、頭の上の丸い耳と小さな丸い目が特徴の小動物は、ケインの服を小さな口でくわえ、引っ張っていたかと思うと、突然走り出したのだった。
「もしかして、魔石のあるところに案内してくれるのか!?」
ケインは小ネズミの後を追った。
「確かに、これも黒いけど、俺が探してるのは、これじゃなくて……」
辿り着いたのは、岩だらけで、草花などは一切ない。
辺りを見渡しながら小ネズミに続くと、岩と岩の間に横たわっているものがある。
黒い岩のような、一見、鉱物と見紛う生き物――ガンダルだった。
ガンダルは岩を食べる動物であり、大きさは小ネズミほどから、ヒトが両手を広げても抱えきれないほどのものまでいる。
敵が近付くと、四本の足は、身体の中に隠してしまい、ただの岩のように見せて身を守るのである。岩しか食べないため、この地に住む動物たちに害はない。
彼の目の前のものは、ラビと同じ位の大きさであった。
よく見ると、手前の下の方に、黒い石の粒が二つあり、目のようだと、ケインは思った。
「チーチー!」
小ネズミは、彼の服を引っ張った。
「ごめんよ。俺が探してるのは、こいつじゃなくて……。そう言えば、なんか、こいつ、元気ないな」
なんとなく異変を感じたケインは、ガンダルをそうっと持ち上げ、見回してみた。
「別に、どこも怪我してないみたいだけど、どうしたんだろう」
その近辺を、ズシ……ズシ……と、ゆっくりと、別のガンダルが通った。
ケインの抱くものよりも大きく、ヒトの腕の長さほどの幅はあった。
「おーい、お前の仲間が、なんか具合悪いみたいだぞ」
ケインが呼びかけても、歩みを止めようとはせず、ズシ……ズシ……と、そのまま去っていく。
「……行っちゃった」
「チーッ!」
「わかった、わかった! なんとかするよ」
小ネズミに催促されたケインは、抱いているガンダルを、ゆっくり振ってみると、中で固いものがぶつかり合うような音がしていることに気付いた。
「変なモンでも食ったのかなぁ。だけど、こいつって、岩を食うんだろ? 岩が腐ってたなんてこと、あるのかな?」
小ネズミも、ガンダルの中心あたりを前足で叩いている。
「少々荒療治かも知れないけど、変なモン食った時は、吐き出さなくちゃな」
右手拳を固く握り締め、ガンダルの中心よりも少し下の部分を、勢いをつけて突いた。
その途端、ガンダルの上を向いているあたりから、黒い塊が吐き出された。
「……!」
ガンダルを地面に置いてから、ケインが拾い上げてみると、それは、黒曜石のように黒く輝く、尖った石であった。
「これは、もしかして……黒の魔石ダーク・メテオ!」
元気のなかったガンダルは、むくっと起き上がり、小ネズミはチーチーと鳴きながら、ガンダルの背に駆け登った。
「そうか、岩と間違えて食べちゃったのか。それを、お前は見てたんだな! こいつのことも助けられたし、よく知らせてくれた、ありがとう!」
ケインが、ガンダルと、小ネズミとを撫でた。
小ネズミは、ケインを見上げて一声鳴いた。
「三つ目の魔石は、なんだか簡単に手に入ったな。これを持ち帰れば、この課題は終了か。意外とラクだったな」
ギガロスの背に跨がり、飛び立とうという瞬間、ケインの耳は何かをとらえた。
獣の唸り声だった。
「あれは――!」
声のする方に目を凝らすと、人間界にもいるような、一頭の黒いクマのような、ヒトよりも大きい肉食獣が、牙を剥き出し、突進していく。
獣はケインには目もくれず、ラビの村へと直進していった。
「あいつは、もしかして、ラビたちを食いに――!」
ケインは、ギガロスの背から飛び降りた。
『待て。きみの課題は、三つの魔石を揃えることじゃないのか? 揃ったのなら、それを早く持ち帰るべきだ』
ケインの知らない、まだ若い男の声が聞こえてきた。甲冑の騎士グレンリヴァーの重々しい声とは違い、明るく、穏やかな声であった。
「誰だ!?」
ケインが辺りを見渡すが、何もいない。
「誰だか知らないけど、あのかわいらしい動物たちが、凶暴な肉食獣なんかに食べられてしまうのを、黙って見過ごせるか!」
再び走り出すが、声はなおも響いてくる。
『仕方のないことなんだよ。それが彼らの運命、自然の掟さ。きみが手を
出せば、自然の掟が狂ってしまう。さあ、おとなしく戻るんだ』
「だ、だけど……」
『下手なことをして、マスターソードがもらえなくなったらどうする? 畑を耕して、あんな変な植物がきみだなんて言われ、それでも凹まず、魔石を三つとも、ちゃんと揃えて、せっかくここまで来たのに、その苦労を、こんなことで台無しにし兼ねないんだよ?』
ケインは、ギガロスを振り返った。
ギガロスは、身動きひとつせずに、ケインをじっと見つめている。
『弱いものから先に死んでゆく――きみたちヒトだって、そうだろう? 彼らラビ族がかわいいから良い動物、肉食獣は大きく力もあるから悪い動物なのかい? あの肉食獣クロオオグマだって、生きるために必要なことをしているだけで、ラビたちを食べることは、別に悪いことじゃない。
あのクマは実は母親で、何日も食料にありつけなかった。それを、おなかの子供、もしくは、おなかを空かせた餓死寸前の子供たちのために、やっと見つけた餌なのだとしたら?』
ケインの目が、ピクッと揺れ動いた。
『ヒトの方が、もっとひどいことをしてるじゃないか。野盗なんて、生きるため以外の自分勝手な理由で人々を殺し、それを楽しんですらいるし、国を大きくしたいからと戦をし、罪もない人々を巻き込んでも平気な人間――きみたちの世界では王と呼ぶ――者もいる。
現に、きみは、そんなヒトたちに遣われる傭兵なんてものを、仕事に選んだ。子孫を繁栄させるため、生きるために狩りをするクロオオグマを、きみたち野蛮なヒト族に、どうこう言われる筋合いは、全然ないと思わない?』
声に深刻さはなく、彼をからかうような、軽い響きだった。
「俺は野盗なんかとは違う。傭兵の中にも、確かに戦利品と称して野盗まがいのことをする奴らもいるけど、そんなのとは違う人間はいっぱいいる。一緒にするな!」
油断のない目を辺りに向けながら、『見えない声』に向かい、ケインは言い放った。
「確かに、お前の言う通り、俺の住む世界とは違うこの世界で、俺があのクマを倒せば、連鎖は崩れてしまうのかも知れない。だけど、弱いもの――小さくて、か弱いものだからって、大きくて強いものにやられて当然だっていう考えは、嫌いなんだ! だから、余計なお世話とわかってはいても、黙って見過ごすことはできない!」
ケインは、再び走っていた。ラビたちのいる村へと。
『それは、きみとずっと一緒にいた男に、そう教わったからだろう? 幼い頃から彼を見て、尊敬して育ち、すっかり彼の信念が、きみに伝わっている。だから、今、きみがそう思っているのは、きみの考えじゃない。きみの父親代わりのあの男のものなんじゃないの?』
ケインの足が止まった。
「お前は、誰なんだ? なぜ、俺とレオンのことを知っている?」
その時、ケインは、声の主がギガロスではないと、はっきり感じ取っていた。
『僕が誰かなんてことよりも、きみは何なんだい? 『義によって助太刀する』みたいなこと言ってるけど、それは、本当にきみの信念から出たことなのかい? 彼の口真似なんじゃなくて? そういうの、『偽善』って言わない?」
声は、ケラケラと高らかに笑った。
ケインは、拳を、わなわなと震わせた。
「幼い頃、村の人たちや母親を野盗に殺されて、俺も奴らには歯が立たなくて。野盗は身体も大きく、力もある。それをいいことに、弱い人々を苦しめているのが、どうしても許せなかった。あいつらに比べて、俺は、小さくて無力だったけど、……だけど、俺が、絶対に、その図式を覆してみせるって、ずっと思ってた」
ケインが、キッと顔を上げた。
「レオンに逢って、その思いが一層強くなった。俺は、彼を尊敬し、本当の父親みたいに思い、ずっと一緒にいた。彼から教わったことが多いのは認めるけど、これは、俺の意志でもあるんだ!」
『マスター・ソードは、どうする?』
静かな調子で、声は尋ねる。それには、もう彼をからかう様子はない。
『きみが、ラビたちを、あくまでも助けるというのなら、きみ独りでやるんだね。それでも、やれるかい? ましてや、きみは、今、短剣すら持っていないじゃないか。素手で、あの肉食獣に向かうつもりかい? それは、ちょっと無謀な気もするけど?』
穏やかに、声は響く。
「それこそ、余計なお世話だ。俺は武遊浮術だって使えるんだ。素手でも、オオグマを倒してみせる!」
『そう。じゃ、ギガロスは返してもらうよ』
彼の熱い意気込みに対して、冷ややかな声が返る。
ケインが振り向くと、ギガロスの身体は、すーっと、景色の中に、溶けるようにしてなくなった。
『さあ、もうきみをもとの世界に連れて帰れるものはいない。どうする? きみの帰りを待っているレオンや、診療所のせんせいと彼女にも、もう会えないのかねえ。可哀想に。
ああ、きみが可哀想だって言ってるんじゃないよ。彼らを、可哀想だって言ったんだ。だって、きみは自分でこうなることを選んだんだからね。彼らは、きみに、魔物斬りの剣を取らせてあげたい一心で、きみの安否を気遣いながら、帰りをずっと待ってるってのに、こんなことで、伝説の剣を手にする権利を放り出そうっていうんだから。
その魔除けのペンダントだって、せんせいがくれなかったら、きみは、最初の山すら越えられなかったかも知れないんだよ。レオンがきみに剣術や武道を教えなかったら、今のきみはなかっただろうしね。
彼女だって、きみさえ現れなければ、ずっと側にいるひたむきな男と出会えて、幸せに暮らせたかも知れないのにね。だいたい、傭兵なんて、いつ命を落とすかもわからない家業の奴と、恋仲になった方は大変だよ。しょっちゅう一緒にはいられないし、いつ死なれちゃうかわかんないんだもんね。
こうして考えてみると、きみが戻らない方が、彼女のためではあるのかも知れないねえ』
声は、またしても、からかうような口調になってきていた。
「もういい。俺は動物たちを助けに行く。お前と話している暇はない。マスターとやらが、俺には剣をやれないって判断するなら、そうすればいい。レオンやリディアは強いから、……俺が戻らなくても、……多分、大丈夫だろう」
最後の方は呟くように言ったケインは、脇目も振らず、ラビ族の村へと駆け出していった。
(ごめんよ、レオン、リディア、せんせい……!)
(ああ、俺って、なんてバカなんだ! あんな、わけのわからない声に、ついカッとなって――!)
始めのうちは、ラビを助けると口では言っていたケインも、ここまでするつもりはなかった。だが、あの声に、まるで挑発されたように、意地を張ってしまった。
ちょっとだけ後悔してはいても、自分でも止められずにいたのだった。
(あそこだ!)
森を抜けたところで、クロオオグマが、逃げ惑うラビたちを追いかけまわしているのが見える。
その途端、得体の知れない白い雲のようなものが現れ、ケインの身体を包み込むと、森の中からは、完全に消え去ってしまった。
「気が付いたかい?」
同じ声だった。
ケインは、ゆっくりと瞼を開く。冷たい床の上に、横たわっていたことに気付いた。
そこは、人間界でいう大理石に似た石で出来た床と壁の、簡素だが、広い室内であった。
宮殿や神殿のような雲の上の人々のいる場所――そう想像するケインのイメージにぴったりな、すべてが厳かで、美しい石造りに目を奪われた。
更に、白い霧が部屋全体をぼやかすほどに漂い、いかにも、そこが地上と違うところであるかを印象付ける、幻想的な空気を造り出していた。
身体を起こし、部屋の前方を見て、ケインは、はっとした。
数段ある階段の上には、甲冑の騎士グレンリヴァーが立っていた。
その横には、長い背もたれの、どっしりとした大理石で出来た椅子に、脚を組み、寄りかかる、色の白い細身の少年が微笑んでいた。
白い、薄い絹を身体に巻き、男というより女に近いような、華奢で中性的な雰囲気を漂わせた整った顔立ち――ケインとあまり年齢の変わらないようなその美少年の、輝く薄茶色の髪は、風に吹かれてでもいるように、さらさらとなびいている。
ただの少年のような姿だが、なんとなく、普通の人間とは別格であるように、彼を見る者は、皆が皆、感じたことであろう。
「まったく、とんでもない無鉄砲だよ、きみは。本当に、自然の掟を壊し兼ねなかったから、僕がここまで運んであげたんだ。ただの課題如きで、そこまでさせちゃあ、それこそ他の神々に怒られちゃう」
美少年は、やれやれと言いたげに、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「お前か……、あの声の主は」
ケインは、片膝を付いて、立ち上がった。
少年は、頷く代わりに、にっこり笑ってみせた。
「僕の名前は――そうだね、きみたちの言葉で言うなら『ジャスティニアス』とでも発音するのかな。グレンリヴァーの言っていた『マスター』その人さ」
少年は言いながら、隣の甲冑騎士に微笑む。
ケインは、じっと、マスターだというその少年の顔を、睨むように見つめていた。
「あんまり驚いてないみたいだね」
ジャスティニアスは微笑んではいたが、声には、僅かに落胆した様子も混じっていた。
「あんたには言いたいことはたくさんあるけど、その前に聞こう。『課題』はこれで終わりか?」
ぶっきらぼうな言い方で、ケインが問う。
「本当は、もう二、三出してみようかとも思ったんだけど、ちょっと用が出来ちゃってね。どうやら、きみにばかり構ってはいられなくなっちゃったんだ。だから、もうこれで終わりにするよ」
呆気に取られたケインの顔を満足そうに眺めてから、ジャスティニアスは、脚を組みかえた。
「これまでの課題では、いかにして戦わずにクリア出来るかを見ていた。強大な力を秘めた剣を、簡単に振り回し、間違いを起こすようでは、力は授けられない。荒々しい性質だったり、血気盛んなタイプでは駄目だと決めているんでね」
深刻な表情で、ケインは問いかけた。
「……それで、……課題の評価は? ……俺は不合格なのか?」
マスターは立ち上がり、ひょいっとケインの前に飛び降り、「こっちだよ」と、ケインの腕を引っ張った。
「あれを抜いてごらん。抜ければ合格、抜けなかったら不合格だよ」
ケインよりも小柄な少年ジャスティニアス――マスターの指差す先には、堆くこんもりと盛られた土に、剣先を突き刺した長剣があった。
それら全体は、全て石化してしまっている。まるで、始めからそのように作られた石のオブジェであるように、ケインの目には映った。
休息の剣――そのような印象を受けた。
「あれが、マスター・ソードだ」
ケインは、はっと隣の少年を振り返る。
ケインを見てかすかに微笑むと、少年は、すぐに視線を戻し、静かな声で語り始めた。
「前の主から次の主が現れるまでの間、あのように石になって、眠りについているのさ。マスター・ソードが主人と認めた者が手にすれば、ちゃんと剣として抜けるはずだよ。ほら、やってごらん」
ジャスティニアスに軽く背を押され、ケインは二、三歩進み出たが、不安そうな表情で振り返った。
「大丈夫だよ、例え、不合格だったとしても、死ぬことはないんだから。ちゃんと、もとの世界に送り届けてあげるよ。ただし、ここでの記憶は抹消させてもらうけどね。それだって、下界では、ほんの二、三週間の出来事にしか過ぎないんだし、時々一年分くらいの記憶が吹っ飛んじゃうこともあるけど、まあ気にしないで」
目を丸くしてでマスターを見つめるケインだったが、やがて、意を決したように、ゆっくりと進み、石で出来た剣の柄に、そうっと手をかけた。
(とうとうここまで来たんだ……! マスター・ソードがもらえるのかどうか、やっと……!)
(まさか、こいつも先が曲がってて、鍬になってるなんてことは、ないよな……?)
そのような思いを頭から振るい落とす。
(もし、抜けなかったら、レオンたちに何て……? その時は、もう一度、いや、何度でもここへ来ればいいんだ!)
心は決まった。
剣の柄を握る両手に、ぎゅっと力を込め、筋肉に緊張が走る。
大きく深い呼吸をした後、彼の瞳が強く輝くと、一気に剣を引き上げた!
「……!」
石の剣は、いとも簡単に抜けた!
その瞬間、石であったものは、ケインの掴んでいるところから、まるで氷の塊が溶けるように、本物の剣の姿へと移り変わっていった。
ただのロング・ソードに見えるその剣は、彼が今まで見てきたどの剣の刃よりも、美しく輝いていた。
ケインは剣を翳すと、言葉をも忘れ、しばらくその美しさに見蕩れていた。
「おめでとう、ケイン・ランドール。きみが、マスター・ソードの十五代目保有者だよ」
はっと我に返ったケインは、マスターを振り向いた。
少年姿のマスターは、にっこり笑っていた。
ほとんど動かなかった甲冑の騎士グレンリヴァーも、鎧を軋ませながら、ゆっくりと拍手をしていたが、手まで鎧ずくめだったので、鳴っていたものは、拍手の音とはほど遠かった。
「本当に……? 本当に、俺がもらっていいのか?」
やっと、状況が飲み込めてきたケインは、剣を握り締めたまま、ジャスティニアスとグレンリヴァーとを、交互に見た。
「僕が直接合否を告げるよりも、この方がロマンチックだろう?」
ジャスティニアスは、人差し指を立て、面白そうに言った。
ちょっと引っかかりはしたが、ようやくケインの顔にも、喜びの笑みがやってきたところで、彼がまたころころと笑い出した。
「実は、この剣が抜けるかどうかだけで良かったんだけどさ、ここんとこヒマだったからさー。いやあ、きみには、楽しませてもらったよ」
「……なにぃ?」
ケインの表情は一瞬で曇り、片方の眉が、ぴくっと動いた。
「それじゃあ、あの課題は? あの畑に咲いた変な花は? 全部、あんたの仕業だったのか?」
ふつふつと煮えて来た思いに任せ、彼の全身は、わなわなと震え始めた。
「おっと、誤解しないでくれよ。それを咲かせたのは、あくまでもきみだよ。きみは、赤い花に乗っかった黒いムシを潰してたけど、それは、きみの心の中の、いやな部分、目を背けたくなるような部分なんだよ。こんなものが自分の中にあるなんて、認めたくなかった、だから潰したんだろう?
だけど、そこから目を背けていても、それは完全に消滅したことにはならない。
自分には、あんな醜い邪悪な黒いイモムシの部分があるんだって、それも自分なんだって認めなくちゃ。本当に消したいんだったら、そこから目を背けちゃ駄目なんだよ」
ケインは、うなだれて、マスターを見た。
「他の花は? 悪口を言うのとか、鉄屑とか……」
「それをいちいち教えるつもりはないよ。全部わかっちゃったら、つまらないじゃないか。自分で考えるんだね。『自分とは何か』をね。
唯一言えることは、そうやってマスター・ソードを抜くことが出来た立派な正義の使者であるきみでさえ、自他共に認めるほど間違いのない完璧な人間というわけではない、ということだよ。必ず、どこかに欠点はあるし、限界もある。それをふまえて、今後行動することだね」
マスターである少年は、かわいらしい顔で、つけつけと言い放っていた。
「じゃあ、あの三つの魔石ってヤツは? あれも関係なかったのか?」
力なく、ケインが尋ねる。
「それがね、大いに関係あるんだよ」
少年は、わざと大真面目な表情を装って、ケインに顔を近付けた。
それを、ケインは、胡散臭そうに、横目で見た。
ジャスティニアスが、パチンと指を鳴らすと、彼のもう片方の掌に、ぼわぁっと、三つの鉱物が浮かび上がった。
黒、透明、白い色をした、あの三つの魔石であった。
「ドラゴン・マスター・ソードは、この三体の魔石によって、本来の力を発揮するんだ」
「ドラゴン……?」
ケインは、黙って、マスターの話に耳を傾けた。
「もちろん、このままでも魔物には有効だが、あまりに魔力の強いものは斬れない。この剣は、普通の人間が持つには、その力は、あまりに強大過ぎる。うっかりでも、間違って使ってしまえば、大変なことになるんだ。
だから、剣を手にする者には、正義を貫き、悪を倒していくことができる者と限定し、更にそれぞれの魔石に、マスター・ソードの力を分散して封印してあるんだ。その魔石も、きみたちの住む世界の物質とは、異なる物質で出来ているんだ」
ジャスティニアスの口調は少年のようであったが、表情は真剣であった。
それを、ひとことも聞き漏らすまいと、ケインの方も、真剣に耳を傾けている。
「三つの魔石に封印した力とは、ヒトの使う魔道の基本である白魔法と黒魔法、それ以外のところから取り出した力とがあるんだ。
神官や巫女の使う、治療、癒し、浄化を専門とする白魔法は、ホワイト・ドラゴンの力、攻撃、召喚魔法を中心とする黒魔法は、ダーク・ドラゴンの力が、それぞれ源となっている。
そのドラゴンたちを、それぞれ『白の魔石――パール・メテオ』、『黒の魔石――ダーク・メテオ』に封じ込めた。
そして、『光の結晶――ブライト・クリスタル』には、クリスタル・ドラゴンの持つ、白と黒の魔力とは別の発祥源、『自然の力』を取り入れた。
これが、対照的な存在である白と黒の力を中和させ、力を最大限へと引き出すんだ」
魔石は、三つともマスターの手から地面へと、ゆるゆると舞い降りた。
ケインは、グレンリヴァーの言った『我がマスターとは、人間界において、すべての魔力を支配する者』という言葉を、思い起こしていた。
「時間がないから、手早く済まそう。これより、三つの魔石の封印を解き、力を剣に注ぎ込む」
それまでとは打って変わった重々しい口調で、少年は言った。
ケインは、彼に促されるままに、魔石の前へと進み出ていた。
「それぞれの魔石に剣を突き立て、剣に力を解放する。それに必要な呪文が、剣を通して、お前の頭の中に流れ込んで来るはずだ。それを唱えるがいい」
言われるままに、ケインは目を閉じ、魔石の前で、精神を集中させた。
すると、マスターの言った通りに、ある呪文が頭の中に浮かび上がってきたのであった。
高鳴る自分の鼓動を充分に感じながら、その呪文を口にした。
「この世のすべての闇の源
ダーク・ドラゴンの意志よ。
我が偉大なる神の剣に、
共にすべてを解き放たん!」
黒い石は、途端に、ぼおっと黒い炎に包まれた。
「今だ、剣を魔石に打ち下ろすのだ!」
マスターの声と同時に、ケインはマスター・ソードを、炎に包まれた魔石に振り下ろした!
魔石から涌き起こる強風と共に、黒い半透明の炎は、巨大な西洋竜の形へと変貌し、まるで、雄叫びを上げながら暴れ狂う、生きたドラゴンのようだ。
と同時に、何かの強い力が彼を襲う!
「その力を吸収するのだ! 強靭な精神力で、ダーク・ドラゴンの力を抑えつけるのだ! 失敗すれば、お前の身も心も、闇の力に乗っ取られ、魔物と化してしまうのだぞ!」
マスターの声が聞こえる。
「なんだって!? そういうことは、早く言えよー!」
吹き荒れる黒い炎の中で、ケインは、邪悪とも感じられる波動を、無我夢中で制御にかかった!