『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第7回
落ち着くように、と自らに言い聞かせ、昂る気持ちを宥めながら私は輸送用通路へと歩み寄る。どうせ見張りが居るだろう、とは思いながらも、呼び鈴に手を伸ばしてプッシュする。
『……はい、どちら様でしょうか』
──声質から推測するに、力仕事に特化したタイプのノード。恐らく男二体。
私は機関手を撫でながら呼び掛ける。
「どうもすみません、当エリアの職員です。パスカードを紛失してしまいまして……お手数ですが、身分証明書を確認して頂けないでしょうか?」
『只今伺います。そこでお待ち下さい』
一日中退屈な警備で暇を持て余す、覇気のない声色まで人間そっくりだった。がちゃがちゃと門の向こうで音が響き、やがてゆっくりとゲートが上がり始める。
いよいよ、再びこのエリアの者たちと対決する時が来た。
私は一歩下がると、向こうから顔が見えない程にフードを下げた。機関手と、ぼろぼろのコートの内側に潜ませたバールを撫でる。冷えた鋼鉄の感触が、熱を持ち始めた精神と右掌の皮膚を落ち着かせてくれた。
「身分証明書を拝見させて頂きます」
予想通り、二人のノードが姿を現す。人面を取り外していながらも、その二体が男性型である事はすぐに分かった。ヘルメットを被った固太りの男と、傭兵の革鎧にすら見えるツナギの服を纏った長身の男。
私は懐に手を入れたまま、彼らに歩み寄った。
「……私が誰なのか、本当は身分証明書なんかなくてもあなた方には分かるんじゃないですか?」
「いえ、しかし規則ですので……」
「そういう事ではなく」
私は、意図して低い声を出した。二体のノードはきょとんとして顔を見合わせ、こちらのフードの中を覗き込んでこようとする。私は思わず北叟笑み、ポケットから取り出したものを彼らの眼前に突き出す。
表面にひびの入った、小型の発信装置だった。
「これで思い出すはずですよ。私の名前も、あなた方との関係も」
「なっ!? まさかお前は──」
長身のノードが、はっと気付いたように仰反る。それと同時に、私は懐で握っていたバールを一息に引き抜いた。遠心力による加速度を維持したまま、それを長身の胴に叩きつける。角岩を叩いたかの如く火花が散り、仰反っていた敵は大きく後方に倒れかけて蹈鞴を踏んだ。
「その機械は、ナハト・シュナベルの……」
「鷹嘴、って呼べよ。あんた方が、特別に付けた名前だろうが」
私は歯茎を剝き出して嗤い、フードを払う。ノードたちの複眼が、人間が目を見開く時のように絞りを散大させた。
「十年前の……あいつらの借りは、ここで清算してやるよ! 接続開始!」
左の機関手を、彼らにもよく見えるよう大きく掲げる。フレームだけなら、五百円でお釣りが来る彼らのボディパーツだ。
「サイボーグ……!?」
私は苦笑する。
(改造人間ねえ……随分と古めかしい言い方をするもんだ。腐っちまったとはいえ、血肉で出来た自分の腕を──こいつらが欲しくて欲しくて堪らない有機器官を捨ててまでこいつを繋いだのは、自分の意志だってのに)
固太りのノードが、損傷した同僚を庇うように前に出、ホルスターから麻酔銃を抜く。不審者出現の際は、まず無力化を狙って麻酔銃。マニュアル通りだ。
私は、敵がそれを構えるよりも先に前傾し、これもまた機械化した左肩でタックルを行った。懐に潜り込むと共に、バールの先端でグリップを握る相手の手首を引っ掛け、関節の駆動しない方向に捻じ曲げる。再び火花が舞い、手首パーツは銃を構えたまま砂地へ飛んで行った。
その間、機関手はハッキングを続ける。メインプロシージャ、全エイリアス、共にトレース完了。既に多くのノードを分析し、破壊した事でデータは採れている為、ここはほぼ形許りの工程といっていい。
「緊急事態発生! 本部に連絡を取って、警報の発令を……」
「させないってばよっ!」
長身の男が取り出した無線機を、バールの一撃で弾き飛ばす。手首のスナップを利かせ、加速を掛けた勢いを殺さないまま二拍子で指揮棒を振るように腕をスイングする。既に最初の一撃で陥没していた長身の胴部は、人工筋肉を大きく引き剝がしながら抉られた。
彼らの体内で、機能調節用のナノマシンを運搬している血液は透明だ。人間であれば確実に死んでいるレベルの身体損傷だが、感覚質のない彼らは痛みを感じる事もなく、メインプログラムである「存在理由」を完全破壊されるまで死なない。その上このように、出血も赤いものとして見られないのだ。何度も彼らを破壊した私だが、それは人体の崩壊よりもグロテスクなものとして映った。
「おのれ……っ!」
長身は立ち直し、破損箇所からパーツやオイルをだらだらと零しながらも抵抗を続けた。壁に備え付けられていた警棒を抜き、電気を流す。右手首を失ったヘルメットの方も、左手でもう一丁の銃を引き抜く。マニュアルでは、この時点では既に殺害を前提とした実弾使用が許可されている。
私は、既に全身の消耗がアドレナリンでもごまかしきれない程に著しいものになっている事を感じ始めていた。実弾が使用されるというプレッシャーに、そう長い時間耐える事は難しそうだ。長身の持つ電気棒も、鎮圧用の非殺傷武器だからといって油断は出来ない。この電圧で感電死する事はないが、動けなくなる上ガタの来ている各人工パーツが停止する恐れがある。
私は、電気棒を突き出してきた長身の足元にスライディングの要領で滑り込み、その電撃を回避した。しかし、そこに今度はヘルメットの銃から放たれた弾丸が断空して来る。間一髪で機関手を上げ、致命的な部位をそれが貫通するのを防ぐ。一瞬のダメージで処理が数秒間の遅延を見せ、ひやりとしたが、幸いそのまま壊れてしまうような事はなかった。
挙動方針の観察とデバッグは、まだ終わらないか。やはりエリア配属のノードたちは、スペックが極めてハイレベルらしい。分析にこれ程時間が掛かるとは、全くの予想外だった。
──十年前は、エニグマにこれを試みたのだ。
あれから、「原理」には様々な改良を行った。それで尚、スペックの高いノードを相手取った段階でこれだ。この最後の作戦が、決して一筋縄では行かないものである事は覚悟していたが、不安はもっと根本的なところにある。
(進歩……出来たのかな?)
「大人しくしろ、一昔前の亡霊め! 所詮貴様らは下等で、魯鈍で……」
「……そうじゃないだろ」
私は、二体のノードによる猛攻を懸命に避けながら反駁した。文字通り、殺されまいと必死になりながら。生きる事に貪欲だった私たちを、いちばん分かりやすく表した姿だった。
「これは私たちの革命なんだよ。十年前に起こせなかった奇跡を、今からでも起こしてやる」
防戦一方のまま、私は門の内側、エリア内に彼らを誘導していく。長身が電気棒の再充電を始め、ヘルメットが空になった薬莢を捨てて再装填をする隙に、後方に思い切り跳躍して距離を取った。
バールを構え直す。それが合図になったかの如く、機関手が解析を完了した。
見えた──彼らの中枢部。「存在理由」を内包した核が。
「『開け』!」
掌握したコアに音声で命じながら、私は反撃に転じる。
ノードたちの複眼を持つ頭部が、花が開くような動きで変形し始めた。セーフティが解除され、電脳が剝き出しになる。
そこを、私の薙ぎ払った銀色の軌道が通過した。
「安らかに眠れ」
可視化された偽物の生物学的組織を破壊された彼らは二つの物体と化し、今度こそ完全に沈黙した。