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願いと特訓


 エミリオの生活は、ある日をさかいに一変した。好きな読書もさておいて、一にも二にも訓練という日々を過ごさねばならなくなってしまったのである。


 特訓は決まって、軍の訓練施設で行われた。毎日そこへ連れて行かれ、まずは、体力作りからしごかれた。上着を脱いで真っ先に始めるのは、ダニルスと一緒にランニングコースを走り回ることだった。そして、休む間もなく筋力トレーニングを五種目みっちりこなし、そのあと剣術の手厳しい指導を受けるといったことを、習慣付けられたのである。


 そしてそれは、エミリオの体が慣れて耐えてこられるようになると、また限界までレベルアップした内容に更新こうしんされ続けていくので、この血の滲むような特訓が楽になるということは、決してなかった。


 しかしその裏で、ダニルスは毎回、エミリオ皇子の体調や上達ぶりをじっくりと観察し、無理はあるものの危険ではないきたえ方を常に侍医じいと相談。その都度つど柔軟に訓練メニューを組み、記録・管理を徹底した。


 また、同時にたくましく成長していくはずの体は、むしろその上達をうながすくらいでなければと、エミリオ皇子を数年で無敵の戦士に育てるというダニルスの一大プロジェクトに、料理番まで協力させた。


 ダニルスにとっては、人生を賭けるだけの価値ある密かな戦いだった。


 そんな二人の姿を、同じ場所で訓練を行っている大勢の兵士たちは、恐れ多いとおののきながら、唖然あぜんと口を開けて見守っていたものだった。


 ダニルスは、目と眉の間がくっつきそうなほど狭い凛々《りり》しい顔立ちの男だ。三十代半ばの体は見事にきたえ上げられて引き締まり、筋肉の盛り上がりが幾つも目立っていた。その貫禄かんろくに打ち勝って、まだ繊細せんさいな細い体のエミリオは、おくせず何度も立ち向かうことを強制的に教え込まれているのである。それは周りの兵士たちには目も当てられない光景であり、閣下かっかはそのうち打ち首にされるのではと心配になるほどすさまじいものだった。


「殿下、ダメです!ほら、それでは防御ぼうぎょの構えがとれません!さあもう一度やりましょう。」


 ダニルスの模造剣もぞうけんが、エミリオの脇腹にまともに入った。これで三度目だ。足には五度、手首や腕には、もう数え切れないほど叩き込まれている。


「そのように動いてはいけません!そこで剣が止まってしまいます!かわすことすらできない!」


 また地面に転がる剣。さっと顔をらして、それを見なかったことにする訓練中の兵士たち。しかも崩れるように膝を折った皇子は、地面に両手両膝を付いていた。一歩間違えれば、なんたることか土下座どげざ恰好かっこうではないか。自主練等に没頭していて気付かないふりを、誰もが必死で演じた。


 そう周りをひどく気疲れさせながらも、そのままでいるしかできないエミリオは、込み上げる涙を懸命にこらえていた。だが、どの感情によるものか決定的なものが分からない複雑な心境だった。無様な姿をさらしている羞恥心しゅうちしんなのか?この特訓の必要性が理解できない苛立いらだちなのか?上手く剣をさばけないくやしさなのか?


 羞恥心、苛立ち、悔しさ・・・どれも違うと、この状況でエミリオは不思議なほど冷静に考えることができた。そして、これじゃないかと見えてきた気持ちがあった。


 剣を振るうこと。それが嫌だと、人を殺すのは嫌だと、悲鳴を上げている自分がいる。手厳しい殺人の訓練は、それが許されない現実を、戦いを必要としている乱世であることを知れと、そう教えられてもいるよう。訓練に励めば励むほど、もろはかなくなる世界平和という夢。そのせいでつのる悲しみの涙・・・きっと、それだ。


「ランバーグ卿、なぜこのような無茶を・・・。私にはできない。このような戦いも、人をあやめることも・・・。」


 やがて声が出せるようになると、エミリオはのどからませながらやっと問うた。


 皇子がひざを付いたと同時に、ダニルスもひざまずいて背を低くすることを忘れなかった。


 無言で地面に横たわっている模造剣を拾い上げたダニルスは、いつまでも鬼コーチさながらそれを突き返すのではなく、そっと自分の手に置いてみせると、それから優しい声で答えた。


「殿下・・・いずれ必ず、ご自身のお命を、ご自身で守らねばならない時が来ます。私を信じて、付いて来てくださいますね。エミリオ様、あなたは生き抜かねばならないお人です。強くなって生きてこそ、守ること救うこと、そして・・・世をただすことができるのです。」


 項垂うなだれたままでいたエミリオは、その言葉に驚いて、うかがい見るように顔を上げた。


 今までの厳しい言葉や態度とは裏腹に、ダニルスのその表情にも、精一杯の労わりと思いりが溢れていた。だが、何か深刻味を帯びていることにも、エミリオは気付いた。しかし、かけられた言葉の意味や、それをなぜかと問うても真意は得られないと直感し、ただ黙って見つめ返していた。


 あえて具体的な説明を求めないその眼差しに、微笑んで返したダニルスは、強い口調で言葉を続けた。


「必ずできます。それも瞬く間に。エミリオ様には優れた頭脳が、戦いにおいて強力な武器がもう備わっています。ですから、自然と頭が効率的に体を動かしてくれるようになるでしょう。見込みは充分にあります。問題は、何を生かし何を葬るかの判断を、瞬時にきっぱりとできるようになることだけです。きっと、それを思うようにできるほど強くなれます。」


 ダニルスのそれは、ただの気休めや励ましではない。ダニルスはあの時・・・エミリオ皇子が火矢で襲われたあの日、それが飛ばされてきた場所や飛距離などを推測し、それを避けようと咄嗟とっさに動いた反応の速さなどが分かったことによって、皇子の素質を見抜いていた。その危険を回避する反射神経は、天性の戦闘能力を大いに期待できるものだ。精神力の強さなどは、すでに立派なものを持っている。これに、あとは鍛錬たんれんの積み重ねで身につけられる、力と技と体力をものにすればいいのである。


 しかしエミリオには、自身に隠されたその意外な才能も分からなければ、ダニルスが自分に対して抱いている懸念けねんが何であるかも、この時はっきりと頭で理解することはできなかった。


 それでもエミリオは、漠然ばくぜんと教えられたことには何か使命のようなものを感じて、「分かった。」というように、一つしっかりとうなずいてみせた。それから、目の前に横たわる、一向に馴染なじめなかった特訓アイテムに、自ら手を伸ばした。


 一方ルシアスは、息子のこの痛めつけられように少し心配し始めたものの、口出ししないと約束した手前と、ランバーグ大佐への信頼心によって、その異常なまでの猛特訓を止めさせることはなかった。それに、ひまを持て余しているルシアスは、様子が気になってそっと見守りに行くこともあったが、そこで目にしたものは、ダニルスの真剣で厳しいながらも愛情に溢れている眼差しと、それを感じ取って一心についていく息子の、見違えるような姿だったのである。


 初めは、ルシアスが特訓のことをきくと、エミリオはべそをかいたような顔で、つらそうに「大丈夫。」だとか、「平気。」だとかの返事を健気けなげに返していたが、次第にそれは嘘ではなくなり、しっかりとした頼もしい声に変わっていった。


 そしてある日、ダニルスが自ら選んで連れてきた白い仔馬を贈ると、エミリオは喜んで世話をし、立派に成長したその愛馬に乗って、本格的な馬上での訓練にも励んだ。


 そうしてエミリオは、美しく頭脳明晰なばかりでなく、戦闘能力にも優れた力強い青年へと成長していったのである。


 やがて、ダニルスが心配した通りに、エミリオは何度か死ぬ目にった。

 だが、少年の頃は事故的なものばかりだったので、ダニルス以外はおかしく思う者はなかった。


 ところが、エミリオが青年へと成長すると、事態は突然異常になる。


 そして、時には従者を巻き込み悲劇を招きながらも、エミリオ自身はかろうじて魔の手を逃れ続け、生きながらえた。


 そうなるまでには、エミリオはとっくに、その陰謀いんぼうに気付いていた・・・。









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