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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第67回

  ㊴ 類


 トンネルを抜けると、そこは過去に僕たちが置き去りにした世界だった。

 二月下旬のまだ冷たい空気が、俄かに強くなった気流に乗って僕たちの肌を通過して行く。隣に並んできた麗女翔と杞紗が、僕に目で何かを語り掛けてくる。僕は肯くと、前方の丘の向こうに見える光へ手を伸ばした。

 夕暮れの太陽が、空を鉛丹(えんたん)色と群青色の二色に染めていた。僕たちが駆け出して丘の上まで行くと、その薄暗く黄昏(たそが)れ始めた空を再び明るく照らすように、眼下の街から無数の光が立ち昇ってきた。

 立体映像と摩天楼の乱立する都市は、僕たち人間の時代だった二十一世紀前半より明らかに発展しているように見えた。この都市の片隅、旧歓楽街の跡地で生まれ育った僕は、エリアに送られる前の記憶を取り戻していながらも、間近にこれ程大きな世界があった事を知らなかった。

 発展という名の形骸化。”正しい方”へと退化した虚構。

 人間の目で言うのならば、そうなのだろう。

 目を凝らせば、その光の海の周辺には黒々としたコンクリートの塊、かつての高層建築物が立ち並んでいる。その崩れかけた廃墟こそが、かつて僕たちが暮らしていた場所だった。被食種居住地、スラム。

 これが、僕たちのこれから生きていく世界なのだ──。

「……世界は元に戻らない。分かっていても、声を上げろ」

 麗女翔が、ぽつりと呟いた。

「そうやって、俺たちは出てきたんだよな」

 その顔に希望の色は特に見えなかったが、絶望もしてはいない様子だった。ありのまま、現実を受け止めている表情だった。

 僕は、自分も同じような表情を浮かべているのだろうと思った。

「これは始まりに過ぎないよ。今終わったのは、十年前の那覇人さんたちの話だ。僕たちにはまだまだ、救うべき人が居る。挑むべき敵が居る」

「苦しい旅になりそうだね、この先も……だけど、もう私たちは、来月には終わるって決められていた命じゃない。何処まで歩いて行けるのかは分からないけど、だからこそ……」

 杞紗の言葉に、僕は肯いた。

 定められた終着点を飛び越えた僕たちの、新たな居場所。新たな道。

 そこは「禁猟区(ゲーム・エリア)」などという安全の保証がない、危険な世界だ。一日一日を生き抜く事に必死になって、孤立感と不安感が次第に立ち込めていく。今の世界で生きていく事は、僕たちが思っている以上に厳しいのかもしれない。僕たちはやがて、その予想以上の厳しさに疲弊し、摩耗していくかもしれない。

 だが、現時点でそれらの未来は、不確定な可能性の一つとして時の流れの彼方に揺らぎ、揺蕩(たゆた)うだけのものだった。僕たちは今、”人間”として生きる事が出来る場所を手に入れ、それに──。

「それに僕たちには、仲間が居るしな」

 僕は、丘を元来た方向に振り返った。

 麗女翔と杞紗も、一緒に振り返る。先程まで歩いてきた荒れ地の向こうから、微かに声が聞こえたような気がした。

 城壁に囲まれたエリアの光は、既に遠ざかっていた。何十分か前に僕たちが出てきた場所を背に、大勢の小さな影がこちらに向かって来ている。僕はその影たちに向かって、大きく手を振った。隣で二人も、僕に倣って手を振る。彼らが近づくまで、いつまでも、いつまでも。

 ──そう、僕たちは決して、孤独に陥る事はない。

 論理を超越してここに居るという選択は、決して間違ったものではなかった。


          *   *   *


 この一連の舞台進行(プログラム)を敢えて舞台(ドラマ)として語るのならば、その主役は間違いなく二人の英雄だった。それは僕たちの解放という結末を以て締め括られた「過去」の、長い長いエピローグのようなもので、飛び入り参加者(ゲスト・プレイヤー)である僕たちがエリアを脱出してからの事はまた別の物語となる。

 だから僕は、そこから先を語る事はしないだろう。

 彼らの物語はここで終わる。

 だが僕たち自身の物語は、立ち止まって語る間もなく、絶え間なく濃密に過去として更新されていく。生存(オーガニック)とは、きっとそのように日々蓄積されたプログラムの──物語の更新なのだと僕は思う。


          *   *   *


 かつてコンクリートジャングルとも形容された、高層建築物群が植物群落の如く立ち並ぶ旧時代の歓楽街を僕は歩いていた。正確には、その廃墟だ。その一角が、僕たち人間の居住地だった。

 それはもう、十年以上も昔の冬の日の事である。



(禁猟区 聖痕なきメサイア・終)

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