第七話【地の巻・鍛錬】猫は師なり。王子、限界を突破せよ
「地の巻」の最終段階は、己の肉体と精神の「器」を広げることにある。
情報を集め、法を逆手に取る術を覚えたカイルだが、最後にモノを言うのは、土壇場で踏ん張るための体幹と、迷いなく決断を下す胆力だ。
『……おいカイル、いつまで寝ている。太陽はとっくに登っているぞ。三代目ダメ社長の俺が、倒産間際に学んだ唯一の真理は「心身が不健康なリーダーに、組織は救えない」ということだ』
俺武蔵猫は、カイルの寝首に鋭い爪を一本立てた。
「ひゃっ!? 武蔵、まだ朝の四時だよ。それに、昨日のベルナルドさんの救出作戦で、体中がバキバキなんだ……」
『甘えるな。兵法者は「いついかなる時でも平時の心」でなければならん。五輪書「地の巻」の結びには「朝な夕なに励むべき道」とある。ほら、裏庭へ行け!』
朝日が差し込む前の、薄暗い西離宮の裏庭。
そこには、俺が指示してカイルに集めさせた「修行道具」が並んでいた。
水で満たした重い桶、細い丸太、そして木剣。
「武蔵、これで何をするの? 騎士団の訓練とは全然違うみたいだけど」
『騎士団の訓練は「集団の一部」になるためのものだ。
お前が目指すのは「個にして全」。
猫の動きを取り入れ、敵の死角へ滑り込み、一撃で状況を覆す「猫流・五輪法」だ。
まずはその丸太の上で、桶を抱えて立て』
「ええっ!? この細い丸太の上で……?」
カイルはおっかなびっくり丸太に乗るが、水桶の重さに振られ、一瞬で地面に転げ落ちた。
「無理だよ、こんなの! バランスが取れない!」
『無理ではない。お前の「中心」が定まっていないだけだ。
経営も同じだ。資金(水)の流れに振り回されるのは、経営者の軸がブレているからだ。
見ろ、黒鉄を』
壁の上で、黒鉄が微動だにせず座っていた。
その背筋は驚くほど真っ直ぐで、尻尾一つ動かさない。
「ニャ(王子、重心は腹の下だ。そこさえ動かさなけりゃ、世界が揺れてもお前は揺れねえぜ)」
『いいか、カイル。猫は高い場所から落ちても必ず足から着地する。
それは「柔軟な体」と「揺るがない中心」があるからだ。
お前も猫になれ。いや、猫の精神をその身に宿せ!』
それから三時間。
カイルは泥にまみれ、何度も転びながら、次第に丸太の上で静止できるようになった。
だが、特訓はそれで終わりではない。
『次は「経営(国政)」の講義だ。息を整えながら聞け』
「はぁ、はぁ……。う、うん。何……?」
『お前が取り戻すべき「ストーン王国」のブランド価値は何だ?』
「ブランド価値? 誇りのこと? それは……お父様が大切にしていた「誠実さ」かな」
『「誠実さ」だけじゃ飯は食えん。五輪書「火の巻」の予習だ。
敵……ハイシティ女王は「恐怖」という商品を売っている。
対するお前は、民衆に「安心」と「明日への投資」という商品を売らなければならない』
俺は木剣の先で、地面に図を描いた。
『今、この国から資本(金と人材)が逃げ出している。
司教たちの圧政という「高いコスト」を払わされているからだ。
お前が王になった時、真っ先にやるべきは「コストカット」じゃない。
「再投資」だ。
猫のネットワークを使って集めた情報を、民の商売に還元しろ。
情報こそが、金よりも重い資本になるんだ』
「情報を……民に返す?」
『そうだ。どこに需要があるか、どこの道が安全か、どの商人が信頼できるか。
猫たちが集めた情報を、お前が「王の知恵」として民に授ける。
そうすれば、民は戦わずしてお前を支持する。
それが「戦わずして勝つ」という経営の王道だ』
夕暮れ時。カイルの全身は震え、手のひらは木剣の摩擦でマメだらけになっていた。
だが、その瞳には、朝にはなかった「鋭い光」が宿っていた。
「武蔵……。僕、少しわかった気がするよ。
自分を鍛えることは、自分一人を強くすることじゃない。
周りのみんなを支えるための『柱』になることなんだね」
『ハッ。三代目のボンボンにしては、マシなことを言うようになったな』
俺は満足げに尻尾を振った。
だが、その時。裏庭の茂みがガサリと揺れた。
黒鉄が瞬時に戦闘態勢に入り、低く唸る。
「ニャ(……大将、来やがった。司教の『飼い猫』だ)」
闇の中から現れたのは、あの痩せこけた白猫。
その口には、カイルが秘密裏に記していた「復興ノート」の切れ端がくわえられていた。
「ミャア。見つけたぞ、不浄な知恵を持つ黒猫と、反逆の王子よ」
白猫の声は、魔力によって増幅され、俺とカイルの脳内に直接響いた。
司教の直属スパイ、シャドウ・キャット。
『カイル、木剣を構えろ! 特訓の成果を試す時が来たぞ!』
「うん。行こう、武蔵!」
師弟となった一匹と一人が、初めて直面する「本物の敵」。
それは、王宮を支配する巨大な闇、女王ハイシティの狂気へと続く扉だった。
TBC
『地の巻』はここで終わる。 次なる舞台は、さらに深く、暗い「ハイシティの闇」の中へ




