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ガザンベルクの騎兵軍大将


 その頃、美しく輝く青鹿毛あおかげたくましい黒馬に乗って、上等な外衣をまとった男が一人、サガの町へ向かっていた。


 男の名は、ジェラール・ダグラス・リストリデン。ガザンベルク帝国の侯爵こうしゃくであり、若い騎兵軍大将である。彼の本来の目的は、南へおもむいている軍と合流するために、駐留地バラローマへ行くことだったが、彼はその予定よりもずいぶん早くに出発し、ネヴィルスラム王国の戦禍せんかを免れたとある町に立ち寄って、二日滞在した。今は、三日目の朝になる。


 カーネル総督そうとくがこの日、サガの町において事を始めるというのを知っていたためだ。






 総督が去ったあと突如気絶した傷だらけの少年を見下ろしたまま、部隊長はいつまでも動けずにいた。少年を支えている二人の部下は、何も言わない。ほかの者はみな、総督の命令に従って捜索に向かった。子供たちの泣き声は、まだ辺りにこだましている。


 そんな中、部隊長はまさに決断しようとしていた。彼は、二人の部下と強張こわばった顔で目を見合った。


 総督の命令は絶対だ。閣下はいたぶって殺せと言った。なんと残酷極まりない言葉だ。なんとむごく辛いことだろう・・・。それならいっそのこと、ひと思いに首をねてやった方がよほどいい。優しくて勇敢な少年・・・せめて楽に死なせてやりたい。今ならできる。少年が気を失っている今なら・・・。


 部隊長はそれから、顔を上げて子供たちを見た。


 だが、この場ですべきではない。子供たちに、この世のものとは思えぬ恐ろしい場面を見せることになる。しかし・・・この少年が目を覚ましてしまってからでは・・・。


 部隊長は震える手でゆっくりとさやから剣を引き抜き、少年に一歩にじり寄って、のろのろと剣を上げていった。


「見ていなくていいぞ。」と、部隊長は静かな声で部下たちに言った。


 二人の部下は、躊躇ちゅうちょもせずに目をつむった。


 こんなことは間違っている。私は、人として最も愚かなことをしようとしている。悪魔の手先に成り下がるのか。必ず後悔する。あとで死にたくもなるだろう。一生 さいなまれ続け、自分を見失ってゆくだろう。見逃してやるべきか・・・。だが、ここにいるのは私だけではない。それが知られれば、あの男にどんな不幸をもたらされるか分かったものではない。やるなら今だ。早くしなければ・・・少年が気付いてしまう。


 部隊長は心の中で葛藤かっとうしながら、うな垂れてぐったりしている少年のうなじに、やがて鋭い刃を当てた。それは一瞬、殺人的な陽光を受けて白く光った。


 すると突然、そこへ身のすくむようなひづめとどろきが聞こえた。白壁と円錐えんすい形の屋根がひしめき合う住居群を、見事にきたえられたたくましい黒馬が猛然と走り抜けてくる。


「何をしている!」


 ハッとした部隊長と二人の兵士は、その馬にまたがった人物が誰であるかを見てとって、さらに仰天ぎょうてんした。


「ダグラス将軍 ⁉」


 目前に見えた信じられない光景に、あわてて馬をせてやってきたジェラール〈ジェラール・ダグラス・リストリデン〉は、くらから飛び降りて、ぐったりしている少年の顔と背中の傷をうかがった。ジェラールはみるみる険しい面持ちになり、部隊長に厳しい目を向けた。


「何をしているのかときいておるのだ。答えよ。」

「はっ、カーネル総督の命により・・・この者の処刑を。」

 部隊長はしどろもどろに答えた。

「処刑だと?子供ではないか。いったい何をしたというのだ。」

「は・・・総督に・・・その・・・唾を吐きかけ・・・はずかしめましたゆえ。」


 ジェラールの表情が急変し、呆気にとられた顔になった。


「ダルレイに唾を?」ジェラールは思わず声を上げて笑っていた。そして、「なるほど、それはいかにも大罪だ。」と言い、興味津々という顔でさらに問うた。「それで、どういう経緯いきさつでそんなことになった。」


「はっ、泣きわめく子供たちを黙らせるための見せしめに、初めは別の少年を引っ張り出してきたのですが・・・その少年をかばって石を投げてきたのがこの少年でありまして・・・それで総督の怒りを。」


「身代わりになったというわけか。この背中の傷は、その鞭だな。これが見せしめか。拷問よりひどい。」


 それを実行した兵士は、自分のしたことが恥ずかしくてならないという顔でうつむいたが、ほかの二人も同じ面持ちでジェラールから視線をらした。


「この少年は泣いたか。」


「いえ。」と、鞭を振るった兵士は答えた。


「だろうな。でなければ、これほどになるまで痛めつけられるはずがない。ましてや、唾を吐きかけるなど。」


「立派に・・・耐えていました。そのうち悲鳴も漏らさなくなり、なお凄まじい目つきで総督をにらみつけていました。そして、総督が顔を近づけたところに唾を・・・。」


「素晴らしい少年だ。」ジェラールは、またたまらず笑った。その兵士がいよいよ重い口調でそう報告しているというのに。そして、「痛かったろうな。」とつぶやいた。


「・・・は・・・子供にはとても・・・」


「お前の話だ。」


 ハッと息を飲み込んだその兵士は、「・・・ですが、その少年の痛みにはかないません。」と、やはりうつむいて答えた。


 ジェラールはうなずいて、言った。

「あっぱれな忍耐力と、決して屈しない強い精神力。この少年のように生きたいものだな。我々軍人に必要な根性だ。見習わねばならん。その痛みと共に、しかと覚えておくがいい。」


 ジェラールはそれから、今の言葉に強く胸を打たれて呆然としていた部隊長に向き直った。


「何を考えていた。」と、ジェラールはきいた。


 部隊長は目を瞬いた。

「え・・・。」


「理性と誇りがあるなら、何か考えたことがあるだろう。躊躇したか。」


 すると、部隊長の顔が羞恥しゅうちと自己嫌悪で辛そうにゆがんだ。

「はい・・・。必ず後悔する・・・一生 さいなまれ続けるに違いないと。ですが、それが分かっていながら私は・・・。」


 彼の言葉を制するように、ジェラールは言葉をかけた。

「もうほこりを持つことはできなくなるぞ。過ちを犯していれば、その記憶はあとあとお前を破滅へ追いやることになっていた。悪魔の手先に成り下がることはない。」


 ジェラールはそう堂々と総督の悪口を口にすると、もう一度レドリーの顔をのぞき込んだ。その少年、レドリーに並々ならぬ魅力を感じた。


「よし、承知した。この者の処分は私が引き受けよう。責任は私がとる。」








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