表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偲い(おもい)  作者: Eisei3


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/6

第三章

 それは、突然何の前触れも無く、不意に訪れた。


 翌朝早く、私は妻とともに病院を訪れた。


 病室に向かう廊下の角を曲がる。目の前の父の部屋からは、昨夜とは異質な空気が放たれ、部屋の前の廊下を重いベールを纏った空気で覆い尽くしていた。

 病室からは、忙しく立ち働く看護師たちが出入りを繰り返している。

 

 看護師たちが出入りするドアから遠慮がちに部屋の中を窺い見ると、中では何人もの看護師がベッドの周りを慌ただしく動き回り、父はベッドに横たわったまま、ベッド脇に置かれた機械から伸びる何本ものコードに繋がれていた。

 心電図の ピッ、ピッ、ピ と甲高く響く音が耳に鋭く突き刺さり、器具の カシャ、ガシャッ と擦れ合う音に看護師たちの声高に話す声やその足音が、渦巻き反響し合いながら部屋の中を包み込んでいる。

 だが私の目には、その父の姿は昨夜のまま、ベッドの上でただ安らかに眠っているようにしか見えなかった。

 

 「何が⁉ …」

 私はそう呟くと、妻と病室に入って行った。だが、そこにいる看護師たちは、まるで私達のことを気にする素振りも見せず、目の前の仕事に没頭している。

 病室の片隅では母が、茫然とした様子のまま突っ立っていた。私は母に近づき、耳元で大きな声で聞いた。

 「どうしたんだ⁉」

 「それが、…。今朝早く、…。急に …。悪く …。…」

 途切れ途切れに、そう母は言った。

 「何だって⁉ しっかりしてくれよ!」「電話くらいしてくれても良かっただろうに‼」

 私はそう捲し立てた。

 「… 先生が、お前に言いたい事があるそうだが、…。」

 苦悶の表情を浮かべながら、母はかろうじてそれだけを言った。

 ‥ “ 先生が、俺に?。何だ … ”

 父の容体が、ただ事でないことは既に察していた。だが、昨夜応急処置をしてくれた後、当直医の女性の先生が言った言葉が脳裏に浮かんだ。

 ‥「大丈夫でしょう」‥

 それに、夕べ父は落ち着きを取り戻していたし、意識もあったではないか …。

  “ ‥暫く入院して静養すれば、元気になるさ‥ ” そう私自身思ったことも、今し方、ほんのついさっきの出来事だったような気がする。

 ‥ “ それが …。どうして?。… ”

 

 部屋の隅で唖然と立ち尽くしていた私に、年輩の看護師が近づき、呼びかけた。

 「患者さんの息子さんですか?」

 「…、はい。」

 「先生が、急いでお話したい事があるそうです」「よろしいですか?」

 「…。」

 「お母さんにも先刻、先生からお話したのですが、話の途中で取り乱されて。こちらの意思が伝わったのか、先生も心配されていまして …」「それで、話が解る方に、もう一度お話をしたいとのことです」

 「お話を聞くことができますか?」


 脳裏に、再び死神の姿が過った。しかもそれは、ゾッ とするほど冷酷な貌をしていた。


 「… はい、お願いします」

 頭が既に、今起きている事の全てを悟ってしまっているかのようであった。

 心臓が高鳴り、体の震えが止まらなかった。心に開いてしまった穴の中を、冷たい風が吹き抜けていった。


 その看護師に、ナースステーションまで案内された。

 部屋に入ると、白衣を着た医師が重い表情(かお)をして私を招いた。それは昨夜の医師とは違う、五十絡みの男性の医師だった。

 奥の小部屋に案内される。そこは、机の上に書類や本が乱雑に置かれた、とても狭苦しく、しかも薄暗く陰湿な雰囲気の部屋だった。

 その部屋の暗い雰囲気も重なり、既に私は、とても真剣な話を聞くことができるような心持ちにはなかった。


 医師は、看護師が部屋を出て、私と二人切りになると言った。

 「患者さんのご家族の方ですね? … 息子さんですか?」

 「はい。息子です」

 私は頷きながら、そう答えた。

 「お父さんの担当医の、薬袋(みない)です」

 「お母さんにも先ほど、お父さんの病状について同じ事を説明したのですが …」「話の途中で大変取り乱されてしまって …、盛んにどなたかの名前を、もしかすると息子さんの名前ですか? 《ツヨシさん》と、口にされていましたが」

 「はい。私の名前です」

 「… そうでしたか …。」

 医師は瞬きして小さく溜息を吐くと、話を続けた。

 「こちらの話の意図が、お母さんに正確に伝わったのか心配でしたので …」「改めてお話させて頂きます。それでは。…」

 

 薬袋医師は姿勢を正し、身構えた様子だった。

 体中に、重苦しい緊張感が走った。

 「お父さんの容体ですが、既に意識はありません。恐らく、もう意識は戻らないでしょう」 

 「結論から言わせて頂ければ、既に手遅れの状態です」

 「元々、肺気腫を患っていたと思いますが?」


 ヘビースモーカーであった父が、ある日突然、煙草を止めたことが思い出された。日頃、近くの個人病院に通っていたことも知っていた。


 「かなり体に無理をされたようです。風邪から肺炎を併発してしまったのでしょう …。既に、自分で呼吸をすることができない状態です」

 「今は酸素吸入で辛うじて自己呼吸が保たれていますが、…。後は、時間の問題でしょう」


 ここ最近、父が家の周りの片づけや、田圃と畑、そしてそれらに繋がる道の補修を懸命にやっていたことが思い浮かんだ。

 「無理が重なったのだろう …」私は小さく首を振り、目を伏せる。


 「お父さんの病気を治療する方法は、もうありません」医師はそう断言すると、話を続けた。

 「ただ、 “ 延命措置 ” として、人工呼吸器を装着することが考えられます。但し、お父さんの意識が戻ることはもうありません。つまり、これが上手くいっても、植物状態になるということです」

 「この意味が解りますか?」

 私からはもう、完全に思考力が失われていた。

 「… はい ……。」瞬きを二、三回繰り返してから、私は半分無意識にそう頷いた。


 医師は、更に続けた。

 「ですが、最悪、人工呼吸器を装着した瞬間、心臓がその負荷に耐え切れずに止まってしまうことも考えられます。このことをも覚悟して置いて下さい」

 「そのため、ご家族の方の同意が必要になります」

 「 “ 延命措置 ” を希望されますか?」

 医師は私の眼を見詰めると、押し殺すかの様にそう尋ねた。


 ‥「もう助からない」「親父が死ぬ … 」頭の中を、そう同じ言葉がぐるぐると巡り続けている。


 「どうされますか?」医師は再び、問い質す様に言った。

 ‥“ 延命措置 …。何れ助からない。… 植物人間 … ” “ 親父 … ” “ 昨夜の先生は『大丈夫』だと言ったのに …。何故? ”

 顔を伏せ目だけを泳がせたまま、ただ時間だけが空しく過ぎてゆく。

 ‥“ 俺は、どうすれば …… ”


 「… 時間がありませんが。…。 “ 延命措置 ” を、希望されますか?」静かに、そしてゆっくりと、医師の最後の念を押す言葉が、そう私に向かって掛けられた。

 「はい …、お願いします。全てお任せしますから …」

 薬袋医師は私のその言葉を確認すると、小さく頷き、そのままナースステーションへと消えていった。


 私は放心状態のまま、その場に独り取り残されていた。

 その私の傍らでは、黙って私と医師の会話を窺っていた死神だけが、血潮で紅く血塗られた鎌首を頭上に擡げ舌なめずりをしている。勝ち誇った貌で。

 

 数分の後、椅子から立ち上がると私はよろよろと、父の病室へと向かい歩き出した。



 病室には既に、人工呼吸器が準備されていた。

 機材と医師や看護師たちで部屋は溢れ、私と妻、そして母も病室から廊下に弾き出されていた。

 死に臨もうとする、父の傍にいてやることができなかった。私達はただ、廊下で部屋の中を窺い見ていることしかできなかった。


 やがて、病室の中の動きが、一際慌ただしくなっていった。看護師が何人も出入りを繰り返し、大声で喚き合う声も聞こえる。


 そして間もなく、病室の中の動きが静かになった。


 薬袋医師が、左腕の腕時計を見ながらゆっくりと部屋から出て来ると、一息、息を整えた後、静かに告げた。

 「午前七時二十六分、ご臨終です」

 「やはり、心臓が耐えられませんでした。電気ショックも試みましたが、鼓動は回復しませんでした。残念です …」

 医師は頭を深く下げそう言うと、私達に背を向けナースステーションに戻って行った。看護師たちも機材を片手に、私達の前を顔を伏せながら去っていく。


 私は、妻と母を伴い病室に入って行った。病室の中は機械が全て停止され、昨夜と同じ、元の静寂な空気が満たす部屋に戻っている。

 静まり返った中に、父だけがベッドの上に寝ている。その貌は、相変わらず静かに眠っているだけのようだった。父は眠ったまま、永遠の眠りへと旅立っていった。

 父の手はまだ温かく、生きているかのようでもあった。

 「お父さん …⁉」

 母がベッドの上に泣き伏した。妻も唖然と、ただ立ち尽くしている。

 父のあまりにも呆気ない、突然過ぎる死に、私の胸には悲しみの感情すら沸いていなかった。ただうな垂れているしか、ほかに術は無かった。

 結婚後、父と同居してやれなかった後悔の念だけが、なぜかその時胸を過った。

 「親父 …。」

 それだけ呟くと絶句した。それ以外の言葉が頭の中のどこにも見つからず、口からは何も出てはこなかった。気持ちだけがただ空しく カラカラ と、心の中で空回りをしていた。


 死神が、尊い犠牲者となった父の魂を脇に抱え、真っ赤な鮮血をその鎌首から滴らせながら、悠然と病室の窓から天空に向かい飛び去っていった。

 その口元に、残酷で、そして残忍な薄ら笑いを貼りつけながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ