第十四章 メルクリウスの最高傑作
「鋼玉さん、貴方とは固い友情で結ばれていたと思っていたのに、異端だったとは残念です。大変心が痛みますが、かくなる上は、私の手で葬ってあげましょう」
言葉とは裏腹に満面の笑みでジャックが言う。しかし、鋼玉はジャックを見ようともしない。ただ、真っ青な顔で動かなくなった黒曜を抱き締めている。
「別に止める気はないけど、殺るなら外でしなさい。中には一般人がいるわ」
黒鴉が面白くもなさそうに、気を失ったままの聖夜を指差して言った。
「それは困りましたね。鋼玉さん、動いてくれなさそうだし」
「お望みなら相手してやるさ。丁度俺も、黒曜の言葉を確かめたいと思っていたところだしな」
意外にもあっさりとそう言って、鋼玉は黒曜を優しく横たえて立ち上がった。その顔は、常にも増して冷たく、ほとんど生き人形のような無表情だ。鋼玉の態度に怪訝な顔をしながらも、促されるように黒鴉とジャックが洞穴から外へ出た。
「鋼玉!?」
洞穴から三人が出てくるなり、奈莉栖が鋼玉を案じて叫んだ。黒鴉が鋼玉を「見逃した」ことで、聖剣ルロイは消えており、奈莉栖は満身創痍ながらもなんとか生き延びていた。鋼玉はボロボロの奈莉栖に一瞥もくれず、ジャックに向かって冷たく言い放った。
「さっさとかかって来い」
淡々とした口調だが、その言葉には奈莉栖が思わず恐怖を感じるほどの威圧感があった。
「やれやれ、遊んでる余裕はあまりなさそうですね」
そんな鋼玉に気圧されているかのように、ジャックも何時になく真剣な顔をしている。
「聖剣よ!」
ジャックの呼び掛けに現れたのは、十字架にも似た突剣、エストックであった。白銀に輝く刀身も、意匠を凝らした握り手も、聖剣と呼ぶに相応しい神々しさだ。
「下品に喋ったりはしないのね」
「彼の普通の聖剣と違って、私のは特別なの」
奈莉栖の皮肉に、律儀に黒鴉が答える。聖剣と呼ばれる時点で普通の剣ではないはずだが、奈莉栖は指摘する気にもなれなかった。
「聖剣を抜いただけでは勝てなさそうですね。悪魔の力も借りないと」
「黒曜の言葉が本当なら、お前が何をしようと無駄だ。やるなら早くしろ」
素っ気ない鋼玉の言葉にわざとらしく溜め息を吐いて、ジャックが懐から錠の付いた黒い本を取り出した。先刻同様、ポケットから取り出した小さな鍵で錠をあけて本を開く。
「エロヒムよ、エサイムよ、我が声を聞け……」
巨体な妖気がジャックに宿る。
「バアルを宿しました。剣術を得意とするソロモン72柱の第1柱です」
「聖剣を呪ったり、聖剣振るのに悪魔の力借りたり……。異端審問官って神様に喧嘩売ってるの?」
ジャックが身に纏った強大な瘴気に、思わず震えそうになるのを何とか堪えて、奈莉栖が毒吐く。
「わたしたちが信じるのは神様ではなく、あの方よ。特にジャックはそうだと思うわ」
答えながらも、黒鴉は奈莉栖の方を見てもいなかった。興味深げに鋼玉とジャックを見ている。黒鴉の見立てでは、悪魔を宿して聖剣を振るうジャックが負けるとは思えなかった。鋼玉がジャックに勝つつもりなら、聖剣を出す前か、悪魔を宿す前に仕掛けるべきであったはずだ。しかし、鋼玉の顔には何の焦りもない。
「何を宿そうと関係ない。準備が出来たなら掛かってこい」
「いいでしょう。いきますよ!」
右手に持った剣を前に突きだすように半身に構えて、ジャックは一気に突進して来た。その突進を防ぐように、鋼玉は門を投射したのだが、門は聖剣の切っ先が触れた瞬間に霧散した。速度を落とさぬまま間を詰めたジャックが、突きを繰り出す。鋼玉は、身を捻ってなんとかその刺突を避けたが、大きく体勢を崩してしまった。
「隙だらけですよ?」
ジャックが笑いながら続けざまに突きを放ってくる。鋼玉は、自分の逃げ道に動門を配置し、一気に加速して一旦間合いを外した。
「おやおや、そんなに必死になって逃げまわらなくても。さっきまでの威勢の良さはどうしたんですか?」
馬鹿にした様子で、ジャックが剣先を遊ばせて鋼玉を挑発する。鋼玉は先刻同様、無数の門を投射してそこに指弾を放った。イシュタルの四肢を易々と奪ったその高威力の一撃は、しかし、ジャックの振るう聖剣の切っ先であっさりと真っ二つにされてしまった。人の能力では反応すらできるはずのない、音速を超える小さな指弾を剣で防ぐあたり、悪魔の剣術の精緻さは想像を絶する。
「やはり無理ですね。人の身で今の私に勝つのは」
余裕の笑みを浮かべるジャックに聞こえないほどの小声で、鋼玉は独りごちた。
(悪いな、どうも俺は人ではないらしいんだ)
「さて、そろそろ終わりにしましょう。お別れです!」
大技を繰り出そうとしているのだろう、ジャックが芝居がかった動作で剣に口付けをした、その時だった。
「何だ、と!?」
ジャックが呻く。急に、自分の体が思ったように動かせなくなったのだ。ジャックは、口付けの後に一瞬で間を詰めて神速の刺突を繰り出すつもりであったのに、実際にはジャックの体は間抜けな口づけの姿勢から、ほんの数ミリ動いただけであった。ジャックの周りを、鋼玉が投射した夥しい数の門が取り巻いていたのだ。
「お前の聖剣は、俺の魔術を切り裂くことができるようだが、そもそも切っ先が触れなければ切り裂くのは無理なようだな」
剣が触れさえすれば、鋼玉の門を無効化することができるのだろうが、今や門は、聖剣だけを避ける形で、ジャックの身体を取り巻いている。静門を通らずに身体を動かすことは不可能だ。
ジャックは最早、スロー再生されたかのようにしか動けなかった。これでは、悪魔の剣技も聖剣も、何の意味も持たない。
「物理法則に従う存在である以上、鋼玉に敵う者はいない」という黒曜の言葉を聞いて鋼玉の頭に浮かんだ門の使い方がこれだった。今までは向かって来る敵に対して迎撃の形で単発的にしか使っておらず、門をかわされたり無効化されることも想定して戦っていたが、敵を覆うように無数の門を配置してしまえばその心配もない。
そして、ただ一つこの術しか使えない鋼玉の術の錬度は、その戦術を実行するのに十分であった。メルクリウスは全てを計算の上でこの魔術を賢者の石に記録し、鋼玉に与えたのだろう。
「動けないなら、そのまま、死ね」
再び、鋼玉が鉄球を指で弾いた。数多の動門を潜り抜け、爆発的に威力を増した指弾は、ジャックが未だにキスしている聖剣の鍔の部分に当たって破裂した。その衝撃に、流石の聖剣も粉々に砕け散る。直撃とはならなかったものの、ジャックは鉄球と聖剣の破片を全身に浴びて、ズタボロになって倒れた。
黒鴉がジャックに駆け寄る。
「悪運は尽きていないようね」
ジャックの傷は深く、気を失っているが、命に別状はなさそうだった。黒鴉は少し安堵の息を漏らした。
「お前もやるか?」
感情のない冷たい目で鋼玉が言う。クロアは首を横に振った。
「今あなたと戦ったところで、得られるものは何もないわ。ホムンクルスの件は見逃すつもりでいたし、仇を討ちたくなるほど彼と親しいわけでもないしね」
黒鴉は、別に鋼玉が怖くて逃げた、という風でもなかった。そもそも鋼玉の「門」は、鋼玉にしか見えないのだ。黒鴉は鋼玉がジャックに何をしたか理解できていないはずだが、それでも自分には通用しないと言いたげだ。
「なら、もう俺に構うな」
そんな黒鴉の態度を気にも止めず、鋼玉は再び洞穴へと入っていった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
慌てて奈莉栖が後を追う。洞穴に入った鋼玉は、横たわっている黒曜を悲しげに一瞥して、聖夜の元に歩み寄った。聖夜の体を揺すり目覚めさせた。
「大丈夫か? こんな目に遭わせて、済まなかったな」
相変わらず感情に乏しい口調ではあったが、鋼玉は一応優しい言葉をかけた。
「こ、鋼玉!? 私、生きてるの? 黒曜さんは?」
聖夜の問いには答えずに、鋼玉は聖夜を繋ぐ鎖を解いた。自由になった聖夜は、すぐに、息絶えたように見える黒曜に気付いたが、それに目を向けようともしない鋼玉の態度に事情を悟り、それ以上は何も言わなかった。
「奈莉栖、暫くの間、この洞穴を誰にも気付かれないように封じられるか?」
「軽い目眩まし程度で良ければ直ぐにでも何とかするけど、そもそも場所を知っている異端審問官の目を誤魔化すのは無理よ」
「警察を含め、一般人の目さえ逸らせられれば問題ない。もう、あいつらにとってもイシュタルは何の意味も、価値もないだろうからな」
自分にとってもそうなのだと言外に語る鋼玉に同情するように、奈莉栖は少し目を細めたが、何も言わずに洞穴を出た。奈莉栖は、鋼玉たちが洞穴から出るのを待って、手早く端末を操作して洞穴の入り口に簡単な結界……光を屈折させる魔術的な膜を張った。
洞穴の外には既に黒鴉とジャックの姿はなかったが、いつの間にか目を覚ましていた那由が青白い顔で様子を窺っていた。鋼玉を待っていたのだろう、那由は洞穴から出てきた鋼玉に話しかけた。
「鋼玉さん……ありがとうございました。そして、済みません、結局あなたの邪魔をしてしまったようで……」
「俺が目的を達成出来なかったのは、別に君のせいじゃないよ」
あくまでも無表情で、淡々と鋼玉は答えた。そんな鋼玉に悲しげに微笑むと、那由は少し表情を改めて言った。
「迷惑ついでに、ひとつお願いを聞いていただけないでしょうか 」
鋼玉はいいとも嫌とも言わなかったが、那由は続けた。
「今、私の身の内には鬼が居ます。これから私は、鬼を鎮めながら生きていくことになりますが、伝承に拠れば鬼を鎮め切れずに、巫女が内側から喰われてしまうこともあるそうです。もし、私がそうなってしまったら……私を、殺して貰えませんか?」
「どうして俺に? あの女がいるだろ?」
「彼女は私を大事にし過ぎているから、恐らく私を殺すことはできないと思います」
「俺なら躊躇いなく殺せると?」
鋼玉は自虐的に笑ったが、那由は首を横に振った。
「いえ、寧ろ逆です。先程、あの黒曜という方を倒すときのあなたの辛そうな顔を見て思ったんです。自分が人でなくなってしまったら、あなたに殺されたいって。私の勝手なわがままでご迷惑をお掛けするのは心苦しいですが……」
「……別にいいよ。その時は、狩ってやる」
「ありがとうございます」
那由は、微笑んで丁寧にお辞儀をすると、鋼玉たちの前を辞した。
「これから、どうするの?」
「どうも何も、帰るしかないだろう」
奈莉栖の問いに、鋼玉が無愛想に答えると、聖夜が慌てて言った。
「こ、こんな格好じゃ帰れません!」
聖夜は、前を完全にはだけたあられもない格好だ。聖夜の母親ももう家に帰っているはずで、聖夜の主張はもっともだ。
「いいわ、一旦鋼玉の家まで戻りましょう」
鋼玉に断りもせず奈莉栖が方針を決める。つまり、鋼玉に、二人を抱えて飛べ、と言っているのだ。鋼玉は少しげんなりした顔をしたが、何も言わずに、黙って二人を抱えて地を蹴った。




