第八話【水の巻・闇】国名を貪る狂気と女王の悲しき肖像
「地の巻」の鍛錬を終え、心身ともに成長したカイルは、しかし新たな壁に直面していた。
それは、この国の象徴であり、最大の敵である彼の母 女王ハイシティそのものの狂気だ。
『カイル、シャドウ・キャットとの初戦はよく凌いだ。だが、奴らは単なる猫だ。
問題は、奴らを操り、お前の母上を洗脳している「深淵の目」の連中だ』
俺武蔵猫は、カイルの肩の上から、豪華絢爛だがどこか不気味な女王の執務室を覗いていた。
部屋の奥では、女王ハイシティが虚ろな目で玉座に座り、侍従たちが次々と高価な貢ぎ物を運び込んでいる。そのすべてが、隣国のカルト教団へと流れる「献金」だ。
カルト教団はその金でミサイルを作っているのだ。
「武蔵、お母様がどうしてあんな風に変わってしまったのか、もっと深く知りたいんだ。
お父様を裏切り、国名を自分の名前に変えるなんて。
あの人に、本当に心があったのか、最近はわからなくなる時がある」
カイル王子はうつむきながら言った。
『五輪書「水の巻」には「相手の心をよく見て、その心を知る」とある。
敵を憎むだけでは勝てない。敵がなぜ、そのようになったのか。
その「流れ」を知るんだ』
俺は「千の目」の猫たちに指示を出し、
女王の過去に関する情報を集めさせた。
そして、数日後、黒鉄が古びた絵画をくわえてカイルの部屋に現れた。
「ニャ(大将、これを見てくれ。王宮の最深部、誰も入らない地下の物置から見つけてきたんだ)」
その絵は、かつての『ストーン王国』の王妃ハイシティを描いたものだった。
絵の中の彼女は、今の傲慢な女王とはまるで違う、知性と慈愛に満ちた美しい女性だった。
ストーン王と寄り添い、幼いカイルを優しく抱きしめている。
「お母様だ。僕が小さかった頃の、本当のお母様だ……」
カイルの目から、涙がこぼれ落ちた。
絵の裏には、ストーン王の筆跡で、こう書かれていた。
『愛するハイシティへ。君のその清らかな心は、この国の何よりも尊い宝だ。
どうか、その光を失わないでくれ。 ストーンより』
『カイル、ストーン王は、お前の母上の「美しさ」と「清らかさ」を愛していた。
だが、その「清らかさ」が、カルト教団につけ込まれた弱点だったのかもしれない』
「弱点……?」
『そうだ。五輪書「水の巻」には、水が「柔軟に形を変える」とある。清らかな水ほど、毒を混ぜればたちまち汚染される。教団は、お前の母上の「純粋さ」を逆手に取ったんだ。民を救いたい、国を豊かにしたいという願いを、自分たちの教義にすり替えた。そして、ストーン王を「聖なる計画の邪魔者」と仕立て上げた』
俺は絵の隅に描かれた、女王の指先が触れている王冠を指差した。
『そして、国名を『ハイシティ王国』に変えたのは、女王の「強欲」からではない。
教団が彼女に「お前こそが神に選ばれし者、この国を救う真の光だ」と囁き続けた結果だろう。
自己肯定感が低い人間ほど、他者からの承認欲求に飢え、それが歪んだ形で表れる』
その頃、女王ハイシティの狂気は、さらに加速していた。
彼女は毎夜、隣国の司教から直接届けられる「魔香」を吸い、
自らを「女神」と称する幻覚に囚われていた。
「我こそは、この大陸を統べる真の光お母様! このハイシティの名こそ、永遠に輝く王国の証!」
彼女の脳裏には、ストーン王が自分を蔑んだ幻影が焼きつき、カルト教団の甘言だけが真実として響いていた。
だが、その魔香の影響で、彼女の肉体は日に日に衰弱していた。
執務室の片隅で、医者が司教に密かに耳打ちする。
「司教様……女王陛下の生命力が、限界に達しています。
このまま魔香を与え続ければ、あと数ヶ月と……」
「構わぬ。女王は我らの「聖なる依り代」だ。用が済めば、次の依り代を用意するまで。
それよりも、最近王宮の猫たちの動きが活発だ。
特に、あの黒猫……無能王子の周りを嗅ぎ回る、あの獣を警戒せよ」
司教は、俺の存在に明確な疑念を抱き始めていた。
「水の巻」は、柔軟な思考で敵の心を読むことが重要だが、同時に「透明な水」のように自らの存在を隠すこともまた肝要なのだ。
俺はカイルに、女王の絵の真実を伝え、彼女が単なる悪人ではなく「被害者」である可能性を説いた。
「お母様も、苦しんでいたんだね……。僕が、僕が助けなきゃいけないんだ!」
『その通りだ、カイル。敵の心がわかれば、攻撃の仕方も変わる。
憎むべきは女王ではなく、女王を操る「深淵の目」の連中だ。
水の巻の極意、「器に従って形を変え、淀まずに流れる」兵法を学ぶぞ』
「どうすればいいの、武蔵?」
『司教の魔香の正体はわかった。
次は、その魔香がどこで作られ、どうやって王宮に運び込まれているのか。
その「水の流れ」を断つ。
そして、教団が民衆を洗脳するために使う「深淵の目」の儀式に潜入する。
お前の「千の目」が、真価を発揮する時だ』
カイルは絵の中の優しい母の顔を見つめ、静かに頷いた。
憎しみではなく、悲しみを知ったカイルの瞳は、より深く、力強い輝きを放っていた。
「僕が、母様を救う。そして、この国をストーン王国だった頃よりも、もっと素晴らしい国にする。武蔵、力を貸して!」
『任せとけ。ただし、猫の手も借りたいほど危険な潜入になるぞ。
お前の「水の巻」の真価、見せてもらうぞ』
女王ハイシティの狂気は、彼女自身の悲劇が生み出したものだった。
その真実を知った王子と猫は、国を蝕むカルトの根源へと、深く深く潜入していく決意を固めた。
TBC




