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瀕死の逃亡者


 エミリオの体は、まるで植物と川の精霊たちがそうしたように、川べりから水中に伸びている大木の枝や根の間で、沈むことなくとどまっていた。無意識のうちにも流木につかまっていたこと、そのおかげで、傷からのいちじるしい失血が防げたことが幸いした。


 だが、辛うじて生きながらえた体は、そのまま長くはもちそうになかった。


 そこへ、真っ直ぐに近づいてくる灯りが一つ・・・。


 農夫のウィルは、帰路の夜道を進んでいた。


 いつもなら暗くなる前には帰り始めるのだが、除草作業に精を出し過ぎて、すっかり遅くなってしまった。それで、念のために携行しているランタンが、今日は必要になった。


 川沿いの道は眺めがいい。すぐそこに森を突き抜ける本流が流れていて、木々を透かして、月光で輝く水面を見ることができた。


 すると、視界にふと違和感がした。


 立ち止って目をらしてみれば、川の中にまで伸びている木の根の間に、人の姿らしきものが見える。


 死体かもしれない・・・と、恐る恐る近付いてみれば、間違いなかった。人、だ。下半身が水に浸かっている状態の誰かが、流木に体を預けてだらんとしている。しかも、肩に大きな怪我をしているらしく、着衣が血に染まっていた。


 だがもし生きていたらと思い、ウィルは慎重に土手をおりていき、ランタンをそばの木の枝にかけた。それからあわてて川に入った。邪魔なあしを押し分け、水中の岩や木の根など、足をかけられる場所でバランスを取りながら、うつ伏せで横を向いているその人の顔をのぞき込んでみた。


 そして、流石さすがにぎょっとした。若い男性であるばかりでなく、その身元まで分かったからだ。


 だがとにかく、水の中から引き上げなければという意識が働いて、ウィルはまず、正面からその人の両脇に手をかけた。足場が悪く、一人でやるのは無茶だ、と感じていたが、やるしかなかった。少し起こすことができると、背中に腕を回して上半身を抱き上げながら、やっとの思いで岸辺の方へ引きずり出した。彼は長身で、着衣が水を含んでいるせいもあって苦労した。だが、力仕事ばかりしているウィルは、そうとう腕っぷしが強かった。


 本当のところは、衝撃のせいでまだ気が動転していた。ウィルは落ち着いて、彼の体をあらためた。胸の動きを見て、さらに口元へ耳を寄せてみれば・・・ありがたい! かすかに息をしており、朦朧もうろうとしているようだが、なんと意識もある。ウィルの胸に喜びがわきおこった。


 だが、その安堵あんど感は一瞬で消えた。彼は全身傷だらけで、肩の傷口からは鮮紅色の血を流し、体はひどく冷えきっていた。蒼白そうはくな顔であえぐように弱々しく呼吸をするそのさまは、冷静に見ればとても助かるとは思えなかった。重体どころか、瀕死ひんしの体だ。


 しかし、ウィルは行動せずにはいられなかった。今その顔をはっきりと確認して、これは死なせてはならない! と使命感に燃えた。


 長い手拭てぬぐいを首から外して、上着をも脱いだウィルは、その二つを使って、彼の肩の大きな傷をしばった。こんな間に合わせでは上手くいかないが、とにかく失血が死亡に至る大きな原因となることは分かっていた。


 そうして、ひとまず応急処置を終えたウィルは、ふと水辺に目を向けて気づいた。流木のはしに、剣のらしきものが引っ掛かっている。なんとも上手い具合に。引き上げてみれば、立派な大剣だ。この御方のものに違いない。


 だが今は無理だ。


 そこでウィルは、それをひとまず岸辺に隠すようにして置いた。


 それから、彼の背中から脇腹へゆっくりと腕を回したウィルは、無理に起き上がらせて、ほとんど体重を全て担ぎ上げるようにしながら一緒に歩いた。彼は足を引きずりながらでしか進めなかった。ウィルはなるべく負担をかけないように気をつけ、自分の精一杯の力で支えた。彼の意識はまだあったが、ただ身をゆだねるのがやっとの状態。何が起こっているのかなど分かっていないだろう、そう思われた。それでも声をかけ続けた。


「頑張ってください・・・すぐそこですから・・・。」


 そう何度も励ましの言葉をかけるも、ひどく痛めつけられた体は、ぐったりとうな垂れたまま何の呼びかけにも応じない。


 ウィルがそんな状態の彼を連れて帰宅すると、帰りが遅い夫を心配していた夫人が、外に出て待っていた。


 夫の帰りが遅かった理由がひと目でわかった夫人は、ひどく驚いて、声も出ないほどだった。気を失っているようにも見える青年をまじまじと見て、それから大きくなった目で夫をうかがい、その彼をまた見た。肌のわかるところ全てが青白く、血の気が無い。


「失血と、体温の低下がひどい。居間に寝かそう。」

 ウィルは妻にそう言った。


 夫人は言われた通りに動いて、暖炉のある居間にゴザとシーツを広げた。そこに瀕死の青年を横たえると、彼はほどなく完全に気絶してしまった。反対に、肩の傷に当てた上着の血の色は広がる一方。生命はみるみる奪われていくようだった。


 止血に成功しても、その肩の重傷はきっと縫合ほうごうしなければならない。自分ではできない・・・と、ウィルは思った。


「医者を連れてくる。」と、ウィルは言った。

「でも、もう彼は・・・。」

「ここへ来れば、そうも言ってはいられなくなるだろう。ただでだって、治療せずにはいられなくなるはずだ。」


 この森には医者が一人住んでいた。歳をとって往診おうしんはやめることになったが、頼ってくる者には応じるおじいさん医師が。


 ウィルはさっそく、ランタンを持って飛び出して行った。








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