『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第49回
校舎や寮がある区画へ続くフェンスが見えてきた時、僕たちの前に現れたのは、あの銀紙事件の際に僕たち”悪ガキ三人組”が忍び込もうとした武器庫だった。あの時は位置を把握していなかった監視カメラに撮られてしまい、失敗したのだった、と思い出し、逡巡がややスピードを落とさせる。
あの中に逃げ込めば、僕たちは何かしらの武器を得られる。もしかしたら、それで暴走するオートフィギュアを止められるかもしれない、という考えが僕の胸裏に萌した。しかし、それをすれば僕たちの姿は監視カメラに捉えられ、オペレーティングルームに中継される。この状況では、以前のように「悪戯だった」などという言い訳は通用しない。
僕たちが記憶を取り戻している事を──剰え脱出計画すら立てている事が運営に知られればどうなるか。既に僕たちは数週間後に集団出荷を控え、収穫肉としては完成状態に在る。その場で屠殺され、臨時出荷されるか、良くても健忘薬を再摂取させられて記憶を消される事は間違いない。
そして、そうなればもう「やり直し」は利かない。職員たちは、生徒の中にそのような事実があったという前提でエリア内を徹底調査し、僕たちの仕掛けた盗聴器などの装置を発見し、またエニグマが掌握まであと一歩の状態だった事までを暴く事になるだろう。
何かの弾みに僕たちは、記憶を取り戻す事があるかもしれない。ここ一年二ヶ月の生活は、作戦決行までの準備に九割を費やしたものだったのだから。だが、その時にはもう手遅れになってしまっている──。
「類、追い着かれるぞ!」
思考を中断したのは、麗女翔の叫び声だった。思わず振り返ると、オートフィギュアが障害物となった車の一台を巨大な軍刀オプションで両断し、爆散させながらこちらに迫ろうとしていた。
僕は、ぎゅっと目を瞑った。
(もしここで僕たちがあれを止められなかったら、生徒の皆が犠牲になる。先の事を考える時間なんかない、今日この日に殺されてしまうんだ)
──生き延びさえすれば、どうにかなるだろうか。
そのような希望が、否、希望的観測が少しでも顔を出した時、僕はそれに従おうと決意した。先の事を心配するのは、目下の危機を乗り切った後でいい。
「武器庫に逃げ込むんだ! 入ったら入口を閉めて離れる事、なるべく爆発物を遠ざける事!」
僕は叫びつつ、素早く周囲を見回す。建ち並ぶ倉庫の一つの外壁に、工事用の足場を組む為の鉄パイプが数本立て掛けられているのが目に入った。
「逃げ込めって、類もだろ? ……なあ、おい」
麗女翔のその言葉には答えず、僕は両足に鞭打って加速する。目標に定めた鉄パイプの一本目掛けて突進し、手に取ると同時に方向転換。驚いたように足を止める二人を押し込むように武器庫へ押しやると、入口に取り付けられたシャッターの開閉ボタンを鉄パイプの先端で押した。
「類!」
「う……おおおおおおおおおっ!!」
至近距離から狙いをつけてくるオートフィギュアの銃口に向かって、僕は槍投げの要領で鉄パイプを構える。相当な重さがあり、先程受け身の為に思いきりコンクリートに叩きつけた骨が悲鳴を上げるのを感じたが、やめる訳には行かなかった。
刹那、
「そういうのは、お前の専門じゃねえだろっ!!」
降りていくシャッターの下から、麗女翔が低姿勢で燕の如く飛び出した。僕の手から右手で鉄パイプを捥ぎ取り、残る左手で僕の手首を掴み、投げ飛ばすように武器庫の中に滑り込ませる。
あっ、と思った時には、彼はそれを投擲していた。
ほぼ同時に、オートフィギュアが銃砲の引き金を引く。結果はどうか、という懸念は、コンマ数秒の間に解消された。
オートフィギュアの左腕から同サイドの体側にかけてが、至近距離で爆発した榴弾の炎と黒煙に包まれた。肩部に引っ掛かった光村少年の体には、すれすれのところでその破壊の手は及んでいない。
それを見届ける間もなく、麗女翔がこちらに駆け出した。
「麗女翔!」「麗女翔君っ!」
僕と杞紗は、俯せに近い姿勢でそれぞれ手を伸ばした。
スライディングのようにシャッターの下を潜り抜けようとする麗女翔の足首を二人掛かりで掴み、建物内へと引き込む。彼の頭が通過し終わった一瞬の後、シャッターは完全に閉まり切った。
「ふう……危なかったな」
「それはこっちの台詞だ、麗女翔!」
僕は、彼の右胸を拳で叩く。「無茶するんじゃないよ!」
「最初にやろうとしたのは類の方だったじゃねえか」
もっともな事を言われ、僕は言葉に詰まる。
と、その時杞紗が両腕を伸ばし、僕と麗女翔の頭に回してきた。
「どっちもっ! 類君も麗女翔君も、居なくなっちゃ嫌だよ……っ!」
「き、杞紗……」
僕も麗女翔も、突然の事に頰が熱くなる。彼女に一目惚れした麗女翔の方に至っては、このような状況にも拘わらず致死量の幸福物質で脳を溶かされたような顔になっていた。
しかし、気を抜いている余裕はなかった。
シャッターが降り切ってから三十秒も経たないうちに、ドンッ! という衝撃が建物を揺らす。びくりとして入口を振り返る、二回目はザクッという鋭い音と火花だった。オートフィギュアの右手に残った直剣オプション、上層部のコンピューターで検索した結果──エリアにこれが配備されている事は分かっていたので、いざという時の為に武装については一通り調べていた──によるとVTSという名称らしい熱切断用の刃が、シャッターから突き出している。
僕たちは、身を寄せ合ったまま入口から離れ、陳列されている武器に素早く視線を這わせた。M17や18といった拳銃から20式(国内産の自動小銃)まで型番の異なる麻痺銃に電気棒、音響手榴弾……敵の装甲を通すにはどれを使うのが最も効果的だろうか、と考えていると、
「類、これだ!」
麗女翔が、通電用の銛のような大型電気棒を持って進み出て来た。
「脆くなっている部位を狙うんだ。回路をショートさせれば、一時的にでも動きが止まるかもしれない!」
「……よし」
僕は、彼と共にそれを取る。途端に、先程の鉄パイプとは比べ物にならない程の重量に、油断していた僕はよろめいてしまった。彼が「落ち着け」と言いながら下部を支えてくれる。
「元々ノード用の武器だからな、多少重くても仕方ないだろう。……シャッターが開いたら、三、二、一で打ち込むぞ。タイミングは俺が指示する」
「ああ、頼んだよ」
僕たちがショックスティックを構え直した瞬間、火花の散りが激しくなった。シャッターが耳障りな音を立て、切り裂かれた箇所から徐々に引き捲られていく。一度は見えなくなったオートフィギュアの全貌が、また露わになり始めた。
「行くぞ、三、二、一!」
バチンッ! という、鼓膜を破らんばかりの破裂音が鳴った。
VTSの放つ熱が、耳朶のすぐ横を通過する。心臓に脱脂綿を当てられたように背筋がひやりとした僕だったが、優位に働いたのはこちらの攻撃だった。
オートフィギュアの破損箇所から、火花が舞い散った。巨大人型兵器は、パーツが軋み合う咆哮の如き異音の緒を曳かせながら、数秒間の痙攣を経て硬直した。赤熱していたVTSの刀身が、水に浸けられた鍛造物の如く蒸気を上げて冷却される。一切の挙動が停止するのを見てから、僕と麗女翔は電気棒を引いた。
「やったか?」
「油断するな、一時的に止まっているだけだ」
麗女翔は冷静さを取り戻し、建物内の装備品に再び目を走らせた。
「破壊出来る武器がないぞ」
「それはそうだよ……エリアで、敵軍用機との戦いなんて想定される訳ないもん」
杞紗は言ってから、やや躊躇うように唇を噛んだ。室内を見回し、AIアシスト付き兵器を制御するソフトウェアがインストールされた携帯型PCが数台集められている上で暫し視線を漂わせる。それらと、一時停止したオートフィギュアを交互に見ると、小さく手を挙げた。
「オートフィギュアの動体追跡パターンは、メインカメラ→サブカメラ→振動検知の順に優先される。メインカメラさえ再設置して制御プログラムを書き換える事が出来れば、私がMR(Mixed Reality:複合現実)映像を作って追跡させて、任意の場所に誘導出来るかもしれない」
「……行けそう?」麗女翔が、表情を引き締めて尋ねた。「何処に誘導するんだ?」
「輸送用通路」
彼女は、間髪を入れずに言った。
「もう、私たちの動きは運営にバレてる。近づいて手動で門を開けて、見つかるリスクは度外視していいんじゃないかな。そこまで誘導したら、門を高速で閉める。圧力は約三十メガパスカル、あのロボットでも潰れるはず」
「……なるほど」
僕は、オートフィギュアを観察しながら考える。
機能停止命令をインストールさせる事が出来れば、簡単に済む話なのだ。だが、それにはオートフィギュアの制御プログラムを可視化する必要があり、コントロール権限を付加された端末はここにはない。こちらでプログラムを組んだカメラをオートフィギュアの外部デバイスとして取り付ける事が大前提だ。
「よし、やろう。端末はある、僕と麗女翔がカメラのプログラミングをするから、杞紗はCGの制作を。投影装置は、例の変装用ナノマシンをドローンで操作するものとする」
必要な道具が揃っている事を確認すると、僕たちは手を重ねた。
「絶対に生き延びて、僕たちの家族を救ってみせるぞ」




