『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第61回
㉞ 夜想曲(過去)
冬物のスーツに身を包み、荷物を詰めたキャリーケースを転がしながら、俺たちは進んでいた。リザ先生やコールブランド、その他大勢の教職員たちが、先生として俺たちに対する最後の役割を果たすのだ、といった様子でこちらを先導して歩く。両脇には自動小銃を構えた警備員たちも付き従っており、あたかも要人の移動中のような雰囲気が漂っていた。
俺たちは意識して緊張を抑え、晴れがましいような表情を作って歩いた。卒業式は終わり、機械的生命に定められた人工の涙を流すノードたちと共に、俺たちも感情演技や、学校で与えられたいわゆる「最後の晩餐」に含まれた刺激物などを使って催涙を行い、最後の最後までバイタルサインを欺き続けた。
しかし、もう測定される事がなくなった今、それまで抑えていた生理現象が有給休暇を返上するとばかりに激しくなり始めた。胸郭の中では心臓が激しく鼓動し、体の内側を痛む程に叩いている。
その音はノードたちには聞き咎められなかったものの、隣を歩く佐奈の鋭敏な聴覚には拾われたらしい、彼女はごく自然に身を寄せてくると「怖い?」と小声で尋ねてきた。
「怖くない訳がないよ」
俺は小声で囁き返す。だが、そう言いながらも、今度は不自然になる事なく笑みを浮かべる事が出来た。
「でも、きっと大丈夫だ。何度もシミュレーションしたんだから」
「そうね。強いて予定外要素を挙げるなら……あいつくらいかな?」
佐奈はちらりと視線を動かし、それによって対象を指し示した。
列の後ろを着いて来る、白髪白髭のマスクを被った見慣れないノード。体格はかなり大柄だが恰幅がいいという訳ではなく、がっしりと筋肉質で堅太りしていた。管理職というより、傭兵や軍人のように見える。
関東ネオヒューマノの理事長代理、ハミルトンという男だ。三年前、コンツェルンが新たに勃興したマツリハ興業というグループに代わってからも重役に就いているという話だった。
「表向きは、仙台市の地域福祉課からの視察……だけど、絶対にグループからだろうな。外部から来た奴だからあんまり気にしなくていいと思うけど」
「そう……だよね」
佐奈は、いつもより歯切れが悪かった。表情も、何処か浮かないものになる。
まあ、それもそうか、と俺は胸の内で呟く。今日は、一世一代の大作戦を決行する日なのだ。僅かにでもシミュレーションに含まれていない要素が存在すれば、不安に思ってしまうのは当然だろう。
「リザ先生が上に通した話もある」
俺は、光村に対して俺の脳を生体移植するというリザ先生の案について、一応佐奈への説明は行っていた。
「オブザーバー計画の試験終了を見届ける目的もあるのかもしれない」
「向こうも、万が一の『最悪の場合』は常に想定しているはずよね。自分が視察に来ている集団出荷で商品が脱走するなんて事があったら、あいつにとっては大恥でしょう。……私たちが脱出を終えるまでは、何もしないといいんだけど」
当日になってやや弱気を見せる佐奈に、俺は「大丈夫だよ」と言った。
「俺たち、やれる事は全部やった。あとは成り行きに任せるだけだ」
「……ええ」
俺は空いている方の手を伸ばし、彼女の右手を掴んだ。彼女は一瞬ぴくりと掌を動かしたが、それでやっと安心したかのように、自分の指をこちらに柔らかく絡めてくる。
それはまた、俺も同じだった。俺は佐奈に言うつもりでいながら、自分にもまた懸命に言い聞かせていたのかもしれない。
少しでも早く、安心を得たかったのだ。
* * *
花道を設えられた施設裏を通り、最奥の外壁まで近づくと、行く手に輸送用通路のトンネルが見えてきた。少し入った先は、最初に見た時には閉まっていたゲートが開いているらしく、白い光が差し込んで明るくなっている。
未知の世界の片影が、僅かに顔を覗かせていた。その向こうには大勢の屠畜業者たちが壁の陰に隠れて待ち構えているのだろう。彼らの手にはスタンガンが握られ、俺たちが出たところを襲い掛かろうと控えている。
──さあ、ここからが本番だ。
俺は忙しない拍動を抑え、タイミングを窺った。
先頭を歩くコールブランドが門へと足を進め、振り向く。ここでまたもや「校長先生の話」を最後にするつもりなのか、と思ったが、俺はそれを遮るように「先生、待って下さい」と声を上げた。
「どうしたの、ナハト君?」
リザ先生が振り返り、声を掛けてくる。
俺と二人だけで事後の”示し合わせ”を行っているつもりでいる彼女の声には、心なしか「打ち合わせと違うじゃないの」と言うかのような困惑が滲んでいるように感じられた。
「忘れ物をしてしまったかもしれません」
「えっ、本当?」
俺はポケットに手を入れ、無造作にものを取り出した。
それは、掌に包めるサイズの小型マイクだった。その回線の先は、施設中のスピーカーに接続されている。当然その周囲にあるコンピューターには、音声認識で開かれるドグマのファイルがダウンロードされていた。
俺はそれを口元に持って行き、佐奈と視線を合わせて叫んだ。
「接続開始!!」
叫ぶや否や、佐奈はブレストポケットから受信装置を取り出した。
public class Dogma {
public static void main (String[] args) { ……
俺たちの”原理”が、遂に不可侵の名を持つシステムに介入を始めた。
メインプロシージャ、全エイリアスのトレース開始。ウイルスを送信する電波発信装置が動き出し、各コンピューターに送信されたプログラムが干渉を始めた旨を伝える音が、受信装置から響き出した。
それを合図とし、仲間たちが事前に配布しておいたソフトウェアを各々の荷物やポケットの中で起動した。それらには、使用者一人一人の音声の周波数でのみ音声認識が行えるよう設定が施されている。彼らは周囲を取り巻く警備員たちに向かって駆け出し、体当たりを行いながら呪文を唱えた。
「接続開始」「接続開始」「接続開始」
「接続開始、操作権限をモジュール・アルファに移譲」
「佐奈!」
俺は、自分の端末に無数に表示された許諾メッセージを片っ端から承認しつつ、佐奈に向かって叫んだ。
「こいつらを機能停止させる間、一人で粘れそうか!?」
「大丈夫!」彼女が、打てば響くような声を返してくる。「まだ挙動方針の観察とデバッグに入れていないの! さすがエニグマ、やっぱりガードは他のコンピューターとは比べ物にならないって事ね」
「エニグマ? 何を言っているの?」
リザ先生が、戸惑ったように呟いている。突然の事に動揺しているのは、彼女のみならずコールブランドもまた同じようだった。仲間たちは彼らを突き飛ばし、トンネルの中に走り始める。最初に彼らに体当たりされ、ドグマウイルスの干渉を受けた警備員たちは我に返ったように麻痺銃を構えたが、
「やっぱり、ノードの存在理由プログラムは複雑だな……解析に時間が掛かる」
俺は独りごち、皆を追い立てるようにしてノードたちの照準が集中する辺りまで飛び出した。
時間との勝負だった。しかし、運は俺に味方した。
ノードたちの指が引き金に掛かるより早く、端末が準備完了を告げる。
掌握完了。
「『止まれ』!」
叫ぶや否や、警備員たちは自分たちが麻痺弾で撃たれたかの如く停止し、直立不動となった。ウイルスを除去し、メインプログラムを再起動すれば復活するので破壊したとまではいえないが、仮死状態ではある。
十分に成功だった。ドグマは、ノードの挙動ですら支配出来る。
外に居た、白い不織布の保護服を纏った屠畜業者たちが、異変を逸早く察知したらしく輸送用通路の中に駆け込んで来た。しかし、ノードたちの存在理由プログラムに対するメインプロシージャ、全エイリアスのトレースは今し方行ったばかりでデータが残っている。接続とデバッグさえ行ってしまえば、こちらもまた警備員たちよりも短時間で停止させる事が可能だった。
故に、生徒たちに恐れる必要はなかった。彼らは勢いに任せ、瞬く間に業者たちを押し退ける。元々、数の利はこちらにあった。如何に鋼鉄の骨格構造を有しているノードでも、一気に数十人の大挙を押し留める事は出来ない。
「外に出たら、真っ直ぐ五百メートルくらい離れた所まで逃げろ! 俺と佐奈もすぐに続く!」
俺は叫びつつ、押し倒された業者たちに端末を向ける。
リザ先生は腰を抜かしたまま、目を白黒させて辺りを見回していた。
「何? 何が起こっているの?」
「先生!」
俺は、宣言するように言い放った。
「これが、俺の解答ですよ!」
勢いで体当たりした、既に木偶人形と化した警備員の手から銃が飛ぶ。地面に落下したそれが暴発し、足元で土埃が上がる。
「佐奈! 様子はどう!?」
「まだ! だけど、あと一、二分あれば……!?」
佐奈の台詞が、突然途切れた。
彼女の持つ受信装置から、薄い板のようなホログラムの立体映像でメッセージが表示される。不吉な赤色の『Warning』『System Announce』という見出しが、横でちらりと見た俺の胸奥をも騒がせるようだった。
「嘘……でしょ?」
「どうした!?」
短く尋ねると、佐奈は有り得ないというように小刻みに首を振っていた。
「ファイヤーウォール……私が把握していたのと違う。これは……今のプログラムじゃ、無効化出来ない!」
その、刹那だった。
警備員の居ないはずの方向から、突如として破裂音が響いた。
コンマ数秒後、佐奈がこちらに見せるべく掲げた左手の周辺で血飛沫の紅色が爆ぜる。周囲の空中が赤い霧に濡れるのが、やけにはっきりと映った。
「いやああああああっ!!」
悲鳴と共に、彼女は左手を押さえて蹲った。くの字に折った体の下から、じわじわと血液が滲み出してくる。飛び散った血が雨の如く彼女自身に降り注ぎ、その中に破砕した受信装置の破片が混ざっていた。まだそれ程高くない日光の、外壁の縁に滞留した反射を受け、それらはきらきらと輝きながら落ちてきた。
発砲音だ、と気付いたその音が、続けざまに三回響いた。
ノードたちの群れを押し退けてトンネルへと飛び込もうとしていた生徒たちが、一人、二人、三人と翻筋斗打って転倒する。その背中や項に赤黒い穴が開き、そこを中心に血液が溢れ出して彼らの服を染めていった。
実弾が使われている。誰かが、この短い時間の間に麻痺銃の中身をわざわざ入れ替えて仲間たちを撃ったのだ。
俺は唖然とし、悶える彼らから発砲した者の方へ視線を移す。
「あなた、一体何のつもりですか!?」
リザ先生が、俺の視線の向こうで言っていた。俺に対してではなく、発砲したノードに向かってだ。彼女の義体越しにそちらを見ると、そこではあの白髭のノードが自動小銃を構えて屹然と立っていた。
そのマスクには、何の表情も表されていなかった。ぞっとする程に、虚無的な無表情が湛えられている。しかしよく見ると、その目は俺たちの恐怖を愉しんでいるかのような意地の悪い思考を隠しきれていなかった。
彼は、芝居掛かった仕草で銃口にふっと息を吹き掛けて硝煙を払った。
「出荷を予定通り行う為だよ。いや、多少手違いがあったようだが、グループから直接私が出向いていた事は幸運だったね。そこのゲニウス・ロキ少年は優秀なオブザーバーだと聞いていたのに、まさかこんな事をするとはね。誠に、遺憾の念に堪えないよ」
「あなたは……!」
「でもまあ、彼も含めて出荷する事は予定通りだろう? 屠殺手順はマニュアルと違うが、そこは勘弁してくれたまえ」
「ゲートを閉じて!」
佐奈が、顔を上げてこちらに叫んできた。その眼差しは、俺を通過して輸送用通路の向こうを見据えている。既に、最初に動いた同級生たちは屠殺業者たちの肉壁を突破し、妨害のない光の向こうへと見えなくなっていた。
俺はリザ先生の陰に隠れるようにしながら、彼らの駆け出して行ったトンネルの中を見る。通路の内側、門衛たちの詰め所のシステムまで、ドグマの干渉射程は僅かに及ばない。
倒れ伏した生徒たちは最早ぴくりとも動かなかったが、もうエリア内で逃げ惑っている生徒は居なかった。俺が駆け出しても、もう問題はないか。しかし、負傷した佐奈はどうなるのだろう?
「早く行って、那覇人!」
彼女の叱咤するような一喝が、半ば狼狽えていた俺の背を押した。
俺は無我夢中で駆け出すと、膝立ちのまま茫然自失となったコールブランドの横を駆け抜け、トンネルの入口で端末を操作する。ドグマによる門の開閉システムへの干渉が始まった時、足元で土煙が爆ぜた。
白髭が狙撃を再開している。俺が唇を噛んだ時、リザ先生が庇うように両腕を広げて彼の前に立ち塞がった。
「那覇人君を撃つ事は私が許しません。彼は今後、新オブザーバーの肉体とIDを受け継いで引き続き登用されるという事に──」
「はっ、こんな馬鹿げた事をした”人間”を、君たちはまだ使う気なのかね?」
白髭は小馬鹿にするように言い、リザ先生の頭に狙いを付けた。
彼女は周章狼狽しながらも、頭だけ振り返ってこちらを向き、門の前に立ち塞がるように立つ俺と視線を合わせてきた。
「那覇人君、これはどういうつもりなの?」
それは、叱責するような口調ではなかった。
「私は、君を助けてあげるって……」
「先生……俺は……」
意を決して口を開きかけたその時、リザ先生の頭部が吹き飛んだ。
首の関節部を弾丸に砕かれ、核を内包した頭が高々と宙に舞う。頸動脈が切れたかの如く噴き出したオイルが、どろりとした不快な生温かさを残したまま俺の頰に打ち付けた。
「な……何で……?」
コンクリートに頰を付けるような状態になった彼女は呆然と、崩れ落ちる自分のボディを見、再び白髭を見た。
白髭は彼女を見下ろし、一切の躊躇なく再び引き金を引く。凶弾の炸裂を間近で受け、頭部のパーツはそれで完全に粉砕された。
「佐奈─────っ!! 逃げろ─────っ!!」
俺は、声の限りに絶叫した。それに、佐奈の悲鳴と銃声が重なる。
白髭の銃口が、オレンジ色の炎に染まった。俺は最初、佐奈が狙撃されたのではないかと肝を冷やしたが、そうではなかった。
光源から、ごく小さな黒点が飛び出す。それが一直線に俺に向かって来るのが、やけにゆっくりと見えた。減速する世界の中、はっきりと見ているはずのそれを回避する事が、何故か俺には出来なかった。




