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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第60回

  ㉝ ベリー


 エリアの”街”を、施設から直線状に進んだ最果てにある壁。子供たちが”外”と行き来出来るのは輸送用通路のみだと思わせる為に、そこに出入口はないように見せかけているが、実際には一部ホログラムとなっている部分を抜けた先には仙台の中心部と直通した幹線道路があった。

 無論今回のマツリハの訪問のように、エリア外から視察などの目的で訪れる者は居る。だが、そういった者たちが施設を訪問する際、商品(プロダクト)の子供たちには彼らがエリア内の”街”から直接やって来るのだと思い込ませていた。”外”の存在を明示しながらも、広いとはいえ壁の内側に限定された”街”のみで社会経験を行わせる事への理由づけとして、彼らにとってここは仙台の中心部であり主要施設が皆揃った地域なのだと思わせる事に、ベリーはいずれ限界が来るだろう、と思いながらも具体的な改善策は浮かばなかった。

 自由行動が許された土曜日で、多くの生徒が施設の出入りや街中での散策を行っている中、ハミルトンの指示で施設を脱出した職員たちは彼らに訝しまれないよう分散し、”街”の各所を大回りで経由しながらその出口に向かった。

 ──今更、何故生徒の目などを気にする必要があるというのだろうか。彼らを管理教育する青葉エリアは、今日で終わりだというのに。

 ベリーは考え、エリアの実権を掌握した猟友会(バイキング)はこの後子供たちをどうするのだろうと思考を巡らせて暗澹たる心持ちになった。

 余力のある都道府県──周辺に限れば岩手の盛岡エリア、新潟の西蒲(にしかん)エリアなどに分散させる方法を採るだろうか? 否、記憶の再調整や他管区の管理教育システムへの適合に掛かるコストを鑑みて、それは現実的ではない。青葉エリアが今日明日中に居住不可能になる以上、子供たちに説明する信憑性の高いシナリオを用意する事も、グループを通して決裁を待つ余裕もない。

 大体予想はついた。

 来月頭に出荷の決まっている十五年組は収穫肉(ギャザリング)として、それ以外の生徒たちは上質な狩肉(ジビエ)として処理され、皆殺しにされる。ハンターたちもそれを大義名分に、ここで子供たちに対して人頭狩り(マンハンティング)を行う事に悦楽を感じているだろう。

 いずれ自分たちの”教材”となる商品(プロダクト)たちに、情を移しているという気持ちは微塵もなかった。だが、彼らはヴェルカナがそれを理解した上で愛した者たちだ。それを猟友会(バイキング)のおもちゃにされる事には、神聖なものを土足で踏み躙られるような不快感を禁じ得ない。

(僕なんかに、どうこう出来るような問題じゃないよな)

 ベリーはそう思い、無理矢理割り切ろうとした。

 外には国防軍の手配した東京行きの車両が犇めき、職員たちを最大人数まで乗せたものから出発を始めている。待機しながら、早く自分の番が来てくれ、とベリーは気持ちを急かしていた。

 引き返せないところまで行ってしまえば、否が応でも割り切るしかない。そのような考え方をする自分を、優柔不断だと心の中では蔑んでいた。

「……ベリー君」

 同僚たちに送ったHMEの送信履歴を何ともなしに遡っていると、不意に肩を叩かれた。その声にはっとし、振り返って相手の顔を見た時、ベリーは膝から崩れ落ちそうになった。

「私だ。ヴェルカナ・ロズブローク」

「先生……あなたという個体(ひと)は!」

 立っていた彼は、見慣れぬ黒いフーデッドコートを着込み、立てた襟とフードで顔を隠していた。パイプ椅子に腰掛けた自分を上から覗き込むようにし、他の者たちに顔が見られないように気を配っているらしい。

「何処に行っていたんですか? HMEも切って……僕が、どれだけ心配したと思っているんですか。侵入者に破壊されたかと思いましたよ!」

「すまないベリー君、怒らないでくれ」

 ヴェルカナは、皆から少し離れた外壁の傍へベリーを(いざな)った。尊敬する彼に対して感情に任せて言葉を放ってしまった事に申し訳なく思ったベリーだったが、自制は働かなかった。

「答えて下さい。先生は一体、今まで何をなさっていたのですか?」

「それは……」

 ヴェルカナは瞼を伏せ、視線を逸らした。腕に力が込もっているらしく、アタッシュケースを握る手がぶるぶると震え出す。彼は数秒間視線を彷徨わせてから、ベリーの問いには答えずそれを突き出した。

「ベリー君、これを東京に持って行ってくれ。学会の者たちに、決して誰の手にも委ねる事なく自分たちで世間に公表するようにと伝えるんだ。これ以上、真実の歪曲で誰かが犠牲になる事がないように」

 ヴェルカナの声は、淡々としていた。その、強引に話を主導しようとするかのような口調に、ベリーは今度こそ理性を完全に無視して「冗談言わないで下さい!」と声を荒げてしまった。

「先生。僕は先生の事を尊敬していますし、思想は理解出来ます。しかし、どれだけ高邁な理想を掲げようと、誰もが先生のように考えられる訳じゃない。エリアで働くエクセリオンとして、先生は危険人物扱いされかねない個体なのですよ。次段階(ネクストステージ)の有機化を果たした事で、先生が自らを世間的に貴重なサンプルである故に誰も害する事がないなどとお考えなら──」

「分かっている。それでも私は、やり遂げなければならないんだ」

「何を? 僕に何をしろと仰るのですか?」

「私はここに残る。そして君の言う通り、あの白髭は私を科学的視点から抹殺を免じようなどとは考えないだろう。無論自分から死にに行く気はないが、万が一の事があった時には……君が、私の志を繋いではくれないか」

 ベリーは、小刻みに首を振った。

「状況が、全く掴めません。あの白髭が、どさくさ紛れに権力を掌握した事は分かりますが、一体彼が何を企んでいるのか……先生は、ご存知なのですか?」

「落ち着いて聴くんだ、ベリー君」

 ヴェルカナは、アタッシュケースを持たない方の手をさとすかのようにベリーの肩に置いてきた。

「このエリアでは既に、被食種の……人間の人工発芽(ジャーミネーション)が行われていた。約十年前までに、二回。その為に必要な設備、深層学習(ディープラーニング)マシンと成長促進用の『(ガルバ)』はまだ完璧に近い状態で保存されている。白髭たちがその気になれば、いつでも再開出来るだろう」

「えっ?」

「だけど、彼らは──いや、()()生み出した上質な商品(プロダクト)を養殖し、収穫肉(ギャザリング)として食すのが目的ではない。生み出した人間を、猟犬(ドローン)に代わる狩猟ツールに仕立て上げようとしている。今、ここで暴れている侵入者を狩るべく、過去に生み出された片方が解き放たれた」

「狩猟ツールに? それは、人頭狩り(マンハンティング)商品(プロダクト)を得る為ですか? おかしいですよ、捕らえた子供を上質な収穫肉(ギャザリング)として育成するのにはコストが掛かりますし、狩肉(ジビエ)はどうしても収穫肉(ギャザリング)には効力が及ばない」

 それなら最初から、養殖した被食種を食べれば良いのだ。

 ベリーの疑問を、ヴェルカナはもっともだというように首肯した。

「その通りだ。彼が目指しているのは、趣味(スポーツ)としての狩り。もしもこれ程グループによる社会の支配構造が確立していなければ、被食種の完全淘汰(デストラクション)に向けてそれを実行したかもしれないね。……彼が私に教えたんだ、エクセリオンはもう、人肉を取り込む必要はないのだと」

 それを教えたからには、もう私を生かしておく訳には行かなくなったという事だ、とヴェルカナは独りごつように付け加えた。

「……先生、あの男と話したんですね?」

「ああ。彼は混乱にかこつけてここの上層部をグループ管理部門の傘下に入れ、自らの属する猟友会(バイキング)を動員した。実技試験の為だ……今話した人造人間の片方、光村少年と自らの仲間を使って、侵入者と戦おうとしている」

「………」

 ベリーは、ぐっと息を詰める。やっと、得心が行った気分だった。

 午前中から猟友会(バイキング)が白髭の元に集まっていた事について、ベリーはずっと疑問が立ち消えなかった。国防軍までが動員されたのも、幾ら何でも短時間で根回しが周到すぎる、と思っていた。あたかも、白髭がこうなる事を予想していた──否、望んでいたかのように。

「やっぱり、あいつはその光村という少年と何らかの関わりがあるのですか? それとも、侵入者の方に関係があるのでしょうか? その辺りは、先生は何か聞いてはいませんか?」

 ベリーは、声が消えないように意図して震えを抑える。ヴェルカナの、今まで非常事態に必要最低限の事のみを述べるように淡々としていた口調に、普段の彼らしく誰よりも人間に似た、感情の滲む声色が混ざり始めた。

「後者だよ。侵入者は、光村少年より一つ前の人造人間の相棒だった。彼女の名はサナ、日本人の佐奈だ。その少年の名は同じく日本語名の那覇人。二人は十年前、ここを脱出しようと計画を立てていた」

 ヴェルカナの説明に、ベリーは話の先が見えてくる。

「それを、あの白髭が邪魔したんですね」

「途中までは、上手く行っていたんだ。那覇人少年らはエリア内に仕掛けを施し、史上最強クラスのコンピューターウイルスを以てエニグマの掌握を図った。生徒たちに事実を告げ、集団出荷の当日に作戦を発動した。その時に、白髭が傍で視察を行っていたのが不幸だった。那覇人少年は元々、監視者(オブザーバー)と呼ばれるエリア側のスパイとして生徒たちに混ざって動いていてね、いつの間にか佐奈さんとの間に絆を萌芽させ、同族の為に動き始めていた。

 エクセリオンの側としても、オブザーバーの登用は初の試みだった。彼ら世代の集団出荷が(つつが)なく遂行されるまで試験は続行されていたし、その顛末は管理部門のグループ職員によって報告されねばならなかった。

 いざ仕掛けが実行され、生徒たちが逃げ始め、那覇人少年らがシステムの権限を手中に収め始めた時、白髭が護衛の警備員から銃を奪って発砲した。彼は猟友会(バイキング)の仲間内で『魔弾の射手(フライシュッツ)』と呼ばれる程の射撃の腕を誇り、イレギュラー対応中の実行力は現職のセキュリティチームよりも上だった。本来彼ら以外のスタッフが実弾の発砲を許される事はないのだが、緊急事態でありやむを得ない行動だったと記録文書には記されていたよ」

「そうなんですか……」

 どう反応していいのか分からず、ベリーは曖昧に相槌を打つ。ヴェルカナは、辛抱強くも説明を継続した。

「生徒たちの多くは開かれた輸送用通路から逃げ出したけれど、逃げ遅れた者たちは次々と銃弾に貫かれて倒れていった。那覇人君もショックだったのだろうけど、彼は必死にその場に留まり続けていたそうだよ。エニグマのハッキングさえ終われば、自分たちの勝ちだと信じてずっと待っていたんだ。それが成功するまで、梃子(てこ)でも佐奈さんの傍を離れるつもりはなかったようだ。

 しかし、システムの掌握直前で、偽装プログラムによって隠されていたエリア側の罠が作動した。彼らが把握していたものよりも遥かに強力な、エクセリオンが作り出した、彼らにとっては全く未知のプログラミング言語で記述された攻性防壁(ファイヤーウォール)が、彼らのアクセスを遮断したんだ」

「はい」ベリーは、それで先を促したつもりだった。

「エニグマ掌握は土壇場で失敗した。そして那覇人君は」

「どうなったんですか?」

「……白髭の撃った銃弾が胸に当たって、死んだんだ」

 絶句した理由が、驚愕なのか同情なのか、自分でも分からなかった。

 ベリーは理由も分からないまま、取り敢えず言葉は失った。何とか口を動かそうとし、このような音になった。

「それは……大変な事になりましたね」

 自分が人間だったなら、どのような反応をしたのだろうか、と思う。

 何を以て「大変」とするのかも、分からないというのに。

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