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懐かしい温もり



「何か食べないといけないわね。ちょうどお野菜のスープを作ったの。」


 彼女は明らかに気を使っていると分かる様子でそう言い、部屋を出て行ってしまった。


 実際、エミリオは何を言ったらよいのか分からなかった。この家族が貧しいということは、部屋の様相を見れば一目瞭然いちもくりょうぜん。何も無いからだ。自分は毛布で暖められた寝台にいて、そばに暖炉があったが、ほかにめぼしいものと言えば、色褪いろあせたやぶれかけのカーテンと、修理がほどこされた低い棚だけだった。ここは居間らしい。だが、椅子はベッドの横にある一つだけ。このベッドを運び込むために、ほかの家具は別の部屋へ移動させたのではないか、とエミリオは考えた。それに壁や床や天井、全てがひどくいたんでいる。家屋かおく自体が。


 エミリオは、たちどころにさとった。この家庭に、他人の世話までできる余裕はないだろう。部屋や、日々の食事や毛布を提供できる余裕は。しかも、暖炉はこの部屋にあるではないか。この冷える夜はどうしているのか・・・。家族全員が満足に眠れているのか。いや、恐らくは・・・。


 ひどくやるせなくなった。なぜ死ねなかったのかと、自分に腹を立てた。もう誰も必要とはしていない、守るべきものもない。愛する者にも、愛してくれる者にも、もう会うことはない。


 なのに、なぜ流木になどつかまったのか。なぜ・・・生き延びようとしたのか。


 分からなかった。 


 ひどい自己嫌悪に陥り、エミリオは痛むのも構わず、傷ついた両腕を無理に動かして顔を覆った。


 そこへ、しばらく部屋を出ていた夫人が、野菜の煮込みスープを載せたトレーを持って戻ってきた。


 エミリオはあわてて、だがさりげなく目をこすった。


 夫人はトレーを、ベッドの空いている場所へそっと置いた。


「お待たせして、ごめんなさい。さあ、今度はゆっくり、私につかまって。」


 背中と胸に手を回してもらい、そうしてエミリオは、時間をかけて上半身を起こした。


「その腕じゃあ辛いでしょうから、食べさせてあげるわね。」


 彼女は笑顔を絶やさなかった。大きなスプーン一杯にスープをすくい、それに息を吹きかけて冷ましている間も、時々、視線を向けてきては微笑んだ。


 死んでも構わないような体を、きっと苦労して救わせたうえ、迷惑をかけている。なんとおろかで、みじめなことだ・・・。エミリオは恥ずかしかった。死んでもいいと、そう思っていたはずなのに・・・死にきれなかった。あげく、貧しい家族の世話に・・・。


 するのは礼ではなくびだ、と思った。だが、あまりに申し訳なくて、言葉が出てこない。それどころか嗚咽おえつが漏れ、思わず動揺して、ますます止められなくなってしまった。


「う・・・うう・・・。」


 どうして、自分はこうも関わった者を不幸にしてしまうのか・・・。エミリオはたまらなくなり、目をぎゅっと閉じた。


 とうとう、涙がこぼれた。あとから、あとから湧いてくる。もはや自分の中で何かがこわれた気がした。こんなことは、子供の頃以来なかった。


 そう、母を亡くしてからというもの、エミリオはあまりにも苛酷かこくな人生を送ってきた。これまで知らずと押さえつけていた感情が、一緒にあふれ出すようだった。


 と、その時。


 不意に、なつかしい温もりがした。遠い昔に味わった感触。うつむいていたエミリオは、夫人の両腕に包まれていることに気づいた。


 十歳にも満たない少年のように泣きじゃくっている、自分。みっともない・・・と、頭で分かりながらも、不思議と恥じはしなかった。それを上回る安らぎが覆ってくれていた。 


 母を亡くしたのは、まさに十歳の時。自分の少年時代は、そこで終わったようなものだった。それからは、甘えることができなくなったから。思えば、恐怖やつらさを感じた時に、誰かが抱きしめて、安心させてくれるということもなくなった。それは母だけがしてくれたことだ。


 優しく抱き寄せられて素直に身をゆだねていると、エミリオはもう、無理に涙を止めたいとも思わなくなった。まじないでもかけられたような、奇妙な感じがした。


 もし正体を知られていたら、こんな姿は別人のようだと思われるだろう・・・。








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