第二話:運命の邂逅――絶望の王子と、喋る猫の軍師
ハイシティ王宮の西の果て。
手入れの行き届かない、枯れ果てた庭に面した一室。
そこが、第三王子カイルの「檻」だった。
俺――武蔵は、カイルの細い腕の中に抱かれながら、彼が零す涙の熱さを感じていた。
「……君は、いいな。言葉がわからなくて。この国がどれほど醜くなったか、知らないですむんだから」
カイルの声は今にも消え入りそうだった。
俺はため息を吐きたかったが、猫の喉からは「グルル」という音しか出ない。
覚悟を決める。この少年に「対話」を仕掛けるなら、今この瞬間だ。
『――おい、坊主。いつまで泣いてるんだ。会社……いや、国が倒産してからじゃ遅いんだぞ』
カイルの体が硬直した。
彼は目を見開き、腕の中の俺をまじまじと見つめた。
「え……? いま、誰か喋った……?」
『俺だよ、俺。お前が抱えてる、この黒猫だ。ほら、目が合ってるだろ?』
「うわああああっ!」
カイルは叫び声を上げ、俺をベッドの上に放り出した。
彼は震える指で俺を指差し、壁際まで後ずさる。
「ね、猫が喋った! 呪いだ……いや、カルトの魔術か!? 助けて、誰か――!」
『バカ、大声を出すな! 誰かに聞かれたら、俺が剥製にされるだろうが!』
俺の鋭い一喝に、カイルは思わず口を噤んだ。
彼は信じられないものを見る目で、ベッドの上で毛繕いを始めた俺を凝視している。
「……本当に、君が喋ってるの?」
『正確には、お前の脳みそに直接「思念」を飛ばしてるんだ。他の奴らにはただの「ニャー」にしか聞こえん。安心しろ、これはお前と俺だけの秘密だ』
「思念……。君は、神様なの? それとも悪魔?」
『どっちでもない。俺は武蔵。前世では、五輪書を愛読する「三代目社長」だった男だ』
「ゼンセ? シャチョウ? 何のことかさっぱりわからないよ……」
無理もない。俺は溜め息混じりに、尻尾をパタンと振った。
『要するに、俺は別の世界で大きな「組織」を動かしていた人間だ。だが失敗して死んだ。気づいたらこのモフモフの体になってたんだよ』
「組織……。じゃあ、君も僕と同じ、居場所のない人なんだね」
カイルが少しだけ警戒を解き、ベッドの端に腰掛けた。
『一緒にするな。俺は後悔しながら事故で死んだが、お前はまだ生きてる。……さっきの独り言、この国はもうダメだと言っていたな。そんなにひどいのか、ここは』
カイルは俯き、膝の上で拳を握りしめた。
「ひどいどころじゃないよ……。
昔は『ストーン王国』って言って、お父様がみんなのために尽くしていたんだ。
でも、隣国のカルト宗教が母様……女王ハイシティを洗脳した。
母様はお父様を『スパイだ』っていう嘘の噂で追放して、自分勝手な女王になっちゃったんだ」
『スパイ防止法、とか言ったか? 会社でもあったよ。気に入らない奴を「情報漏洩」の罪で追い出す卑怯な役員がな』
「国名も、自分の名前に変えちゃった。税金はどんどん上がって、逆らう人はみんな牢屋に入れられる。兄さんたちも母様に媚びてばかり。僕には……何もできないんだ」
カイルの瞳に、再び絶望が滲む。俺はその鼻先に肉球を突きつけた。
『「できない」じゃない。「やってない」だけだ。お前はまだ、この現状を「経営」の視点で見ていない』
「ケイエイ? 難しい言葉を使わないでよ。僕は無能王子なんだ。剣も魔法も、兄さんたちに敵わない」
『剣術の優劣だけで国が動くと思うか? 宮本武蔵の「五輪書」にはこうある。
「観の目強く、見の目弱く」とな。目に見える現象に惑わされず、本質を見抜けということだ』
「観の目……見の目……?」
『お前の母上を洗脳したカルトも、国を私物化する兄たちも、大きな組織の「病」に過ぎない。病気なら、治療すればいい。あるいは、切除すればいい』
カイルは目を丸くして俺を見た。
「君は……この国を、元に戻せるって言うの?」
『俺じゃない、お前がやるんだ。俺はそのための知恵、最強の兵法を授けてやる。……どうだ? ダメ社長だった俺と、無能王子のあんた。二人で「王国の再建計画」を立ち上げないか?』
沈黙が流れた。
カイルの瞳の中で、小さな、しかし熱い火が灯るのを俺は見逃さなかった。
「……もし、本当に平和な『ストーン王国』に戻れるなら。
ううん、朝日が昇るような、みんなが幸せになれる『サンライズ王国』にできるなら……。
僕は、君を信じたい」
『いい返事だ。交渉成立だな。……ただし、一つだけ条件がある』
「条件? 高価な魚とか、ふかふかのクッション?」
『違う。これから何があっても、俺の言葉を信じ、俺の教えをやり遂げろ。五輪書の修行は、生半可な気持ちじゃ務まらんぞ』
「わかった。約束するよ、武蔵!」
カイルは俺を抱き上げ、今度は涙ではなく、決意を秘めた笑みを浮かべた。
俺の肉球が、カイルの胸に触れる。
『よし。じゃあ、まずは第一段階だ。カイル、お前の部屋のカーテンを閉めろ。これから「組織の現状把握」――五輪書でいうところの「地の巻」の講義を始める』
「……えっ、今から!? もう夜だよ?」
『兵法に昼も夜も関係ない。敵は寝ている間も国を蝕んでいるんだぞ。ほら、動け!』
一匹の猫と、一人の王子。
月明かりの下、ハイシティ王宮の片隅で、歴史を変える秘密の会議が始まった。
『カイル、まずはこの国の「地図」と「家計簿」を全部出せ。
金の流れを見れば、誰が黒幕か一発でわかるんだ……』
三代目社長・武蔵の第二の人生は、どうやら前世より忙しくなりそうだった。




