第十四話【水の巻・顕現】無能の仮面を脱ぎ民の心に火を灯せ
地下水路での死闘を経て、カイルと俺たち「千の目」は、一つの確信を得ていた。
教団の力は絶対ではない。知略と勇気があれば、その牙城を切り崩すことは可能だ。
だが、真の「国家再建」には、まだ決定的なピースが欠けていた。それは「民衆の支持」だ。
『カイル、前世の経営でもそうだったが、現場の社員(民衆)が「この社長についていこう」と思わなければ、どんな立派な計画も絵に描いた餅だ。お前はこれまで、自分を「無能」と偽ることで生き延びてきた。だが、今日からはその仮面を少しずつ外していくぞ』
俺武蔵猫は、カイルの寝癖のついた金髪を肉球で整えながら、厳しい口調で言った。
「民衆の前に出るの? でも武蔵、僕が街へ出れば、教団の役人や兄さんたちのスパイに見つかって、また不当に捕らえられるかもしれない」
『だからこそ「水の巻」の極意だ。正面から演説するのではない。民衆の「困りごと」の中に、静かに染み込んでいくんだ。黒鉄、準備はいいか?』
窓枠にいた黒鉄がニヤリと笑った。
「ニャ。大将、王都の南区にある『貧民街の井戸』が詰まっちまって、みんなが飲み水に困ってるぜ。役人に修理を頼んでも『教団への献金が足りないから後回しだ』って門前払いされたらしい」
『よし。カイル、出陣だ。王子としてではなく、一人の「修理工」としてな』
王都南区:絶望の井戸
王都の南区は、華やかな王宮とは対照的に、崩れかけた家々が並ぶ貧しい場所だった。
人々は痩せこけ、その瞳からは希望の光が失われていた。
「どうすりゃいいんだ。水がなけりゃ、子供たちが病気になっちまう」
一人の父親が、泥が詰まった井戸の前で力なく膝をついていた。
「あの、よければ僕に手伝わせてもらえませんか?」
汚れた作業服を纏い、フードを深く被った少年が歩み寄った。カイルだ。
父親は不審そうに彼を見た。
「あんたみたいなひょろっとしたガキに何ができる。職人でさえ、お手上げだったんだぞ」
『(カイル、今だ。五輪書「水の巻」「敵(問題)の構造を知れば、力はいらぬ」。
昨日教えた井戸の構造図を思い出せ。猫たちが調べておいた、あの詰まりのポイントだ)』
カイルは俺の助言を思い出し、冷静に井戸の底を覗き込んだ。
「たぶん、奥の濾過石が、教団が上流で捨てている『魔香の残りカス』で固まっているだけです。そこをこの棒で少し突けば、水は流れます」
「勝手なことを……おい、やめろ!」
カイルは父親の制止を振り切り、身軽な動きで井戸の枠に足をかけ、内部のレバーを操作した。その動きは、連日の「猫特訓」で培われた、無駄のないしなやかなものだった。
ガコン、バキッ!
次の瞬間、詰まっていた泥水が一気に吹き出し、その後から透き通った水が勢いよく溢れ出した。
「水が出た! 本当に出たぞ!」
周囲にいた民衆が集まってくる。歓喜の声が広がり、人々は我先にとバケツを差し出した。
経営者の信頼構築:言葉ではなく、行動で示せ
カイルはびしょ濡れになりながら、照れくさそうに笑った。
「よかったです。あ、この水、少し魔力の残滓があるから、一度沸かしてから飲んでくださいね」
「坊主、あんた何者だ? 教団の役人よりずっと頼りになるじゃないか」
父親が感謝の印に、貴重な一片の硬いパンを差し出そうとした。
カイルはそれを優しく押し戻した。
「僕はただ、この国の水がまた綺麗になればいいと思っているだけです。オーウェン商会の支店へ行けば、この井戸を長く持たせるための炭を安く分けてくれるはずですよ。僕が……あ、知り合いが話をつけてありますから」
カイルが去ろうとした時、一人の老婆が彼の服の裾を掴んだ。
「あんた、もしかして、カイル様じゃないかい? あの優しいストーン様のお子様……」
周囲が静まり返る。カイルは一瞬戸惑ったが、俺は耳元で強く囁いた。
『(隠すな、カイル。だが「王子だぞ」と威張るな。対等なパートナーとして、彼らの目を見ろ!)』
カイルはフードを取り、夕日に輝く金髪を晒した。
「はい。第三王子のカイルです。今まで、皆さんの苦しみを見て見ぬふりをしていて、ごめんなさい」
カイルは深々と頭を下げた。王族が貧民に頭を下げる。その光景は、人々に衝撃を与えた。
「カイル様! 噂では、お母様と同じように狂ってしまわれたと……」
「いいえ。僕は正気です。そして、皆さんと一緒に、この国をまた『ストーン王国』の頃のような……いや、もっと明るい『サンライズ王国』に変えたいと思っています。今日は井戸だけですが、次はもっとたくさんのことを直します。約束します」
カイルの言葉に、これまでの「無能」という噂は、春の雪のように溶けて消えていった。人々の瞳に、初めて小さな「期待」の灯がともった。
忍び寄る「スパイ防止法」の影
だが、その様子を遠くから見つめる、不吉な視線があった。
教団の紋章をつけた密告者が、素早くその場を立ち去った。
『カイル、成功だ。だが「人気」は諸刃の剣だ。お前が民衆の英雄になればなるほど、女王と司教は、お前を「スパイ」として処刑する口実を必死に探すだろう』
「わかっているよ、武蔵。でも、今日のみんなの笑顔を見て確信したんだ。僕はもう、檻の中に隠れているだけの王子じゃない。みんなの『明日』を守る経営者になるんだ」
『ハッ、言うようになったじゃないか。よし、次のステップだ。民衆の心は掴んだ。
次は組織の「実力」――軍の一部を味方に引き入れるぞ』
俺はカイルの肩の上で、高く鳴いた。
それに応えるように、家々の屋根の上で「千の目」の猫たちが、一斉に闇へと散っていった。
カイル王子の「逆襲」は、井戸の一滴の水から、大きな奔流へと変わり始めていた。
TBC




