『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第50回
㉘ NACHT MUSIK(現在)
「光村は何処に居る? 言え!」
ドグマウイルスの干渉を受け、頭部を開いて核を曝け出したノードに向かってバールを突きつけながら、私は切りつけるように問うた。今までは電脳のプロテクトを開かせると同時にバールを叩きつけ、物理破壊してきたが、現在はこちらで主導権を握った上で尋ねねばならない事がある。
ナイフで割られた果物の中からまた花が咲いたような、穿頭手術で脳を露出させた患者がそのまま歩き出したようなグロテスクさだった。生理的な嫌悪感が込み上げるが、それは今私が、ノードという存在に対する憎悪をかつてない程に膨れ上がらせている為でもあるかもしれない。
「光村……? 誰だよ、それ……?」
「もういい」
やはり、製造年数が若い個体は何も知らないのか。
分かってはいた事だが、私の感情はそれを許容しなかった。用済みとなったノードを、バールを振るって完全破壊する。力任せに動かした腕から胸筋にかけての痛みが激しくなり、焦るな、と自らを戒める。
地下の隠し部屋に居た光村は、運営によって解放されたようだった。自らの足で歩いていたという事は、自我のない彼に対して連中は何かしらの命令を刷り込んだものと思われる。
それは何か? 私が私である以上、答えは自明だった。
十年前のインシデントを知る者たちが、私の正体に気付いて、わざと光村をけしかけたのだ。私が、自分が光村にとっての生物学上の”親”であると知っていると踏んだ上で、最もオーガニックに私を追い詰める手段として。それは、まんまと成功したと言える。
(あの子を殺せる訳が、ないじゃないか)
私はきっと、あの子と戦う事になれば彼に殺される事を選ぶだろう。自由を与えられないのであれば、このままノードたちの道具として扱われる事になるよりは楽にしてやるのが理性的な判断といえるのかもしれない。
ただ、もう目覚めないと分かっている親しい人間の人工呼吸器を外す事を躊躇うように、ただ生きていて欲しいと思う事に他の理由はなかった。
あいつは、生きる事すら許されなかったのだから──。
(いっそ、もうエニグマに仕込んだドグマを作動させてしまおうか)
投げやりとも取れる考えが、胸の底で頭を擡げた。
決して、間違った選択ではないのだ。光村は、もう機械的な縛りの中から解放されている。エニグマから個々の端末を介し、全職員たちへドグマウイルスの感染爆発が起こったとしても、光村は被害を被る事はない。
けれど、それで役目を終えれば、私はもう一度光村に会う事もなく終わる。会えば命のやり取りをせねばならないのだと、理性では分かっていた。強烈な両面感情、というよりも人間らしい我儘だ。
──最大の敵は、自分自身の感情だったのか。
笑えない悪ふざけだな、と思っていると、不意に背後から声を掛けられた。
「ここにいらっしゃったのですね」
「………?」
私は、機関手を構えつつ振り返る。
今までの、こちらの姿を見た瞬間にパニックを起こしたノードたちの如く騒ぎ立てる事はなかった。私が現在エリアを騒がせている”侵入者”だと知らないのか、とやや呆れたが、相手の表情は真剣だった。あたかも、全てを分かった上で話しているのだ、と主張するかのような。
十年前には見た事のない個体だった。科学者風の白衣を纏った、管理官=教員としてここに勤務しているのであろうと推測出来る個体。その人面マスクは美男子といえるような造形だったが、私の観察眼でもそれは「実は人間だった」と言われても納得してしまいそうな自然さだった。
「あんたは?」
何故か、すぐに破壊する気が起きず、私は誰何した。
「ヴェルカナ・ロズブロークといいます。培養人類学部主任研究員」
「……なるほど。コールブランドが死んだ今、ここでいちばん偉い奴って訳か。私をどうする気だ? あいつみたいに、自分で直接私を仕留めに来た……訳じゃないんだよな」
「仰る通りです。私は、あなたと戦うつもりはありません」
ヴェルカナと名乗ったノードの態度は、あくまで慇懃だった。こちらを見下して敢えてそのように振舞っている、という訳でもないらしい。
私は、まだ警戒を解かずに敢えて挑発的に言った。
「不利になってきたからこっちに日和ろうってか? けど、あんた方はどうせ、私たち被食種を下等種だと思っているんだろう? どれだけ卑屈に振舞おうが、こちとらもう騙されないぞ」
「いえ、エクセリオンを……ノードを裏切ろうという気もないのです」
「まだるっこしい奴だな。それなら、私に何の用だ? 本当にとち狂って寝返ったのかと同族に疑われるぜ」
ヴェルカナは、私の言葉には何も返さなかった。やや俯きがちに考え込むような姿勢を取り、やがて手に提げてきたアタッシュケースを開く。その中に入っていたディスク装置を取り出すと、こちらに差し出してきた。
「これを、あなたに託したいのです」
「えっ?」
思いがけない台詞に、作らない素の声が出る。
「私の研究データが入っています。培人学分野ではない、ノード社会の為だけの技術進歩を謳ったテーマではありません。我々が機械的生命の軛から解き放たれる為の……そして、人間と再び共に生きる為の」
「何だよ、それ……?」
喉から出た声は、酷く掠れて震えを帯びていた。
馬鹿馬鹿しい、侮るのも大概にしろ、と一笑に付す事は出来た。だが、私はそうする事が出来なかった。ヴェルカナの眼差しは、カメラレンズの反射光とは明らかに異質な底深いものを内包していた。
オーガニックな何かを感じる──私は、そうとすら思った。
「あなたの体験した出来事については、昨日知りました。……サナさん」
ヴェルカナにそう呼ばれた時、鳩尾に錐で突かれるような疼きが走った。
表情が歪まないようにするので、精一杯だった。
「……私を、その名前で呼ぶな」




