二十歳の夜、揺れる境界線
沙耶を家まで送るだけのつもりだった。
でも、玄関先で「もうちょっとだけ話そうよ」と言われて、気づけば大和は沙耶の部屋に上がっていた。
家には誰もいない。
テーブルの上に置かれたグラスに、沙耶が静かにビールを注ぐ。
高校時代、沙耶が自分に気持ちを寄せていたことは、大和もわかっていた。けれど当時の大和は、別の誰かばかりを見ていて、沙耶の想いを半ば放置してしまっていた。
『大和が家まで送ってくれるって言ったとき、ほんの少しだけ、今日は一緒にいたいって思ってしまった。家の中には誰もいない。何かが起こるかもしれない……。緊張もしてた。でも……高校の頃、ずっと好きだった大和が、こうして私の部屋にいる。それだけで胸が張り裂けそうだった』
ソファに並んで座ると、沙耶がぽつりとつぶやいた。
沙耶「……私ね、大和のこと、ずっと好きだったんだ。マラソン大会で美園が言っちゃったけど、卒業までずっと」
大和「……知ってたよ。あまり触れないようにしてたけど」
沙耶「私の事、嫌いだったの?」
大和「そうじゃないけど……」
沙耶「じゃあ何で?」
苦笑まじりのその言葉に、大和は何も言い返せなかった。
ただ、大和はそっと沙耶の手を取っていた。少し触れただけの指先が、妙に震えていた。
ゆっくりと体を寄せ、顔を近づける。沙耶は驚いたように目を見開いた。
『え、大和、何するの? え……』
大和がそのままゆっくりと体を寄せてきて、沙耶は静かに目を閉じた。
唇が触れる。
一度、二度……気づけば、何度も、何度も重ねていた。
『心臓の音が大和に聞こえるくらいに暴れている。でも、嫌じゃなかった。むしろ嬉しかった。大和のキスは優しくて、どこかぎこちなくて』
何度も、何度もキスを重ねるうちに、唇だけじゃ足りなくなって、舌が触れ合った時は、もう息が止まりそうだった。
キスはさらに深くなり、舌と舌が絡まり合う。沙耶の髪や肌からふわりと立ちのぼる、石鹸のような香りと柔らかな肌の温もりに、大和の頭は真っ白になっていった。
甘くて、柔らかくて。彼女のすべてが、どうしようもなく愛おしくなっていく。
大和はそのまま沙耶を抱きしめ、さらに唇を重ねた。
『キスを重ねる内に、私の身体が熱くなっていくのが、自分でもわかった。大和の手が背中に回り、私を包むように抱きしめてくる。そのぬくもりが、あまりに優しすぎて。けれど……一気に、怖くなった』
「……大和、私……怖いよ……」
声が震えていた。大和に抱かれたい気持ちと、初めてを迎える怖さが、沙耶の心の中で激しくぶつかり合っていた。
耳元でささやかれたその小さな声で、大和はハッと我に返った。
大和「……さ、沙耶……ごめん……」
沙耶「ううん、いいの」
彼女は首を振り、かすかに微笑む。
沙耶「大和とのキス、嬉しかった。……ずっと好きだったから」
その笑みには、覚悟と迷いが入り混じっていた。
沙耶「でも、今日は……ごめんね」
沙耶は大和を拒んだわけではなかった。ただ、自分の中の“初めて”に、まだ踏み出せないだけなのだ。
『拒んだわけじゃない。大和に抱かれてもいいくらい好きだった。大和の優しさが嬉しかった。でも、あまりに突然だったから、心の準備がまだだった……』
大和はそっと、もう一度沙耶を抱きしめなおした。
その夜、二人はそれ以上のことはしなかった。けれど、確かに、沙耶との距離は一気に近づいていた。
それからだ。彼女が大和の前で、少しずつ大胆になっていったのは。
『あの夜から、私は少しずつ変わっていった。もっと近づきたいと思った。もっと、触れてほしいと願った。だから、時々ちょっとだけ意地悪した』
大和が家に来ているときに、あえてお風呂に入ったり、風呂上がりにタオルで髪を拭きながら、同じ部屋で着替えを始めたり。
そんな時、大和がこっちを見ていないふりをするのが、可笑しくて可愛かった。
ねえ、大和。
あのとき「怖い」って言った私に、無理やりにしなかったよね。あの優しさが嬉しかった。
……ねえ、大和。
そろそろ「待て」は、解除してもいい?
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