白の魔石
改行、表現その他、読みやすく直しました。(2016.9.3)
「今頃、ケインのヤツ、神殿にたどり着いたかな」
孤児を預かる施設の調理場では、レオンが今日も村人から言付かった食料を届けに来ていた。
受け取ったリディアが、貯蔵庫へしまう。
「昨日、お爺ちゃんの水晶球を一緒に覗いてたんだけど、ケインがあの龍の谷に入った途端、白い靄に覆われてしまって、何も見えなくなってしまったの。あの水晶球と、私とお爺ちゃんの魔力では、そこまで見るのが、もう限界みたい」
気落ちしたように、リディアは言った。
「ケインのことなら心配いらねえよ。戦場でも危なかったことは何度もあったが、俺と同じで悪運の強いヤツだから、なんとか切り抜けてきたんだ。今回だって、きっと大丈夫さ」
いらぬ心配だと、レオンは声の調子を弾ませた。
だが、リディアの顔は、晴れなかった。
「私、ケインが行ってしまってから、毎日が憂鬱で、気が気じゃないの」
明るく元気だった少女は、一変して、しおらしくなってしまっていた。一六歳の彼女には、もともと少し大人びた雰囲気の上に、さらに微妙な憂いのようなものが加わり、それが彼女を年齢以上に見せ、また一層美しくも見せていた。
彼女のうつむき加減の横顔をじっと見ながら、レオンは慎重に尋ねる。
「それは、リディアの、魔道士としての直感か?」
「……それとは、多分、違う気がするの。私は、武道のことはよくわからないなりにも、ケインのことは、戦士としては、もう一人前なんだとは思っているわ。だから、そのことが心配なんじゃないの。……レオン、笑わないでくれる?」
はにかみながら、言葉を探るようにして、彼女は続けた。
「ちゃんと食事はとっているのかとか、夜はよく眠れているかしらとか、短気を起こして無茶をしていなきゃいいんだけど――ほら、ケインて、時々カーッと頭に血が上って突っ走っちゃうところがあるじゃない? そのせいで、余計な怪我をしたりはしていないかしらとか……」
「おいおい、リディア」
レオンは目を丸くして、まだまだ続きそうな彼女の言葉に、口を挟まずにはいられなくなった。
「それじゃあ、まるで、あいつが――」
「そうなの。私ったら、まるで、彼のこと、子供を心配する母親のように、しょうもないことまで気になっちゃって――。頼りない男だと思ってるわけじゃないのに、……こんなの、おかしいわよね?」
照れ隠しに明るい声を出す彼女を見て、彼の脳裏にふとよぎるものがあった。
(きっと、ユリアも、こんな風にやきもきしながら、俺の帰りを待っていたのだろう。三年も――いや、それ以上も、そんな思いをさせたままで――)
「どうしたの、レオン? やっぱり、私の言うこと、変だったかしら?」
不安げに彼を見上げるリディアの声で、彼は我に返った。
「い、いや……。待たされる方は、そういうもんなのかもなって、考えてたところだ。俺にはわからなかったが、リディアがそういう気持ちでいるのも、きっとおかしくはないんだろうな」
慌ててレオンは取り繕った。
安心したついでに、リディアはもうひとつのことを打ち明けようと、胸元に隠れていた銀色の、飾りのついたペンダントを取り出して見せた。
「これね、この間のいくさから帰った時に、ケインがくれたの。彼のことが心配でしょうがない時は、これを見て元気を出すことにしてるの。必ず無事に戻ってきてくれるって、そう思いながら……」
ぎゅっとペンダントの先を握り締めて、リディアは言った。
(ケインのヤツ、いつの間に。どうやら、あいつは、俺ほど不器用じゃないらしいな)
そんなことを考え、レオンは、リディアを微笑ましく見つめていた。
「芽が出てる……!」
ようやく土を掘り返し終わると、スタート地点あたりに、青い葉が生え始めていた。
ケインは、ほとんどの土を耕し終わろうとしていた。
それにしても、そこは不思議なところだと思った。
この地へ連れてこられた時から、日の出や日の入りなどはなく、風ひとつ吹く様子もない。時が移り変わっている気がしないのだ。
何日経過しているのか、実際は、まだ一日も経っていないのか、彼には全く見当がつかなかった。
空は雲一つなく、まるで夕方のようにオレンジがかり、下方に行くに連れ赤紫色のグラデーションになっている。
そればかりか、地面に影らしいものはないため、日が差していること自体が感じられないのだった。
「ここは、多分、異次元だ。俺がいたような地上とはどこか別の、――別の次元なんだ……!」
土地を耕すにつれ、そう考え、割り切ってからは、以前よりも地面を掘り返すことに集中している気がする。スピードも増していき、半信半疑で土を掘り起こすということはなく、ひたすら作業に専念するようになったのと、彼自身、自覚していた。
そうなるには、このような農作業でも何でも、とにかく何かしていないと、気が狂ってしまいそうだと感じられることが大きかった。
もし、このような場所に、並の人間が入り込んでしまえば、この何も感じられない世界の中で、既に発狂していたかもしれなかった。
例え、一五歳の少年と言えども、幼い頃から武道を身に付け、その武道の心得と共に、精神をも鍛えられてきたということと、これは、きさくな傭兵仲間やレオンと付き合ってきたことが大きいと思われるが、ケイン自身も基本的に楽観的であるのと、年齢を重ねるごとに培われていった根性のせいか、これまで発狂することなく土地を耕すに至ったと言えた。
「どんなものが咲くんだろう」
芽の出始めたところに屈み込み、ケインは、青い小さな葉を見つめた。
その彼の目の前で、芽は徐々に伸び始めたのだった。
「なんて、成長が早いんだ!」
呆気に取られているケインに構わず、芽は瞬く間に茎になり、青々とした柔らかい曲線を描いた葉を増やし、茎の先端には、ふっくらとした花の蕾が生っていった。
「どうやら花が咲くらしいな。俺の念で育った花ってのは、一体どんなものなんだろうな。正義感の強さなんて、どうやって花に現れるんだろう。……いや、これは、きっと、俺が実は平和主義だから、花が出来たに違いない! 現実にはない花なのかも知れない。グレンリヴァーは、俺の人格が作物に現れるって言ってたもんな」
微笑まし気に見つめていると、蕾がゆっくりと開き始めた。
ケインが思わず身を乗り出し、蕾に顔を近付けた。
先端が赤く染まっているところを見ると、花びらは赤いようだ。よじれをほどくように、巻かれているのとは反対奉公に花びらが開いて行く。
ケインは息を飲んで、その様子を見守っていた。
花はとうとう開き切った。
燃えるような赤い色をした花であった。
その中に、花でないものもある。
どす黒い色の、丸い玉がいくつも連なった、大きなイモムシだった。
「うわあっ!」
ケインは思わず飛び退き、思わず顔を覆って、地面に伏せた。
しばらくして顔を上げ、指の間から花へ目をやると――
「まだいる!」
イモムシは、大きく開いた花の上で、もぞもぞと動いていた。それがまた不気味さを募らせる。
彼は、決してムシが怖かったわけではなかった。自分の人格が、このような形で現れてしまったことに、非常にショックを受けているのだった。
「……なんなんだ、こいつは!?」
繰り返し呟く。
黒いイモムシは、彼を見ると、小さな赤い眼を攻撃的に光らせ、「シャアッ!」という声だか音だかを発し、本来のムシにはあるまじき牙を剝き出しにした。
それを見たケインは、よろめきながら、さらに後退る。
「な、なんで、こんな邪悪そうなヤツが俺なんだ!」
と、思わず、持っていた鍬のような剣で、ムシを花ごと潰した。
ムシも花も、しゅうっと白い煙に巻かれて、見えなくなった。
それから、また気の遠くなるような思いで、ひたすら作業を続けていると、畑の中心部に、何かが生え始めていることに気が付いた。
そこには、黄色い葉と茎をした花の蕾が、数本生えていた。葉の形も、赤い花との時とは違い、ぎざぎざしている。
今度こそ! という期待と、また変な花だったらどうしよう、と複雑な思いで、蕾が花開く瞬間を見届ける。
丸く白い花びらが開いていき、どうやら、今度はムシらしいものはいないとわかり、ほっとしていると、
『バカ』
ケインは、怪訝な顔で、もう一度、花を見る。
『バカ』
他の蕾も開き、やはり同じような言葉が聞こえてくる。
花はすべて咲き、それぞれから同じ言葉が繰り返され、まるで、彼に何か恨みでもあるかのように、言葉は叩き付けられていた。
花に黙る様子は無い。
剣を持つ手に、ぐっと力がこもるが、他に何の音さえも聞こえないこの空間では、例え、あまり聞こえのよくないその言葉であろうと、ないよりはましだった。
彼は溜め息をつくと、花のことは放っておき、離れたところで土を掘り返す。
花は、遠くで、まだバカバカ言っていた。
「どうやら、荒れた土地すべてに花が咲いたようだな」
いつしか、グレンリヴァーが、ケインのもとへ現れていた。
ケインは、身体も精神もすっかり疲れ切り、剣を抱えて座り込んでいた。
言葉を話す者があの白い花以外に現れたことは大変嬉しいが、喜ぶ前に、畑に出来たものに目をやると、一気に落胆してしまうのだった。
「花しか咲かなかったぜ。しかも、ロクなモンじゃない」
初めに出来た黒いムシ付きの赤い花は、何度潰しても同じ場所に生え、悪口を言う白い花は、今では『バカ』以外の悪口を言うようになり、緑色をした花びらに刺を持つものは、近くに出来た花を例え同じ種類であろうとも食い潰し、枯れたように茶色く皺になっている花の残骸も、最初からそのように生えてきたのだし、どう見ても植物の茎であるのに、そこから鉄屑や、魚の顔が生えていたり、他にも見ている者の気持ちを萎えさせるような花ばかりが出来てしまったのだと、ケインはぼそりと話した。
「そのようなものが出来たところで、判断なさるのは我が主人だ、所詮、お前のようなヒトの理解出来るものではない」
グレンリヴァーは、重々しい声で、平坦に返した。
「こんなんで、何がわかるんだろう。これが俺の象徴だなんて……」
消え入りそうな声で呟くケインに、グレンリヴァーは言った。
「少なくとも、全てに花が咲いたということは、お前が、真に世の中に平和を望んでいるということであろう」
「はあ、花ねえ……あんなの、花と呼べるんだろうか」
それには答えず、グレンリヴァーは、ケインが予期していなかったことを告げた。
「次の課題だ、ケイン・ランドール。ギガロスを使って、三つの魔石を入手してくるのだ」
一体いくつの課題があるのか、それさえも尋ねる気力もなく、従うしかない彼は、必要最低限のことだけを質問した。
「三つの魔石って何? それに、ギガロスって?」
「お前をここまで運んだ、あの巨大な飛竜のことだ。次なるお前の課題は、三つの封印された石を探してくることだ。ただし、それは、ここではない。また別の次元にそれぞれ分散されている。生身の人間では、到底、行き着くことは出来ず、また魔道士の力でも、滅多に見つけることは難しい場所にある。
ギガロスは、時空を越えることができ、我がマスターの厚意で、魔力を持たない人間でも操ることが出来る」
今度は、どうやら外に出ていろいろと動き回れるらしいと踏んだケインは、すっくと立ち上がると、その瞳には、それまでにはなかった強い光が浮かび上がっていた。
「その魔石って?」
彼の明るい声とは対照的に、グレンリヴァーは重々しく答える。
「ひとつは、黒曜石のような輝きを持つ黒く尖った結晶。ひとつは、澄んだ無色透明の結晶。そして、真珠のように白く輝く結晶。それぞれを、『黒の魔石――ダーク・メテオ』『光の結晶――ブライト・クリスタル』『白の魔石――パール・メテオ』と呼ぶ。我がマスターが事前にお隠しになったそれぞれを、必ず探すのが、お前の課題だ」
ピクッと、ケインの眉が動いた。
「ちょっと待て。『マスターが事前にお隠しになった』……だと?」
上目遣いで見るケインの目が、うさん臭そうに光っていたことは、言うまでもない。
「案ずるな。ギガロスには魔石の探知能力がある。お前もここに来る時、『彼』の身体の色が黒、透明、白と変化していたのを見ただろう。『彼』は、意思によって、身体の色を変えることができ、そして、魔石に近付くと、その魔石の色に代わり、輝き出す。しかも、我がマスターは、その魔石の在り処をお預けになった」
「魔石の在り処……だど?」
ケインは、疑わしい目を、甲冑の騎士に向けているままだ。
「時空を越えるトリ――いや、飛竜って言ってたから、ドラゴンの仲間なのか?――を貸してくれ、更に魔石のある場所まで教えるってことは、それらを取ってくるのは、よっぽど困難ってことか。化け物の巣の中に放り込んであるとか、深い海の底に沈めてあるとか……?」
「どうした? 怖じ気付いたか」
グレンリヴァーの声で、ぶつぶつ言っていたケインは、ふと顔を上げた。
「とんでもない。三つの魔石とやらを探しに行ってくるぜ! ところで、その石ってなんなんだ?」
騎士は、即座に答える。
「それは、取ってこられた後に、教えられよう」
「あっそ」
面白くなさそうに、彼を横目で見るケインであった。
ケインとグレンリヴァーは、初めに出会った場所へ来ていた。
そこには、ケインを龍の谷から運んだ、例のギガロスが、彼が最初に見た時と同じ黒い姿で、地面に降り立っていた。
グレンリヴァーから受け取った、魔石の在り処を記してある羊皮紙を服の中にしまい、ケインは、ギガロスの背に乗ろうとするが、巨大な翼竜は、突然両翼を大きく羽ばたかせ、彼を振り落とした。
「いてっ! もー、何だよ!」
もう一度、よじ登りかけるが、やはり振り落とされてしまう。
「この間は、運んでくれたじゃないか。なんで、今は駄目なんだ!」
「『彼』が背に誰かを乗せる時は、マスターの御意思か自分の意思。『彼』に認められたければ、常に平常心を保たなくてはならぬ。前回は、マスターの意思に従ったので、容易にお前を乗せたのだ」
「何っ、平常心!? ……あんたもさあ、そういうことは、早く言ってくんない?」
気を取り直してから、ケインは目を閉じ、気持ちを落ち着かせた後、再び翼竜の背に手をかける。
ギガロスは、今度は大人しく、彼を乗せた。
「よーし、いい子だ。じゃあ、行こう! まず最初は、ここから一番近いらしい『雪の祠』だ。『白の魔石――パール・メテオ』のあるところへ!」
と、ケインが前方を指差すが、ギガロスは翼を広げようともせず、彼を乗せたまま、その場にじっとしている。
「……あの、……飛んでくれる?」
少々弱気に頼むと、途端に、翼竜の翼は大きく広がり、羽ばたいた。
ケインを乗せたまま宙へと舞い上がり、彼の差した方角へ、勢いよく飛んでいった。
『彼』の首にしっかりと掴まり、ケインは、移り行く景色を眺めた。
「すごい! こんなにすごいスピードなのに、俺には、たいして風圧が伝わらない! 結界みたいなもので守られているのかな? すごいぞ、ギガロス!」
ギガロスは一声鳴くと、一層スピードを増し、『雪の祠』目指して、一直線に向かっていった。
途中、何度も、身体に違和感を感じた。
その景色にも、異様さを感じる。
何色とは言いがたい、実に様々な色がうねっている中を取っているような、また、それらとの自分たちとの距離感も、実に曖昧であり、ずっと遠くに思えていたのが、すぐ横に迫ってきたかと思うと、また遠くに思える時もある。
周囲をじっと見つめていると、目眩を覚えそうで、ケインは、いつの頃か目を閉じていた。
それが、グレンリヴァーの言う、時空を越えている時なのだと思った。
幾分、寒さを感じ、そうっと目を開いてみると、辺りは、真っ白な雪景色になっていた。
「雪が積もってる! いつの間に……!」
側を、白い、いくつもの線が流れていくように、彼の目には映っていた。
「そうか、雪が降ってるんだ。ギガロスのスピードで、雪が線みたいに見えるんだ」
と同時に、もし、このギガロスの結界で守られていなかったら、雪は身体に突き刺さるように痛かったに違いないと想像し、ケインは思わず身を震わせた。
雪の上に降り立つ。
さくっと、雪が、彼の足を包む。
白く変わったギガロスの背から降りた時、既に突き刺さるような寒さが、彼を襲っていた。
目の前の、雪で造られた枠のゲートをくぐる。
その先には、やはり雪で造られた洞穴がある。
鋭く周囲を見回しながら、洞窟の中へと、足を踏み入れた。
ぐるるるるるるる……!
獣のような唸り声がすると共に、一斉にいくつもの光る目が、ケインへと降り注ぐ。
「やっぱり、化け物の巣か。やってくれるぜ、マスターとやら」
ひとりケインは呟くと、腰に下げたロング・ブレードにゆっくり手をかけていく。
と、その時、光る目の群れから一際高い位置に、一対の目があることに気付いた。
その目は、ケインの身長の倍ほどもあるところに、移動していったのだった。
おそらく、他のものは座っていて、本来はその高さであったのだと、彼は知った。
それは、彼に向かって進み出ると、その全容が露になった。
巨大な白いサルーー彼には、そう見えた。
横幅はあまりなく、背ばかりが大きい、白い毛皮に覆われたサル。
彼らには、今のところ、戦闘を始めるような気配は、ケインには感じられなかったが、長剣の柄には、いつでも手がかけられるように気を抜いてはいない。
「俺は、ケイン・ランドール。ここにあるという白い魔石をもらいに来た。それだけなんだ」
巨大サルは、次々と立ち上がり、その姿を晒すと、周りに集まった。
皆、同じ顔をし、無言で、彼を見下ろしている。
それだけでも相当に威圧的であり、普通の人間ならば、恐怖におののいていたことだろう。
ここで逆上しては逆効果だ。そう踏まえ、ケインは、戦士としての感覚を、充分に研ぎすましていた。
すると、洞窟の中に、白く光る石が、目の前のサルたちや、ケインよりも、小柄で年老いているような手に抱かれているのを、サルたちの合間から見つけた。
「あれが、白の魔石……!」
サルたちの間をくぐり抜けようとすると、立ちはだかっていたサルたちが、さらに、進み出た。
「あの白い石なんだ、俺が探してるのは。それだけもらえれば、帰るから」
ケインは、年寄りのサルが抱えている石を指差し、サルたちに訴える。
洞窟の奥にいるサルは、石を更に抱きしめて、ケインを恐れているのか、怯えた顔で見ていた。
「困ったな。レオンがバスター・ブレードの時に出会ったっていうモベット族とは違うみたいだし……彼らみたいにヒトの言葉を操れるなら、話は早かったんだけどな」
しかし、このまま睨み合っていても仕方はない。通じているものかどうかはわからないまでも、ケインは、ゆっくりと語りかけてみた。
「その白い石は、きみたちの宝なのか? ちょっと訳あって、今の俺には、その石が必要なんだ。どうすれば、それを俺に譲ってくれる?」
小柄なサルは、怯えた目のままケインを見ながら、こわごわ口を開いた。
「……カ……ラ……、ター……カ、ラ……」
耳を澄ますと、そのように発音しているのがわかった。
「タ、カ、ラ……そうか、宝か!? やっぱり、それは、きみたちの宝なんだな!? その宝を、どうしたら、譲ってもらえる?」
年老いたサルは、怯える視線を、ケインの面から腰の剣へと移らせる。
「これか? これはだめだよ。レオンにもらった大事な剣なんだ。いつも俺のために鍛冶屋に特注で造ってもらってるんだ。何か他の物となら、交換してもいいけど……って言っても、食料はせいぜい干物とかだし、後は、薬とかで、たいしたものはないなぁ」
彼は剣の柄を手で押さえ、手を横に振って断る動作をし、荷物を差し出してみるが、サルは余計に石をかかえ込み、蹲ってしまった。
ケインの背後では、背の高いサルたちが、無言でこの状況を見守っていた。殺気は感じられなくとも、戦闘状態にならない保証はない。
このサルたちにとどまらず、それは、今後の魔石集めにも言えたことであり、そのような時のためにも剣をなくすわけにはいかなかった。
しかも、彼は、幼い頃から剣とともに生きてきた。片時も剣を手放すことなどなかった。傭兵である彼にとって、剣とは自分の命の次に大事な物と言える。
ケインは、しばらく立ち尽くしていた。
雪の中、寒さも極限に達し、後ろにいる三〇匹ほどのサルたちに迫られている緊張感も、頂点に達していた。
これ以上、この状態を保つことは難しいと焦る気持ちを抑えながら、頭の中で、冷静に考えをめぐらしていた。
「……そうだよな。きみたちの宝物をくれっていうんだから、俺にとっての宝を渡すのがスジってモンかもな」
ケインは柄に手をかけ、剣を抜いてみせた。
途端に、サルたちは一斉にざわめき始め、皆、警戒するように唸り声を上げる。
石を抱えているサルも、ますます怯えた目を彼に向け、洞窟の奥へと入り込こんでしまいそうな姿勢になる。
ケインが自分の方に刃を向け、剣を軽く放った。
年老いたサルは、ビクッと恐ろし気に、奥へ引っ込みかけたが、おそるおそる剣に近寄ると、手を伸ばして柄を掴んだ。
刃の輝きに見蕩れてでもいるのか、いつまでもじっと魅入っていた。
「あのサル族は、光りモンが好きだったのかなあ。剣を取られたままバトルになったりしたら、どうしようかと思ったけど、ま、代わりにちゃんと魔石と交換してくれたから良かったよ」
雪の中を再びギガロスの背に股がって飛んでいる時、ほっとした声で、ケインはギガロスに語りかけていた。
片方の腕には、サル族から受け取った白く輝く結晶を、しっかりと抱えている。
改めて眺めると、それは美しい石であった。
拳三つ分はある、丸みを帯びた乳白色の結晶は、ただ白いだけでなく、角度を変えて見てみると、虹色に輝いてもいるのだった。
「綺麗な石だなあ。マスターのヤツ、これで宝石でも造って、大儲けしようってのかな」
自分の独り言に、思わず吹き出した。
レオンからもらった剣をあげてしまったことは引っかかってはいたが、次の目的地へと、気持ちを新たにする。
彼は、ギガロスの首を、親しみを込めて軽く叩きながら言った。
「次は、光の結晶、ブライト・クリスタルだ!」
ギガロスは一声叫び、大きくカーブを描いて羽ばたいていった。
『なんと気楽なことか。人間にとって武器は命そのもの。それを渡す覚悟と、自分を正常に保っていられる限界値、相手の限界値を知った上での判断としては、ベストだったろう。奴は己を知っていると見える。
とはいえ、あのサルたちが、あのようにすんなりと魔石を渡してしまうとは。
奴には、自然と動物や他の種族が敵意がないことを感知させる何かが、備わっているということか。次なる挑戦も、見届けさせてもらうぞ』
白から透明に身体を染める翼竜に股がるケインを、遠目から見ていた瞳は、やがて閉じられていった。