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前代未聞の決断



 ギルベルトは、ある時一大決心をした。前代未聞の大胆な決断である。


 彼は幼い頃から、一度こうと決めたことは必ずやり遂げる頑固者だった。だが、無鉄砲ではなかった。それにはまず自分を作り変える必要があったので、ギルベルトは、戦場に立つために技を身に付け、体をきたえ上げたように、まずは入念な下準備から始めた。


 そこで、とりあえず自分と体格の似た若い家来をつかまえたギルベルトは、適当な理由をつけて、いきなり普段着を貸して欲しいと頼んだ。頼まれた家来も、怪訝けげんに思いながらも、何も言えずにあっさりと貸してしまった。ギルベルトはそれを着用して、ある日の晩、街へと密かに繰り出したのである。


 下町や繁華街への憧れは前からあったことだが、実際に行動を起こそうなどとは、ギルベルト自身、考えもしなかった。だが、その一大決心を実行するにあたって、外の世界を中身まで、つまり、庶民の暮らしをしっかりと知ることが必要不可欠となった。


 ギルベルト皇子の一大決心・・・それは、皇帝になる責務を放棄することである。それも、誰もが認めざるを得ない手段で。


 ギルベルトには、愛馬のリアフォースのほかに、フィクサーと名付けたかしこいクマタカ(鳥)の相棒がいた。


 そこで、警備のゆるい裏門の鍵を入手したギルベルトは、愛馬に乗ってそこから城外へ出ることと、門の近くの大木にランタンを隠しておいて、それをフィクサーに出し入れさせることを思いついた。


 城内の庭園は、一晩中照明が灯されてある。それは、灯りをたずさえなくても歩けるということ。そのため、ランタンを持ち出そうものならすぐに疑われてしまう。


 しかし、こうすれば誰にも怪しまれずに裏門までたどり着くことができ、城外の森の暗闇でも進むことができる。それまでに当然見回りの衛兵などに出会うが、夜の庭園を乗馬で散策しているふりをすればいいことだった。それが疑われないほどに、ギルベルトは、普段からそのような一人行動をよく取ってきたのである。さらに、着替えなど出掛ける支度は自室で済ませ、外套がいとうで隠していた。


 大陸北東部にあたるこの地方は、春先のこの季節では夜の寒さがまだ厳しく、庭園内の散歩程度でも防寒着は必要である。


 帝都の繁華街。


 そこは、黄色や水色の淡い色調の壁に、赤いとんがり屋根の家々が軒並のきなみをそろえる、緑に囲まれた水の都。湖から枝分かれしている川が街を貫通し、その一つは石造りの鐘楼しょうろうの下を通り抜けている。交通手段としての川を渡る小舟の障害にならないように考えられて、橋や町並みが造られているのである。


 最初ギルベルトは、店の軒先のきさきを飾る、派手だったり古風だったりする様々な看板かんばんを興味深そうに眺めながら、石畳いしだたみの路地をただあちこち歩き回っていただけだった。


 そこで真っ先に惹かれたのは、居酒屋だった。下品で荒々しい男たちがたむろするような所もあれば、陽気な若者たちに人気の小綺麗な店もある。幸い、帝都アルバドルには、比較的後者の店が多かった。


 ギルベルトは、たちまちそれにそそられたものの、衝動的に動くといったことはなく、まずは小遣いの調達から覚えた。それは、自分が自由にすることのできる高価な品を売って、金に換えるというもの。一つ換金すればかなりの額が手に入ったので、何度もする必要はなかった。


 そして、初めはぎこちないながらも、ギルベルトはどうにか庶民の服を自分で買い、そのあとしばらくは、ただ黙って街を徘徊はいかいしたのである。そうしながら、街の人々の会話に注意深く耳を傾け、少しずつ庶民のしゃべり方や世間のことを覚えていった。クリーニング店があることも知り、よそ行きの衣類(庶民の服)の洗濯の悩みも解消された。


 その頃には、ギルベルトの存在はちまたで有名になっていた。


 だが、皇太子によく似た男・・・という噂がたっているに過ぎなかった。無論、皇太子の顔を知らない者などいない。だが、都民たちが皇子としてのギルベルトを目にする時には、彼はたいてい厳格で凛々《りり》しい顔をしていた。人々の歓声に応える笑顔でさえ、精悍せいかんおごそかだった。だから、髪を適当に掻き乱し、人懐ひとなつっこい笑顔を振り撒いてさえいれば、全く違う雰囲気を作ることができたのである。その気さくな表情と、庶民の身なりと、有り得ないという先入観が、町の人々に、彼をただのそっくりさんだと思い込ませることができた。彼を見かけた休暇中の家来でさえ、大口を開けてあからさまに驚くことはあっても、疑うことはなかった。


 そして、ついにやってきたのである。

 念願の《居酒屋》とやらに足を踏み入れる日が。


 中からガヤガヤとにぎやかな声が響いてくるドアの前で、ギルベルトは気合を入れ、深呼吸をして、頭の中で店に入ったあとどうするかの段取りを組んだ。


 川のほとりに建つその居酒屋では、いつもそろう顔ぶれの間で、一つの話題が持ち上がったところだった。


「最近・・・皇太子殿下によく似た男が、夜この街をうろついているらしい。」


「俺、この前見かけたぜ。よく似てるなんてもんじゃねえ、瓜二つだ。」


「私も見たわよ。」

 その連中にビールを運んできたウェイトレスが、うっとりと目をとろけさせて言った。

「ほんとに皇子様にそっくりで、一目惚ひとめぼれしちゃった。でも、雰囲気がぜんぜん違うのよね。」


 ちょうどその時、出入口のドアがにぶきしみ音を上げた。


 それを引き開けて入ってきたのは、長身で見惚みとれるほどハンサムな若者である。


 すると次の瞬間。


 反射的に目を向けた誰もが、思わずその若者に注目した。それも、一様にぎょっとしたような顔で。


「お、おい、あいつだっ。」と、先ほどの一人が仲間に囁きかけた。


 その若者は少しくせのついた茶色の髪で、まれな青紫色の瞳をしていた。この帝国の皇太子と、全く同じ髪と目の色を。それだけではない。何よりも同じ顔なのだ。


 思い切って、とある居酒屋の出入口をくぐったギルベルト。


 たちまちにして店内の注目を浴びる羽目になったが、ギルベルトは物怖ものおじせず、とりあえず挨拶代わりににこりと微笑ほほえんでみせた。それから、店内の様子をもの珍しそうに眺めながら、カウンター席まで悠長ゆうちょうに歩いていった。


 店内の食卓は丸テーブルで、椅子は気儘きままに移動しているらしく数がバラバラ。所々でカードを使った賭博とばくなどが行われていた ―― このため一時、中断された ―― が、この時のギルベルトには理解のできないものだった。


 カウンターでは、深夜営業、体力勝負の店を上手く切り盛りできそうないかつい店長と、酒も気も強そうな色っぽいウェイトレスが数名、仕事も忘れて呆然ぼうぜんとしている。


 そのカウンター席の椅子を引いて腰掛けたギルベルトは、背中に視線という視線を感じて振り返った。


 すると、店中の客の唖然あぜんとした顔と目が合った。そのあいだ、五秒。


 予想はしていたが・・・と、肩を落としたギルベルトの顔から、あせったように視線を逸らした誰もが、あとは、どこかぎこちなく連れ同士の会話に戻った。


 その様子を見たギルベルトは、内心、ため息をついた。


 すると。


「あんた、名前は何ていうんだい。よければ教えてくれないか。」


 一人だけ、普通にそう声をかけてきた者がいた。カウンターの向こうから。


「ああ、俺はギル ・・・。」


 そこで、ハッとした。それを考えていなかった。なんと迂闊うかつな・・・とギルベルトは思い、しまったという顔をしたが、相手には上手い具合にとられていた。


 その店長は、そこでこう返してきたのである。


「ギルだって?驚いた、ほんとに何か縁でもあるんじゃないかい。」


 ギルベルトは、ホッと胸を撫で下ろした。それに、偶発的につけられたその名前が気に入った。いつまでも愛着が持てそうにない、とんでもなくかけ離れた名前を考えなくてよかったと思った。


 ギル・・・これなら、すぐに馴染なじめそうだ。









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