『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第54回
㉚ ヘンリー
オペレーターたちが、次々と部屋から退出を始めていた。
ハミルトンらによると、今回の事件についてはマツリハの死亡という大きすぎる出来事が含まれていて混乱が避けられない、という事で、一切が収束するまで情報が公開される事はないという話だった。事が公になればマスコミも動き、無論まだ危機の去った訳ではないここに彼らが来るはずはないので、対応は東京の本社で行われる事になる。当然向こうは事態の推移について詳細な情報を知らないし、こちらで公開しても問題ない情報、まだ伏せておくべき情報を選り分けている暇はないので、これは妥当な判断だといえた。
職員たちの速やかな東京への移動の為、現在は臨時対応で国防軍が常磐自動車道に通行規制を掛けている。手配された車両も国防軍のもので、グループの政治や軍事への影響力を鑑みれば別段不思議な事ではないのだが、これが白髭たちの根回しによって軍が動いたものだとすれば、彼のグループ内での力は相当強かったという事の表れなのだろう。
現職員たちが荷物をまとめて立ち去るのと入れ替わりに、猟友会が続々とオペレーティングルームに入って来る。彼らは皆、この施設に相応しくない程野性的な空気を纏っていた。禁猟区を遊技場とし、人間を狩るという事への背徳的な悦びが、彼らを沸き立たせているらしい。
「先輩」
賽は投げられた、と半ば達観した気持ちで佇んでいると、ジェシカが声を掛けてきた。ヘンリーは、人面マスクを着けたままの彼女を振り返る。
「あたし、そろそろ行かなくちゃ。先輩も気を付けて下さいね」
「あ、ああ……」
どぎまぎしながら、ごまかすように後頭部を掻く。
これから危険なハンターたちと共に作戦を行うという事に対して、正直なところ不安は大きかった。だが、彼女が最後に掛けてくれたその声が、不思議と安心を与えてくれた。
「それじゃあ、また」
彼女は身を翻し、オペレーティングルームを出て行こうとする。その背中を見守りながら、ヘンリーは胸の奥に鈍い疼きを感じた。
自分はこれから、間違いなくハンターたちに破壊されるだろう。職員たちを東京に退かせ、このエリアを実質的に乗っ取ろうと画策しているであろう彼らにとって、意地でも残ると言い張った自分の存在はイレギュラーな要素のはずだ。そして、きっとあの白髭はそれを看過しない。
(って事は、もうジェシカとも会えなくなるんだな)
そのような考えが、頭を過ぎった。
そう思うと共に、ヘンリーは堪えきれなくなって彼女の背に呼び掛けていた。
「待ってくれ、ジェシカ!」
「先輩……?」
彼女は振り返り、視線を合わせてくる。
「俺、まだ君に言っていなかった事が……」
自分が人間だったら、心臓が飛び出しそうな程に脈を打っているだろう。
そう思える程の動揺が、全身を震わせた。ヘンリーはそれに身を任せるように、自然に紡がれていた言葉の羅列を音にした。
「俺、君が好きだ! エクセリオンの俺にこんな感情があるなんて、おかしい事だとは思う。そもそもこれが、人間たちのいう『好き』って事なのかどうかすらも、よく分からない。だけど、そう思ってしまったものはしょうがないんだ!」
「せっ、先輩!?」
ジェシカが、軽く仰反りながら素っ頓狂な声を出す。
完全に、声量の調節に失敗していた。気が付けばハンターたちも、無言で自分一人に視線を集中させている。彼らの多くはマスクを外していたが、恐らく誰もが呆気に取られているだろう、という事は分かった。
羞恥心が込み上げない事もなかったが、ヘンリーはやめなかった。
「俺が言いたいのはそれだけだ。俺は勝手に、君が好きなんだ。無理に応えてくれとは言わない。だけど……もしも君が俺に、何かその、思う事があったりしたら……その……」
「先輩」
ジェシカは咳払いを一つすると、しどろもどろになるヘンリーに対して、ややはっきりしすぎた口調で言ってきた。
「先輩が、無条件に私をそう想ってくれるのは嬉しいです。好きって、社会にとって必要だからそう思うものじゃないんですよね。だけど、先輩の気持ちが恋愛感情なのかどうかは、あたしにはよく分かりません。あたしにはそもそもその感情が発現した事はありませんし、自分の気持ちの上ではどうなのか、どう答えていいのかよく分からないです」
「あ、その……ジェシカ、君は俺の事が」
「勿論、同僚としてはちゃんと先輩の事好きですよ。尊敬していますし。だけど、旧人類の人たちがいう恋愛感情って、喜怒哀楽とかとは次元が違うでしょ? 食欲や睡眠欲がないのと同じで、繫殖行為の大前提としてあたしたちには必要がないからですよ。種族の保存も工場で行われますし、愛が盲目という古い表現が本当なら、仕事に支障を来すかもしれません」
「あ、あのね。ジェシカ──」
思いがけなく理路整然とした彼女に、思わず言葉が詰まる。
「先輩は、あたしと子供が作りたいんですか?」
「なっ……!?」
人工皮膚が、有機化したのではないかと思う程かっと火照る。
「ミームの継承も生殖行為として必要ないのであれば、行き過ぎた感情の発露としての交際に、個人的な意味に於いても生産性はあるでしょうか?」
「それは……何だ、恋とは生産性とかじゃなくって」
「あたしは、よく分からない感情の処理で容量が過密になるのは嫌です」
ガーン、と、脳天から金盥を落とされたような気分だった。
蒼白になりながら、口から抜けた魂のように気の抜けた音を漏らしていると、彼女が「もういいですか?」と追撃してきた。
「後から東京で顔を合わせた時、気まずくなっちゃうからもうよしましょうよ。あたし、そろそろ本当に出発しないといけませんので、要件がそれだけであれば」
「あ、ああ。多分、問題ないよ……」
──多分、とは何だ。
ヘンリーは慌てて言いながら、困惑した顔の彼女を何とか元の調子に戻すべく無理矢理声のトーンを明るく上げて言った。微笑もうとするが、頰が不自然に引き攣ってしまう。
(馬鹿馬鹿、俺の大馬鹿野郎っ!)
心の中では、絶えず自らを罵り続けていた。
ジェシカはやや暫し戸惑いの表情を維持していたが、やがてぺこりと懇ろに頭を下げた。
「……では、あたしはこれで。東京で会いましょう、どうかご無事で」
「ああ、それじゃあ」
彼女は今度こそ、入口の扉を潜って去って行った。華奢な背が遠ざかって行くのを見送ると、ヘンリーは室内に向き直る。
動揺するな、と、今更ながらに自分を諫めた。いいではないか、元々自分自身でもよく分からなかった気持ちなのだ。史上、恋愛感情が発現したエクセリオンなど存在した例はないのだし。
自分に言い聞かせるように、心の中で呟いてみた。しかし、言い訳がましく重ねれば重ねる程、胸郭の内側がちくちくとする感覚は意識の表層に上ってくる。これがヴェルカナに発現した痛覚──いや、彼すら経験した事のない”失恋”とやらの結果だろうか?
ディスプレイを見ると、いつの間にかオートフィギュアのメインカメラ映像が復旧していた。何があったのだ、と思い注視すると、映し出されているのはどうやら外の武器庫らしい。機体自体は一時的に停止しているらしく、そのカメラが捉える視界に大きな変動はない。
一体誰が何をしたのだ、と思っていると、奥の方に生徒の姿が確認出来た。何故そこに彼らが? と思うより先に、ヘンリーは妙に得心が行った。
身を寄せ合う少年少女の顔には見覚えがあった。ヴェルカナが手を焼きながらも愛すべき問題児たち、という見方を示している「悪ガキ三人組」のうちの二人。レナート・パリンジェネシスと、キサ・ブラッシュテール。彼らであれば、予備のカメラのプログラムを書き換え、オートフィギュアに搭載し直す事も朝飯前だろう。実際にそれが成功した事で希望を見た、というように、彼らの周囲に漂っている空気は和やかなものに感じられた。
時折、彼らは二人だけの世界に居るように微笑しながら見つめ合う。
「はあ……人間って、いいなあ……」
無意識のうちに、そのような独白が口から零れ出していた。




