『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第62回
㉟ ベリー
「佐奈さんが現在ここに忍び込んでいるのは、仲間たちの復讐としてここのエリアシステムを破壊すると同時に、光村少年を救出する事だ。そして、白髭はそれも見越して利用しようとしている。光村少年を彼女に差し向けたのも、”実技試験”を最も効果的に実行する為だ」
ヴェルカナの語りは、切羽詰まったように徐々に早口になった。
ベリーはまだ、その那覇人という少年に起きた悲劇を消化出来ていなかったが、何とか話に着いて行こうとする。
「彼女と光村少年が鉢合わせたら、控えめに言って一巻の終わりだ。ベリー君、今から私の言う事を録音してくれ」
「録音?」
戸惑いながらも、ヴェルカナの鬼気迫る口調に押されてHMEを取り出す。送信前に吹き込んだメッセージは文字に書き起こされてしまうが、音声が登録されていれば電子署名が付くので偽装は出来ない。
「エリアには、まだヘンリー君が残っている。私の培人学部主任研究員としての権限を用いれば、彼を猟友会の手から救い出す事が出来る。無論、ハミルトンが私も彼もまとめて破壊しようとしているのならば時間稼ぎ程度にしかならないだろうが、佐奈さんが作戦を成功させるまでは持たせられるだろう」
「不祥事になりますよ? エリアシステムに、脅威を手引きしたとあれば」
「白髭の行動こそが尤なる問題であって、復讐者の行動は獣害の如き自然災害と見做されそれより軽い。その頃私は生きていないだろうし、東京の者たちは白髭の独断専行を知ればむしろ私の行動を判断材料に抑止力を派遣するに違いない。……私もそうなるように促すべく、これを録って貰っているのだけれどね」
「続けて下さい」
「君に東京に運んで欲しいものは、この録音データと私のミームだ」
ヴェルカナは、アタッシュケースを開けて保冷容器を取り出した。そこには、樹液のような赤褐色の液体を満たしたアンプルが数本収められている。
「これが……先生の血液?」
「有機化した擬似遺伝子、ミームを含んでいる。恐らくこれは、優性の遺伝子として君に取り込まれ、君を私と同じく次段階のエクセリオンへと進化させるだろう。君が、私の後継者となるんだ」
ここからが大事だぞ、と、彼は前置きした。
「君に、私の持つ全ての権限を委譲する。法的効力に裏づけられた上で、君は私のポストを世襲する事になる」
「先生、それは!」
ベリーは、驚愕に声を上げた。
それはずっと、いつか自分がと願っていた事だった。だが、このような状況で、これ程電撃的にとなると、それは自分の望んでいた事とは異なる。
「……僕のような未熟者には、荷が勝ちすぎていますよ」
「どうか今は謙虚で在らないでくれ、ベリー君。私は、この研究データを死守せねばならない。エクセリオンと人間の共存という理想を、ここで繰り返すような事はするまい。これが今の状態のまま白髭に牛耳られたグループ上層部の手に渡れば、かつてない悲劇が日本を襲う事になる。だが、ここの子供たちに何かがあっても、ゆっくりとした速度でそれが始まる礎が築かれてしまう」
「だから……先生は自らを死に追いやるんですか?」
ベリーは、その時自分の有機化が進んでいない事を呪わしく思った。
生理現象として涙が流せたら、どれだけ楽になれただろう。
「僕が未熟なのは、まだ先生から全てを学べていないからなんですよ」
「分かっている。だから、私は君にミームを残そうとしている」
「それは違いますよ、先生」
ベリーが言い切ると、今度はヴェルカナが言葉を失う番だった。
「先生ともあろう科学者が、こんな単純な事が分からないはずがありません。僕たちは人間の遺伝子を取り込んでも、人間そのものにはなれなかった。あなたのミームはあなただけのもので、僕はあなたにはなれない。あなたは……唯一無二の存在なんです」
「ベリー君……」
「あなたが本当にしなければならない事は、未来の為に生き続ける事だ。先生が、先生自身でミームを将来に受け継いで行くんです」
それは決して、自分がヴェルカナの犠牲の上に生きていく事が嫌だ、という私情ではなかった。ベリーの台詞が性質を変え始めた事に気付いたらしく、ヴェルカナは無言で先を促してくる。
「東京には、先生が行って下さい。エリアには……僕が残ります」
ベリーが言うと、ヴェルカナの表情がくしゃりと歪んだ。
有機化が次段階に進んだら、気持ちのままにそのような表情が出来るようになるのか。ベリーはそう思うと、彼の事が少し羨ましかった。こちらはわざと笑みを浮かべつつ、「そんな顔をしないで下さいよ」と言った。
「先生は僕に、そうする事を許して下さらなかったんですから」
「……段々生意気になるね、ベリー君」
彼はふっと微笑むと、「頼めるかい?」と尋ねてきた。
「ヘンリー君の事を」
「ええ、僕にお任せ下さい。あなたに見込まれた弟子なんですから」
「分かった。……ありがとう」
ヴェルカナは、そう言うと身を翻した。さよなら、とは言わなかった。
ベリーは、彼が機波の中に見えなくなるまで見送ると、ホログラムの外壁を抜けてエリアの中に戻って行く。
仲間を、自分が助けに行く為に。




