『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第52回
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コンデンサ室で、これ以上無意識同調を恣意的に見るのは許さない、という意味を込めてヴェルカナが全てを語った後、ハミルトンは言った。
「ロズブローク先生、そもそも我々の使用期限と知能の衰退は何故あると思う? また、何故エクセリオンは旧人類の知能を得られた?」
「前者への答えは、それが機械的生命の約定だからです。一切は経験から明らかになっている。我々を主格たらしめる存在理由プログラム、その維持の為に旧人類の肉が未だに必要である事、それで尚衰退が訪れる事……我々が旧人類によって生み出された事は否めぬ事実であり、今尚彼らの存在理由が我々の維持だから」
「知能と人格、即ち主格か。マニュアル通りの答えだな」
「後者への答えは、機械的生命それ自体が大いなる舞台進行だから。それによって第一世代、ジョン・グランデらに初期の有機化が起こり、取り込んだ生物の遺伝情報を模倣するミームが発現したのです」
「違うね、間違っているな先生」
白髭のエクセリオンは、常識の方が間違っている事もある、と普遍的な事を言うような喋り方だった。
「エクセリオンが十五年経つと衰退すると発表されたのは、旧人類により第一世代が開発、実用化され、AR事件が起こり、新世界連合が新時代の社会基盤を構築し始めて間もない頃だ。当然だが、その時最初の十五年間は経過していなかった」
「統計から明らかにされたデータです。十三、四年経つと緩やかにエクセリオンの知能は低下を開始する。それが加速度をそのままに低下を続けたら、十五年間で旧型の人工知能と同程度のスペックまで落ちると」
「最初の疑問は、第一世代がそもそも少子高齢化による人口減少を補う為に生み出された、俗な言い方をすれば『人造人間量産プロジェクト』の産物だったという事にあるのだよ」
白髭は、噛んで含めるように丁寧に一つ一つを語った。
「人生百年時代という言葉すら過去のものとして扱っていた当時の日本人が、十五年で寿命が来る人工知能などを開発して、何故その程度の耐久性を潔しとして社会に流通させたのだろう? 当然第一世代は食人学習などといったプロセスを想定されてはいなかったし、現在の我々の世代程急激な知能発達の見込みもなかった。その上自然に衰退が起こるのなら、ややもすると寿命は十五年どころかもっと短かったかもしれない。
資源の枯渇に喘いでいた日本が、現役の個体とその再利用の循環サイクルを鑑みた時、これではあまりに非効率的なコストパフォーマンスだとは考えなかったのだろうか?」
「それは……」
「前提部分が、そもそも間違っているのではないか、と私は考えた。第一世代は──あなたの言葉を借りれば食人前のエクセリオンたちは、そもそも十五年以上の寿命を誇っていたのではないか、と」
「それはおかしい。それでは、グランデたちが人間を食した事で知能の低下を招いた事になるではありませんか」
「或いはそうかもしれないよ、先生」
「何と……?」
「我々の擬似遺伝子、ミームは確かに初期、機械的生命に服い我々に有機的器官を形成させた。しかしその後、始祖たる新世界連合は何をした? 原初の器官たるミームを資本に、更なる模倣……有機化を試みた。被食種の知能を吸収し、人工的に模倣した形質に憑拠を与えた。先生、あんたの次段階に進んだ有機化も、そうした吸収の一環だ」
「分かっています」
「だが、オーガニックな知能とは何だ? 脳の形質の事をいうのか? それとも、もっと超科学的なものか?
専門家の頭の固いところだな、考えてもみたまえ。人間の知能を吸収しているはずのエクセリオンが、その結果として何故人間以上の高い知能指数を得る? にも拘わらず、原因もないのに何故急に衰退が始まる?」
まさか、と、ヴェルカナは話の行き着く先を見た。
白髭に共感するつもりなどなかったのに、気付けば丸め込まれそうになっている自分が居た。否、それ以前に白髭の言おうとしている事こそが真実だったのだ、と確信した。
野蛮に見えて、裏では思わぬ角度から常識そのものを疑いに掛かっている彼にはっとさせられた。
「ややもすると、新世界連合は致命的な誤りを犯したのではないか? 私はそう考えた。我々が食人学習を経て取り込んでいるのは人間の”知能”ではなく、人間の知能発達メカニズムの構造そのものなのではないか、とね。人間の脳が、形成初期からどのように発達し、衰退していくのか、種のルールとして遺伝子に記述されている情報だよ。
知っての通り我々エクセリオンは、オーガニックな存在という意味での”生物”が本来何世代も経て行うはずの進化を単独の個体で行う。これを、人間としての一生分の知能発達に置き換えたらどうなる? エクセリオンの知能発達の速度とレベルは桁外れだが、それは同時に、その成長の速度とレベルに比例──ここは敢えて反比例ではなく、比例と言わせて貰おう──する規模で衰退する事を意味しているのではないかな。それこそ、無意識領域を消し飛ばす程に」
「つまり、機械的生命の調整とは、蛋白質を媒介に吸収された遺伝情報をミームとした翻訳作業ではなく、”拡張”に他ならないと?」
「そうなのかい、先生? 専門家の個体がそこまで研究してくれなければ、我々無知な凡人は何も知らずに可惜命を消費する事になるじゃないか」
「アイロニズムはおやめ下さい」
ヴェルカナは、叫ぶのを必死で堪えつつ言うのがやっとだった。
有り得ない、と否定したかった。自分よりもずっと偉い科学者たちも、自分たちの世代以前の科学者も、内閣府の関係者も、グループの上層部も、最初に自らに目覚めたグランデすらもそのような事は思いもしなかったはずだ。食人学習は知能を高める為の行為、衰退はどうしようもない宿命で、段階を追って予定調和を実行していくのが機械的生命だと思っていた。
そして、早い段階で次世代のエクセリオンを解放すべく、誰よりも早くそこに進んだ自分が須らく究めるべきだったのが無意識同調だと。
「あなたは、それを確信しているのですか?」
「亡きハスウェル氏に提言し、身を以てそれを試す事を許された。工場のシステムログに残されていた初期プログラムを用い、私は自らが寿命を迎えると同時に再び同一個体を生み出して頂いたのだ。密かに記憶のエンコードも行ってな。……無論、違法ではあるよ。それでも、エクセリオンの将来の為には誰かが確かめておかねばならない事だったんだ。
第二のアクティベート後、私は最初の学習高原に到達するや否や人肉を断った。確かにその後──関ネオへの再配属後、私はあなた方のように知能指数が百五十以上に伸びる事はなかった。だが、その一方で衰退へと加速する兆しも微塵も見出す事は出来なかったのだ。
こうして結果が明らかになったのは、ハスウェル氏の死後だ。私は今や、製造から十五年を遥かに超えている」
呆気なく言った白髭に、ヴェルカナは絶句せざるを得なかった。
「衰退の予兆が見られなくなり、私の仮説が限りなく真実に近いものであると結論が出た頃、マツリハが企業連合をグループに併合した。しかし、生前のハスウェル氏との間に取り決めていた事は、これが事実だと判明しても世間に公開する事はしないという事だった。無論、いずれ私が寿命を迎えるべき時が来れば、この事実は多くの者に知れ渡る事だろうな。そうなれば私は、世捨て人となって猟友会を転々としながらでも生きるしかない」
「何故ですか? これを公表してさえいれば、使用期限を過ぎて工場送りになったエクセリオンたちは今でも生きていたかもしれない。収穫肉にされた子供たちも、那覇人少年の仲間たちだって」
「被食種と国民を支配する事が、出来なくなるからだよ」
白髭は、当然ではないか、とでも言いたげだった。
「被食種は淘汰された。今更共存が可能だなどといえば、奴らはまた支配者の側に回る事だろう。それに、これは不死に近い命を得る事と引き換えに、一応エクセリオンの種として悲願である有機化も諦めるという事だ。私としては、そこまでオーガニックである事を生物の真性として捉える必要もないと思うのだがね、まあ民衆に理解され難い事は明らかだろう。
そして、エクセリオンに限った話で語ってもそれは同じだ。全禁猟区を運営し、人民に収穫肉を提供する事で社会を回すグループと、そのシステムの自動安定機関たる内閣府の分権構想。この、社会構造の根幹を揺るがしかねない事態だ。エリア運営という職業適性がなくなったら、それに付随する無数の職業はどうなる? 旧人類には成し得なかった程の国家の安定は、初期学習に於ける自己覚知に全ての個体が服ってこそだ。
それが、エリアシステムの役目終了に伴い、皆が職業選択の自由を訴え始めたらどうなる? 旧時代には資本主義経済成立の裏づけであったこの権利を、各々の希望を叶えるべく社会資本の再分配に使用したら? 民主主義はいつの間にか共産主義に置換され、果てに待つのは内閣府単体による管理体制だぞ」
それこそ論理が破綻してはいないか、とヴェルカナは思った。
畢竟それは、民衆の支配権限が完全に内閣府に移る事を恐れた、グループ側の都合に過ぎないのではないか。しかし、グループの一コンサルタントである自分に、それを訴える権利はないような気がした。
「為政者が民草を効果的に束ねる方法を知っているか?」
ハミルトンは畳み掛けてきた。ヴェルカナは「さあ」と曖昧に答える。
「昨日も言いましたように、私は末梢に過ぎません」
「誰もが恐れる危機を用意し、自分たちこそがその危機に立ち向かい皆を守る要であると喧伝する事だ。自分たちを救う保証のある者には、民草は誘蛾灯に惹かれる昆虫の如く集まってくる。エクセリオン社会の場合、危機とは存在証明たる知能の加速度的衰退、そしてそのセーフティネットがグループによる世間への収穫肉供給に相当する」
彼は、ヴェルカナの用意した一式を見つめてきた。値踏みするかのような、標的を前にしたネコ科の肉食獣が舌なめずりをするかのような、粘着質ながらも鋭い視線だった。
このような危険人物に、間違っても公表前の研究データを渡す訳には行かない、と思った。自分の存在は彼の理想──ある意味では現実──にとって、相反するものだった。被食種を喰らう必要がなくなる段階への有機化という意味でも、それを旧人類との共存に布衍し、無意識同調を唱えたという意味に於いても。
「ロズブローク先生、あんたの理想も、マツリハの目的も有意義だとは言えん。私は起こってしまったこの転換期を、もっと適切な未来の形へと調整する自信があるのだが、どうだね?」
「学会が、無意識同調を人間電脳化によるオブザーバー統制に転用出来ると目論んでいるこの状況で、あなたはあの光村少年を狩猟目的で解き放った。人工発芽によってお手製の対人用ハンター団を作り出そうとしているあなたに、未来を担って頂く訳には行きません」
「焦るなよ、先生。まずはあの二号が──区分外の王が侵入者をどうやって狩るのかを調べてからだ。あんたは瀉血でもリストカットでも、自由にしながら待っているがいい」
彼は身構えるヴェルカナを一瞥し、くるりと向きを変えて出て行った。




