第五章
煙草を川に投げ捨てると、私は夜景に背を向け家の方へと歩いて行った。
実家は、葬儀を執り行った日中の熱気と喧騒とは打って変わり、夜の闇の中にひっそりと佇んでいる。その中で、ただ街灯の明かりだけがほんのりと明るく灯り、私の影を道路の暗いアスファルトの上に長く、そしてくっきりと映し出していた。
玄関を開けると、家の中は シン と静まり返っている。母も妻も、そして二人の子供達もとうに寝入ってしまった後だった。
私は、鴨居の時計に目をやった。
蛍光灯の明かりと、薄暗くくすんだ天井の陰との境となっている梁の上では、古びた振り子時計の鈍い銀色に光る振り子が、 カッチ、コッチ、カッチ と、左右に規則正しく揺れながら時を刻んでいる。
その針はもう、二時半を回っていた。
‥「今夜もまた、眠れそうにはないな」
私は独り、そう溜息を呟いた。眠れない夜がここ数日続いていた。
「同居しないか?」母に言った。
私と私の家族は、結婚後、両親とは別居して暮らしていた。
「親父が亡くなって、お袋だけの一人暮しでは寂しいし。それに、生活していくのにも不便で困るだろう」と、更に続けた。
私のその言葉に、母は黙って頷いた。
「但し …。」と、私は言った。
「同居するとしても、俺はこの家には戻りたくない。だから、別の場所に新しく家を建てよう。そこで、俺達と一緒に住むんだ」
正直私は、この実家がある町が好きではなかった。もちろん、あの素晴らしい夜景だけは別にしての事ではあったが。
なぜなら、ここは田舎過ぎた。
隣人達との人間関係が排他的な上に複雑で、ほかに娯楽も何の楽しみも無い田舎ゆえ、何かにつけては他人の生活に干渉してくる隣人達も多く、日頃の生活の中では常に、人の眼と他人の噂話がついて廻っていた。
そのうっとおしい閉鎖性が、ここに引っ越して来た小学生の頃から嫌で堪らなく、それが、私がこの実家には戻りたくなかった一番の理由だった。
しかしその一方で、父が必死に守ってきたこの家を捨てることには、正直、やはり抵抗はあった。
父のそれまでの想いを、“‥俺は裏切ることになる‥”との想いも強かった。
そしてあの、父が病院に搬送された夜、父が私に指し示した、【‥ 死を間近にして私に託した想い ‥】を、踏みにじることになってしまうこともまた、私の胸を悩ませた。
だがそれ以上に、この実家に帰って来るのに抵抗が強かったのも事実であった。
その一つの理由に、小学生になっていた私の長男を、他の学校に転校させたくはなかったということもあった。
彼は、早産による低体重児としての出生から、生後数か月を保育器の中で過ごした。そのため、成長に手がかかったためか、まあ恐らくは単に私の性格に似てしまっただけであるのだろうが、人見知りが激しく新しい環境に馴染み難いという特性が強かった。
しかも私自身が、過去に小学校を転校して非常に寂しく辛い思いをしたという経験から、より強くそう感じていたからだろう。
だから、そのためには手狭となっている、今私が住んでいる借家の近くに土地を求め、新しく家を建てる必要があった。
新しい家を建てる場所は、今住む家の直ぐ近くにすんなりと決まった。長男の通う小学校の学区も今と変わらず、今まで通り同じ学校に通うことができる。
また、建設資金の融資も長期のローンを条件に、何とか農協から借りることができていた。
新居が完成するまで、母は実家で一人暮しをしていた。
私は母を気遣い、車の運転のできない母のために時々実家を訪ねては、街まで食料品等の買い物にも連れて行った。
また母は、毎日、私達との同居生活に備え、実家の片つけをしていた。
母の手で片づけられる品々には、私がこの家に越して来てからこれまでの、家族と過ごしてきた時間を記憶する様々な想い出の品があった。そしてそれらの品々の中には、父との想い出の品も沢山見つけることができた。
その一品一品を手に取り見詰める時、父との楽しく、だが時には悲しく辛かった想い出が脳裏に蘇ってくる。母もまた、それらの品々を整理しながら、父や私とこれまで積み重ねてきた想い出を振り返り懐かしんでいるように見えた。
だからなのだろう、母はそれら想い出の品を手元に残し、新しくできる住まいに持っていくことを強く望んでいた。
だが私は、その品々がこれまで私達に与えてくれた想い出は胸の中に焼きつけ、これらの品は全て捨ててしまいたいと考えていた。
そう思う私に、母は初めは戸惑い反対をしたものの、やがてあきらめ、渋々ながらその考えを受入れたようであった。
私は、これから始まる新生活での、新しい家族としての新たな想い出作りこそが重要であると強く信じていた。だからこそ、それらの過去の想い出を纏った品々は、これまでの古い生活と決別するためにも、全て裏の畑で燃やしてしまった。
こうして、かつて私が両親らと暮らした実家の家の中からは、それまでの日々で積み重ねられてきた生活の匂いを感じさせる物は、何も残さず一切無くなっていった。
また、母は、父の墓参りを日課にしていた。
‥“[ 親父が、死に瀕した際の仕打ち ]に対する母の後悔の念からだろうか? ”‥
ふと、そんな風にも私には感じられるのだった。
‥「それは、この俺だって同じことさ…」
もう一人の自分が、心の中で囁く。
そう思うと、母もまた哀れでもあった。
「独りで過ごす夜は、寂しい …」
母は、頬に涙を流し泣きながら、時にそう、実家を訪れた私に訴えかけた。
「もう直ぐだよ」と、そんな時、私は母に言ってあげた。
母を伴い、新しい家の建築現場を訪れることもあった。
「ここが、お袋の部屋になる場所だよ」
そう説明する私の言葉に、母は嬉しそうに頷いた。
そして、父が亡くなってから一年後に、新しい家は完成した。
遂に、母と私の家族が同居し、一緒に暮らす日がきた。
家族の誰もが新居の完成を待ち侘び、同時に期待を胸に秘めていた。
「今日から一緒に暮らすんだよ。ここが、これからの新しい自分の家になるんだ」
母の引っ越し荷物を車に載せると、運転しながら助手席に座っている母にそう話しかけた。
「新しい家で、一緒に暮らせるのは嬉しいけど …、家を建てたことを親戚に黙っていていいのかい?」
「お墓を改修しただけで、あの騒ぎだったのに …」
実家の墓は、同居していた父の姉である伯母の夫が亡くなった時、それまであった墓地に父が建てた物であった。伯父の死が、私の家族がこの町に引っ越し、伯母と同居することになった理由だった。
その墓の墓石は、既に二十数年の歳月を経てかなり傷んでいた。大谷石を石材としていた事がその大きな要因だった。しかも伯父の家の姓で建立したものだったため、墓石に刻まれている姓は私の姓とは違っていた。その墓には伯父と伯母が安置されていたのだが、私の【家】では、父が最初の仏であった。その事もあって、私は墓を新しく改めることに決めた。
新しい墓は私の姓で建てることになったが、それは寺や墓石会社に相談の上での決め事でもあった。そして伯父の性が刻まれている古い墓の墓石は、新しく建立する墓所の一角に安置すれば問題は無いとのことであった。
墓地の改修は、父の亡くなった年の、秋の彼岸に完成した。
それは、その彼岸のある日、父方の親戚達が墓参りに来た時に起こった。
‥「古い姓を勝手に変えてしまって、いいのか?」
‥「これではまるで、墓を乗っ取ったようなものではないのか」
親戚の者達は、てんでに勝手な文句を言いながら、母を責め、そして詰め寄ったそうである。
私はその場にいた訳ではなかったのだが、後で母が悔しがりながら、そう訴えるのを聞いた。
後日、私は怒りを顕わにして、その親戚達に食ってかかった。
「勝手な事を言いやがって。お袋に謝れ …」
それ以来、私の彼等に対する思いは、これまでにも増して冷めたものに変わっていた。
「しかも今度は実家や田圃を捨てまでして、ここに来てしまった。大丈夫かい?」
助手席で揺られながら、不安そうにそう母は言葉を重ねた。
「大丈夫さ。組の人達にはきちんと挨拶をしたし。親戚にも追々話すさ」「第一、親戚なんて気にすることはないよ。自分らの世間体だけを、気にしているだけさ。所詮、親父が死んでしまったら、ただの他人さ」
「そんな事はないよ! 世間様とのお付き合いは大事だよ。自分が、これからはちゃんとやっていかなければならないんだからね!」そう、念を押すように母は言った。
「分かっているよ。組の人達との付き合いは大事さ。親戚とは何とか上手くやるさ…」
その時、私はそう答えたのだが、それは当然、母の言う通りであった。だが感情が絡まない、義理だけの付き合い。そういうことに、なぜか私は嫌悪を覚えた。自らの一匹狼的な感覚に、きっと自分は、『組織』には向かない人間なんだろうとも思う。
一人っ子として生まれ、そして同世代の友人達が持つ親に比べ、歳がいった両親に育てられてきた環境が、多分にその性格を形作ってしまったのだろうか。
私はある地方の県で、県職員として働いている。
大学を卒業し、勤め始めてからもう二十年の歳月が経った。
卒業後、故郷に帰り就職する事を希望していたが、ある事情から隣の県に就職することになった。ただ、そこに勤めていたのは一年間だけで、翌年、当初の希望通り故郷に帰り、公務員として勤務することになった。
実家から私が勤務するようになり、内心父は喜んでいるようであった。だが、顔には決して出さないことを私は知っていた。
私は遅くに産まれた子供だったから、既に両親はかなり年老いていたし、しかも一人っ子だった。
だから自然と、いつも両親、特に父の健康を気にするようになっていた。それがいつの頃からなのか考えると、多分それは就学のため家を離れ、東京に下宿した頃からのことだったと思う。
普段から父は、あまり体が健康だとは言えなかった。そのため、いつも私の頭の片隅には『‥父の死‥』、という無意識の思いが脅迫観念となってあった。そしてそれは、常に父の顔に纏わりついてもいた。
また、車を運転しながら対向車線に霊柩車を見かけた時、いつも私は、両手の親指を手の平の中に握りしめ隠した。
私が、そんな旧いタイプの人間であったことも、それに影響していたのだろうか。
現実としての『‥父の死‥』は、私にとって極めて深い悲しみであった。
しかし同時に、それは、常に私につき纏い、そして恐怖に満ちていた “‥父の死への不安‥”という脅迫観念から、私の心を解き放し、解放してくれたとも言えるのかもしれない。




