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『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第57回

 不幸中の幸いだったというべきか、動脈を貫かれてはいないようだった。静脈血らしい湧き出してはだらだらと零れるような血が、染み込んだズボンを重くする。しかしそれも、じきに止まった。傷口が焼き固められているのだ。

「小型VTS……?」

 振り返ると、そこで光村少年が跪いていた。

 どうやら彼は、杞紗を残して来た倉庫の中で目覚めると、気を失う直前から自らを支配していた指令に従い、オートフィギュアよろしく目に映るものを殲滅しようと再起したらしい。しかし、僕を背後から刺した直後、全身に負っていたダメージがあまりにも深刻だったせいで動きを止めた──。

「類君、大丈夫!?」

 彼を追うように駆けて来た杞紗に声を掛けられ、僕ははっとする。

 そのような状態の光村が動いたのだとしたら、彼が覚醒した時にいちばん近くに居た彼女こそ大丈夫だったのだろうか?

「私の事なら、心配しないで」

 彼女は、僕か麗女翔が放つであろう問いを先読みしたかの如く言った。

「ちょっと斬られちゃったけど、すぐに死んだ振りをしたら見逃してくれた」

「斬られ……」

 麗女翔は彼女に視線を向け、絶句する。杞紗の左肩口から胸元にかけて、薙がれたような大きな切創が走り、半ば失われた左の袖に融けたように捲れ込んで剝がれた皮膚が癒着していた。痛々しいその姿に、麗女翔の表情が歪む。

「麗女翔君、駄目。今はこっちの方が大事」

 杞紗はいつになく気丈に言うと、空中に砂のようなナノマシンをぱっと投げた。それは大気の中でたちまち見えなくなったが、彼女が即席のコントローラーを取り出して操作すると、そこに二・五次元のビジュアルをした獣人の少女のホログラム映像が投影された。

 接近してきたオートフィギュアは、視覚情報に突如として追加された(エネミー)に困惑したように動きを止めたが、杞紗がホログラムを動かし始めると、それを追尾するように方向転換した。

「ありがとう、二人とも。ここからは、私に任せて」

「杞紗、一人じゃ……」

 麗女翔が言いかけた時、

「あああ……ああああああああっ!!」

 痛みに耐えるように蹲っていた光村少年が、それに抗うように絶叫しながら突進を掛けてきた。初見では気付かなかったが、彼の両腕には中指を覆うような長手袋が嵌められ、その甲部に鮫の背鰭の如き(やいば)が取り付けられている。

 危険極まりないVTSを装備しているのは、光村少年も同じらしい。

「類っ!」

「大丈夫だ……っ!?」

 僕は応えようとしたが、立ち上がろうとして力が入らない。光村からの一撃目で、かなり深く傷を負ってしまったようだ。

「させねえよっ!」

 麗女翔が、単なる棒切れと化した電気棒を尚も果敢に振り翳して迎撃した。

 光村は両腕を掲げ、無謀にも自らの腕で防御を行おうとする。強化用人工筋肉製のボディスーツに依存しきっているようだ。

「麗女翔、怪我をさせたら……」

「分かってる!」

 彼は棒を水平に構え、光村の尺骨の辺りを押さえるように押しつける。ごめん、と小さな声が聞こえた刹那、振り抜かれたその左足が光村の右腕を体幹側に折るように蹴りつけた。

 素早く腕を伸ばし、綻んだ光村の人工筋肉を鷲掴みにするや、VTSの刀身ごとそれを引き剝がす。小柄で体重の軽い彼がよろめいた隙に、もう片方の腕──僕たちの前に現れた当初から赤黒く染まっていた左側の腕にも同様の武装解除を行おうとした麗女翔だったが、彼がその袖を引いた瞬間、

「ぎゃあああああああっ!!」

 光村少年は、魂消(たまぎ)るような悲鳴を上げた。

 麗女翔ははっとしたように動きを止め、一瞬の後表情を歪める。

 僕は、すぐに気付いた。光村が、何処かのタイミングで左手に狙撃を受けていた事を。彼の左(てのひら)に、人工筋肉諸共穿たれたような穴が開いている。それは貫通して甲側のVTSに当たり、減速したらしく体内で溶けたようだ。彼が左腕のそれを振るって震動させる度、金属は融解して筋肉の中に根を張っていた。麗女翔が引いた時、彼の傷口から細長い針のような金属片が覗いた。

「光村、お前……ずっとこんな痛みを……」

「ウッ……ウウウッ!」

 光村は武器を失った腕を振るい、麗女翔の頭部に肘打ちを喰らわそうとする。しかし、強化筋肉を失った彼の腕は最早単なる五歳児のものだった。あまりにも力任せな動きに折れそうなその様子に、僕は自分が刺された痛みも忘却しかけた。

「荒療治でごめんな。でも、こうするしか……!」

 麗女翔は覚悟を決めたように歯を食い縛ると、一度緩ませかけた腕に力を込め直した。少年の肉に根を張る融解した鉛を、未成熟な彼本来の筋肉諸共捥ぎ取る。光村は激痛に絶叫したが、今度は足を振り上げて麗女翔の下腹部を蹴り上げた。

「麗女翔! ……あっ」

「ごめん、二人とも!」

 オートフィギュアを誘導していた杞紗の叫び声が、遠くから鼓膜を打った。

 立たなければ、と思い、僕は両足に鞭を入れる。顔を上げると、杞紗がドローンでコントロールするホロ投影用ナノマシンが、一瞬操作が滞った瞬間に風で流れたらしい。囮映像の少女がこちらに方向を変えていた。

 オートフィギュアが、再びこちらへ来てしまう。そうなれば、僕に麗女翔に光村、誰かは必ず守り切れない。

 僕が、どうしよう、と思った時、杞紗が屈み込んで車止め(パーキング)ブロックの一つを両手で持ち上げた。彼女はそれを、力一杯にオートフィギュアへと投げつける。軍用ロボの脆くなった背部外装が大きく陥没し、その標的(ターゲット)が彼女自身に移動する。

「杞紗!」

「心配しないで!」

 杞紗は叫ぶと、コントローラーを握り直してホロ映像を自分の前に再投影する。

「これが私の仕事だから……私の仕事は、類君と麗女翔君が居なかったら出来なかった事だから! 私たち、皆で自由になるって誓った……これ以上誰も死なないようにするのが、私たちの役目だから!!」

「………!」

 麗女翔は目を見開くと、躊躇なく「頼む」と言い切った。

 杞紗がCGと共に駆け出すや否や、彼は「類!」と僕に声を掛けてきた。血液の流出と共に下腿から力が抜けていこうとしていた僕だが、立ち上がるとすぐに両足を地面に押しつけるように踏ん張り、血管を締め上げるように力を込めた。

 何をすべきかは、とうに悟っていた。

 僕は、やはり本来の用途を放棄した電気棒を横方向に構えて突っ込んだ。

「行っ……けえええ───っ!!」

 視線の先で、今し方光村に蹴りを入れられた麗女翔が(くずお)れる。僕は彼の頭上を跳び越え、左手を押さえながらも戦おうとする少年の肩を打つ。成長促進処理によって未だ不安定な骨が砕けない程の、絶妙な力加減で。

 少年が、大きく蹈鞴(たたら)を踏んだ。僕はその後方に着地すると、衝撃でまた血が溢れ出しそうになったが堪え、背後から彼を羽交い締めにした。

「ウアッ! アアアアアッ!」

「駄目だ、光村!」

 僕は、彼の両手首を握り込む。そのあまりの細さに、心臓がドキリとした。

「暴れるな……暴れないでくれ、光村。こんなに酷い事をしておいて、言うべき事じゃないのかもしれないけど……僕たちは、君の味方だから」

 僕は懸命に囁く。

 味方、という言葉を口にした途端、予想だにしない事が起こった。

「………?」

 光村の動きが、ぴたりと止まった。暴れるのをやめ、少し俯くように目線を下げて黙り込む。彼が思案の表情になったのを見、それが、今聴覚が拾った情報を処理しているのだと気付くのに時間は掛からなかった。

 ──光村は、自我は芽生えていないながらも天才並みの知能を有している事に疑いようはなかった。何者かが送り込んだ命令を理解し、培養液中から出されてすぐに与えられた武器の使い方を把握した。今まで無意識領域のみで行っていた学習の領域を脳全体まで拡張させ、五感を通して外界から集積される今までとは比較にならない程の情報を常に処理し続けて最適解を導いている。

 それは、喩えるならば隔離して育てられた猛獣と同じだった。貪欲なまでの、外の世界への(かつ)え。自分が何者であるのかも分からず、生態系に於ける自らのポジションを定義すべく全てに挑んでいく。ただし、彼の場合”命令”を解してしまえる程の知能が桎梏となった。

 彼は今、()()()()()()のだ。僕は確信する。

 彼が無意識のうちに求めていた事、彼が自分という存在を認識する為に必要だった事。それに気付かせるのに、もう言葉は必要ないと思った。

「……ごめんね、光村」

 僕は可能な限り優しく、羽交い絞めにしていた手の形を変えた。締め付けられた彼の体を包み込むように抱き締め、人の温もりの前にナイフの冷たさを知った彼の手を自らの両手で握る。

「気付いてあげられなくて。ずっとここに居た、僕たちの家族の最後の一人だったのに……(つら)い、なんて気持ちも知らなかったのかな。だけど、ずっと独りぼっちで、自分が独りぼっちだって事も分からなかったとしても……言わせてくれ、もう大丈夫だって。本当にもう、何があっても大丈夫だから……」

 耳元で繰り返し、「大丈夫」と囁いた。

 彼がその言葉の意味を知らなくても──知らない可能性が高いとは気付いていながらも、僕は囁くのをやめなかった。

 麗女翔が、ふらつきながらも立ち上がって僕たちの所まで歩み寄って来た。両腕を広げ、僕ごと光村少年を包み込む。触れ合う二人分の温かさが、スーツを通して少年の中に流れ込む。

 彼は次第に体から力を抜き、心地良さそうに目を閉じた。

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