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錬金術の憂鬱〜神様の殺し方  作者: かわせみ
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第三章 神様の殺し方

 今の聖夜は制服を破られた、血まみれの女子高生だ。そんな少女を連れて歩けば誰がどう見ても犯罪者にしか見えないだろうが、鋼玉はそもそも歩いたりしなかった。


「しっかりつかまって」


「えぇっ!? そんな、いきなりっ」


 聖夜の恥じらいに何の反応も示さず、鋼玉は聖夜を抱きかかえ、地を蹴った。いかなる技か、軽々と3mほど跳び上り、電柱を蹴って更に高く跳ぶ。鋼玉は器用に電柱を蹴って方向を調整しながら跳び続けた。鋼玉の胸に抱かれて飛ぶこと10分ほど。聖夜が連れて来られたのは、起谷山の中腹にある小さな洋館だった。


 起谷山は、聖夜の住むS県富貴市の北端に位置する山で、1000mほどの高さながら、古くから霊峰として知られる。

 麓には神社があり、縁日などには出店も多く来るため、聖夜も何度か来たことのある場所だったが、こんな洋館があるとは全く知らなかった。

 

「とりあえず、シャワーを浴びて血を洗い流すといい。生憎、女性用の衣服はないから、しばらくはこれで我慢してくれ。もうすぐしたら、俺の仲間がここに来る。彼女には食料を頼んでいるけど、服も一緒に頼んでおくよ」


 そう言って、鋼玉は男もののTシャツを貸してくれた。確かに、身体も服も血塗れで、凝固した血が肌にこびりつく感じが気持ち悪い。聖夜は鋼玉の指示に従うことにした。


「覗かないでくださいね?」


 わざわざ口にしたのは、釘を刺したのではなく、寧ろ逆だ。そのアイデアを鋼玉の脳に刷り込もうとしたのであるが、鋼玉のポーカーフェイスからは、効果のほどは読み取れなかった。


 こぢんまりとした洋館に似つかわしく、バスルームは小さなものだった。一人で入るには十分な大きさだが……。


(わたしってば何考えてるのよ!? お風呂なんて一人で入るに決まってるじゃない!)


 馬鹿なことを考えてしまい、思わず一人赤面する。


 最近用意されたものらしいシャンプーやボディソープがあり、聖夜は心行くまで身を清めることができそうだった。


 シャワーで髪を濡らし、頭を洗い始める。あんなホラーとスプラッタをミックスしたような経験をしたのだ、目を閉じてシャンプーをするのはかなり怖いのではないか……。最初は少し不安を感じていた聖夜だったが、そんな不安は杞憂だったようだ。耳に残る鋼玉の美声のお陰で恐怖はほとんどない。どうやら自分は会ったばかりの鋼玉をかなり信頼しているらしい。あんなにぶっきらぼうで、優しくもなさそうなのに。不機嫌そうな鋼玉の顔が頭に浮かび、思わず笑みが零れたが……。


 ガチャ


 背後でドアの開く音がして、聖夜は心臓を鷲掴みにされたかのように驚いた。誰かが後に立っている気配……。


「こ、鋼玉?」


 聖夜は恐る恐る声をかけた。返事はない。まさか、アレがここまで追ってきて、鋼玉は既に殺されてしまったのか……。先ほどまでの安心感は消え去り、恐怖に身が震える。目を開けたくて仕方ないが、今開ければシャンプーが目に入り、しばらく目を開けられなくなる。かと言って、シャンプーを洗い流そうとすれば、水音で何も聞こえなくなってしまう……。恐怖に動けない聖夜をよそに、背後の気配が動いた。背後の気配は、おもむろに聖夜の首に手を触れた。


「きゃぁぁぁぁ」


 浴室に聖夜の絶叫がこだまする。聖夜は目を瞑ったままでシャワーを持った腕を振り回したが、腕は何にもぶつからなかった。それどころか、いつの間にか先ほどまでの気配も消えていた。気のせいだったのだろうか……。聖夜はゆっくりと入浴を楽しむこともできずに早々に浴室から出た。


 居間に戻ると、鋼玉はソファで居眠りしているように見えた。しかし、聖夜が居間に入るやいなや、気配に気付いたように、鋼玉はさっと顔を上げた。


「騒がしかったようだけど、何かあったのか?」


 淡々と尋ねる。とぼけているようには見えない。


「覗きませんでしたか?」


 一応、問い質してみる。鋼玉は首を横に振った。


「シャンプーしている時に、背後に気配を感じたんですけど……」


「あんな経験をしたんだ。目を瞑れば、恐怖心からどんな気配を感じても不思議はないだろ」


 鋼玉は冷たく言ったが、それは違う。気配を感じるまで恐怖はなかったのだから。


 釈然としないものを感じながらも、聖夜は口を噤んだ。こうやって浴室から無事に出られたのであるから、何かが襲ってきたと主張する根拠もない。


「少なくとも此処にいる間は安心していい。援軍もそろそろ来るはずだよ」


 面倒くさそうに鋼玉が言う。優しい口調ではなかったが、釈然としない風の聖夜に、一応気を使ってくれたのだろう。


「さっき言っていた、仲間の方ですね。どんな方なんですか?」


「化け物退治を専門にする凄腕の魔術師だよ」


「ま、魔術師!?」


 予想もしていなかった単語に、聖夜が戸惑う。


「ああ、魔術師だ。信じられないかもしれないけど。ともかく、彼女が来るまでに、君の知りたがっていたことを教えておくよ。何故アレが君を狙うのか、だったね。いきなり結論を言うのは難しいから、とりあえずは順に説明していく」


 聖夜は表情を改めた。

 

「まず、君を狙っていたアレは、人間じゃない。人工生命体……いわゆるホムンクルスと呼ばれるものなんだ」


「ホムン……クルス?」


「知らないかな? 日本には、錬金術を扱った著作が多くあるから、知っていてもおかしくないと思ったんだけど」


「確かに、どこかで聞いた響きですけど……正確な意味はわかりません」


「別にそれほど難しい話でもないよ。日本語ではAlchemyが『錬金術』と訳されるから、あたかも金の精製だけがその目的であるかのような印象を受けるかも知れないけど、本来的に錬金術の目的は、純粋な真理の探究なんだ」


「真理の、探究……」


「そう。金は古来より、最も尊い金属とされてきた。その、神が創造し給うた最も尊い金属を、人が自ら創り出す。それが、金を創ることが目的とされた理由だよ。目先の利欲に捕らわれた者がいなかったとは言わないけどね」


「でも、そのホムンクルスが、金とどういう関係にあるんですか?」


「そこなんだ。錬金術師……alchemistと呼ばれる者の目的は何も金の精製だけじゃない。生命の神秘もまた、錬金術師たちが探究してきた真理だったんだ。金だけではない、とはそういう意味さ」


「その生命の神秘がホムンクルスなんですか?」


「生命の神秘……その神の御業としか思えない奇跡に人が挑む場合、大きく二つの異なるアプローチがある。一つは、不老不死」


 聖夜が少しずっこけた。


「真理とか言っている割に、俗っぽいですね」


 鋼玉が肩を竦める。


「否定はしないよ。金の精製もそうだけど、現世的な利益が探求の原動力になった感は否めない。そして、もう一つが、生命の創造。つまり、ホムンクルスというのは、錬金術師によって人工的に創り出された生命体の総称なんだ」


「じゃあ、あの化け物も、誰かに創られたものなんですか? もしかして、あなたが……」


 聖夜の顔が引きつる。鋼玉は首を横に振った。


「あのホムンクルスの創造について、俺に責任が全くないとは言わないけど……。幸か不幸か、俺ではあんなものは創られないよ。創ったのは、俺の父だ。正確には、養父だけど」


「お義父さんが!? なんて迷惑な……。でも、どうしてわたしが、あんな化け物に狙われないといけないんですか!?」


 先刻の惨劇が人災だと知って、聖夜は、かなり苛立っていたのだが……。


「それは、君が美しいからだ」


 鋼玉の美声でそう告げられて、聖夜の怒りは一瞬で霧散した。


「う、う、美しいなんて、そんな……」


 聖夜は耳まで赤く染めている。聖夜は、王子に愛を語られているような、そんな錯覚に陥ったのだが……。


「少なくとも、アレはそう認識しているということだ」


 しかし、鋼玉はただ淡々と、事実を告げているだけであった。その冷たい口調に、聖夜は一気に現実に引き戻された。


「それってどういう……」


「俺の養父は、優れた錬金術師だったんだけど、晩年には心がその膨大な知識に浸蝕され、常軌を逸した言動が目立つようになっていたんだ」


 聖夜は黙って、鋼玉の昔語りに耳を傾けた。


***


 鋼玉の養父は、メルクリウスという。本名ではないだろうが鋼玉はこの名しか知らないし、同業者の間でもそう呼ばれていた。明らかに日本人ではなかったが、長く日本で暮らし、鋼玉を含め幾人かの日本人の孤児を養子に取っていた。


 彼は、存命中から「伝説の」錬金術師だった。彼の創造するホムンクルスが、限りなく本物の生物に近かったからだ。神の御業に限りなく近いた者……。そう称された彼も、晩年には精神に異常を来し、遂には自殺してしまった。件のホムンクルス、「イシュタル」はメルクリウスがその晩年に創った、彼の最後のホムンクルスだ。


 当時メルクリウスは「究極の美女」の創造に熱をあげていた。神の作り給いし全ての人間よりも美しい生命体……。それこそ、自らが追い求めるべき真理であると、メルクリウスは考えていたようだ。


 事の発端はメルクリウスと鋼玉の、ほんの些細な会話からだったと、鋼玉は認識している。


「ねぇ、鋼玉、君は怜悧で何でもこなせる女性と、ちょっとドジでも、守ってあげたくなるような女性と、どっちが好きだい」


 養父の問いが何を意味するのか、その真意は測りかねたが、鋼玉はおずおずと怜悧な女性、と答えた。当時の彼は、怜悧な、という形容に相応しい義理の姉、黒曜に憧れ以上の感情を抱いていたのだ。


「なるほど……。僕は庇護欲と嗜虐心を満足させてくれるようなドジっ子が好みなんだけど。じゃあ、胸の大きい女性と小さい女性では?」


 鋼玉は、大きい胸が嫌いではなかった……いや、正直なところ、寧ろ好きだったのかも知れないが、黒曜が胸の小ささを嘆いているのを知っていたため、賢しげこう答えた。大きい胸にも、小さい胸にも、それぞれに魅力があるのではないか、と。すると、メルクリウスは、満足気に頷きながらも、とんでもないことを言い出した。


「それも、そうだね……。あぁ、そうか、なら大きい胸も、小さい胸も、両方付ければいいんだ。簡単な話だ。性格の問題もこれで解決だね」


 そう言って笑うメルクリウスの顔には、既にゾッとするような狂気が宿っていた。


***


「じゃあ、つまり、アレは……」


「ありとあらゆる女性の魅力を無理矢理具備させた、『究極の美女』さ。父は、性愛の象徴にして戦の象徴という二面性を持った女神になぞらえて、イシュタルと名付けたけど……。二面なんて可愛いものじゃない。アレは、ただの混沌だ」


 聖夜は得も言われぬ恐怖を感じ、震え始めた。


「怖いかい?」


「もちろんです。あなたは、怖くないんですか?」


「俺だって怖いよ……。あれだけ混沌としたものが一種の秩序体を構成しているという、その事実が、ね」


 聖夜は思い出した。確かにアレは聖夜に言ったのだ。「一緒になりましょう」と。


「じゃあ、わたしが狙われているのは……」


 鋼玉は頷いた。


「父はイシュタルに、自ら美しさを磨くように命じたようだ。だからイシュタルは父の死後もその命令に忠実に従って、美しさを磨こうとしているんだと思う。美しい女性を、その身に取り込むことによってね。つまり、イシュタルは、君を取り込むべき美女と認識した、ということだ」


 聖夜は余りのおぞましさに、自分でも分かるほどに震えていた。それと同時に、鋼玉がイシュタルを黒曜と呼んでいたのを思い出した。


「黒曜さんは、どうなったんですか?」


 聖夜がその名を出した途端、鋼玉の顔には怒りとも悲しみともつかない、複雑な色が浮かんだ。


「彼女は、イシュタルの最初の材料のうちの一人だ。父は、彼女を含め、十数人の女性を密閉された空間の中で殺害し、彼女ら全員の魂を融和させた上で、器となる身体に移したんだ」


 凄惨な話に、聖夜が、ひっ、と悲鳴をあげる。そして、暫しの沈黙。聖夜に、聞いてはいけないことを聞いてしまった後悔が込み上げる。


「その、悲しかったですよね、やっぱり……」


 沈黙に耐えきれなくなった聖夜は、ぼそり、と呟いた。我ながら、殺人事件の被害者の遺族にマイクを向けるレポーターがするような愚問だと思った。しかし、返ってきた答えは、意外なものだった。


「いや、俺も一応は錬金術を嗜んでいるからね。錬金術を修めた者にとって、真に悲しむべきは魂の死であって、肉体の死じゃない。そして、黒曜の魂の組成は、まだ失われていない」


「魂の……組成?」


「組成、つまり、構成要素のことさ。魂というのは、正しい手順さえ踏めば知覚し、扱うことのできる物質的なものなんだ。そして、そこには、全ての人間に共通の組成と、その個人に固有の組成がある。君も見た通り、イシュタルにはまだ黒曜としての人格が残っている。イシュタルから黒曜の固有組成を取り戻せば、黒曜の魂を再構成することができるはずだ」


「それは、死んだ人を生き返らせるということですか?」


 聖夜の問いに、鋼玉は首を横に振った。


「ネクロマンシー、つまり死者蘇生術は、錬金術の目指す神の御業とは少し違う。死者蘇生は死体愛(ネクロフィリア)に端を発する民間信仰が起源で、古来より邪法とされてはいるけど、錬金術よりも、もっと言えば現代的な神の概念よりも更に古いものだ。無論、ネクロマンシーという概念が体系立てて整理されたのはそれほど古い話ではないけどね。俺のしようとしていることは、まだ滅んでいない魂に新たな器を与える行為であって、滅んだ魂を復活させるいわゆる死者蘇生とは根本的に異なるよ」


 鋼玉の説明は、聖夜にはなんとなくしか理解できなかったが、鋼玉の養父が、そして鋼玉自身も、普通ではないことは明らかだった。


「どうしてあなたのお義父さんはわざわざそんなことをしたんですか? 誰かを犠牲にしてまで神様を目指さなくても……」


「神を目指す? 逆だよ。真理の探求は、寧ろ、神を殺すためのものさ。人は永きに亘ってそうやって少しずつ神を殺してきたんだ。神の御業と思われてきたことを、人の手で成し遂げたり、その仕組みを解明することによってね」


 そんな突飛もないことを語る鋼玉に狂気の色はない。ただ鋼のように強い意志だけが見て取れるだけだ。


「俺は、黒曜を取り戻したいんだ。自分の持つ、神を殺しうる知識のすべてを駆使して、ね」


 聖夜にはそれが本当に良いことなのかわからなかったが、鋼玉の瞳に宿る断固たる決意の前に、何も言えなかった。

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