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二つの顔


 ギルベルトは、素早く平静を取り戻して会話を続けた。

「縁って?」


 ギルベルトが何食わぬ顔で問うと、その店長は、カウンターにひじをついて近々と顔を寄せた。


「その様子じゃあ知らないようだが、この帝国の皇太子殿下のお名前はギルベルトっていうのさ。そのお方が、あんたにそっくりなんだよ。この辺りじゃあ、あんたが皇太子にそっくりだって噂になってる。あいつら皆が、そろって狐につままれたような面してやがるのは、そういうわけさ。」


 店長は、ギルベルトの肩越しに目を向けてみせた。


「無理もないだろ?気を悪くしないでやってくれ。みんな付き合いやすいイイ奴らだ。」


「見られるのは慣れてる。女性にだけどね。」

 ギルベルトは、憎めない笑顔で冗談を言った。


「だろうな。」と、店長も笑い声を上げた。「城の方へは行かない方がいい。きっと混乱を招くぜ。」


「ご忠告ありがとう、気を付けるよ。しばらくいるつもりだから、よろしく。」


「そうだな、どこから何をしにこの町へ来たのかは知らないが、定住はやめておきな。で、何にする?」


 ギルベルトは、システムがよく分からずにきょろきょろした。すぐにメニューに目を留め、何となくどうすればいいのか理解できそうな気にはなったが、そこに書かれてあるもののほとんどは、全く想像がつかなかった。


「この店は、これが美味いんだ。」


 ギルベルトの背後から、不意に誰か男性が声をかけてきた。

 やや目尻の下がった灰色の瞳の好青年だ。 


「じゃあ、あと三品ほど選んでくれないか。」

 ギルベルトも自然な感じを意識して返した。


「いいとも。酒は何にしたんだい。」


「まだだよ。」と、それには店長が答えた。


「なんだ、先にそれを頼みなよ。」


 ギルベルトは一瞬だけ考えたものの、この日は運良く冴えていて、「彼と同じものを。」と、会話の調子を崩すことなく滑らかに口にしていた。


「あいよ。じゃあビールだけど、いいんだね。」


 ビール・・・なんて、ギルベルトは一口も飲んだことなどなかったが、彼は戸惑いもせずにうなずいてみせた。


 人には何でもないこの軽いやりとりが、ギルベルトには新鮮で気持ちがよかった。彼は何か清々《すがすが》しい爽快そうかいな気分になり、店長がジョッキにビールを注いでくれている間じゅう、その余韻よいんに浸った。おかげで、実のところ気分が悪くなるほど感じていた緊張も、いつの間にやらほぐれていた。


 こうして、早くもその場に馴染なじむことができたギルベルトは、そこでふと気づいた。幼馴染おさななじみのディオマルクや、妹のアナリスと話す時くらいにしか見せない顔が、思いがけずここで有効に働いてくれたことに。そして、これが本当の自分なのかもしれない・・・と、思い始めた。


 なみなみに注がれたジョッキが、ギルベルトの目の前に置かれた。


 それを見計らっていたその青年は、続いて陽気にこう彼を誘った。

「よかったら、俺たちのテーブルに来ないか。一人だろう?」


「彼女たちのお誘いがなければ。」と、またもスラリと答えてみせたギルベルト。だがそれは、驚いたことに意図いとせず口をついて出てきた。


 そろって赤くなったウェイトレスの二人に笑顔を向けていながら、ギルベルトは内心、さっきからこんなふざけたセリフばかりが、なぜかパッと思いついてしまう自身にあきれていた。ディオマルクの悪影響に違いない・・・と彼は思い、ため息をつきたくもなったが、その返事は青年と店長には気に入られたようだった。


「俺はカーチスってんだ、よろしくな。」


「俺は・・・ギル。」


 この日を境に、ギルベルトはその連中と親しくなり、街へ出掛ける時には決まって、その店で彼らと落ち合うようになった。以後、彼はそこで魅力的な笑顔を振り撒き、気の利いた軽口を使いこなして、すぐにその居酒屋の人気者となる。


 こうしてギルベルトは、気高く威厳に満ちた皇太子の顔と、気さくで明るいただの美青年との二つの顔を見事に使い分ける、器用な二重人格者となっていった。






 ある日、いつものように夜中に帰城したギルベルトが、うまやへとリアフォースを連れていこうとすると、そこへたどり着くまでの庭園のベンチに、一人の女性が座って待っていた。


 目鼻立ちの整った、優雅な巻き毛のその美女は、ギルベルトの妹のアナリス皇女。彼女は、たまたま口にした侍女から街の噂を耳にしたことで、兄のこの不審な行動に気付いたようだ。


「お帰りなさいませ、お兄様。」と、アナリスは皮肉たっぷりに声をかけた。


「や、やあアナリス。まだ起きていたのか。じ、侍女じじょたちはどうした。」


 これは完全にバレてるな・・・と、さすがに観念したものの、声はどもる。


「お兄様に気を使ってさしあげましたの。」

「それは気が利くな。」

「今までどちらへ?」

「これ以上困らせないでくれ、頼むよ。」


 アナリスは大袈裟おおげさなため息をついてみせると、いくらかたしなめるような口をきいた。


「明日はルティーナ嬢がお見えになるというのに、寝ぼけまなこでお会いになるおつもりですか?皇太子妃になられる方かもしれませんのよ。」


「彼女は、家門の地位を上げたい両親に半ば強引に推し進められている縁談の犠牲者、その一人だろう。どの令嬢に対しても、特に必要のない政略結婚をするつもりはない。彼女には、どうぞ気にせず好きな男と結婚するといいと伝えるつもりだ。」


「どうかしら・・・。」


「何が言いたい?」


「彼女に想いを寄せる相手がいるとして・・・それがお兄様でしたら?」


「根拠でもあるのかい。」


「女の勘ですわ。」


「残念だが、好みではない。美女なのは認めるがな。」


「では、どういう方がお好みですの。そうおっしゃるなら、お兄様の方から帝国のために積極的に――」


「時には派手な喧嘩もできる女性だ。私の言いなりにならず、本気で本音をぶつけ合える女性。いつわりない愛を素直に見せてくれる、そんな人だ。」


「それはまた難しいご注文ですわね。いずれ皇帝になられる方と、本気で言い合うことのできるお嬢様なんて、いるのかしらね。」


 その嫌味には、ギルベルトはわざと大きなため息を返しただけだった。だが、そのままリアフォースを連れてアナリスの前を通り過ぎると、妹に聞こえるか否かの声でそっとつぶやいていた。


「貴族の令嬢には・・・望んでいない。」


 その声は、何か切実な響きを帯びていた。









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