『禁猟区 聖痕なきメサイア』 第48回
㉗ 類
裏F棟から裏口を抜け、輸送用通路の見える”外壁”近くまで出た時だった。
僕たちは、連絡通路を隔てたD棟から、重機が動くような鈍い重低音が響いてくる事に気付いた。密閉されている訳でもないので、中からノードたちの阿鼻叫喚やプレス機で潰されるような金属の音が漏れ出している。
それが時折、恐竜の歩くような二音一組の震動となって棟を揺らした。二足歩行の巨大なものが動いているらしい、と思った時、僕たちは言葉を交わすまでもなく、あの職員が言っていた「D棟で行われている殺戮」の実行者が件の侵入者ではないという事を察した。
「何だよあの音……もの壊すってレベルじゃねえぞ」
麗女翔が、悍ましげに呟いた。
棟を直視した瞬間、僕は爪先から項まで緊張が駆け上がるのを感じた。当然、僕たちも計画開始から一年二ヶ月の間に侵入した事のある建物だ。中の構造は把握しているし、各種システムへのアクセス記録は逐一傍受している。危険と隣り合わせの冒険も、何度も行ってきた。
しかし、今僕には目の前にある建物が、未知なる人外魔境への入口のように感じられた。足を踏み込んだ瞬間、何処から死が迫って来るか分からないような不安。一刻も早くここから離れるべきだと、本能が警鐘を鳴らしていた。
「向こうには工学部やらSPUの詰め所やらがある。倉庫区画はこの向こうにはないし、下手に見に行くような事はしない方がいいだろう」
僕は、正直に思った事を口にした。麗女翔も杞紗も、特に反論はないらしく険しい顔で肯く。
「侵入者は光村少年を探す為、オブザーバーの記録を見る為にこっちの棟に入って抜けたんだろう。D棟には、そもそも入っていないんだ。だけど、地下ブースとやらがある倉庫区画はここからでも外を通って行ける。すぐに……」
移動しよう。僕がそう言いかけた時だった。
眼前の建物から絶え間なく響いていた轟音が、俄かに音量を上げた。震動が激しくなり、棟の入口からメリメリ、という、ものが壊れる前兆のような異質な音が混ざり始める。
入口の扉を中心に、棟の外壁に亀裂が走った。その破片がボロボロと崩れ落ち、焼け焦げたコールブランドの残骸を発見した時の如き熱した悪臭が漂い始めた。
僕は、口の中が渇くのを感じながら、二人に「静かに」と合図した。
「ねえ類君、もしかしたら……」
「ああ、多分そうかもしれない」杞紗に応じたのは、麗女翔だった。「こっちの動きに反応するモードに設定されているなら」
何がそうなのか、という質問は必要なかった。
一瞬の後、第六感に近い何かが僕の中で働いた。
「麗女翔、杞紗、伏せろ!」
刹那、D棟入口が土煙を立てて崩壊する。その中に、明らかにノードより大きなシルエットを確認すると同時に、煙を引き裂くようにして紡錘形の尖った物体が断空してきた。
僕は頭を下げてコンクリートに手を突き、跳び箱を横跳びするように右方向に回避行動を取った。コンマ数秒前までこちらの頭があった空間を、飛来した紡錘形の物体が通過して後方に抜けていく。
それは放物線を描いて下降軌道に入り、爆発した。
「ひゃあっ!?」「杞紗!」
体重の軽い杞紗が、押し寄せた衝撃波に突き飛ばされるように転倒した。麗女翔は屈んだまま、彼女の方に手を伸ばす。二人の居る場所に、火の粉を交えて粉塵となったコンクリートや飛び散った破片が降り注いだが、彼らは間一髪で僕の居る方向に動き、それを避けた。
「痛い……膝が痛い……」
杞紗が啜り泣き混じりに呟いた。見ると、彼女の両膝に血が滲んでいる。
直ちに消毒を施したいところだったが、ないものは仕方がなかった。麗女翔が素早くハンカチを取り出し、包帯代わりに巻きつける。
「大丈夫か? 皿が割れていたりは?」
「ありがとう、麗女翔君……大丈夫、歩けそう」
彼女が麗女翔の手を借りて立ち上がった時、立ち込める土煙を突き破るようにしてそれが現れた。
黒煙を纏いながら現れたそれは、非常時に於いては誰よりも冷静な麗女翔の予想を裏づけ、またそれ故に彼を取り乱させるものだった。ボディは酷く焼け焦げ、装甲の一部には切り裂かれたような傷が一筋走り、”頭”に当たる部分のカメラは叩き潰されている。その禍々しさは工業製品の域を超え、最早地獄から現れた魔物の如き様相だった。
「対人用人型自立戦闘機……オートフィギュア」
目の前に現れた機械が何であるのか、僕たちはその正体を知っていた。だからこそ何故このタイミングでそれが現れたのか、誰にという訳でもなく問い質したい気分だった。
「軍用ロボが、どうして起動されて……?」
「有事に於ける最終手段だからだ。侵入者の行動によって、エリアの損害があまりにも拡大したものだから上が秘密兵器としてアクティベートしたのかもしれない。だけど、コントロールしている奴の姿が見えないな」
麗女翔は、一つ一つ状況を整理するように言った。
直後、オートフィギュアがまた炸裂するAPHE弾を射出した。僕と麗女翔は杞紗を両側から支え、後方に大きく跳躍する。また爆散と共に凄まじい圧力が叩きつけられたが、今度は上手く背中から倒れ込んだ為、後頭部を守りつつ腕全体で受け身を取る事が出来た。
とはいえ、コンクリートの上である事は確かだった。衝撃を完全に殺しきる事は出来ず、重い痛みが骨に響いてきたが、いつまでも倒れたままで居れば次の攻撃に襲われるだろう。
「倉庫区画に! 建物が密集している方に逃げるんだ!」
僕は、立ち昇る炎の壁に隠れるようにしながら叫んだ。
「狭い所に逃げ込めば、オートフィギュアの動きも遅くなるだろう」
「だけど、逃げているだけじゃ埒が明かねえ」
麗女翔が唸る。
「俺たち、完全にタゲられちまった。頭のメインカメラが潰されても狙いが正確なのは、振動検知によるものだと思う。そうじゃなきゃ、体温のないノードが虐殺された理由が分からないだろ。
今は俺たちしか周りに居ねえから、一回狙いを付けた俺たちを追随して攻撃してくるんだ。けど、このまま俺たちがあいつを牽引して、表の学校の方まで連れて行っちまったら……」
杞紗が、ひっと喉を鳴らした。僕も、その状況を想像して戦慄が走る。
立ち入り禁止の施設裏に繋がる柵を破壊して、オートフィギュアが学校の敷地内に足を踏み入れる。現在日本に駐在しているのは米連軍だと信じている生徒たちは、未知の巨大人型ロボットの襲来にパニックを起こし、我先にと逃げようとする。何が起こっているのかも分からず、悪夢を見ているのではないか、と信じたい彼らを、人格を持たないロボットは淡々と殺害していく──。
冗談ではない、と思った。
僕たちは、知恵を以てシステムに抗うべく準備を進めてきたのだ。それが、作戦の決行前に圧倒的な力の前にただ捻じ伏せられるなどと。
「どうして、暴走なんか……?」
杞紗は半泣きで言いかけたが、そこで何かに気付いたらしく声を上げた。
「あっ、あれ見て!」
彼女が指差したのは、広域に広がった炎の生み出す陽炎の向こう、次弾を装填しながら歩を進めて来るオートフィギュアの肩口だった。本来サブカメラが搭載されているべきその部位に、何かが引っ掛かっているのが僕にも見えた。
「人間……なのか?」
それは、半ば襤褸と化した白い服を纏った子供だったのだ。
「あれって、学校の子じゃないよね? 服も違うし……あれが侵入者?」
「まさか! あんなに小さい子が、あの人な訳がない」
麗女翔は言ってから、自分ではっと気が付いたようだった。
「あれは……光村少年じゃないか?」
今度は、僕と杞紗が息を呑む番だった。
「どうして彼がここに? しかも、身に着けているのは強化スーツじゃないか」
まさか──という、考えたくもない事が脳裏を過ぎった。運営の誰か、かつて青葉エリアで起こった惨劇を知る個体が、侵入者の正体に気付いた上で光村少年をぶつけようとしたのではないか。僕たちがヴェルカナ先生のコピーした記録文書を読み、立てた推測と同じ事を運営の誰かも考えたのだとすれば。
(そんなの、あまりにも酷いじゃないか……)
僕が思った時、オートフィギュアの再装填が終わった。炎の壁を突き抜け、三発目のAPHE弾が飛来する。
「考えるな、走れ!」
僕の指示は、半ば自分に向けたものとなった。
僕たちは身を翻し、衝撃波の干渉圏から逃れると、そのまま壁沿いを職員用駐車場の方へと走った。裏F棟、E棟の脇を抜ける最中、駐車場に見慣れないオフロードカーが何台も停まっているのが見えたが、気にしている余裕はない。




