『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第64回
「それが、完全主義を追求したお前たちノードの限界だ」
「何?」
白髭のマスクに浮かんでいた、余裕ぶった笑みが硬直した。
「俺たちにとって、このエリアに居る被食種たちが何なのかを教えようか?」
「……言ってみろ」
「聖家族だ」
麗女翔は、微塵も隙を作る事なく言った。
「血の繋がりなんてない。系統的な連続性なんて、持ち合わせちゃいないんだ。だけど、そんな制約を超越して、俺たちはこの集まりを家族だと言う事が出来る。オーガニックな人間の、不完全さ故だ」
「麗女翔君……!」
杞紗が、瞳を輝かせて彼を見つめる。
「未完成で、不完全なところこそが俺たち人間なんじゃないか? お前たちは……いや、お前はあらゆる意味を総括して言うが、系統の中で世界の”完璧”について語っているような気がする。だから、そんなに筋を通していながら残酷に聞こえるんだろう。生きてちゃいけないのかと思う程に」
何か変なんだよ、と麗女翔は続ける。
「お前は大きな一つの事を言おうとしているのに、あまりにも手続きが煩雑に過ぎている。理論武装って、そういう事なのか? 感情を持つはずのノードに、どうしてそんなに合理的な感情の裏づけが要る?」
「感情? 私はそのような、ちっぽけな話をしているのではない」
「さっき言っただろう! 合理を逸脱した行為を、無駄を愛するという点も含め、ノードは新人類たらしめられているんだと! お前の裏づけたい事実は、きっと一つだけだ」
彼は高らかに言う。その様は、清々しくすらあった。
「偉そうな理屈を並べてはいるけど、結局は自分が愉しみたいんだろう? 人工発芽で人間のハンターを生み出して、人間を狩らせようとしている。光村を、あの人にけしかけたみたいに。それは、新人類としてのノードの為になんかじゃない、それが目的なら、わざわざハンターに仕立て上げるなんて事をせずに『人工発芽させた人間を食う』という発想になるはずだ。
完全性なんて大義名分で、俺たちは縛られねえ。生きたかったら生きる、今生きているから生きる。存在理由なんて、それで十分だと俺は思う」
「何を──」
「お前は、人間の脆弱性を補完した存在としてノードを上位種に定義づけたかったんだ。だけどそれで、せっかく手に入れた”心”をいちいち合理化しなきゃいけないなんて惨めだよ。お前はやっぱり俺たちとは違う、自分の嗜虐志向を普遍的な概念に当て嵌めないと納得出来ない、臆病で倨傲な個体だ」
彼が言い切った途端に、白髭の顔色が変わった。
人工皮膚に浮かんだ表情がたちまち憤怒へと変化し、それを露わにしてしまった事自体が許せない、とでもいうかの如く人面マスクを毟り取る。
麗女翔は、更に畳み掛けた。
「俺たちに理由はない。こうしてエリアシステムに挑んだのだって、自由に、生きているように生きたかっただけだ。それを人間らしさと呼んで、悪いか? こうして生きたいって熱くなれる事が、俺たちが自立した人格的存在としてのヒトである証明なんじゃないか」
「お前たちに、生きる未来などない!」
白髭が、不意に大喝した。脆くなった建造物内に響き渡り、内側から突き崩さんばかりの大声量だった。
彼は毟り取ったマスクを荒々しく床に叩きつけると、背中に腕を回してぞろりと何かを抜いた。それを見、僕と杞紗は同時に鋭く息を吸い込む。それは、特大の猟銃だった。
「外に出たとしても、待ち受けるのは加工結果が収穫肉から狩肉に替わっただけの未来だぞ! 流動性知能が発達限界を迎えた被食種は、もう生け捕りにされてエリアに連れて来る価値などない! それに、ここの連中を解放したとしてそれでお前たちが悲劇を終わらせたと思ったら大間違いだ! ここは、四十七ある養殖場の一つに過ぎないのだからな!」
猟銃が構えられるのを見て、僕は身構えた。
撃ってきたら、すぐに回避せねば。そうは思うものの、僕は今光村少年を背負って動きが鈍くなっている。下手に動けば、彼を背後からの銃撃から守る事は出来なくなってしまう。その上、小型VTSで突き刺された腰の傷は未だに疼き、下半身に力が入る事を阻害し続けていた。
麗女翔が、腰を低めて重心を落とす。彼も丸腰ではあったが、いざとなったら敵に飛び掛かって組み付く事も辞さない、という様子だった。
白髭は、複眼の絞りを散大させながら喚いた。
「愚かさを繰り返せば、悲劇は続く! 予定された旧人類の裁かれるべき時、黙示録が成就した時、お前たちは成す術を持たぬのだ! そして意志だけで無力を飾れはしない、お前たちは新時代の先駆者に、メサイアになるどころか、こうして未来を選択する権利すら奪われるのだ! この滅び損ないどもめ!!」
「接続開始!」
白髭の指が、引き金を引く寸前。
僕たちが、それぞれに回避行動を取ろうとしたその刹那。
白髭の背後から、その叫びを掻き消す程の大声が上がった。
それに続く、鋭い金属音。銀色の流星のような軌道が弧を描き、猟銃を握る白髭の手首を打つ。猟銃は跳ね上げられ、天井にその口を向けて暴発した後、拉げて廊下の向こうに吹き飛んで行った。
「き、貴様は……!」
ノードは怒号を上げ、状態を捻って振り向こうとする。その手首の人工筋肉はおかしな方向へと捻じ曲げられ、神経の連続性を断たれたかの如くぶらりと体側に垂れ下がっていた。
転瞬、その横をさっと動いた影が僕たちと彼との間に立ち塞がる。
ボロボロのフードデッドコートに身を包み、両手にバールを握り締めた背の高い人型の影。だがその左腕は、人工筋肉を取り除いた、金属質なノードの骨格パーツだった。
「……うるせえよ」
闖入者は、低い声でぽつりと呟いた。
次の瞬間、床をその両足が強かに蹴りつける。推進力で押し出された体は、慣性だけで動いているかのようだった。肉豆蔲のような香りが鼻先を掠め、錆びた歯車が軋むようなギシギシという音が鳴る。
白髭に肉薄した闖入者は、飛び出すのと同じタイミングでバールを振るった。それを待っていたかの如く、相手の核を覆うプロテクトが突如として解除され、バールは磁力に引かれるようにそこへと叩きつけられる。火花やネジを飛ばし、白髭はもう声を上げる事もなく仰向けに倒れた。
唖然としている僕たちに、闖入者は声を掛けてきた。
「行きな」
低く、籠ったような声。だが、それは女性のようだった。
堪え難い苦痛に耐えるかのような、しかしその根底に力の込もった響き。僕は、不意に気付いた。この人こそが件の”侵入者”であり、十年前に命を落とした那覇人少年の”相棒”なのだと。
「サナさん……なんですね?」
「知っていたのか。って事は、君たちも……」
彼女は振り返ると、口元に安堵の笑みを浮かべた。
「良かった。いつの時代になっても、あの頃の私たちみたいな”悪戯っ子”は居るもんなんだ。そうだよ、私はサナ。本当の名前も、サナっていうんだ。通りすがりの復讐者さ」
「サナさん、那覇人さんの事は……」
「大丈夫、私はもう。君たちの事を知って、私の中でやっとあいつが弔われた。君たち、本当によく頑張ったね。あとは私に任せな、今、輸送用通路は開いている。すぐに外に逃げられるから」
「で、でも……サナさん」
杞紗が、恐る恐るというように開口した。
「私たちには、まだ助けないといけない仲間が居るんです」
「猟友会が来る。心配するな、全員私が助けてやるよ」
サナさんが言った時、不意に廊下の奥が騒がしくなった。大勢のノードたちと思われる叫び声や足音が響き出す。オペレーティングルームに中継されていた僕たちとオートフィギュアの戦いを見、遂に彼らが動き出したらしい。
僕たちが身構えると、彼女は不敵な笑みを維持したままそちらを向いた。
「君たちはさっき言ったね、生きているように生きたかったって。なら、その通りにやってみな。あいつは──那覇人はそうした。短い生涯だったけど、あいつは全身全霊で”人間”をやっていたよ。
私たちが皆で見られなかった景色を、君たちが代わりに見るんだ。そうしてくれたら、私にはもう悔いはないから」
「皆を逃がすって……?」
「出来るさ。十年前に見つかったプログラムの欠陥は、既に修正済みだ。今度こそ、あの時敵わなかった謎を暴いてやる」
「………!」
僕たちは、はっとして彼女の顔を見つめた。
「エリアの全機能を停止させ、皆に逃げるように言う。職員たちは皆白髭野郎に追い出されちまったし、あとはエニグマからの電脳感染で残ったノードたちもこの機関手に接続出来る。君たちの仲間たちが全員脱出するまでの間に、私がハンターたちを喰い止められさえすれば勝ちだ」
「でもその場合、サナさんは不利です。死んでしまうかもしれませんよ」
「構わないさ」
躊躇いなく言い放った彼女に、僕たちは絶句した。
「そんなの駄目です! 一緒に逃げましょうよ!」
杞紗は瞳に涙すら浮かべ、彼女の服の裾に手を伸ばして言った。サナさんは、ゆっくりと頭を振る。
「どうせ、もう長くは生きられなかった。だけど、残された時間で後輩たちを救う事が出来るなら、私がこの世に遺せたものがあったって言えるだろ? ……本当にいいんだ。私はもう、十分満足だから。私の子供である光村が生きているって事を知れたし、あいつを殺した白髭野郎を倒す事が出来た。最後の望みは、私の家族である君たちがもう何にも支配されず、自由に生きられる事なんだよ」
彼女は光村少年を見、微笑んだ。
私の子供──彼女のその言葉を聴き、僕はやっと理解した。彼女が、今回の行動を起こした動機を。
「君たちが救ったんだよ、私が救えなかった仲間を。私はメサイアにはなれなかったけど、君たちが意志を継いでくれた。これが何かの物語なら、大団円ってやつに違いない」
すぐに厳しい表情になり、ノードたちの接近音がする方向に向き直る。
その言葉を聴きながら、僕は気が付いた。そうだったのか、と納得した。
これは、僕たち自身の物語の始まりだったのではない。
十年前に生き、採算がつけられなかった那覇人さんと彼女の、二人の物語の終わりだったのだ。
そして僕たちはその最後に彼女の意思を、那覇人さんの遺志を叶える為に、この戯曲の最終幕に立ち会っている。
「麗女翔、杞紗。行こう」
僕は二人に言い、眠り続ける光村を背負い直した。麗女翔と杞紗も、もう何も言う事なく僕の隣に並んだ。
「ありがとうございました、サナさん」
「どういたしまして。そして、私こそありがとう──聖痕なきメサイア」
サナさんは言うや否や、廊下を蹴った。同時に、ハンターと思われるノードたちがフロアに雪崩れ込んでくる。
僕たちは彼らに背を向け、外を目指して駆けた。
(サナさん、そして那覇人さん)
僕は心の中で、彼女らに呼び掛ける。
(僕たちにとって、あなた方は間違いなく英雄でしたよ)
本当の「聖痕なきメサイア」は、僕たちではなく彼女だ。




