第六話【地の巻・法撃】「スパイ防止法」理不尽な鉄格子の裏口を開けろ
「スパイ防止法」。
それは、女王ハイシティとカルト教団「深淵の目」が作り上げた最強の『反対派粛清ツール』だ。
証拠など必要ない。「疑わしい」と司教が断定すれば、どんな忠臣も商人も、一瞬で鉄格子の向こう側へ消える。気に入らないというだけでスパイ認定されちまう天下の悪法だ。
『カイル、前世でもあったよ。コンプライアンスを盾に、気に入らない社員をコンサルタント崩れがハメる戦術がな。だが、法を悪用する奴は、法の手続き(マニュアル)に縛られるという弱点がある』
俺武蔵猫は、カイルの机の上でノートを広げていた。
そこへ、窓から「千の目」の一員であるサビ猫の「ハナ」が飛び込んできた。
「ニャ! ニャア!(大変だよ、大将! ストーン王の頃からいた正直者のパン屋の親父さんが、スパイ容疑で連行された!)」
「パン屋のベルナルドさん!? 嘘だ、あの人は毎日、貧しい子供たちに余ったパンを配るような優しい人なのに……!」
カイルが立ち上がる。
ベルナルドさんは、幼いカイルにこっそり甘い菓子パンを差し入れてくれた、数少ない「味方」の一人だった。
『落ち着け、カイル。これは見せしめだ。民衆に「優しさは罪だ」と思わせるためのな。
ハナ、連行された場所と、担当した役人を特定しろ』
「ニャ(東の監獄塔だ。担当は司教の腰巾着、役人のガンスだよ)」
東の監獄塔。そこは一度入れば、嘘の自白書に署名するまで出られない絶望の場所だ。
カイルは俺をフードの中に隠し、王子の権限を使って監獄の入り口まで辿り着いた。
「そこをどけ! 私は第三王子カイルだ。ベルナルドに面会を……」
「おやおや、無能王子様が何の御用で?」
現れたのは、脂ぎった顔をした役人ガンスだった。
彼は司教から与えられた「スパイ防止法特権」を振りかざし、王子を鼻で笑った。
「ベルナルドは隣国のスパイと密通していた疑いがある。今まさに、自白書を作成させているところです。王子の身分とて、捜査の邪魔をすれば『共犯』とみなされますよ?」
「共犯……っ」 カイルが怯む。
『(カイル、今だ。あいつの足元を見ろ。あいつのベルトに下がっている束ねた鍵、あれを黒鉄たちが狙っている。お前はあいつの注意を引け!)』
カイルは深呼吸をした。
武蔵の「地の巻」の教えは「動揺を見せず、敵の拍子を観察せよ」。
「ガンス、君は『スパイ防止法・第十二条』を知っているか?
被疑者の拘束から三時間は、王族による『立会審査』の権利が認められているはずだ。
私の母上が作った法を、君が無視するのか?」
「なっ……! そんな細かい条文を、貴様が……」
ガンスが驚き、法典を確認しようと手元の書類に目を落とした瞬間――。
「ニャアアアアアン!!」
背後から黒鉄が突進し、ガンスの尻を思い切り引っ掻いた。
「ぎゃあああ!? 何だ、この化け猫め!」
ガンスが跳び上がった拍子に、腰から鍵束が滑り落ちる。
それを間髪入れず、影から飛び出したハナが口にくわえ、監獄の奥へと走り去った。
「あ、待て! 鍵が! 泥棒猫め!」
ガンスが猫を追いかけて持ち場を離れた隙に、カイルは監獄の中へと滑り込んだ。
そこには、疲れ果て、無理やりペンを持たされているベルナルドの姿があった。
「カイル様……!? なぜこんな場所に……」
「ベルナルドさん、説明は後です。これを!」
カイルが差し出したのは、俺が事前に用意させた「逆転の書状」だった。
内容は、ベルナルドが隣国へ送ろうとしていた(とされる)手紙の『真実の続き』だ。
俺は「千の目」を使って、司教が偽造した証拠の「原本」を事前に書き換えておいたのだ。
『(いいか、ベルナルド。お前が隣国へ送ろうとしていたのは軍事機密じゃない。
「パンの酵母の改良レシピ」だ。
そしてその送り先は、隣国に潜入している我が国の「潜入捜査官」だということにしてある。
つまり、お前はスパイどころか、女王への忠誠心から諜報活動に協力していたことになるんだよ!)』
「えっ、そんな……」
『(いいから、自白書を書き直せ! 「私は女王のためにパンの技術を使い、隣国の情報を探っていた」とな! 経営における「情報の非対称性」を利用した逆転劇だ!)』
数分後、ガンスが息を切らして戻ってきた。
「ハァ、ハァ……無礼な猫め。おい王子、もう時間だ。ベルナルド、さっさと署名しろ!」
ベルナルドは、凛とした表情で書類を差し出した。
「署名しましたよ、ガンス殿。どうぞ、女王陛下にお届けください。
私が陛下のために、どれほど尽力していたか。これを見れば司教様もさぞお喜びになるでしょう」
「あ? 何を言っている……」
書類を読んだガンスの顔が、みるみる土気色に変わった。
「な、何だこれは! 女王直属の諜報活動だと!? こ、これを受理してしまったら、司教様が『女王の協力者』を不当に逮捕したことになってしまう」
「どうしたんだい、ガンス? 早くその『英雄』を解放してあげないと、母上の耳に届いた時、君の首が飛ぶことになるよ?」
カイルが、これまでに見せたことのない不敵な笑みを浮かべた。
「ひ、ひぃぃ! 誤認逮捕だ! 釈放だ、今すぐ釈放しろ!」
王宮の外。
夕暮れの中で、ベルナルドはカイルの手を強く握りしめた。
「カイル様……ありがとうございました。まさか、あの猫ちゃんたちが助けてくれるなんて……」
「僕の……僕の大切な友人たちなんです。ベルナルドさん、しばらく身を隠してください。これからは、僕がこの国を変えてみせます」
ベルナルドを逃がした後、カイルは俺を抱き上げ、地面に座り込んだ。
「心臓が止まるかと思ったよ、武蔵」
『ハッ、上出来だ。敵のルールを逆手に取って、大義名分を奪う。
これが「地」を味方につける戦い方だ。
だが、カイル。司教はこれで激怒する。次はもっと汚い手でくるぞ』
「受けて立つよ。僕には、武蔵と、街中の猫たちがついているんだから」
少年の瞳には、もう「無能王子」の弱さはなかった。
法の闇を、一匹の猫と一人の王子が、鮮やかに切り裂いた夜だった。
『よし。次は「身体」を鍛えるぞ。兵法は頭だけじゃ務まらんからな!』
「ええっ!? まさか、猫の特訓……?」
俺の肉球が、カイルの鼻先に突きつけられた。
TBC




