第二十九話【空の巻・黎明】『スパイ防止法』という監視社会からの脱出
過去の清算は終わった。
女王ハイシティは退位し、先王ストーンの汚名は雪がれた。
王宮を覆っていた澱んだ空気は、真実の風によって洗い流され、今や王都全体が、まだ見ぬ新しい時代の訪れを予感して静まり返っている。
『カイル、これが五輪書、最後の「空の巻」だ。空とは何もないことではない。あらゆる色、あらゆる音、あらゆる命を、偏りなく包み込む器のことだ。お前が今日、このバルコニーで語る言葉が、この国の「器」になる。準備はいいか?』
俺武蔵猫は、カイルの肩の上で、彼の震える指先が聖剣を握りしめる感触を感じていた。
「武蔵。僕、かつては『無能』と呼ばれて、何も持っていない空っぽの人間だと思ってた。
でも、今はわかるよ。空っぽだからこそ、みんなの願いも、君の知恵も、全部入れることができたんだね」
カイルは深く息を吸い込み、一歩、陽の光が降り注ぐバルコニーへと踏み出した。
第一の儀 空の受容
眼下には、王都中の人々が詰めかけていた。
かつて『スパイ防止法』のために人々はお互いをスパイと疑い、目を伏せて歩いていた。
密告をしあう恐怖の世界。
今は、隣の人と肩を寄せ合い、一人の若き王の姿を仰いでいる。
「わが親愛なる民よ。そして、この夜明けを共に戦い抜いてくれた、小さき友(猫)たちよ!」
カイルの声は、魔力による増幅を超え、魂の響きとして広場に浸透していった。
「僕たちは長い間、暗闇の中にいました。司教が作り出した『スパイ防止法』という偽りの恐怖に、心まで縛られていた。でも、その暗闇を払ったのは、僕の力ではありません。真実を求めた皆さんの勇気と、影から僕たちを支え続けてくれた、猫たちの献身です!」
カイルが空を仰ぐと、そこには万を超える猫たちが、王宮の尖塔や民家の屋根に並び、尻尾を揺らしていた。
『(いいぞ、カイル。手柄を独占せず、万物に分配する。それが「空」の経営だ)』
第二の儀:サンライズ王国の建国宣言
カイルは聖剣を抜き放ち、それを空に向けて真っ直ぐに突き上げた。
「今日、ここに『ハイシティ王国』の終焉を宣言する!
この名は、恐怖と監視の象徴として、歴史の塵に帰そう!
そして、この瞬間から、僕たちは新しい国を始める!
どんな闇夜も、必ず朝日に溶けるように。
誰もが顔を上げ、真実を語り合える国――『サンライズ王国』の建国を宣言する!」
「おおおおおおおおおお!!」
地響きのような歓声が上がった。
それは、抑圧されていた数十年分の感情が、一つの爆発となって天に昇る音だった。
「サンライズ王国では、法は人を縛るためではなく、人を助けるためにあります! 密告ではなく『対話』を。疑いではなく『信頼』を! 僕は、この聖剣に誓う。二度と、この国を疑いの闇には戻さない!」
第三の儀:猫と人間の共生条約
『カイル、仕上げだ。俺たちのアイデンティティ
「猫と人間のハイブリッド国家」としての根幹を打ち立てろ』
カイルは俺を肩から降ろし、腕の中に抱き上げた。
「そして、サンライズ王国の象徴として、もう一つの決まりを作ります。
この国において、猫はただの獣ではありません。
彼らは僕たちの友であり、街を見守る『小さな守護者』です!
猫への不当な暴力は禁じられ、彼らの知恵を尊重することを、国是とします!」
広場にいた人々が、足元にいる野良猫たちを見つめた。
猫たちは誇らしげに喉を鳴らし、人々はその柔らかな毛を撫でた。
「ニャ(大将、聞いたかよ。俺たち、正式に『社員』……いや、『国民』になっちまったぜ)」
黒鉄が、鐘楼の上から満足げに鳴いた。
『……ふぅ。カイル、お前は立派なトップ(王)になった。
空とは「迷いのなき心」だ。
お前の言葉には、もう一ミリの迷いもない。
前世の俺が見たかった景色を、お前が見せてくれたよ』
俺はカイルの腕の中で、温かい日差しを感じていた。
「無能」から「王」へ。
「迷い」から「空」へ。
五輪書の教えは、カイルという器の中で完全に消化され、今、一つの国という巨大な形になって結実したのだ。
「武蔵、僕の横には、これからもずっと君がいてくれるよね?」
『当たり前だ。再建が終われば、次は成長のフェーズだ。
サンライズ王国の経営は、ここからが本番なんだからな』
建国の鐘が再び鳴り響く。
それは恐怖を煽る警鐘ではなく、新しい時代の始まりを祝う、どこまでも高く、澄み渡った音色だった。
TBC




