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皇室との決別


 ランセルは、皇帝ルシアスと、その愛人だった現皇妃シャロンとの間に生まれた子だ。それも、エミリオの母親フェルミスが、まだ生きていた頃のことだった。ルシアスは、最愛の妻フェルミスが余命わずかであると知ると、その不安と寂しさを紛らわせようとした。その出来心がエミリオの人生を狂わせた。そして、心配した通りに、フェルミスはエミリオが十歳の年に他界。その後、一年も経たないうちに、シャロンが皇妃の座に迎えられた。そこで浮上してきたのが帝位継承問題である。法に従えば後継者は第一皇子だが、ルシアスは、どちらを世継ぎにすればよいのか・・・と、ひどくさいなまれた。


 やがて、苦肉の策で思いついたのが、エミリオをランセルの後見人にすることだった。それなら皇帝の座はランセル、政権は実質エミリオとなり、シャロンをある意味(だま)して、重臣たちをも納得させることができる。さらには、例え名目でもエミリオを兵士にすると言えば、シャロンもさすがに気が済むだろう。そう考え、ルシアスは彼なりに、最愛の亡き妻との実子であるエミリオを守ろうとしたのである。


 ところが、暗殺の動きは、そうして後継者をついに決定したあとも続いた。やがてルシアスは悩み疲れ、シャロンの暗殺計画に気付きながらも、そ知らぬふりをするようになった。あげくの果てに、エミリオが戦死すれば、自分も周りの権力者も、そして臣民もあきらめがつくと、思わず考えてしまうことすらあった。そう思い始めた頃にはもう、エミリオは名ばかりの大尉ではなく、戦場で敵の実力者を次々とち取る一流の軍人として見られるようになっていたのである。


 ランセルは音をたてずに扉を開け、周囲をよく確かめてから兄を振り返った。

「ハタディスが、裏門で必要なものをそろえて待っています。召使いは私に任せてください。」


 ハタディスとは、数年前までは二人の、そして今はランセル専属の教師であり、二人にとって最も信頼できる年老いた家臣である。


 エミリオは胸が熱くなり、どんな言葉を返したらよいのか分からなくなった。


 そんな兄の腕をつかんで、ランセルは強くうなずきかけた。


 まだ若すぎるその弟に促されるまま、エミリオは黙って後ろからついて行くことしかできなかった。ただ、こんな時だというのに、ランセルの行動力と頼もしさを知られたことは嬉しかった。自分がやらなくても、母が実現したエルファラム帝国の真の平和はきっと、ずっと続いていく。


 やがて二人は一階の大理石の回廊に出た。夜のとばりが下りてきて薄暗い中庭を通り、誰にも怪しまれずにうまく裏門までたどり着くことはできた。


 もう使われてはいない小さな鉄の門の前では、旅の支度を整え、エミリオのための外套がいとうを腕に掛けているハタディスが、辺りをじゅうぶんに警戒しながら待っていた。


 エミリオはまず手渡された外套がいとうをまとい、頭巾を被って顔を隠した。


「やつがれには、エミリオ様の教師でいられたことは最高のほまれでございます。どうかお体を大切にしてくださいまし。」


 その本当の意味になど気づきはしないだろうと分かっていながら、ハタディスは〝体を大切に。〟という言葉を祈る思いで贈った。


「ハタディス、そなたには多くの事を教えていただいた。いろいろ力にもなってくれたな。感謝している。」


「勿体のうございます。」

 老人は下を向いて、さめざめと泣いた。


 それに影響されたランセルは、思わず本音を吐いてしまった。

「兄上、私は・・・私は皇帝になどなりたくはない。兄上と離れるのは嫌です。」と。


 急に気弱になったランセルは、うるんだ瞳で食い入るように見つめてくる。エミリオ自身も目頭が熱くなったが、ぐっとこらえた。そして、実の母に背いてでも慕い続けてくれた異母弟を、両腕で抱いた。


「ランセル、いずれその手に、エルファラム帝国の平和と臣民の生活が委ねられることになる。不安だろうが、彼らのためにしっかりと前向きに生きて欲しい。」


 エミリオは少し離れて、そんな弟を真っ直ぐに見つめた。


「だが大丈夫、この国には優秀な人材がそろっている。この国の富みを思うままにするといい。その優しさがおのずと答えを導き出してくれるはずだ。だからこそ、私も安心して行ける。」


 ほっとする力強い言葉だった。涙をぬぐったランセルは、堂々と顔を上げて言った。

「すみません、兄上を困らせてしまって。力を尽くします。エルファラム帝国の繁栄と、臣民の幸福のために。」


 エミリオは莞爾かんじたる笑みで応えた。


「さあ、エミリオ様。」


 ハタディスは、すでに門を開けて待っていた。この門の鍵は、ハタディスでもランセルでも、どちらでも楽に手に入れることができた。美しく絢爛けんらんと飾られた大庭園の正面ゲートとは違い、生い茂る草木の陰で、もう何年も閉ざされたままになっている格子こうし扉の鍵である。


 エミリオはうなずき、門の外へいさぎよく足を踏み出した。この瞬間に、皇子の名も権力も名誉も、何もかも一切を失った。あるのは、エミリオという個人名だけだ。身分階級を表すほか全ての称号を取っ払った、もはやただの青年の名でしかない。振り返ると、目の前にそびえ立つ見慣れた豪壮な建物から、華やかな貴族の生活が浮かびあがった。たった今から、家も家族も、何も持たない孤独の身と成り果てる。しかし、愛する者や恩師たちとの別れの辛さのほかは、何も感じはしなかった。誰にも知られずに死ねる場所・・・そこへ行きたい、と考えてさえいた。


「ありがとう。」


 それだけを伝えると、エミリオは徐に二人から離れだした。


 空一面を覆う雲が強風に流され、夕暮れの中をゆるやかに南へ移動している。


「達者で・・・。」


 背中を返したエミリオは、雲と同じく南の木立へ向かって駆けだした。


 ランセルの双眸そうぼうから、涙がどっとあふれ出した。〝兄上。〟と叫びたかった。どれほど呼び戻したかったか知れなかった。


 ハタディスも力無くその場に立ち尽くして、一人静かに消えて行こうとするエミリオ皇子の後ろ姿を、目の届く限り見送り続けた。









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