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錬金術の憂鬱〜神様の殺し方  作者: かわせみ
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第十一章 共闘

 使役する羽からの報せを受けて、黒鴉は目覚めた。羽が標的である七月聖夜の異変を感知したのだ。


「何なの、あれは?」


 羽を通して知覚した状況は、予想していたものとはかなり違った。公園らしき場所で聖夜が、見たことのない女のように見える何かに抱きすくめられ、暫くして上空へと連れ去られたのだ。


 那由はまだ幸せそうな顔で寝息を立てており、黒鴉の問いに答える者はいない。


「あれが、鬼?」


 黒鴉も実際に鬼など見たことはなかったから見ただけで分からないのは仕方がない。鬼の血は鬼を呼ぶという。今まさに聖夜を連れ去っているその女が鬼であってもおかしくはないのだが……。鬼のようにも見えるが、何やら得体の知れないモノ、それが、黒鴉の感想だ。恐らくは……。


「あれがあいつの目的、というわけかな?」


 黒鴉はようやく、あの怪しい狩人、鋼玉が鬼の眷族である聖夜と行動を共にしていた理由に辿り着いた気がした。


 聖夜が連れ去られた公園には、黒鴉にも見覚えのある少女が一人見えるが、鋼玉の姿は近くに見つけられない。だが、それでも、鋼玉が聖夜と一緒にいたことがアレと無関係とは思えない。あの化け物なら鋼玉の行動の目的となりうる、黒鴉の勘がそう告げている。その勘が正しければ、鋼玉は敢えて聖夜を囮にしたのではないか。あの男ならそれくらいはしそうだと黒鴉は思った。

 

「何か分かったんですか?」


目を覚ました那由が、ふぁーと軽くあくびをしながら尋ねる。


「ええ。七月聖夜が何者かに連れ去られたわ。鬼かどうかはわからないけど、無関係とも思えない。今朝出会った鋼玉と話をする必要がありそうね」


 鋼玉が素直に何もかも話すとは思えないが、表向き友好な関係くらいは築けるだろう。いざとなれば、交渉材料もある。黒鴉の羽は闇夜に紛れてまだ聖夜を追っているのだ。


「じゃあ、もう出掛けるのね」


「ええ。聖夜をさらった者はまだ聖夜を抱えたままゆっくりと空を飛んでいるわ。とりあえず七月 聖夜が攫われた公園まで行ってみましょう」


***


 奈莉栖から連絡を受けるまで、仮眠もとい知識の確認を行っていた鋼玉は、奈莉栖のメールで我にかえった。件名にたった一言、「標的現る」とあるのみで、本文はない。予め用意していたテンプレートなのだろうが、詳しい情報を追加で伝える余裕がなかったともとれる。


 鋼玉は愛用のジャケットを羽織って外にでると、辺りに人がいないことを軽く確認して地を蹴った。


静動を司る理の門


 鋼玉が唯一使える魔術だ。この魔術は表裏をなす動門と静門から成る。動門から入った対象を加速し、静門から入った対象を減速するこの魔術を、鋼玉は完璧に使いこなしていた。瞬時に幾つもの門を投射可能であるし、動門と静門の向きも自在である。


 人が跳躍する場合、最初は重力加速度よりも高速で運動を開始し、重力によって徐々に減速して跳躍の頂点で一瞬静止する。そのため、頂点に達する前の加速時に動門に入れば、加速度が大きくなることでより高く跳べるのだ。これを利用して、鋼玉はかなり自由に空を舞うことができる。逆に、高所からの落下時には静門をくぐることで安全に着地が可能である。


 聖夜を抱えていた時と異なり、一人なら相当速い跳躍が可能である。時折電柱を蹴って方向転換しながら、鋼玉は聖夜から聞いた公園へと急いだ。奈莉栖のメールから五分と立たずに現場に辿り着いたのだが、鋼玉を迎えたのはイシュタルではなく、今にも泣き出しそうな顔の奈莉栖だけであった。


「ごめんなさい、あたし……」


 その一言で、鋼玉は大体の事情を悟った。


「いや、俺の見立てが甘かったようだな」


 鋼玉の信頼を裏切ってしまった情けなさと、聖夜を連れ去られた罪悪感で項垂れていた奈莉栖は、どこか淡々とした鋼玉の言葉に思わずかっとなった。


「甘いも何も、あれだけ熟練の魔術師相手なのに、何が、君なら難なく倒せる、よ! 買い被りなのか嫌味なのか知らないけど、あたし程度では到底無理だったわ!」


 奈莉栖がヒステリックに喚き散らす。


「奴は魔術を使ったのか?」


 奈莉栖の言葉に驚いたように、鋼玉が問う。


「あれの言葉を借りるなら、鋼玉に使えるのに私に使えないわけがない、と言っていたわ」


 鋼玉は暫し無言で考え込んだ。


「確かに黒曜は、俺とは違って優れた魔術師だったが……。俺がイシュタルと対峙したとき、奴には魔術を使えるほど人格の統制が取れているようには見えなかった。だからこそ、奈莉栖が遅れをとるはずはないと思ったんだが……」


「なら、可能性は一つね。あの異形は、人格を統制できるような知性を持った何かを取り込んだ」


 声は意外なところから聞こえた。二人が声の方を向くと、鋼玉と奈莉栖のいるベンチから少し離れたジャングルジムの上に黒鴉と那由が立っていた。


「そして、私たちが探しているモノも、知性を持った力の塊。私たちはそれを鬼と呼んでいます」


 那由が落ち着いた声で言う。那由の言葉に、鋼玉は暫し考え込んだ。


「鬼を取り込む、か……。確かに、可能性の一つとしてはなくもないか……。奈莉栖、どう思う?」


「封鬼の地に棲む鬼なんて見たことないのに、わかるわけないでしょ。その化け物女がそう言うならそうなんじゃないかしら」


 黒鴉を冷ややかに睨み付けながら、奈莉栖が言う。奈莉栖の言葉に、那由は驚いたように目を見開いたが、当の黒鴉は何の感情も見せていない。ただ、奈莉栖を一瞥して、


「ああ、あなたあの時の……」


 思い出したようにそう呟いたが、それ以上、言葉を続けなかった。


「ともあれ、よろしければ、お互い協力しませんか? もちろん利害が対立しない範囲で、ですが」


 険悪なムードの奈莉栖と黒鴉を気にしつつも、那由が鋼玉に控え目に提案した。


「共闘、か……。お前たちの目的は?」


 少し考え込んで鋼玉が尋ねる。


「あれに取り込まれた鬼を封じることです」


「どうやって?」


「封鬼の儀という特殊な儀式を行います。ただ、儀式で鬼を然るべく封じる前に、無理にその依代を壊せば、鬼を形作る穢れは地に還ってしまいます。それでは、意味がありません」


「鬼というのは、この地の穢れが集まって知性を持ったもの、というわけか」


「はい。ですので、あなたの目的が、あれの破壊ということであれば、封鬼の儀が終わるまで待っていただきたいのです」


「その儀式とやらは、簡単に終わるのか?」


「それは、儀式と言うからにはある程度の手順も手間も必要ですが、相手の動きを封じてさえ貰えれば、それほど時間はかかりません。長くとも十分といったところです」


 再び、鋼玉は考え込んだ。お互い、イシュタルそのものではなく、その身に宿る「何かを欲しがっている。目的のモノ自体は違えど、利益が全く相反しないというわけではないのではないか……。


「こちらばかりが情報を出すのは不公平ね。そちらはあの化け物をどうしたいの?」


 確かに情報がなければ判断できないのは相手も同様だが、相手を出し抜くことを考えるなら、手の内はなるべくさらさない方が良いはずだ。とりわけ、異端審問官のいる前で魂の回収について触れるなど愚の骨頂だ。そう考え、鋼玉は言葉を選んだ。


「俺は奴を生け捕りにしたいんだ」


「何のために?」


「あれは、俺の父の作ったものだ。野放しにしたくない」


 捕獲してどうするのかを敢えて伏せて、鋼玉は答えた。


「なるほど。こちらとしても、鬼を取り込んだモノを殺してしまっては、儀式の前に鬼が地に還ってしまうおそれがあります。私が鬼を封じて、力が弱くなったところを貴方が生け捕りにする……。それなら、利害は一致していますよね?」


「かも知れないな。だが、お互い本当に利益が相反しないかはわからない。もしこちらが協力を拒んだら?」


「別に。貴方が邪魔になると判断したら、力づくで排除するだけよ」


 それが容易いことだと言わんばかりに、黒鴉が淡々と言う。


「あら、そんな強い、強い異端審問官さまが一般人を傷付けてもいいの?」


 奈莉栖が揶揄するように言う。


「今の私は異端審問官クロア・ノアールじゃないわ。一人の友人として那由を手伝う夜月黒鴉よ

「そんな屁理屈が通じるほど甘い機関だったかしら? 異端審問官は」


「異端審問官の証、聖剣を使わなければ問題ないわ。心配しないで、そんなもの使わなくても、私は貴方たちよりよほど強いから」


 苦々しく思いながらも、奈莉栖は認めざるを得なかった。奈莉栖が以前黒鴉と対峙した時の経験では、身体的な能力だけ見ても、奈莉栖は愚か鋼玉ですら黒鴉に相当劣る。鋼玉なら、魔術を駆使してようやく互角に持ち込めるか、というところだ。聖剣と言わずとも、その特殊能力を使われるだけで、奈莉栖にはどう足掻いても勝てそうにない化け物だというのが、奈莉栖の正直な感想だった。増してや、聖剣など使われたのでは鋼玉と奈莉栖2人がかりでもどうにもならないのではないか……。奈莉栖は聖剣とやらを見たことがなかったが、異端審問官の証と言うからにはどんなに凶悪な武器であったとしても驚くには値しないだろう。


「いいだろう。表向き利害が一致しているのに、わざわざ今、ここでやり合うのは建設的じゃないしな。同盟は成立だ」


 挑発とも侮蔑とも取れる黒鴉の発言だったが、鋼玉は気にした風もなく、涼しい顔をしている。要は目的を達することができるかであり、そこを離れて強い弱いというのは彼にとって全く意味がなかった。


「あーあ、魔術師に錬金術師に巫女に教会関係者か。ステレオタイプなRPGのようね。勇者さまが足りないけど」


 奈莉栖が皮肉に笑ったが、他の三人にはその滑稽さは伝わらなかったらしく、誰も笑わない。寧ろ黒鴉は、鋼玉が錬金術師と聞いて意外に思ったようだ。狩人をしている以上、魔術師だと思っていたのだろう。


「あなた、錬金術師なの?」


 何気ない黒鴉の問いであったが、鋼玉にとって、それはなかなかに難しい質問だった。

 

 確かに、その有する知識の質と量で言えば、鋼玉は養父メルクリウスと同等の、超一流の錬金術士と言っていいだろう。しかし、彼にはそもそも追求したい真理などなかったし、黒曜を取り戻しさえすれば、その知識の使い道もない。彼は膨大な知識を単に相続しただけに過ぎないのだ。


 魔術についても同じことが言える。彼の魔力も、魔術に関する知識も、魔術士としての天禀も、或いは奈莉栖すら凌駕するだろう。しかし、彼に魔術を極める気は全くなく、賢者の石に刻まれた汎用性の高い魔術を一つ覚えたきりで満足しているのだから。


 つまり鋼玉は、錬金術師としても魔術師としても極めて高いカタログスペックを有しながら、それをほとんど活かしておらず、活かす気もないのだ。そんな彼を、錬金術師と呼ぶのか、魔術師と呼ぶのか。少なくとも、自分が何者なのかというシンプルな問いに対する答えを、鋼玉は持ち合わせていなかった。


「……そういうお前も、神の戦士には見えないな」


 結局、黒鴉の問いには答えず、鋼玉は話題を反らした。


「あなたは神なんて信じてなさそうだものね」


「信じる信じない以前の問題だ。いてもいなくても同じだと思っている。仮に、全知全能なのだとしても、何もしないのなら何もできないのと変わらない。聖書の記述の後に何かをしたという話も聞かないしな」


 どうでもいいと言いたげに、鋼玉が言う。魔術師であろうと錬金術師であろうと、反神的である必要はないのだが、少なくとも彼にとって、神は人に殺される定めのものでしかない。


「私にも神様のことはよくわからないわ。ただ、少なくとも異端審問官(私たち)は、会ったこともない神様ではなくて、もっと具体的な、目に見えるものを信じているの。程度の差はあるでしょうけどね。信仰心に乏しいわたしですら、あの方(・・・)に対しては敬意以上のものを感じているわ」


 鋼玉は興味深げに黒鴉を見た。「あの方」というのが誰を意味しているのか、鋼玉にはわからなかったが、教会にいる誰かなのだろう。黒鴉のような屈折した人間に敬意――好意ではなく――以上の感情を抱かせるとは、確かに神がかっている。鋼玉の好奇の視線に、喋り過ぎたと思ったのだろう、黒鴉は無駄話はおしまいと首を振った。


「それより、あなたたちはあの異形がどこに向かっているかは知っているの?」


「あっちの方角にゆっくりと飛んでいったことだけは把握しているわ。遮るものが無い以上、真っ直ぐ目的地に飛んで行ったと思いたいところね」


 黒鴉の問いに、イシュタルの向かった方向を指差しながら奈莉栖が答える。


「間違ってはいないわね。あれはまだ、ここから2kmほど離れた上空をゆっくり飛んでいるわ」


「場所が掴めているんだな。それはありがたい。追おう」


「あ、あの、あたしは端末が壊れてて、行っても役に立ちそうにない」


 悔しそうに奈莉栖が言う。プライドの高い奈莉栖にとって、自ら戦力外であることを告白するのは相当屈辱なのだろう。奈莉栖の目には涙が浮かんでいる。


「端末、俺のでは無理か?」


 鋼玉が自分のスマートフォンを差し出す。奈莉栖はそれを手早く調べる。


「スペック的には少し物足りないないけど、何とかいけそうね。折角行かずに済むと思ったのに、仕方ないからついていってあげるわ」


 奈莉栖の強がりに鋼玉は苦笑した。


「もたもたしてると置いていくわよ」


 言いながら、黒鴉は強く腕を振った。すると、黒鴉の両肩から生えるように、巨大な、漆黒の翼が現れた。そんな黒鴉に甘えるように、那由が抱き付く。黒鴉も那由を抱き締め、空へと舞い上がった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! まだ設定が……」


「行くぞ」


 言って、鋼玉が奈莉栖を抱きかかえた。


「え、そんな……」


 奈莉栖が真っ赤になって鋼玉を見つめたが、鋼玉は一顧だにくれず、地を蹴って黒鴉たちを追った。

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