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悲しみに沈む帝都



 一見、何の問題もなく幸せな日々が続いていても、病魔は深く根を張りひたひたと彼女の体をむしばみ続ける。


 無論、このことを知っている誰もが、助けられる方法を必死になって探し続けた。しかし一般的な医学や医術ではもはや不可能。ならば特殊能力に頼るしかないが、大陸 屈指くっしの大国とうたわれるここエルファラム帝国でも、存在する神精術師はごく数名。しかも彼らは医師ではなかった。例えそうだとしても、突然死に至らしめてしまう危険を考えると、激しい葛藤かっとうの末に、結局名乗りを上げることはなかっただろう。また、国一番の名医である侍医じいも霊能力を持っており、医術の分野においてのみ呪術を使うことができたが、同じ理由で思い切ることはできず、進行を遅らせるだけが精一杯でいた。


 そんな中、フェルミスの体は、次第に侍医も手に負える状態ではなくなっていく。そうして、フェルミスはある時から頻繁ひんぱんに体調を崩すようになり、侍医にもかかりっきりで、何日も療養しなければならない状態を繰り返すようになってしまった。


 そして、エミリオが 10歳になった年、とうとう無情にもその日はやってきた。


 フェルミスが自力で起き上がることもできなくなってしまってから、使われ続けていた病室。この日そこに、皇族だけでなく、軍の上官や政府の権力者がずらりと顔をそろえた。その誰もが、いつわりない悲しみをあらわにしたままたたずんでいた。また、皇宮中の召使いたちも、悲嘆ひたんに暮れて涙を流したり、そんな思いに耐えながら仕事をしていた。


 ひどく浅い呼吸をやっと繰り返しているフェルミスの枕元には、夫のルシアスと息子のエミリオがいる。


 侍医もその二人の向かいにいるが、もはやほどこせる手は何もない。ただ彼の隣にいるエマカトラ(修道女の長という意味の称号)が彼女の胸に手を当てて、死にともなう非常な苦痛を和らげてやっているだけである。


 フェルミスも、間もなくおとずれる死をいさぎよく受け入れようとしており、周りの誰もがそれを理解して、覚悟を決めねばならないことを分かっていた。


「エミリオ・・・あなたは、いつも私と一緒にいたから・・・母のお願い・・・分かるわね。」


 途切れ途切れに押し出されるその声はひどくはかなげで、どっと絶望感に襲われた。だが、これに答えるのに涙を見せてはいけない。そう思い、エミリオはしっかりとうなずいてみせる。


「はい、母上。」


「本当に、あなたは頭がよくて優しい子・・・。あなたが、いずれ王となった時・・・どうか・・・その清らかな心のままで・・・。」


「母上、母上がこの国の民のためになされていたことは、必ず私も・・・」 

 エミリオは急に声を飲み込み、眉をひそめた。


 母のまぶたが、まるで眠るようにすうっと閉じられていく。ただ疲れた体を休めるかのように、ほほ笑んでいるようにも見えるほど、優雅に。それは、修道女の長であるエマカトラの力のおかげだ。それによってフェルミスは、綺麗な表情のまま安らかにそうすることができた。


 だが素直になれば、まだ子供であるエミリオだけは気持ちの整理をつけきれていない。だからエミリオは、本当ならすがりつきたい思いで母の手をとり、思わず声を上げた。 


「母上・・・?母・・・⁉」 


 しかし長いまつげに覆われた瞳も、形の良い綺麗な口も、こたえる気配はなくぴたりと閉ざされたまま。もうまぶたはぴくりとも動かず、戸惑いをこらえてじっと耳を澄ましてみても、その唇からはかすかにさえ呼吸を感じることができなかった。


 なのに透き通るような青白い顔は、もはや死に顔でありながらまぶしいほど美しい。


 すると間もなく・・・。


 エミリオの視線が宙に舞い、そこで止まった。


 そして、ひどく悲しげな表情を変えることはできないものの、エミリオは母の体の上を食い入るように見つめ、やっとのこと一つうなずいた。


 侍医もエマカトラも、気付けば虚空こくうに向かって頭を下げている。


 ってしまわれたのだ・・・と分かり、そこにいる王侯貴族や騎士たちも、同じように心から礼を尽くした姿勢を一斉いっせいにとった。


 そうして天に召されたフェルミスは、満足そうな顔をしていた。我が子のたのもしい声を聞きながら息を引き取り、最も長く見送られて行くことができたのだから。


「フェルミス・・・。」


 かたわらで弱々しくそう呟いた父を、エミリオは呆然ぼうぜんと見上げた。


「父上・・・母上が・・・。」


 無言で肩に手を置かれたエミリオは、言葉の整理がつかないままに声を消した。そこで目を閉じた父の顔が、深い悲しみに耐えながら、威厳いげんを保とうとする苦しみでゆがんでいたからだ。それに影響されて、エミリオも声を上げて泣くのを我慢し、嗚咽おえつすらこらえた。


 だが涙までは止められなかった。魂は抜けきり完全な亡骸なきがらとなった母の手でも、名残なごり惜しくてまだにぎりしめながら、エミリオは静かに頬を濡らし続けた。


 暗く冷たい、夜の海の底にいるような静寂せいじゃくが続いた・・・。









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