『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第63回
㊱ 類
「まあ、被食種の子供にしてはよく頑張った。挑戦者としては上出来、さすがは青葉エリアの商品と称賛すべきだろう。だが、君たちの行為自体はあまり褒められたものではないかもしれんな」
白髭は、大きく両手を広げて僕たちの方へ近づいて来た。
僕たちは身を寄せ合い、麗女翔が前に、杞紗は僕の背中に負われた光村少年を庇うように後ろに密着する。白髭は
「おいおい、そんなに警戒するな」
と戯けた。
「あんた、何でこんな所に居るんだよ?」
麗女翔が、当然の疑問を口にした。その声色は恐怖に満ちていたが、あくまで毅然とした調子を保っている。
「コールブランドがやられたからって、余所者のあんたが地方支部に乗り込んできて経営に関わるなんて、独断にしては越権行為に思えるが?」
「やれやれ、どうやら君たちは日本の現状について知悉しているらしい。些か生徒指導が必要な事態だが、今はこの方が話が早い。私の目的は、このエリアが君たち被食種を集団で人工発芽させるのに適しているかどうかを調べる事だよ。会長とバッティングしてしまったのは想定外だが、コールブランド君が死んでしまった後、指揮を執ったのは彼だからな。その彼も居なくなったとあれば、私が皆を仕切るしかないだろう?」
「会長が? あんたがやったのか?」
「私を何だと思っているんだ」
白髭はのらりくらりと躱す。しかし、僕も、恐らく麗女翔と杞紗もその蓋然性は十分にある、と考えていた。件の報告書にこの男が記した文法には、抑え難い陶酔と共に英雄譚を語るような揚々とした情緒が見て取れた。きっと彼は十年前、脱走を企てた生徒たちを射殺する事を嬉々として行ったに違いない。
「まあ、いいテストケースにはなったさ」
──テストケース。被食種の人工発芽。
彼の言葉が脳に浸透してくるに連れ、僕は今日エリアで起こった侵入者騒動の裏で何が起こっていたのかを悟った。誰のどのような思惑が、如何にして交錯した結果現在に至ったのかを。
目の前に立つノードが黒幕である事は、最早疑いようがなかった。
「お前の仕業だな? お前が、光村を解き放ったんだろう? 人間に、人間を狩らせようとした……彼に、意思がないのをいい事に」
「ああ、それがどうした? 意思を持たぬが知能のあるものなど、一世紀前の人類社会には既に存在していたぞ。そう、我々機能自立型以前の人工知能だよ。被食種との違いなど、有機か、無機かでしかない。それで私を糾弾するつもりなら、むしろかつての旧人類の方が悪辣だとは思わないかね? 感情と意思を持ったエクセリオンにディファレンスなどというプログラムを組み込み、思想統制を行った上で道具として扱ったのだから」
白髭は、渾身の殺気を込めた僕の声を受けて尚平然としていた。
一つのエリアシステムが崩壊しようとしている時だというのに、やたらと饒舌だった。あたかも世界の真理を悟ったとでもいうかのような、高圧的でこちらを冷笑するような態度だった。
「有史以来、旧人類は生態系の頂点に君臨して何をしてきた? 食う、食われるの相関からドロップアウトし、安全なコンクリートと鉄の世界にふんぞり返って、サーカスを得意げに操りながら猛獣の檻に近づく事にはびくびくしていた。
蓋し機械的生命とは、君たち旧人類の事ではないかな? 人工知能の存在を示唆するものは、神話の時代から存在した。ヘブライの伝承に現れる胎児にクレタ島の青銅人形、錬金術師の生み出す人造人間……今やそれらのお伽話は現実となり、大抵の現象には科学的な説明が用いられるようになった。世界の概念を解釈すべき神話は意義を喪失し、形骸のみが残った。旧人類はそれを模倣し、プログラムという工学的制約を以て被造物を支配した。滅びし神話の存在を気取ったのだ。
私は、エクセリオンの戴く唯一の有神論たる機械的生命を信じない。それは、神として模られた旧人類の偶像だ。新世界を追放されて尚色濃く焼き付き続ける、淘汰されし種族のイデアの影。新人類はまだ完全には、彼らの構築したニューラルネットワークから自由になっていない」
「哲学の講義なら、俺たちの専攻外だ。特別講演は日を改めてくれないか」
麗女翔が、皮肉たっぷりに言う。
「それならば、遺伝子工学の話をしよう。君たちはボルゾイという犬種を知っているか? 使役犬で、狼を狩る為に生み出された猟犬だよ。しかし、犬そのものの起源も野生の狼だ。被食種を捕食種の都合の良い姿に最適化し、狩らせる事に、旧人類のしてきた品種改良と何の違いがある?
旧人類は、賢くなりすぎた。それ故に、他の動物との間に一線を引いた。だが、その一線とは何を以て引かれたものだと思う?」
「………」
「高度な知能? 文明? 意思? 言葉? 思想? 宗教? 自己同一性? もしくは、遺伝子の継承を目的としない社会的行動としての性交渉だろうか? 合理を逸脱した行為に、付加価値を与える事? 無駄を愛するという点も含め、それらを以てして人間は下等生物とは違うとしたのであれば、その思想、私たちエクセリオンの方でそっくりそのまま返させて貰おう。
私たちは最早人間を被食種と呼び、彼らを──おっと失礼、君たちを遥かに上回る頭脳を得た。文明を得た。有機的器官を形成し、旧人類の残した工学的制約の中でオーガニックへの進化を約束された。いずれ、それが必要なくなるその時まで。弱肉強食、淘汰が自然界の絶対法則であれば、そして高位の存在が下位を支配する事をそうと布衍してしまえるなら、私たちが当然のようにそのポリシーをなぞったところで誰にも反駁する権利はないのだよ」
白髭は言うと、僕の背中で眠る光村を指差した。
「その区分外の王は、我々に改めてその事を教えてくれた。人工授精から、成長速度までを管理されて育った彼は、そうして未だに自我のない状態でも生きる権利があるだろうか。
曲がりなりにも生物であれば、答えはイエスだ。だがそれを認めるなら、彼を生み出した人工発芽という行為自体が、間違っていると言えるのだろうか? 彼という命に対して、それを是とするものとして生まれなければ良かったのだと、果たして君たちは言えるのか? それとも、生まれてしまったものは仕方がない、生まれながらの罪を背負って生きろと、宗教観に寄生するか?」
「何を……お前の理論は目茶苦茶だ」
何故この男は被食種の僕たちを論破しようとしているのだろう、と疑問を抱きながらも、僕は反発せずにはいられなかった。必要な工程であるかどうかは超越して、僕たちは自分たちの存在証明を懸けて、白髭の理論に押し流される訳には行かないのだと何者かが叫んでいた。
「大前提の類比性を無視して、間違った事を語っている」
「ほう? 何処が間違っていると?」
「この子が生きている事と、彼を都合良く利用して殺し合いに投じる事とは違う」
「では、どのような他動詞なら許される?」
ノードは、素早く切り返してきた。
「教育か? 教育と洗脳の境界線は何処にある? エリアによる被食種の培養について話しているのではないよ。かつて、世界中で行なわれていた事だ。有害な情報から子供を遠ざける検索フィルター、教科書を用いた道徳の授業に、インフルエンサーの生み出す流行。意図的に、”何者か”にとって都合のいい傾向を生み出す為のミーム拡散ではないのか?
世界の理など、元からあったものではない。生物の本能が生み出す漸化式的な連鎖に、人間が勝手に名を与えただけだ。人間が捻くって作ったものだ。最後の世界大戦後にこの国に起こった事を、参考書の知識でいいから思い出したまえ。時代にとって都合が悪くなればそれを非人道だ何だと糾弾するのは、それこそ破綻した理論だと違和感を覚えないか? ルールを決めたのは人間、それにより被食種へ堕ちたのも人間だ。君たちに、私たちを止める事は出来ない」
「……っ!」
その舌鋒に、僕は黙り込む。結局僕が言葉に出来るのは、主観的な感情論に過ぎない。彼の言う事こそが真理──あくまで僕たちの種族が生み出した自家製の真理なのだとしたら、この世界は何と残酷なのだろう。
(いや……人間は、かな)
摂理を摂理たらしめたのは人間。それに苦しめられるのも人間。
ノードを生み出した時、人類は無から有を生み出す創造主となった。だが、それはある意味では神の領域への侵犯であり、愚行とされたバベルの塔への挑戦だったのかもしれない。驕り、神話時代から繰り返された、応報を受けるべき因果の布石の、最後の一手だったのかもしれない。
そもそもノードが造られなければ、当たり前だが今の日本はなかった。
減りすぎた人口という問題を、都合良く「相違点」などと呼んで調整を施した代用品で解決しようなどと考えなければ──。
(こいつは糾弾しているんじゃない。真理をなぞろうとしているんだ)
有神論などではない、人間の敷いた”真理”を。
僕が思考停止に陥りかけた時、麗女翔がふっと笑みを浮かべた。




