失せろ・・・
建物の中は古くて黴臭く、長いあいだ清掃がされていなくて汚れている。この二階の部屋には、外付けの木の階段を上ってきた。軋む床板の下では何の物音もたたず、気配を全く感じることができない。
つまり、ここは廃屋。
その中で、彼女は不躾な五人の男に囲まれていた。
「見たところ相当高価な物らしいが、当然それなりの感謝を示すのが礼儀ってもんだろう。まさか、ただで返してもらおうなんて、思ってないよな。」
そう言いながら迫ってきたのは、赤毛のずんぐりした男。仲間と目を合わせ、薄笑いを交わすその手からは、オレンジ色に輝くペンダントがぶら下がっている。
宝物とはまた違う、失うわけにはいかない、それは彼女のとても大切なもの。
「あの・・・お金のことでしたらまた改めて・・・。」
そう言いながらも、この男たちの悪巧みには、さすがに彼女ももう気付いている。
務めの帰り道でのことだった。
そのペンダントの鎖が切れて落としてしまい、明らかに何かを探しているという様子で道を戻っていると、この男たちのうちの一人に声をかけられたのである。そして、その時はいかにも誠実そうに見えたその男に、すぐに返してもらえるものと思いついて行ったところ、行き着いた先がこの廃屋だった。そしてその男は、この建物に入ったとたんに人が変わってしまった。ここは男たちのアジトだ。
「金が無けりゃあ、それはそれで構わないんだぜ。別のもので払ってくれればいい。むしろ、こんな美人なら好都合。しかもあんたは・・・。」
そこで赤毛の男は言葉を切り、ペンダントをポケットに収めた。そして、目の前にいる美女の着衣――修道服――をじっくりと眺めて、手で口を拭いた。
この男が動きだした時から、彼女も少しずつ後ずさりしていた。出口の方へ。だが今、すぐに逃げ出さなくては・・・! 彼女は勇気をふりしぼり、あわてて背中を向けた。ところが、恐怖で力が入らない・・・! 足も腰も萎え、倒れそうになって、とっさにそばにあったもの―― ガタガタに壊れた椅子 ―― に手を伸ばした。大きな音があがった。
居酒屋が軒を連ねる裏通りを歩いていたレッドは、不意に頭上でした大きな物音に立ち止まった。
驚いて見上げると、すぐそばの古びた建物の二階から、薄暗い灯りが漏れている。どうせ不良の溜り場でのくだらない喧嘩だろうと思い、一度はそのまま歩き過ぎた。だが妙だと気付いて・・・つまり、物音もそれきりで言い争う様子もないことから、また足を止めた。傷害・殺人事件の可能性も否めない。もし重体の者がいれば、救命処置をとらなければ。
レッドは踵を返して、その建物の裏口らしいドアへと続く外付けの木の階段を上がっていった。
真上から照らしてくる壊れかけのランプの薄暗い明りを、彼女はすっかり無気力な目で見つめていた。さっき殴られた頬の痛みもわからず、楽しそうに何か罵ってくる男たちの言葉も頭に入ってはこなかった。ただ、ひどく惨めな気持ちと、羞恥と悲しみで涙は浮かんだ。そして今はもう、心の中で懺悔することに、むしろ救いを求めようとしていた。
ああ神よ、お許しください。私は・・・。
すると、突然 ――!
ドアが開いた。ギシギシと足音をたてながら、また一人、誰かがみるみる近づいてくる。そうかと思うと、足元にいた男がパッと放れた。悲鳴と、鈍い衝突音、それから周りが騒然となった。床の上を人が転がり回る音、ひどい呻き声。さらには、覆い被さっていた男は勢いよく飛んでいき、横にいた男二人もいきなり派手な尻餅をついた。
そもそも、全てが一瞬の出来事だった。そこにいた誰もかれもが、凄まじい力であっという間に彼女から引きはがされたのである。
鋭い瞳の、いかにも腕のたちそうな風貌の若者に。
今、その男 一一 レッドは、ただでさえキツい双眸をいよいよ鬼のようにして、彼女の頭の上にいた巨漢の胸倉を片手一つで捻り上げているのだ。
「ぐああっ、やめろ、死ぬ、止めてくれえっ ――!」
足がほとんど付かなくされているその赤毛の男は、今にも死にそうな声で命乞いをした。が、レッドは凍てつくような目つきで、そんな男をじっと見据え続けるだけである。
「こいつっ !」
我に返ったその仲間たちは、次々と拳を振りかざした。
ところがレッドは、空いている方の腕で、最初の相手の顔面にいち早く鉄拳を叩き込み、その男が後ろへ倒れたところに、手にしている粗大ゴミを食らわせた。次いで二人目を一瞬の腕の動きでまた殴り倒すと、続けざまに三人目の攻撃をさっと躱して、その男の鳩尾に豪腕を突き入れた。直後に背後から襲いかかってきた四人目には、男が壁まで飛ばされる強烈な蹴りをお見舞いした。実際その威力は衝撃で羽目板がへし折れるほど。
レッドがそうして男たちをものの数秒でのしていく間に、彼女は着崩された袖をあわてて引き上げようとした。どうしようもなく体が震えて少し時間がかかった。ショックで頭も混乱していた。それでもなんとか着衣の乱れを直し、強張る指で自身の両腕をぎこちなく抱き締めた。
一方、男たちはみな、レッドの反撃によって痛めたところに手をやりながら、しきりに辛そうな呻き声を上げている。
「失せろ・・・。」
呼吸ひとつ乱れてはいない冷ややかな声で、レッドは言った。
男たちは戦慄を覚えた。声も出ず、誰もがただ目を大きくして、突然現れたその若者を見つめている。
すると、レッドの顔がサッと凄みを増した。男たちを殴りつけている間でさえ、険しいながらも冷静なように見えていた、その顔が。
「分からねえのかっ、命が惜しけりゃ俺が本気でキレる前に失せやがれっ‼」
さんざん連中を痛めつけたあとで、レッドは物凄いドスを利かせてそう怒鳴った。危うく狂いそうになるほどの憤怒が、そのゾッとするような形相や、唸り声でも聞こえてきそうな息遣いに表れていた。このあと、まだ懲りずに誰か飛びかかろうものなら、レッドのそれは本当に脅しではなくなる。
だが賢明にも、男たちはみな、レッドの凄まじい見幕に幸い命の危険を感じて、ある者は強がった捨て台詞を吐き、ある者はひいひい悲鳴を上げながら、とにかくみなさっさと逃げだしていった。なにしろレッドのその目つきときたら、まるで飢えからくる狂気で冷静を欠いた猛獣のそれと、少しも変わらなかったのだから。
そして・・・気まずい静寂が訪れた。




