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暗殺の始まり


 フェルミス皇后の死後、一年も経たないうちに新皇妃が迎えられた。


 まさに全ての臣民から愛されていたフェルミス皇后を裏切るようなその行為は、当然のことながら彼らに受け入れられるはずもなく、その新しい皇妃シャロンは、本心では重臣たちからも歓迎されなかった。さらに国民の不満をかい、あきれられたことには、彼女にはすでに三歳になる皇帝ルシアスとの子、それも男児がいたのである。しかし、側近たちは以前からこの事実を知っており、この日が来るのを彼らの誰もが恐れていた。


 エミリオも、まだ母の死の悲しみから立ち直れきれずにいるところに、何の前触れもなく現れた新しい母と弟に会わせられ、ひどいショックを受けて愕然がくぜんとしたものだった。そしてなかなか心を開けず、父を憎いと思い、継母ままははといきなりできた弟を避け、密かな反抗をしたりもした。だが、まだ三歳のその義弟ランセルは、いくら不愛想ぶあいそうにされてもエミリオを実の兄のようにしたい、無邪気に近付こうとした。そしてそれに、エミリオもやがて心を許すようになったのである。


 ところが、シャロンだけは一向にエミリオを愛することはなく、それどころか、エミリオに向ける彼女の眼差しには、常に毒々しい敵意がこもっていた。


 そしてある日、人知れず行動を起こしたシャロンは、密かに暗殺者をやとった。


 春うららかな午前十時、宮殿の敷地内の東にある図書館にて。


 エミリオは、専属の教師ハタディスとの二時間にわたる授業を終えようとしていた。


「エミリオ様は、まこと物覚えが早くて感心ですな。おかげで私も鼻が高いというものです。」

 ハタディスは教科書を重ね合わせ、机の上でとんとんとまとめながら、満悦の笑みで言った。


「ハタディスの教え方がよいからだ。」と、いかにも優等生っぽい口ぶりでエミリオも答えた。


「いいえ、エミリオ様の頭の回転がよいのです。この調子ならば、次は応用問題に入れるでしょう。」


「応用は好きだ。解けた時に、とてもかしこくなれたような喜びが味わえる。」


「そうですな。では、とびきり難しいものを用意しておきましょう。」


「楽しみにしている。」


「このあとは、また読書をされるおつもりですかな。」


「ああ。気になる本を見つけたのだ。かつて滅びかけたこの大陸で、人々はどうやって国を再建したかが記されたものだ。」


 それらの内容を語る時、いつも大人びて落ち着きのあるその声は急に生き生きとはずみだし、目はまぶしいほどに輝いて、この少年は子供らしいとてもいい顔をした。だが、好んで手にする書物は、なぜか決まって難しいものばかり。


「ほっほっほっ。エミリオ様は、物語よりもいつも歴史を好まれる。少しは夢を見るのもよいものですぞ。」


「夢なら見ている。戦争のない世界だ。母上は、国の誰もがずっと幸せそうに笑っていられたらいいとおっしゃっていたが、私はそれを世界に望む。」

 エミリオは何か意気込んだ様子で、笑顔のままはっきりとそう語った。


「エミリオ様には、まこと頭が下がりますな。では、わたくしはまた先に退室させていただいても?」


「ああ。構わぬ。」


 平屋造りの図書館の、その部屋の窓は大きく開け放たれていた。気温が高い日、風が無ければ大抵窓は開けられている。そして、時間がきて授業を終えたハタディスが部屋を出て行く姿は、その窓越しに確認することができた。図書館のそばにも通常 衛兵えいへいが配備されることになっているので、いつも通りに、この日も一人そこに立っていた。


 その男は、見た目こそごく平凡な顔つくりで、確かに衛兵の制服を着用してはいる。ただ、特別にやとわれたこの男は、周囲よりも図書館の方ばかりを気にしていた。


 この男、衛兵などではなかった。


 実は、これまで数々の殺人を犯している暗殺者。それも、猟奇的な殺人犯だ。その面上に今、不気味で残忍そうな笑みが浮かんでいるのは、そのためである。男は、この時想像していた。あたかも聖者様のような美少年が、その美しい顔を歪めて苦しみもがく姿を・・・。


 エミリオが立ち上がると、窓の向こうから、不意に、コンコンという甲高かんだかい音が聞こえた。何かが木の幹を叩く音。そこにキツツキがいるとしたら、そういう音をたてるのかと誰もが興味を引かれる音である。当然、エミリオも好奇心を掻きたてられて、窓辺に歩み寄った。ところが、そこからしばらく外を見渡していたが、いつもなら一人はいる警備の者さえ見当たらない。


 エミリオは、残念そうにため息をついて背中を返し・・・かけたが、ふと気付いて、開け放たれたままの窓とまた向かい合った。


 エミリオは心臓が止まるほど驚き、サッと窓辺から離れた。


 真正面の数メートル先。そこにある木の後ろ。そこから弓矢を構えた人影がヌッと現れたかと思うと、先端を燃え上がらせた火矢がいきなり向かってきたのである!


 その時の動き、エミリオが驚きながらも避けようとしたそれは、戦い慣れた戦士が危険を回避する反応に近かった。恐らく天性によるもの・・・だが、矢は瞬く間に胸の上に刺さり、エミリオは短い悲鳴を上げて後ろへ倒れこんだ。反射的にも右肩を引いたおかげで傷は浅いが、矢が着衣に食い込んだままであるので、このままでは焼け死んでしまう。そこで冷静に手を動かし、燃え広がる前に自分ですぐに服を脱ぐことができればいいが、十一、二歳の少年にはまず無理というもの。そもそも背中を狙うつもりでいた暗殺者にとっては幸運なことに、やはりエミリオはパニックを起こしてしまった。 


 しかし、その男の幸運も続かず、ちょうど建物の角を曲がってきたダニルス〈ランバーグ大佐 ※〉 が、偶然、その悲鳴を聞きつけたのである。


 驚くよりも早く、ダニルスは開いた窓に手をついて中へ飛び込んだ。そこで目にした信じられない光景にも戸惑うことなく、ダニルスは皇子の体から素早く矢を引き抜くや、すぐに上着を脱いで炎を叩き消した。次いで、とっさに捨てた火矢をも冷静に踏み消した。


 皇子を抱き上げたダニルスは、急いで窓から庭に飛び出し、近くの噴水ふんすいへ向かった。そして水に浸した自分のシャツを、焼け焦げた皇子の上着の上から慎重に押し当てた。幸い命は無事だが、矢が刺さっていた胸の上辺りの生地は破れ、その下からのぞいている火傷やけどは、もう皮膚がめくれて赤くじくじくしている。


 エミリオは、今そばにいるのがランバーグ大佐だと認識することもできない状態で、苦痛よりは恐怖のあまり固く目をつむったまま、悲鳴のようなうめき声を上げ続けていた。


「殿下、殿下・・・エミリオ様、お気を確かに。私が分かりますか。ダニルスです。」


 その声を聞くと、やっとのこと落ち着きを取り戻したエミリオは、うっすらと目を開けて、目の前にいる人物を確認した。


きょう・・・。ランバーグ卿・・・火が、火・・・」


「ええ、もう大丈夫です。大丈夫。ですが、すぐに手当てをなされませんと。」


 歩兵軍の大佐としても部下から絶大な人気と信頼を得ているダニルスは、安心感を与える笑顔と共に何度もうなずきかけた。


 そこへ、やや離れた場所にいた衛兵と、図書館の正面入り口で待機していた付き人が、ようやくこの事態に気付いて駆け寄ってきた。


 その付き人に、エミリオ皇子をすぐに侍医じいに診せるよう命令したダニルスは、もう一人には厳しい目を向けた。


「図書館の西の衛兵はどうした。」

「は、いえ、その、確かに一人いたはずですが。」

「誰もいなかったぞ・・・いるのを見たのか。」

「はい。」

「その男だ、捜せ!」

「は、はい!」


 その兵士が言われた通りに駆けて行くのを見やりながら、ダニルスは渋面を浮かべて顎に手を当てた。家来がこのような謀反むほんを働くとは、考えられなかった。


「一体、どうなっている・・・。」


 しばらくそのまま考え込んでいたダニルス。だがひとまず、現場検証のために図書館へ戻った。


 矢は、まだそこに落ちていた。ダニルスがそれを拾い上げてみると、油の臭いのする焦げたぼろ布が巻き付けられてある。それを持って、ダニルスは窓辺に立った。そして、そこから見える太い木の、ニ、三本に鋭い目を向け、その時の状況を想像してみる。


 ダニルスは、自身も火傷を負った右手を見つめた。






※ ランバーグ大佐 = エルファラム帝国軍大佐 ダニルス・ランバーグ







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