表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偲い(おもい)  作者: Eisei3


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/6

第四章

 父の死の後には、葬儀という名のセレモニーが待っていた。


 私は、“‥父の葬儀は、実家から出してあげたい‥"と思っていた。父が苦労して守ってきた家だったという想いからこそ、そう強く感じていたのだった。


 死の直前、父は家の周囲の片づけや傷んだ場所の修理、そして田圃や畑の石垣とそれに続く道なども手をかけ綺麗に整備し、気がつく限りの場所の修繕を行っていた。

 母に聞くと、最近の父の体調はかなり悪くなっていたようであった。亡くなる二週間くらい前から風邪をひき、熱のある体で無理をしながらも、一日中外での作業に没頭していたそうである。

 そして、亡くなる数日前の昼には、田圃の石垣の石を積み上げる作業の途中で、積みかけた石が突然崩れ父の胸に当たり、それが元でその夜に激しく咳き込み苦しんだという。

 何がそこまでして、父を突き動かし得ていたのか。


 またあの夜、父が救急車に運ばれる際に私に指し示した、座敷の床の間に置かれた金庫の中には、幾ばくかの現金と預金通帳、そして自分自身の葬儀の遺影用の写真までもが、『葬式に使う事』というその写真への裏書きとともに揃えてあった。

 自分に近づく死の瞬間を、日々の暮しの中で自ら悟り、それを覚悟していたというのであろうか。

 父の急を知り実家に駆けつけた夜も、父は母に、『私には、この事を知らせるな』と言っていたという。

 

 父は、私の家族との同居を夢見ていたのだろうと思う。

 私は田植えや稲刈りなどの農作業を、毎年父の側で手伝っていた。作業の合間に田圃の畔に座って休みながら、汗を流して働く私の姿を見る父の顔は、とても嬉しそうであったことを覚えている。

 休息のお茶の時間には私もそこに座り、父と並んで煙草を吸った。赤トンボが飛び交う秋の清々しい空気の中、お互いにかける言葉こそ無かったが、心の中は満足感で満たされていた。


 私達との同居生活を望みながらも、寄る歳と年々衰えいく体から、自分の死に、時が近づいていることに気づいていたのだろうか。

 もし同居が果たし得なかったとしても、いつか私が実家に戻りそこで生活し、そして田圃も引き継いで作ってくれる。そう信じて、父は最後の力を振り絞り、家屋と田圃や畑を整理し完全な物にして置こうとしていたのだろう。

 そこには、“‥後の事は任せる。お前には余計な苦労をかけさせないようにして置くからな‥”という、父の無言の想いが込められていると、私は受け止めている。


 死に際して、『私に知らせるな』と、父が言ったことも、“‥無用な心配を息子にはかけたくない‥ ”という想いがあってのことだったのだろう。

 ‥「親父は俺のことを、最後まで信じてくれていたんだ …」

 そう思う時、私は自分の胸が熱くなるのを感じるのだった。


 しかしその反面、私は自分が、父のその想いに応えることができていたとは、正直言い切れないでいる。いや、むしろ自分は父の想いを裏切り、そして踏みにじったと言うのが正しいのだと思う。


 両親との同居は常に頭の片隅に置きながら、私がそれを、実際の行動に移すことは遂になかった。

 あの田圃での農作業にしても、父の体が大変だろうという気持ちだけで、ただ何気なく手伝っていたに過ぎない。本音を言うとその時、もし父がいなくなったとしても、その後を引き継いで田圃を作ろうというまでの覚悟はしてはいなかった。

 

 そう、これまでの自分を振り返り改めて考える時、“‥俺は、親父の全ての想いを裏切り、踏みにじっていただけなのだ‥ ”と、強い自責の念に囚われる。


 ‥“なぜ、親父のその想いを分かってやれなかったんだ”‥

 ‥“独りで苦しんでいたのだろうか? 孤独だったろうに …”‥

 父が不憫で可愛そうに思えた。またその一方で、今更ながら自分の不甲斐なさがあまりにも情けなかった。

 ‥“こんな親不孝な俺が、親父の最後を迎えて、初めて親孝行の真似事をしようと思うなんて”‥

 自分の身の丈も解らずに、思い上がりにも程があった。ただ自分自身を、そう自嘲するしかなかった。

 ‥"せめて生きている内に、何かを …。さぞかし無念な想いだったろうに …… ”‥

 父を想う時、どうあがこうと、もう決して取り返すことができない絶望に、私はただただ後悔の念に苛まれるのだった。

 

 昔、父母と温泉へ、泊まりがけの旅行に行ったことがあった。

 ‥“あれが、最初で最後の家族旅行になってしまった … ”‥

 父と母、私と妻、そして二人の子供を連れ、私の運転する車で群馬県の草津温泉に行ったのだった。それは、私に次男が生まれた年の夏のことだった。

 家族で、色々な観光地を観て回った。とても楽しかった。

 父は、終始嬉しそうであった。私とその家族とで、こうして旅行に来ることができた。その満足感で一杯のようで、【家族】が全て揃い一緒にいられることが、何にも増して幸せと感じているようでもあった。


 ‥“やはり、俺達と一緒に暮らしたかったんだろうな … ”‥

 その時、草津温泉の湯畑の前で、家族全員で並んで写した写真が額に入れられ、今も私の住む家の鴨居の上に飾られている。


 父は毎年、四月の終わりになると、実家の庭先に鯉のぼりを毎日欠かさず上げてくれていた。私に長男が生まれた年に父が買ってくれたもので、それはとても大きく立派な青い鯉のぼりであった。

 旗竿を立て、また、節句が終わって旗竿を倒す時だけ、私も実家に手伝いに行っていたのだが、この行事は毎年雨の日以外、父が亡くなる年の四月までずっと続けられていた。

 それを上げる時の父の貌は、「‥俺にも、孫ができたぞ‥」と、言っているかのように誇らしげであったのを覚えている。

 父は、歳を取ってからできた初孫だっただけに、よほど嬉しかったのだろう。特に最初の孫が男の子であったことが、父のその喜びを一層大きなものにしていたのだと思う。

 

 私も休みの日には子供を連れ、その鯉が青い空に悠然と泳ぐ様を見に行った。その時の想い出は写真に焼きつけられ、今もアルバムの中に残っている。 私の長男も、時々その写真を引っ張り出してきて眺めては、祖父の記憶を手繰り寄せているようである。

 

 父との、その鯉のぼりの想い出として、今でも強く胸の中に残っている出来事がある。それは、父が亡くなった年の四月の終わりのことであった。

 私は父から、『鯉のぼりの旗竿を立てるから、手伝いに来い』という電話を受け、その週末に実家へ手伝いに行った。

 いつもの年の様に少しの作業の後、庭の片隅に旗竿が立ち上がった。父は早々、しまってあったタンスの中から取り出され、縁側に並べて置いてあった鯉のぼりと吹流しを旗竿に上げた。   


 一頻り、抜けるように透き通った青空の中に泳ぐ鯉の姿を眺めた後、父は誰に言うともなくこう呟いた。

 「これで、鯉のぼりを上げるのも、最後になるかもな ……」

 それを耳にした私は、父に言った。

 「何を言っているんだ?。そんな気の弱いことを …」

 しかし、そうは言ったものの、心の中に一抹の不安が過っていったのも事実であった。

 

 父が生前、母を伴い、別居していた私の家を訪れ、私達と夕食を共にしたことがあった。

 その際、日本酒の盃を傾けながら、「孫が小学校に入学するまでは生きていられるだろ

うか …。生きていたいものだが」と、父が口にしたことがあった。

 私の長男はその春、小学校の一年生となっていたが、実際に父が亡くなったのは、その年の夏のことであった。

 『死』というものに対する想い。命の儚さ。

 そう言っていた時の父の横顔を思い出す時、私は無性に悲しく、そして切ない気持ちに囚われるのである。



 葬儀には、普段つき合いの無い遠い親戚や、生前の父を知る沢山の弔問者が訪れてくれた。それを目の当たりにして、改めて父の人柄や人望について知らしめられた。

“思慮深く、温情のある人だった ”


 だがその一方で、喪主として忙しさに追い立てられる頭の片隅で、私は思っていた。

 ‥“これはセレモニーなのだ。生きている人のための、()()のセレモニーなんだ”‥、と。

 ‥“父の死を本当に悲しんでいるのは、自分だけなんだ … ”‥

 だが、父の死を悲しみ、そして悼む間が、私に与えられはしなかった。ただの雑用が私の事を後ろから、次から次へと追い立てていた。

 私は独り、孤独だった。

 ‥“果たして、これでいいのだろうか? ”‥

 死者に対する想い、そして安らかにあれという願い。私は、自分の頭の中のどこかで冷めた眼をして見ている、もう一人の自分の姿を意識していた。


 生前、父が言っていたことを、私は思い出した。

 ‥「俺が死んだら葬式はいらんぞ。骨はな、海にでも流してくれ」

 夕餉(ゆうげ)の食卓で、一升瓶を傾けガラスのコップに注いだ日本酒を飲みながら、父は私によくそう言っていた。

 その言葉を聞いた当時、まだ若かった私は、それはただの父の軽い冗談だろうと受け流してはいた。

 だが父が亡くなった今改めて思うと、昔、同居していた実の姉の葬儀で、その伯母の婚姻関係がかなり複雑だったため酷く難儀した、という父の経験からの言葉だったのだろうかとも思う。

 今だからこそ私が感じ得る、この矛盾にも近い感情を、父もその時感じていたのだろうか。

 

 何れにせよ、理由が定かではなくとも、そこには、“‥息子に苦労をかけたくない‥”という、父の想いもあるようにも思う。

 そう思うと、父の優しさが胸に込み上げ、一層、父の事が不憫に思えるのである。


 人は独りで、何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにまた一人旅立って行く。昔どこかで聞いたことがあった言葉を私は思い出す。

 人生は儚く、そして孤独だ。死ねば当然、全てが無に還る。

 この世には、【永遠】なものなど存在しないのかも知れない。ただ、死者へ寄り添い想う偲い(おもい)だけが、生きている者の心の中にのみ残っていく。

 私もまた、自分を育て、そして沢山の想い出を遺してくれた父の人生そのものを、胸の奥にそっと仕舞い込んだ。

 


 ‥“形見になってしまったな… ”‥

 私は左腕のシャツの袖を捲り、そこに嵌めた金色の腕時計に目をやった。それは昔、私が父に買ってあげた四角いスイス製のクヲーツ時計であった。

 父はその時計を、死の瞬間まで腕に嵌めていた。救急車で病院に運ばれた夜も、救命措置のため看護師が時計を外そうとしてもそれを拒んだという。


 母から聞いたことがあった。

 ある初夏の日、父はその時計を、田圃での農作業中に水田に張られた水の中に落としてしまった。時計には日常生活防水の機能が備わってはいたのだが、運悪く時計の内部に水が入ってしまい、時計は動きを止めてしまった。

 “もう直せないのではないか?”と、その時、その時計を見た母は思ったという。

 しかし、父は諦めることなく、近隣の何件かの時計屋を廻り、かなりのお金をかけてそれを修理した。しかも私にはこのことを、その後一度も言うことはなかった。

 父は言っていたという。

 ‥「この時計は、これは、息子が就職して初めて貰った給料で、俺に買ってくれたんだ。大事な時計なんだよ」  

 私は、この話を母から聞いた時に思った。

 ‥“親父は、俺の事とこの時計をダブらせて見ていたのかもな。最後まで、同居して一緒に住んでやることはできなかったが、いつか、俺達家族と一緒に住むことを想っていたのかもしれない… ”‥

 ‥“だが俺は、親父の期待も、そしてその想いも全て踏みにじってしまった… ”‥

 父に対して、“すまない …。”という想いが湧き上がり、心の中に父の貌が浮かんだ。

 私は心の中の父に、黙って頭を下げた。


 また、その時計には、ある【曰く】があった。

 病院で、看護師の手によって死後の遺体の清拭が済んだ後、父は物言わぬ体となって実家に戻ってきた。

 通夜葬儀と滞りなく無事に済んだある日、その時計が無いことに私は気づいた。

 直ぐ病院に問い合わせて見たのだが、そこにも時計は無いとの返答であった。病院には、もし時計があったら、こちらに連絡をして頂けるようお願いをしておいた。

 葬儀等の混乱に紛れ、時計がどこかに仕舞われてしまったのではと思い、私は改めて家の中を捜してみたのだが見つけることは遂にできなかった。母にも、そして妻にもそのことを尋ねてみたのだが、その所在はやはり分からないままであった。


 そして日が経ち、父の四十九日の法事を執り行う日になった。


 その日の早朝、実家の電話が鳴った。

 「… もしもし」

 「おはようございます。……総合病院の庶務課の小嶋と申しますが」

 父が入院していた病院からの電話であった。

 ‥“入院費は全て支払ったはずだが…”‥ 私は電話を受けながら、内心そう訝しく感じていた。

 「実は、過日お願いされておりました腕時計の件ですが。時計が見つかりました。当方の医療用機材に紛れ込んでおりまして、大変申し訳ないことを致しました …。こちらで保管してありますので、取りに来て頂けませんでしょうか? …」

 その言葉に()()とし、一瞬、私は息を止めていた。

 「時計が …、腕時計がありましたか⁉ 分かりました、直ぐ取りに行きますので!」

 受話器を置くと、そのまま病院に向かった。


 病院の受付で腕時計を受け取ると、駐車場で日に翳して時計を見た。

 それは確かに父の時計だった。文字盤の下の方に田圃に落とした時の水のシミだろうか、変色した痕が少し残ってはいたが、時計は正確に今の時刻を刻んでいる。

 大きく胸一杯息を吸ってから、また小さく溜息を吐くと、私はその時計に心の奥底からの言葉をかけた。

 「親父。家に帰りたかったんだな!」

 「これで本当に家に帰れるんだ。待たせたな、……」


 家に帰ると、母に言った。

 「四十九日の法事の日に、家に戻って来るなんて …。きっと、この時計には親父の想いが宿っているんだよ」

「大事にしていたものなぁ」

「『良い時計だ』と、修理の時、時計屋に言われたと喜んでいたんだよ」

 私の言葉を受け、母もそう言葉を続けた。

 「四十九日は親父の霊が仏に成るため、あの世へと旅立って行く日だからな。これで親父はやっと、家に帰れたんだ …。俺も安心したよ」

 「不思議な事もあるものだね…」

 母は、腕時計を手に取ると、感慨深げにそう言った。その姿はどこか、父との昔の想い出に気を巡らしているかの様でもあった。

 

 だからこの出来事があって以来、形見というだけでなく、この時計は父の分身として、私にとって特別な物となっている。

 いつも父が左腕で、自分のことを見守ってくれているように思えるのである。


 そしていつか、この時計を私も息子に譲ろうと思っている。

このエピソードの文字数5,786文字



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ