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生き抜いて・・・!


 体がようやく回復したエミリオは、昨夜、主人に出て行くことを伝えていた。何度か黙って去ることも考えたが、子供たちからしたわれるようになったことで、突然、不自然に姿を消すより、きちんと別れを告げるべきだと思い直した。さんざん世話になっておいて、逃げるような去り方は失礼だとも。それに、自分はきっと死んだと思われているという、心の余裕が少しあった。 


 朝焼けが引いていき、空があわい黄色や青に色づき始める早朝。


 仕事へ出掛ける主人を見送ろうと、エミリオも子供たちと一緒に軒先のきさきに出た。


 一足先に外へ出ていた夫人は、井戸からみ上げた水と、弁当を夫に手渡していた。


「そうだ、昨日の話だが・・・。」

 水筒と弁当をリュックに入れながら、ウィルが言った。

「君がくれた髪には、とてもいい値がついたと妻からきいた。それで旅の準備を整えるから、それまで待ってくれないか。国境まで見送らせてくれ。」


 エミリオは唖然あぜんとなった。彼はなぜ、そんなことを言いだすのか。そこまでしてくれるのかと。これには、なにか変な感じがした。それに、髪については、せめてもの恩返しのつもりでしたことだ。自分のために使われては意味がない。


「いえ、それでは――」


「とにかく。」と、ウィルはその声をさえぎった。「君を見つけた時、とにかく分かったことがある。君には何か危険が迫っていたこと。そして、それが不当であることだ。」


 ウィルは、皇子が死んだと思われているとしても、彼一人で上手く国境を超えられるとは思えなかった。そもそも、エミリオ皇子は、世間の暮らしの何も分からないはず。教えておきたいことも、たくさんある。だからウィルは、国境までの旅でそれができると考えた。


 ウィルはそれから、ここではなんだから・・・というように、子供たちを見た。


 その視線から、エミリオも空気を察した。


「道中、また二人で話そう、な・・・。」 

 ウィルは明るい声で言い、微笑んだ。


 そのウィルの顔から、不意に、エミリオの視線がれた。急に青ざめた顔で後ずさりしたかと思うと、いきなり雑木林ぞうきばやしの方へ走り出したのである。


 ウィルもハッとした。


 その直後、騒々《そうぞう》しい足音が近づいてきた。


 思い思いの戦闘服に身を固めた刺客しかくたち。再び現れたそれらは、民間人の前で白昼堂々の襲撃となると予想し、もはや軍服を捨てていた。一家には目もくれずに、エミリオが駆け込んだやぶの細道へ向かおうとしている。


 ウィルも素早く動いた。彼らが家の前を横切ろうとした時、その前に立ちはだかったのだ。


 すると、そのことにエミリオが気づいた。条件反射で慌ててきびすを返し、刺客たちの前へ戻ろうとする。このままでは、彼を巻き込んでしまう。


 それが分かったウィルは、一瞬、迷うような素振りをみせた。が、男たちに向き直ると、思いきったようにこう言った。


「あなた方がもしそうなら、分かっているはずです。あの御方は、死なせてはならないと。」


 刺客たちは凍りつき、その場に立ちすくんだ。


 もうその声が聞こえるところにいたエミリオも、驚いて足を止めている。


「そうとうな事情がお有りでしょう。ですが、どうか目を覚ましてください。」


 ウィルは、それから妻を見た。


 真剣そのものの眼差しは、決意と、願いやほかにも何か切実な意思疎通(そつう)を、無言のうちに図ろうとしている。それを、夫人も恐れながら見つめ返していた。


 ウィルはそのまま、母親にしがみついておびえている子供たちにも目を向けた。


「パパがいなくても、大丈夫だから。」


 刺客たちには、信じられなかった。彼はそこで、にっこり笑ったのだ。草刈鎌くさかりがまを握りしめて。その農夫は、子供たちに笑顔を向けながら、明らかに異様な様子で仕事道具に手を伸ばし、中からそんなものを取り出したのである。


「大丈夫だから、ママと仲良く・・・。」


「何をするつもりだ。」


 刺客たちのリーダーが、そう声を震わせた。先ほどとは打って変わり、その農夫は必死の形相ぎょうそうをしている。


「あなた方がもしそうなら、必ず受け入れてくださるはず。必ず・・・。」


「待て!」


 リーダーは慌てて叫んだが、それは覚悟を決めた男の声と重なった。 


「お逃げください、皇子様! このうちに、逃げて・・・」


 やはりそうだと誰もがハッとした。小型の草刈鎌などで、長剣を相手に戦えるはずがない。


「生き抜いてください!」


 そして次の瞬間、ウィルはその場でさっと鉄鎌てつがまを振り上げると、なんと自分の腹をめがけてひと思いに突き刺したのである。さらに、残る力の全てでそれを引き抜いた腹部からは、みるみる生々しい血があふれだした。


 ウィルは前のめりに倒れ込み、すぐに動かなくなってしまった。


 ウィルは見抜いていた。エミリオの正体だけでなく、そうと本気になれば、いつでも命を捨てることのできる男だということを。その行動は、この先そうはさせないための計算された決断でもあった。


 刺客たちは愕然がくぜんと立ち尽くしている。


 だが恐怖で固まっていた二人の少女は、周りが気付いた時には血だまりの中にいた。悲惨ひさんに泣きわめきながら、父親の体を乱暴に揺さぶっている。遺体を。現実を受け止められずに狂いかけている。


 エミリオもまた膝からくずおれそうになって、ふらりとニ、三歩よろめいた。何も考えられなくなり、呼吸さえできなかった。


 しかし、この状況でただ一人、気を確かに保っている者がいた。


 子供たちに駆け寄って二人を抱き寄せた夫人だけは、取り乱しもせず、立派に夫の死を受け止めていたのである。

 

 突然立ち上がった夫人は、泣きじゃくる子供たちから離れて、家の中へ駆け込んで行った。だがすぐに出てきたその両手は、何か大きなものを抱えている。


 布で覆われた大剣だ。


「逃げて下さい、早く!」

 エミリオに駆け寄った夫人は、それを持ち主につきつけて言った。


 この行動は、思わず動きを封じられていた刺客たちをも圧倒した。


 ところが、ひどく震える手で思わず受け取ったエミリオもまた、ショックで腰はえ、一歩も動けない。


 夫人は、そんなエミリオの胸を両手で突き飛ばした。


「主人の死を無駄にしないで!」


 背中を返したエミリオは、追いたてられる思いで泣く泣くその場から逃げ出した。


 刺客たちの何人かが駆けだそうとする。


 だが、隊長がそうはさせなかった。彼は、見ろ・・・というように首を動かし、そして言った。


「我々はめを負った・・・。」


 響き渡る幼い泣き声は、いくらか自分を取り戻した男たちの胸を、何度も、深く真っ直ぐに刺した。









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